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2008年 09月 03日 ( 1 )
Song for Paula by Bobby Whitlock
タイトル
Song for Paula
アーティスト
Bobby Whitlock
ライター
Bobby Whitlock
収録アルバム
Bobby Whitlock
リリース年
1972年
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予定ではスティーヴ・ウィンウッド・シリーズの第2段階であるトラフィックへ進むはずだったのですが、家人がいきなりグーグル・ブロガーにアカウントをとって、試しになにか書き込めだなんていうもので、そちらに時間をとられ(おもにLPジャケットのスキャンと合成)、とりあえずウィンウッドは棚上げとせざるをえなくなりました。

しかし、当家が間借りしているこのエクサイトのようなローカルなのとちがって、グーグルは開設したとたん、まだ記事がゼロなのに、アメリカから5人もきて、たまげました。あちこちの国別カウンターでアメリカのお客の多さは知っていましたが、それを自分のところでも経験するとなる、ウーム×3ぐらいです。エクサイトは、あの国別カウンターが使えないのが面白くないですな。いきなり、エクアドル1、ペルー1とかいわれると、へえ、そうかあ、と感慨がありますからねえ。

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じっさい、みなさんには見えませんが、当家だって、すでに数十カ国からお客さんを迎えているのです。写真キャプションはアルファベットにするように心がけているのは、画像検索で海外のお客さんに来ていただくためです。だから、当家でもああいう国別カウンターが出せると面白いのですが、それがエクサイトの制約でままならないのです。

音楽ブログというのは、本来的にローカリズムから解放されているのだからして、ああいうものを出したいとずっと思っていました。あれが出るだけでも、新しいブログが楽しくなり、あちらのためにジャケットのスキャンに精を出しちゃったりするわけです。早く、トータル100カ国を達成し、名前を見ても地図上の位置がわからないような国からのお客さんも迎えたいものです。

そんなわけで、あちらが軌道に乗るまで、当家の更新は滞りがちになるかもしれませんが、どうかご容赦を。

◆ 明け方の幽霊 ◆◆
日本の音楽業界でよく使われる言葉のなかで、もっとも不愉快なのはなにかといえば、迷いなく「幻の名盤」です。なぜ、たんなる「名盤」ではなく、「幻」がつくのか? きまってまさあね、売れなかったから埋もれてしまい、だれも知らない、存在が不確かなものという意味で「幻」となるのですな、これが。

で、わたしは、会社や評論屋がいう「幻の名盤」を大量に製造した世代なのです。つまり、当時のバイヤーであるわれわれの世代の多数派のコンセンサスとして、そんなものはつまらんと断じ、買わなかったせいで、ああしたもろもろの盤は「幻」になったのです。そんな、明け方の幽霊みたいなものを、いまさらだれが聴きたいと思うものですか! 当時、くだらないと思ったものは、いま聴いてもくだらないのです。だれかが一度捨てたゴミを拾うのはルンペンだけですぜ。

しかし、まあ、わたしも長年、盤を買っていて、これが売れなかったのは残念だったねえ、そこそこいいところまでいっていたのに、と思うものはいくつかあります。そういうものがなかなかCD化されないと、だんだんイライラしてきて、ドアホ、おんどりゃ、耳がついとんのか、はよ出さんかい、とCDを売っている人たちに辞を低くしてお願いしたくなってきたりします。

なんでCD化されないんだろう、おかしいなあ、と思っていた盤でも、たとえば、マシュー・フィッシャーの3枚のソロ(Journey's End、I'll Be There、Matthew Fisher)、アラン・プライスのBetween Today and Yesterday、ジョニー・リヴァーズのL.A. Raggae(ドラムはジム・ゴードン、ベースはジョー・オズボーン)などは、ずいぶん遅れましたが、この数年のあいだにCD化され、その点は慶賀に堪えません。いや、確認しておきますが、「わたしは好んでいた」というだけで、「幻」付きであろうがなかろうが、こうしたアルバムを「名盤」などというつもりは毛頭ありません。

