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2008年 07月 09日 ( 1 )
Calcutta by the Ventures
タイトル
Calcutta
アーティスト
The Ventures
ライター
Heino Gaze
収録アルバム
The Ventures Play "Telstar" and "The Lonely Bull"
リリース年
1962年
他のヴァージョン
Lawrence Welk, Les Baxter, Al Caiora, Xavier Cugart
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本日のCalcuttaは、ローレンス・ウェルクによる1961年のビルボード・チャート・トッパーです。わがHDDには一握りのCalcuttaしかないのですが、どれも平均以上で、いざ、ひとつに決めようとすると、ちょっと悩みます。しかし、この曲を知ったのはヴェンチャーズ盤でのことだし、出来もいいので、彼らのものを看板にしました。

どういいかというと、派手なことはいっさいなし、「ただプレイした」だけなのに、全員がハイレベルのプレイヤーであることがひしひしと感じられる、徹頭徹尾プロフェッショナルな仕事ぶりが気持いいのです。

ヴェンチャーズとはバンドではなく、スタジオ・プロジェクトに冠したブランド名にすぎないのではないか、という強い疑いをもって、彼らのカタログを徹底的に聴きこんでいたときに、このTelstarというアルバム、なかんずく、Calcuttaを聴いて、思わず笑ってしまいました。このグルーヴはおなじみのものだったからです。フィルインらしいものはありませんが、タイムだけでハル・ブレインとわかります。

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Hal Blaine (background) and Mel Taylor (foreground).
ハル・ブレインの回想記に収載されていたこの写真からすべてははじまった。一枚の写真の向こうには、とんでもない事実が秘匿されていた。

いまだに明確に理由がわからないのですが、ヴェンチャーズ初期のトラックでは、ハル・ブレインは、後年のようなはっきりとした特徴をまだ出していません。まだ自分のスタイルを作り上げていなかった、といったあたりでしょうか。しかし、徐々に、どこからどう聴いても、ハル・ブレイン以外には考えられない、というトラックが散見するようになっていきます。

Calcuttaが録音された1962年には、ハルはフィル・スペクターと出会い、押しも押されもせぬハリウッドのドラマーのキングだったアール・パーマーにかわって、玉座につく階段を上りはじめます。スネアのチューニングや、スネア・ワイア(響き線)の張りぐあいも、われわれが知っているあのハル・ブレインのサウンドへと変化します。Walk, Don't Runのときの、ジャズ・バンド時代を引きずったスタイルは、もう二度と聴けなくなるでしょう。

◆ ハル・ブレインとヴェンチャーズ ◆◆
人間は固定観念の杖にすがって生きています。「固定」した観念がなければ、この世界はただの不確定な事実のアメーバ状流動体となり、なにも認識できなくなるのだから、当たり前です。しかし、当然ながら、そこには「キャッチ」=陥穽があります。いったん、白を黒と思いこんだら、これを修正するのはきわめて困難である、という罠です。

十年ほど前のことです。日本に来ていたヴェンチャーズと称する4人組は、スタジオにいなかったのではないか、という強い疑いをもちながら、わたしはなお、固定観念に縛られていました。キャロル・ケイを通じて、ハル・ブレインに、ヴェンチャーズについて訊いもらったときの返事は忘れがたいものです。

「俺ははじめからヴェンチャーズの仕事をしている。メルがヴェンチャーズに入ったときは、レパートリーを全部教えてやった」

これ以上明快な回答はありません。ハル・ブレインは実情を簡明に語ったのです。それなのに、わたしはまだ、「Walk, Don't Runのドラミングはハルには聞こえない、『はじめから』というのは誇張で、『比較的初期から』がほんとうのところかもしれない」と思ったのです。

馬鹿は死ななきゃ治らない、とはよくいったものです。証拠も証言もそろって、目の前に犯人が立ち、「俺がやった」といっているのに、わたしは逮捕できなかったのです。「やったのは死体遺棄だけで、殺してはいないんだろ?」などとトンマなことをいっているのだから、われながら呆れます。まあ、自白を重視せず、証拠を重視することで、冤罪を避けるのは、警官にとっても、われわれ研究者にとっても、正しい方針なのですが。

