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2008年 10月 05日 ( 1 )
The Best of Earl Palmer その3

本日は前置き抜きでまっすぐ本題に入ります。前置きのかわりに、頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべ、じゃなくて、アール・パーマーご幼少のみぎりの写真をご覧いただきましょう。タップ・ダンサーだった時代のブロマイドのようです。ライヴァルといえるのはサミー・デイヴィス・ジュニアただひとりというくらいのトップ・ベイビー・ダンサーだったとか!

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Earl Palmer in his kid dancer days. "I was pretty much the top kid around there...I was cocky."


◆ Dave Bartholomew - That's How You Got Killed Before (1950) ◆◆
奇妙なタイトルの曲ですが、コキュのお話のようです。スウィング・バンドのつもりで、バンド・リーダーの名前がおもてに出ているのはいいとして、ヴォーカルはだれなのだろうとパーソネルを見たら、デイヴ・バーソロミュー自身となっていました。

この曲で面白いと思うのは、途中でちょっとだけ出てくる、ギターとピアノのユニゾンによるオブリガートです。ブライアン・ウィルソンが「第三の音」(2種類の楽器が同じフレーズをプレイしたときに生まれる、オリジナルの楽器のどちらともまったく異なる「独立した別種のサウンド」)と呼んだ効果そのもので、きわめて印象的な装飾になっています。

この曲もまたジャンプ・ブルーズ的で、アール・パーマーはシンコペーションを多用しています。特筆すべきことがあるわけではありませんが、グッド・グルーヴです。

f0147840_014763.jpgアール・パーマーが加わる直前のデイヴ・バーソロミュー・バンドのドラマーは、アールの叔父さんだったそうで、アールは誘いを断ろうとしたところ、その叔父さんが、おまえはそのオファーを受けろ、俺はろくでなしのデイヴとは二度と口をきかない、というので、バーソロミュー・バンドに入ったとのことです。

ここから二つのことがわかります。デイヴ・バーソロミューは商売人であり、客を呼べる若いドラマーがほしいと思えば、冷酷なことをするのもいとわないというのがひとつ(これは軽蔑でも尊敬でもなく、たんなる事実認識にすぎない)。もうひとつは、わりを食う親類に遠慮しつつも、オファーを受ける気になるほど、デイヴ・バーソロミュー・バンドは若いドラマーにとって魅力的であり、価値があったということです。

そして、この冷徹なビジネスマンにして敏腕プロデューサーと、昇竜の勢いの若いドラマーが、リズム&ブルーズおよびロックンロールの誕生と発展の一方の原動力となっていきます。

◆ Lloyd Price - Lawdy Miss Clawdy ◆◆
ニューオーリンズとかぎらず、R&B全体の歴史からいっても重要な曲で、ドラミングがどうであろうと、こういう曲はオミットできません。

ヒット曲のトラッキングに参加したという実績の積み重ねも、この業界では重要なことです。たとえ守備機会1、エラー1だったとしても、チームが勝てば、ワールド・シリーズ・チャンピオンのリングをもらえるのといっしょです。まして、ここでのアールは、3打席2犠打1四球、守備機会7、エラー0ぐらいのプレイぶりなのだから、「あのときあそこにいた」実績は重要です。

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アールぐらいのプレイヤーになると、「へえ、あの曲も彼だったのか」回数は数百に達するのですが、たとえば、「なになにの歴史」といった編集盤をつくるときにはずせないタイプの曲というのは、100を切るでしょう。でも、ここで注目していただきたいのは、そういう曲が数十もある、というのは驚天動地だということのほうです。

「ヒストリー・オヴ・ロックンロール、ザ・フォーマティヴ・イヤーズ1947-1959」という、100曲入り4枚組ボックスを編集するとしましょう。このうち、30から40曲はアール・パーマーがプレイしたものになるにちがいありません。それくらいとんでもないプレイヤーだということを、(まだならば)ここいらで認識していただいておいたほうがいいでしょう。ちんぴらシンガーはあらわれては消えていきますが、アール・パーマーぐらいのプレイヤーになると、そういうアブクとはわけがちがうのです。文字どおり、歴史をつくってきたのです。

ここでのプレイは無難なものですが、イントロはノーマルにライドを3連で叩いているのに、ヴォーカルが入ってくると、ハイハットでのシンコペーションを使ったプレイに切り替えている(間奏ではまたライドの3連に切り替える)ところで、なるほど、と感じます。

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ここらへんまでくると、バックビートも明瞭をきわめていて、もう、ニューオーリンズではこれがノーマルなプレイであるという常識が確立していたのだろうと納得します。

楽曲としては、基本的にはブルーズで、シンプルなコード進行なのですが、I-IV-Vの3コードのうち、IVにいって、そのままマイナーになるところが、常套手段のひとつとはいえ、やはり印象に残ります。それがこの曲のヒットと、ロックンロール・クラシックへの成長の理由でしょう。

われわれの世代はこの曲をどこで知ったのだろうと気になって、検索をかけてみました。わが家にあるLawdy Miss Clawdyは、エルヴィス・プレスリー、フォー・ラヴァーズ(4シーズンズの前にフランキー・ヴァリーがいたグループ)、クリフ・リチャード、トミー・ロー、ホリーズ、スウィンギング・ブルー・ジーンズ、バッキンガムズでした。

f0147840_0214224.jpg中学のときには知っていたはずなのですが、フォー・ラヴァーズ、エルヴィス、トミー・ローはあのころは無縁、どこかブリティッシュ・ビート・グループのはずです。ホリーズが日本で知られるようになったのは遅く、なんとBus Stop以降ですから、彼らである可能性も低く、となると、スウィンギング・ブルー・ジーンズが有力ということになります。Good Golly Miss Mollyだって彼らの曲だと思っていたくらいなので、わたしの場合、Lawdy Miss Clawdyはスウィンギング・ブルー・ジーンズ盤で知った、といって大丈夫だろうと思います。