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当時はそれなりに気に入っていたのに、いまだにCD化されないものも、当然ながらあります。ヤングブラッズのバナナの唯一のソロ・アルバム、Banana & the Bunch "Mid Mountain Ranch"とか、バーズやフライング・ブリトーズに在籍したスキップ・バッティンの"Skip Battin"(ソロ・デビュー盤)などがそうですが、まあ、この2枚は、マイナーだし、当時買った人間だけがときおり引っ張り出して楽しめばいい盤かもしれない、いまの人に用はないだろう、という気もします(まあ、わたしの観点からは、この2枚よりはるかにゴミ箱や棺桶のよく似合うものが山ほどCD化されていて、その点はアンフェアだと思うが、「この世がフェアだなんてだれがいった?」という金言もあるくらいで、まあ、やむをえないところ)。

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Skip Battin "Skip Battin" いつのまにかCDになっていて、こりゃまた失礼いたしました、だった。バーズ時代の曲同様、Bye Bye Valentinoのように歌詞が面白い曲が多いので、やはり今回も売れないのではないだろうか。なお、盤にならず、テープのまま残っているセカンド・アルバムがあるという話をどこかで読んだ記憶がある。

なんとも変だ、といまだにまったく納得のいかないのが、本日ご紹介するボビー・ウィットロックの1972年のダンヒル・レコードからのソロ・デビュー盤です。

◆ 上もの抜きの実質的ドミノーズ ◆◆
ボビー・ウィットロックという名前を見ても、ああ、あのウィットロックね、と思う方は一握りでしょう。しかし、たいていの方は、ウィットロックの声だけはご存知です。あのデレク&ザ・ドミノーズのLaylaのコーラスで、下手くそなリード・シンガーの声をかき消すようにして(トム・ベイラーによると、スタジオ・シンガー業界ではこういうテクニックをshadowingと呼ぶ)、「レイーラー!」と叫んでいる人、あれがボビー・ウィットロックです。

わたしは、エリック・クラプトンという人には子どものころからまったく無関心で、久生十蘭のいただきをやると、「若いときから泥臭いものが大嫌い、ギターといえばマイケル・ブルームフィールドの粋なランがなによりの好物、ドラムもジム・ゴードンやバリー・J・ウィルソンの、さっぱりとあとくちのよいフィル以外はてんで受けつけないという生粋の江戸っ子で」てなもんです。いや、生粋の江戸っ子は愚兄までで、わたしはわが家が都落ちしてからの生まれですが。

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左からジム・ゴードン、カール・レイドル、ボビー・ウィットロック。右端のトリムしたところにはあの人物がいるのだが、わたしにとってはいないほうがずっと気持がよい。

クラプトンは大嫌いだけれど、その周囲は大好きというのには、若いころからずっと悩まされていて、いまだに「このヴォーカルとギターが消せたらなあ」と思う盤が何枚かあります。たとえば、はじめてジム・ゴードンとクラプトンが組んだ、あのソロとかですね。After Midnightが入っているやつです。ギターもヴォーカルもいらない、ドラムだけ聴きたい!

その夢を叶えてくれたのが、本日の主役、ボビー・ウィットロックのソロ・デビュー盤です。パーソネルは書いてないのですが、この時期のジム・ゴードンがわからなかったら、そりゃ金ツンボというもので、ドラム・クレイジーの看板を下ろさなければなりませんぜ。トラック1、2、7は、百パーセント確実にジム・ゴードンのプレイです。ベースもカール・レイドルでしょう。

