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2009年 03月 25日 ( 1 )
For a Few Dollars More by Ennio Morricone(OST 『夕陽のガンマン』より)
タイトル
For a Few Dollars More
アーティスト
Ennio Morricone (OST)
ライター
Ennio Morricone
収録アルバム
A Fistfull Of Dollars & A Few Dollars More (OST)
リリース年
1965年
他のヴァージョン
Billy Strange, Hugo Montengro, the 50 Guitars
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このところ暖かかった当地も昨日今日は半歩後退の肌寒さで、桜の開花にもブレーキがかかったかもしれません。いや、ブレーキがかかっても、元の蕾に戻るわけではないので、とりあえずは目に見えませんけれどね。近所の桜並木は全体としては三分ぐらいでしょうが、株によってはもう七分ぐらいというのが相当数あって、開花はどんどん進行中に思えます。

桜の前に満開になっているのは雪柳で、近所のあちこちでその名前の由来となった小さな白い花を無数につけているのを見られます。なんという名前かわからないのですが、春、芽吹くときに真っ赤になる楓があり、これもだいぶ葉が出てきて、鮮烈な色になりはじめています。この楓は秋にはくすんで枯れていくだけですが、春の赤はルビーのようなめざましい色合いです。

◆ 「前借り」があだになった邦題 ◆◆
のんびりしたミュージカルと、派手なドンパチで人が大量に死んでいく映画を交互にやってきて、今回はドンパチの回に当たるので、第一作より人死にが増えた「名無しのガンマン」シリーズの第二作、『夕陽のガンマン』とまいります。第一作の『荒野の用心棒』は、昨年、すでにとりあげています。

ふつう、ヒット作の続篇の邦題は、昔なら「続なんとか」、いまなら「なんとかかんとか2」とか「あれやこれや3」というように命名するのが大原則です。ヒット作の続篇であることを明示しなければ、客にアピールしないのだから、当然です。

f0147840_1144948.jpg『荒野の用心棒』も大ヒット作なので、この「名無しのガンマン」シリーズ第二作も当然、『続・荒野の用心棒』というタイトルでなければいけないのに、なぜそうならなかったのか? 輸入会社があさましい大ボケかまして、天下に赤っ恥を曝したのです。シリーズとはまったく無関係な、フランコ・ネロ主演のDjangoという映画に『続・荒野の用心棒』というタイトルを使ってしまったために、ほんとうの続篇にこのタイトルを使えなかったのです。愚行の大展覧会ともいえる映画邦題の歴史にあっても、これほどの超絶大愚行は後にも先にもなく、いやはや、呆れけえったもんだぜ、ご隠居さん。

フランコ・ネロなんかだれも知らないから、なんとか稼ぎたいという焦りからやってしまったフライングでしょうが、大ヒットした名無しのガンマンものの続篇がつくられる可能性をまったく考えなかったうかつさには呆れるしかありません。邦題なんかやめちまえ、という意見が出て当然でしょう。

だから、いまどきの原題まっすぐカタカナ邦題にはおおいなる問題があるにしても、わたしはこのほうがずっとマシだと考えています。たとえば『エイリアン』なんていう映画が60年代にあったとしたら、こんな素っ気ないままではすまなかったでしょう。『哀愁のエイリアン』とか『愛と青春のエイリアン』とか『荒野のエイリアン』とか『大宇宙のエイリアン』とか『明日なきエイリアン』とか『さすらいのエイリアン』とか、なにかそういう無意味な属性を付与せずにはいらない愚劣さが、われわれの心にはビルトインされているのではないでしょうか。この馬鹿げた衝動に対して、原題即カタカナという大方針は、別種の愚劣さを内包しつつも、きわめて有効な抑止策の役割を果たしていると思います。

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第一作がA Fistful of Dollars=『一握りの金のために』、そして、この第二作がFor a Few Dollars More『さらに一握りの金のために』というので、原題は平仄が合っているのですが、しかし、いまこの二作が封切られたとしても、原題即カタカナの原則を当てはめられないタイプでしょうね。いまなら、輸入会社はどういう邦題をつけるか、想像するとちょっと興味深いところです。

