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2008年 10月 07日 ( 1 )
The Best of Earl Palmer その4

前置きの無駄話を書けないというのは、すくなくともわたしの場合、いいことではなく、追いつめられている兆候なので、二回つづけて枕なしはなんとしても避けたいところです。

アール・パーマーとはまったく関係ないのですが、ジム・ゴードン特集の一回目のときに、久生十蘭の新しい全集のことにふれました。没後五十年の今年のうちに出るのだろうか、などと書いたのですが、今月から刊行開始という広告を見ました。

一巻が約1万円で11巻。まあ、それくらいになるだろうと思っていたのですが、版元があそことはねえ……。大手が引き受けないのは自明ですが、ここはゾッキの常連ですし、造本もバラつきがひどいですしねえ。不幸中の幸いは、この版元、印税率が極端に悪いのか、翻訳がひどいことで有名ですが、十蘭全集に関してはその害は及ばないということです! いやはや、なんとも哀しい不幸中の幸いですが。

ただし、そういう版元というのは、校正、校閲の予算がゼロだったりするわけで、翻訳がひどいという評判の何割かは不十分な校正に由来するのでしょう。こちらの欠陥は十蘭全集にも影響が及びます。一流出版社のいいところは、すぐれた校閲部をもっていて、きびしい原稿チェックがなされることです。最低でも2回、ときには3回、4回というパスを経て印刷にまわされるのです。著者が変に突っ張らずに、校閲部の指摘を素直に受け入れれば、どんなにひどい日本語でもきれいにクリーンアップされてしまうほどです(ということは、個性を殺すことにもつながるので、このへんはむずかしいのだが)。

こういうシステムは大手でも維持がむずかしくなりつつあるくらいで、小出版社には真似できません。ということは、新版十蘭全集はまたしても甘い校正で出てくることになる恐れがあります。三一版全集でも、教養文庫版選集でも、校正のひどさ、とくに支離滅裂な外来語のルビには泣かされましたが、今度もそうなるかもしれないのです(デタラメなルビは、粗い校正のみならず、それ以前の校訂の段階でのミスに由来することも多いのだろうが)。

編集委員に名を連ねている方たちは、十蘭研究ではよく知られているので、すくなくとも「愛情」は期待していいでしょう。問題は、愛情が「献身的作業」に結びつくとはかぎらないことです。まして、雑な本作りで有名な版元、会社のバックアップが得られないとなると、愛情=作業量になってくれるかどうか……。

まあ、細かいことをいっても仕方ないですね。いまのところ、三一版がそうであったように、「とにかく読める」のはありがたいことだ、というしかありません。いざ出てみれば、細部まで神経の行き届いた、レベルの高いものになっている可能性だって、まったくゼロというわけではありませんし。

そもそも、わたしだって、校正とムカデとトマトは大嫌いで、他人の校正がどうのこうのなどといえるガラじゃありませんでしてね、どうしてこういつも数字を間違えるのか、なにか病気の一種ではないかと思うほどです。当ブログでも、できるだけ読み返し、気づけば古い記事でも訂正しているのですが、それくらいしか打つ手はありません。

でもまあ、見渡せば、ウェブ上の日本語なんて、企業サイトまで含めて、言語と名乗るのも遠慮したほうがいいと思うようなレス・ザン・ゼロ状態、見渡すかぎり一望の荒野(「絶望の荒野」というべきか)、校閲部のバックアップがない状態でも、うちはよそよりマシだろうと、タカをくくっています。すくなくとも、「輩出」を他動詞として使うなどという不見識は、当家ではやりません。出版社の校閲部はこれを見たらかならず間違いであると指摘しますが、近ごろの新聞は平気で「なんとか高校は多くのプロ野球選手を輩出している」などという大間違いを印刷しています(正しくは「なんとか高校からは多くのプロ野球選手が輩出している」と自動詞的に書く。他動詞ではないから、輩出は目的語をとれないのである。この違いすら、近ごろの半文盲の若者にはわからないのだろうが)。近年では、スポーツ紙ではない、ふつうの新聞社でもまともな校閲のできる人はいないということです。残るは大手出版社、あそこと、あそこと、あそこと、うーん、三本指でおしまいかよー。黒暗々、闇また闇の21世紀ですなあ。

◆ Smiley Lewis - I Hear You Knockin' (1955) ◆◆
当時はR&Bチャートでの大ヒットというだけで、当然、そんな予感などなかったにちがいありませんが、長い年月のあいだに、ニューオーリンズR&Bを代表するもののひとつとみなされるようになった大有名曲です。われわれの世代の場合、大ヒットしたデイヴ・エドマンズのヴァージョンでこの曲を知った人が多いことでしょう(わが家のHDDを検索したら、デクスター・ゴードン&ウォーデル・グレイのヴァージョンが出てきて、なんだこりゃ、だった)。この曲の「古典化」におおいにあずかったのは、エドマンズ盤だといっていいだろうと思います。

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この曲のリズムはアール・パーマーいうところの「スロウな三連」なので、ライドは三連、スネアはストレートな2&4を叩いています。この曲でも、ときおり、ボコボコとキックを思いきり踏み込んでいるのが聞こえてきます。このキックのサウンド自体が後年の音とはずいぶんちがうもので、やはり、マイクを当てたのではなく、アールの脚力によるものだろうと感じます。そして、このときおり大きく聞こえてくる、フィルイン代わりのキックのアクセントが2分3連なのです。ピアノやライドに合わせただけ、ともいえるでしょうけれど、三連のキックの多用というのもまた、アールの数ある「発明」のひとつではないかという気がします。