ボビー・ウィットロックは、このあと3枚のアルバムがあるようで、そのうちの2枚、Raw VelvetとRock Your Sox Offは買いましたが、棚におくより、収集車にもっていってもらったほうがいい出来でした。会社というのはトンチキなもので、CD化なんかしないで、そのまま永眠させるべきだった死者を墓から呼び戻し、いち早く蘇生するべきだった盤に、いまだ「大いなる眠り」をむさぼらせています。どこをどう押すと、こういうアクロバティックな勘違いができるのか、半世紀以上生きたいまも、わたしには理解できません。

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Bobby Whitlock "Raw Velvet" たぶんセカンド・アルバム。しいていえば、こちらのほうがRock Your Sox Offよりマシだが、やっぱりつまらない。ジム・ゴードンを期待して買ったわたしは、こんな盤、割ったろうかというくらい怒り狂った。じつになんとも情けない、世をはかなんでしまうほど凡庸なドラミング。

◆ 絶頂期のプレイ ◆◆
ボビー・ウィットロックのデビュー盤を精彩あるものにしている要素は二つ。ひとつはもちろん、楽曲の出来が他のアルバムよりすぐれていること(Where There's a Will, There's a Way、Song for Paula、A Game Called Life、The Scenary Has Slowly Changed、The Dreams of a Hoboは純粋に楽曲として好ましい)、そしてもうひとつは、キャリアのピークにあったジム・ゴードンの凄絶なプレイの連発です。

ふつう、ドラムを楽しむのなら、アップテンポの曲のほうがいいことになっています。ジム・ゴードンでいえば、ドミノーズのライヴ(最近のではなく、昔、ドミノーズのセカンドとしてリリースされたほうの盤)でのLet It Rain、ハル・ブレインでいえば、ガールフレンズのMy One and Only Jimmy Boy、エルヴィスのSpeedwayなんかが典型です。

しかし、それは客の考えであって、プレイヤーはべつの見方をするようです。記憶が薄れてしまったのですが、ハル・ブレインはもっとも気に入っているプレイとして、カーペンターズの曲、たしかWe've Only Just Beganをあげていたと思います。ちょっと意外の感があったのですが、よく考えると、「そういう線もありか」と思えてくる、じつに微妙な選択なんですな、こいつてえものが。

客が好む好まないはべつとして、下手な噺家には人情噺ができないのと同じで(阿佐田哲也が「志ん生も人情噺をやらなければいい噺家なのだが」と書いていたのを思いだす。それはそのとおりなのだが、噺家だって立場もあれば見栄もあるわけで、そう切り捨ててしまうのはちとむごい)、下手なドラマーはバラッドが叩けません。ホンモノのプロフェッショナルは、バラッドがうまいものなのです。そのへんが、成り行きでドラムをやることになったロックバンドのお子様素人衆とは決定的にちがうのです。

ジム・ゴードンも十七歳でデビューしたときから(神童です、ギョッとするようなプレイをしています)、ずっと歌伴をつづけてきたので、じつは、バラッドがすごく上手いんです。

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このボビー・ウィットロックのデビュー盤を買ったときは、こちらもまだ二十歳かそこらのガキで、ドラミングの「味」なんてものはまるっきりわかっていなかったため(でも、ボビー・ウィットロックが聴きたくて買ったのではない。人的コネクションから考えてジム・ゴードンが叩いている可能性は高いと計算し、ジム・ゴードン目当てで買った。そのへんのドラマー本位主義は、ガキのころから終始一貫ブレがなく、われながら立派だと褒めてしまう)、当時はWhere There's a Will, There's a Wayのプレイを好んでいました。とくにブレイクのところのハイハットを使った短いフィルインなんざあ、じつにオツざんすねえ、旦那、とうれしがったものです。

しかし、20年ほど前、掃除かたがた、久しぶりにこのLPを引っぱり出して思ったのは、Song for PaulaとThe Scenary Has Slowly Changedの2曲のバラッドがすさまじい、ということです。この2曲、甲乙つけがたく、まだうじうじと悩んでいるぐらいです。