われわれの世代は、基本的にイギリス経由で50年代のロックンロールを知りました。アメリカからはいったん50年代的なものが抹消されてしまい、われわれの世代はその「氷河期」に音楽を聴くようになったのです。ビートルズ以下のブリティッシュ・ビート・グループのカヴァーがなければ、ああした初期R&B、ロックンロールの「歴史的に重要な楽曲」というのは、ただの忘れられた古い歌になってしまったのかもしれません。

◆ Smiley Lewis - Big Mamou (1953) ◆◆
デイヴ・バーソロミューのLittle Girl Sing Ding a Ling(後年、チャック・ベリーのヴァージョンでヒットしたMy Ding-A-Ringと同じ曲)や、ファッツ・ドミノのMardi Gras In New Orleansも曲としては面白いのですが、オミットします。前者はドラムがほとんどなにもしないため、後者はプロフェッサー・ロングヘアのヴァージョンで知られるためです。ファッツ盤のほうがドラムははるかに面白いし、これこそがニューオーリンズ独特のグルーヴだと思うのですがねえ……。

スマイリー・ルイスについて、アール・パーマーはこういっています。

「あの鼻にかかった、生まれつきのブルーズ・ヴォイスときたらな! あいつは、いかにもブルーズ向きの馬鹿でかい声、ほうっておいてもブルーズらしく聞こえるナチュラルな声をもっていた。ライヴを見せたかったねえ、壁がビリビリしたものさ」

いかにもお年寄りの昔話らしく、ちょっとホラというか誇張も入って、生き生きとルイスの面影を伝えています。

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Smiley Lewis

スマイリー・ルイスの声も壁をビリビリさせたかもしれませんが、アール・パーマーのバックビートもちょっとしたものです。そして、この曲では、原理的にありえないほど馬鹿でかい音でキックも入っています。百歩譲って、このころにはドラムにマイクを一本当てられるようになっていたと仮定しても、キックにマイクが割り当てられるのは、60年代に入ってからとされています。わたしに考えられるのは……アールの献身的体技あるのみ!

◆ Earl King - I'm Your Best Bet Baby (1954) ◆◆
f0147840_0434148.jpgこの曲もまた、ドラミングがどうこういう以前に、思わず乗ってしまうタイプで、アール・パーマーに関係なくても取り上げたくなります。もちろん、グッド・グルーヴがあるからこそ乗れるのであって、そのグルーヴの中心に坐っているのは、いうまでもなくアール・パーマーなのですが。

この曲におけるキングのギター・プレイは、1954年とは思えない、時代の先を行くすばらしいフィーリングをもっています。機材が劣悪だっただけでしょうが、ケガの功名でナチュラルなディストーションがかかって(世界初のファズもアンプの故障から生まれたといわれている)、それがじつにいい味を出しています。これが未来のロックンロール・ギターのメインラインになるとは、本人も含めて、このときはだれも想像だにしなかったでしょうが!

f0147840_0463652.jpgロイド・プライスのところで書くべきだったのですが、ファッツ・ドミノを発掘して金脈を掘り当てたルー・チャドと彼の率いるインペリアル・レコードよりすこし先に、すでにLAで地歩を築いていた独立レーベル、スペシャルティーのアート・ループも、ファッツの成功に刺激され、ニューオーリンズにやってきます。そして最初に契約したのがロイド・プライスで、以後、つぎつぎと契約したアーティストのなかに、このアール・キングもいました(スペシャルティーでは成功せず、レーベルを転々とする。そのなかにはライヴァルのインペリアルもあった!)、この曲は、プロデューサーがジョニー・ヴィンセント(のちにエースを設立する)だったり、ピアノがヒューイ・スミスだったり、裏側もなかなか興味深いものがあります。

◆ Fats Domino - I'm In Love Again (1955) ◆◆
いよいよ1955年です。しかし、真打ちの前に、数曲の大物があるので、そちらから見ていきます。

I'm In Love Againは、ポップ・チャートでも3位までいった大ヒット曲だけに、はじまったその瞬間から、うん、これはいいな、と乗れるタイプの曲です。ニューオーリンズ独特のグルーヴにも魅力がありますが、ナショナル・チャートでの大ヒットとなると、やはり、こういう明快なグルーヴ、だれでもすんなり入っていけるわかりやすさが必要でしょう。そのへんのセンスがあることがファッツの強みであり、またプロデューサーのデイヴ・バーソロミューの力だったのではないでしょうか。

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Listening to the playback - Fats Domino (left) and the producer Dave Bartholomew at J&M Music Shop, New Orleans.

このあたりのアールのドラミングは、わたしがあれこれいうようなものではありません。出来の悪いトラックというのは見あたらず、安定して力強いグルーヴを提供しています。I'm In Love Againでも、この時期に何度かやっている、意図的に、そしてほんの一瞬だけ拍を食う、bit earlyのフィルインを使っています。後年になると、ミスと混同されるのを恐れてのことでしょう、これはあまり使わなくなるので、これを聞けるのはニューオーリンズ時代だけです。

それでは次回から、いよいよ「ロックンロール・クレイズ」に突入します。


by songsf4s | 2008-10-05 23:58 | ドラマー特集