◆ 複雑化したテーマ曲 ◆◆
『エイリアン』が続篇ではAliensと複数形になったように(うようよ涌いて出てきたときには戦慄しましたなあ。しかも、あんなに素速く動けるとは!)、「名無しのガンマン」シリーズも、シリーズ化の大原則にしたがってスケール・アップし、ガンマンも複数になります。

いや、そういうことはどうでもよくて、肝心なのは音楽のほうでした。エンニオ・モリコーネが意識していたのかどうかは知りませんが、音楽のほうも続篇らしい仕上がりになっています。たいていの観客がテーマと誤解し、本邦ではヒットまでしてしまった第一作の挿入曲Titoliは、それこそ演歌的なメロディー・ラインで、良くも悪くも予定調和的な仕上がりでした。ギターをもってDmのスケールから外れないように弾くだけで、短時間でコピーできたのです。第二作では微妙な変化が見られます。

そこのところをお聴きいただこうと思ったのですが、適切な動画は見あたらず、以下のようなものしかありませんでした。

スパニッシュ・イントロ


なんだかむやみに画面が暗いのが難ですが、文字がスペイン語表記になっていること以外は、おおむねオリジナルと同じで、ずいぶん凝ったローカル版をつくったものだと呆れます。オリジナルでも、これと同じように文字が揺れてあらわれ、拳銃の発射音とともに一部が潰れたり、消えたり、はじかれたりします。日本では、こういうローカル化はまずしないでしょう。オリジナルのままで、下のほうにスーパーインポーズで主要なキャストとスタッフのカタカナを出すというところでしょうか。テレビで『スター・ウォーズ』の例の口上が日本語になってスクロールしたのを見たような気もしますが……。

(後日発見したクリップを追加)
『夕陽のガンマン』英語版オープニング・クレジット

いやまあ、画面はどうでもいいのです。テーマ曲は、Titoliよりやや複雑になったという印象です。口笛をリード楽器にし、そこにギターがからむという基本路線は同じですが、どちらが主役かというと、For a Few Dollars Moreはギターのほうでしょう。

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悪漢の親玉を演じたジャン=マリア・ヴォロンテもよかったが、もうひとり忘れられない悪漢がクラウス・キンスキー。あの美女の父親とは思えない病的悪人ぶりだった。左はリー・ヴァン・クリーフ。

複雑になったといっても、Titoliよりギターのラインが弾きにくいと感じるだけで、たんなる偶然の結果なのかもしれません。ギターが多用されるわりには、モリコーネの音楽にはギター的なラインは出てこず、ピアノなどのべつの楽器でつくったのだと感じます。ギターを弾いていて、ナチュラルだと感じるラインはなく、きわめて非ギター的な、自明ではないラインばかりです。そういうラインをギターでやるところが、この時期のモリコーネのウェスタン・テーマがもつ最大の魅力といえるでしょう。

◆ カヴァー三種 ◆◆
そういうところに惹かれたのか、うちにあるこの曲の三種のカヴァーは、いずれもギターものです。

まずはビリー・ストレンジ盤。これはMr. Guitar、Secret Agent Fileと並ぶボスの秀作、Great Western Themesに収録されたもので、なかなかけっこうなグルーヴです。アップテンポのアレンジで、哀愁路線ではなく、管のアレンジのせいもあって、どちらかというと威勢のいいサウンドです。このヴァージョンは、右のリンクからいけるAdd More Musicの「Rare Inst. LPs」ページで、LPリップを頂戴できるので、皆様もぜひどうぞ。

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ビリー・ザ・ボス自身が、あのアルバムは気に入っているとおっしゃるだけあって、どのトラックもハイ・レベルな仕上がりです。うかつにもいままで知りませんでしたが、これは2005年にCD化されたそうです。LPのジャケットもなんだかなあでしたが、CDのデザインもいいとはいいかねます。もっと愛情をもってつくってほしいのですがねえ。

f0147840_1244175.jpgつづいて、ヒューゴー・モンテネグロ盤。こちらはオーケストラ・リーダーですが、それほど大編成ではありませんし、メンバーもビリー・ストレンジ盤とかなり重なるのではないでしょうか。そもそも、リードギターはわたしにはビリー・ストレンジに聞こえます。ドラムはもちろんハル・ブレイン、ベースもキャロル・ケイでしょう。これもまた好みです。ハルのドラミングも楽しめます。