◆ Antoine 'Fats' Domino - My Blue Heaven (1955) ◆◆
エノケンが「広いながらも窮屈なわが家」と歌詞を変えてうたった「私の青空」の原曲です。わが国でも古くからさまざまなヴァージョンがありますが、わたしはどれが好きかというと、うーん、ちょっと長考ですが、ラジオで聴いた岸井明のヴァージョンが強く印象に残っています。

てなことは、ここではどうでもいいのでした……いや、でも、ファッツと岸井明は体型が似ていて、歌い方がフワリとしている、または、場合によってはトロリとしている、というか、要するに尖っていないという共通点があるような気がします。そして、この曲はそういうシンガーが歌うのがふさわしいのではないでしょうか。

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ニューオーリンズ時代のアール・パーマー(中央)。自信と野心にみなぎった青年がいる。

この曲でのアールのスネアは、他のトラックとはかなり異なっていて、高めかつ硬めで(口でいうと舌をかむ)、べつの方向から表現すれば、ウルトラ・ドライなサウンドになっています。

スネアのサウンドの差異にまで気を配ったライナーというのは、生まれてこの方ついぞ読んだことがなく、大部分の人にとってはどうでもいいことなのでしょうが、ドラマーの観点からいうと、これはそのドラマーのアイデンティティーといってもいいほどで、変えるときには相応の理由があります。

プロデューサーまたはアーティストの注文といった外的要因もあれば、思うところあって(時代に合わせるために、とか)自発的に変えることもありますし、あるいは、ヘッドまたはボディーごと交換したとか、ひどいときには、他人のセットを使った(ハルは急遽呼ばれて、すでにセットアップされていた他人のセットで叩いたことがあるといっている)とか、まあ、いろいろあるわけですが、ぜったいにありえないケースは「理由なしに、あるいは、なんとなくサウンドを変えた」です。なにかしら理由があるものなのです。

理由のある変更であり、それが全体のサウンドに影響を与え、ひいては、ヒットかミスかという最終成績にまでつながっていくこともあるのだから、音楽評論家と名乗って商売をしている人たちには、そういうディテールに気づく耳と知性をもってもらいたいとつねづね思っています。そこに重要なキーが隠れている可能性は大なのです。ドラマーであるかどうかとか、そういう問題ではないはずです。「サウンドの問題」「音楽の問題」です。

わたしは評論家ではなく、関係者に直接話を聞くチャンスはめったにないので、この曲でアール・パーマーがスネアのサウンドを大きく変えた理由はわかりません。その結果としてなにが起こったかというと、サウンド全体が明るく、軽快かつ華やかになりました。わたしは、アールがスタジオのプロとしての自覚を強めた結果、姿勢が積極的になり、サウンド作りに関与する意思を見せはじめた、という印象を受けました。

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Fats Domino and Dave Bartholomew

また、スネアがドライなサウンドのおかげで、4分3連のフィルインも非常にキレのよいものになっています。さらにいうと、60年代初期のリバティー・レコードなどのヒット曲で聴かれるアールのスネアが、突然、時間を飛び越えて、ここに出現したような印象すら受けます。

わたしがスナッフ・ギャレットで、アールのドラムでボビー・ヴィーを録音しようとしている前夜にこのトラックを聴いたら、アールに、「ファッツのMy Blue Heavenを覚えているか? ああいうスネアでやってくれ」と注文を出すでしょう。そうすれば、あのボビー・ヴィーのRubber Ballなどで聴かれる独特の軽快なスネアが誕生するでしょう。60年代のアール・パーマーの(ちょっとお先走りの)萌芽がこの曲にはあります。

◆ Little Richard - Tutti Frutti (1955) ◆◆
アール・パーマーがプレイしたトラックのなかで、重要度からいえば、だれが考えても十本指に入る曲の登場です。

リトル・リチャードのパフォーマンス、とりわけ、いきなりの「ア・ワッバッパルー・マッパラッバン・ブーム!」の、理不尽なまでの先制攻撃は、いま聴いてもすごいものだと思います。なんの番組だったか、大昔、伊東四朗が、登場したとたん、いきなり相方(小松政夫か)をはたいて、「まだなにもいってないじゃないですか」と文句をいわれたら、「とりあえずはたいてみた」といった、あの不条理さに通じるってくらいなものです。リトル・リチャードの革命性はまだ十全に発揮されてはいないのですが、それでも、いま聴いてもすごいと思うのだから、当時のリスナーは驚いただろうなあ、と思います。

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アール・パーマーのプレイも、さすがに興味深いもので、彼のベスト盤にもぜひ入れなければいけないトラックです。アール自身も伝記で認めているように、スタイル自体はまだノーマルなシャッフルですが、たまたま、彼のプロとしての積み重ねが効いてきた時期にあたり、楽しいグルーヴが生まれています。

Add More Musicのオーナーである木村さんは、つねづねアールのスネアを「跳ねる」と表現していますが、アールのスネアにはっきりとした「跳ね」が感じられるようになるのは、前述のファッツのMy Blue Heavenや、このTutti Fruttiあたりからです。

アール・パーマーが、いかにもアール・パーマーらしいスタイルを生み出しつつあった時期に、この歴史的楽曲がもちこまれたのは、リチャード、アール、どちらにとっても幸運でした。アールのビートにもともとあった勢いに、テクニックに裏付けられた落ち着きと「味」が加わりはじめたのと、ロックンロール誕生が重なったのです。豊かな実りがもたらされて当然でしょう。

今日はまだ3曲しか見ていませんが、そろそろ時間切れのようです。ほうっておくと、このあたりはリトル・リチャードだらけになってしまうので、どれを落として、どれを入れるか、聴いては悩み、聴いては悩みしているうちにシンデレラ・タイムが来てしまいました。いや、ホントに、どの曲もオミットできないのではないか、というのが目下の結論で、まったく困ったものです!


by songsf4s | 2008-10-07 23:24 | ドラマー特集