どちらのバラッドも、後半、エンディングにかけてが圧巻なのですが、Song for Paulaは、冒頭から比較的楽しめるのに対して、The Scenary Has Slowly Changedは、最後の1分に突入するまでは高倉“昭和残侠伝”健の我慢が必要です。最後の一分に入ったら、もう健さんと池部良も、ついでに鶴田浩二まで裸足で逃げだす阿鼻叫喚、襖が蹴破られ、血しぶきが障子を濡らし、背なの唐獅子(あれ? 龍だっけ?)が二つに割れて血がにじむ、大々的なフィルインの連打になります。

たとえば、仮にですね、1秒間を100で割って、0.57秒のところで叩くビートがもっとも気持ちいい、としてみましょう(設定が無理なのは承知のうえ、ま、しばらく付き合いなさいな)。ドミノーズのライヴからこのボビー・ウィットロックのデビュー盤ぐらいの時期のジム・ゴードンは、かなりの確率で、0.55から0.58ぐらいの幅に収まる、「世にも快感の生まれてきてよかったビート」を叩けました。

いや、バックビートだけじゃありません。8分、16分織りまぜて、1小節のなかで12回ビートを叩くとするじゃないですか、このうち3打ぐらいは「エクスタシー・ビート」なのが、この時期のジム・ゴードンの生涯にこのとき以外はないという、ごく短期間しかつづかなかった、すさまじいまでにピンポイントの正確さなのです。

Song for Paulaという曲を聴いていて感じるのは、フィルインでのビートが、つぎつぎにビシビシと正確なところに決まっていくことです。これがもう失神しそうな快感で、この年になると、セックスがなんぼのもんじゃい、絶好調時のジム・ゴードンのビートのほうがよっぽど気持ちいいぜ、といっちゃうほどです(ウソつけ、といわれると、うん、まあ、と自信がなくなるが)。

たとえばの話、ビート・ヒット率というのが計測できるとするじゃないですか。「当たり」のビートを全ビート数で割った数字です。これが超一流のドラマーでも、たとえば平均で.184なんていった、キャッチャーかショートストップかという打率がいいところでしょう。あくまでも仮の話ですよ。で、この時期のジム・ゴードンは、その超一流ドラマーの平均を倍以上の率で軽く上まわって、奇蹟の4割打者だったのです。これだけ正確なビートを数多く連打できる人はまずいませんよ。首位打者でも3分の2は凡打、上手いドラマーでもたいていのビートは「はずれ」なのです。

たとえ、ボビー・ウィットロックがなにもしなかったとしても、ジム・ゴードンのドラミングを聴くだけで元がとれてしまう盤なのです。これでボビー・ウィットロックも状態がいいのだから、なぜこの盤がいまだにCDにならないのか、わたしにはまったくわかりません。まあ、LPをリップしてから、ものすごくていねいにノイズ取りをしたので(ふだんはあまりノイズ取りはせず、どんどん圧縮してしまう。ボビー・ウィットロックのこの盤だけは、まだときおりノイズ取りをしているので、WAVファイルが保存してあり、今回もそこから新たに圧縮ファイルをつくった)、いまさらCDにされても、お母さん、ぼくのあの時間はどこへ消えたのでしょうね、あのボビー・ウィットロックのデビュー盤のノイズ取りに使った時間は、になっちゃうから、もうCDなんかにしてくれなくてもいいのですがね!

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ジム・ゴードンばかり褒めましたが、ボビー・ウィットロックもそこそこ好きです。このデビュー盤を聴いて思ったのは、この人はもともとギター一本もって歌うタイプのシンガーであって、キーボードなんかで世渡りするようになったのは、偶然のいたずら(ちょうどアル・クーパーと同じ)にすぎないのではないか、ということです。この盤でも、アコースティック・ギターの使い方は上手いのに対して、キーボードは終始、凡庸な使い方に堕しています。
by songsf4s | 2008-09-03 23:57 | その他