最後は久しぶりに登場の50ギターズ。これもAdd More MusicでLPリップを入手することができます。この曲が収録されたEl Hombreは、つい最近、AMMの木村センセのおかげではじめて聴くことができたのですが、センセが褒めていらっしゃるように、しばらくセカンド・ゴロがつづいていた50ギターズとしては、久しぶりの(ちょっと詰まってはいるが)ライト前ヒットという感じです。

このアルバムにはマカロニ・ウェスタンのテーマがいくつか収録されていますが、どちらかというと、For a Few Dollars Moreより、前作の『荒野の用心棒』の挿入曲、Titoli(盤にはTheme from "A Fistful of Dollars"と書かれているが、これは間違い。このタイトルの曲はべつにある。多くの人がタイトルバックに流れる挿入曲のTitoliをテーマだと思いこんでいる)のほうが楽しい仕上がりに感じられます。しかし、なんといっても秀逸なのは、ペレス・プラードのPatriciaのカヴァー。最初に聴いたときは思わず笑ってしまいました。この曲をこういう風にやるかよー、です。

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それにしても、録音もみごとだし(ギャレットだから、ユナイティッド・ウェスタンで録音か)、木村センセのクリーニングも行き届いていて、こういうのを聴くと、LPのほうがずっとよかったのになあ、と思います。

以上、どういうわけか、三種ともレッキング・クルーがらみのカヴァーでした。

◆ ピカロの物語 ◆◆
イタリア製西部劇の大きな魅力は音楽でしたが、それをいうなら、アメリカにだってなかなかけっこうな西部劇テーマ曲がありました。後年、そういうものが当たり前になってしまったので、いまになると不明瞭なのですが、ドラマとしての大きな魅力は、正義の物語ではなかった、ということだろうと思います。

「ピカロ」(悪漢)という言葉があり、「ピカレスク・ロマン」(悪漢小説)という言葉もあるように、このときに突然創始されたわけではありませんが、すくなくとも正義に疑問をもつようになった思春期の子どもの目には、こういう悪党じみた主人公はおおいに新鮮で、肯定できるキャラクターでした。

クリント・イーストウッド扮する名無しのガンマンは、けっして積極的な悪党ではないのですが、賞金にしか興味がないので、当然ながら、善をなすことにも無関心です。悪人ばらを片端から撃ち殺すのは、あくまでも「賞品」としてであって、彼らの悪を憎んだがゆえではない、そこのところに子どもは強く惹かれました。善か悪かなど彼にはどうでもいいことで、だいじなのは「いくら稼いだか」だけでした。そして、この設定から生じるユーモアの、シック・ジョークに傾斜したところにも、観客はおおいに惹かれ、シリーズの大ヒットにつながったのでしょう。

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賞金のかかった悪人をすべて馬車の荷台に積んだつもりが、どうも勘定が合わないと首をかしげる名無しのガンマン。

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足りなかったひとりがまだ生きているとわかって、振り向きざま抜き撃ちで斃す。

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先に帰路についたモーティマー大佐が銃声で振り返り、「大丈夫か、小僧っ子?」(Any trouble, boy?)ときく。

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「なあに、なんでもないさ、じいさん。足し算を間違えたのかと思ったけれど、もう解決したよ」(No, old man. Thought I was having trouble with my adding. It's alright now.)と答える名無しのガンマン。

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勘定が合ったところで、狙った獲物をすべて積んで、ついでにボーナスの金ももって馬車で去る名無しのガンマン。

イタリア製西部劇の出発点は、黒澤明の『用心棒』でしたが、三船敏郎演じる用心棒が「悪党気取り」にすぎず、究極のところで正義の人であったのとは異なり、セルジオ・レオーネは第一作『荒野の用心棒』では半歩だけ踏み出した「悪党の物語」への道を、この第二作ではさらにもう半歩、こんどはよりたしかな足取りで歩んだと感じます。

ただし、リー・ヴァン・クリーフ演じるモーティマー大佐が、タフな身振りとは裏腹に、じつは正義を希求するキャラクターだったのは、社会のある階層に対するエクスキューズだったのでしょうが、この悪党たちの物語をいくぶんか水で薄める結果になったように感じます。次作はそこを修正して捲土重来のつもりだったのではないでしょうか。

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by songsf4s | 2009-03-25 12:25 | 映画・TV音楽