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The Ventures "Walk Don't Run" front
このデビュー盤のカヴァーに写っているのは全員モデルであり、メンバーのすがたはない。スケデュールが合わなかったため、と説明されているが、笑うしかない。だいじなデビュー盤の写真を最優先しないアーティストがどこにいるというのか。わたしの解釈は単純明快。ヴェンチャーズはバンドではなく、プロジェクトだったから、バンドのメンバーを必要としなかっただけだろう。さらにいえば、写真に撮影できるほど、ツアーバンドがまだ実体化段階になかった可能性もある。存在しないバンドは撮影できない。

自転車や水泳と同じなのだと思います。いったんわかれば、簡単なことなのです。二度と、どこの馬の骨ともわからないプレイヤーには聞こえなくなります。Walk, Don't Runを聴いても、「ジャズ出身の一流ドラマー、ハウイー・ジョンソンなどという、あっというまに業界を去った、二流か三流かそれ以下かもわからないようなドラマーではぜったいにない、後年名をなしたか、または、かつて名をなした人」というような、わけのわからない定義は、もうドブに捨てていいのです。音が顔と名前をもつのです。

◆ 若者の役を演じた大人たち ◆◆
ハル・ブレインのプレイは、1962年に固まります。プレイぶりに落ち着きが生まれ、洗練されたサウンドになるのです。いや、ちょっとちがうかもしれません。ハル・ブレインのひとつの特徴は、きらびやかなプレイと洗練の同居です。しかし、初期には見られる、不安定なビートが影を潜め、つねに安定したプレイぶりになるのは、派手か地味かということとは無関係に、62年ぐらいからなのです。翌63年にトップに立つ準備は、もうこのときにできていたのです。あと必要なのは、実績、すなわち、大ヒットの連発だけでした。

Calcuttaのドラミングは地味の極致です。フィルインらしいフィルインはありません。ちょっとしたアクセント程度のものがあるだけです。しかし、キックとスネアのパターンのコンビネーションにはハルらしい工夫が見られますし、なによりも、グルーヴがみごとです。それまでよりタイムが微妙にlateになって、懐が深くなっているのです。気負いこんで、拍を食ってしまう、若いドラマーの悪弊を脱し、ホンモノのプロになったと感じるプレイです。

リードギター(もちろんビリー・ストレンジにちがいない)も、一カ所、空振りピッキングがありますが、それ以外は非常に端正で、洗練されたサウンドとプレイを聴かせてくれます。サイケデリック以降、なんらかの形で音を歪ませるのが圧倒的な主流になりますが、これだけの時間がたち、そして年をとってみると、ストレートなフェンダーのサウンドがなんとも心地よく感じられます。もちろん、だれが弾いても、フェンダー・ジャズマスターならそういう音になるということではありません。どんな楽器でも、いい音で鳴らせるのは、うまい人なのです。

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ヴェンチャーズは、多くのスタンダードや同時代のヒット曲を、ロック的バイアスをかけたサウンドに作り替えることで売ったブランド(「バンド」の書き間違えではない!)です。しかし、じっさいにヴェンチャーズ・ブランドの盤をレコーディングしたプレイヤーたちは、ロック世代ではありません。バックグラウンドは、キャロル・ケイのようにビーバップであったり、ビリー・ストレンジのようにカントリーであったり、ハル・ブレインのようにビッグバンドであったりと、じつに多様なのです。

この背景が、じつは初期から、選曲にも、そしてサウンドにも、表現されていたと感じます。もちろん、あと知恵でそう思うのですがね! Lullaby of the Leavesのように、原曲とはまったく異なる世界に放り込んで、熱々に焼き上げてしまったものもありますが、それはシングル用のことで、アルバム・トラックには、洗練されたサウンド、プレイが目立つようになります。非ロック系の曲を、非ロック的に解釈したプレイが散見するようになるのです。

その意味で、アルバムTelstarは小さな転換点でした。もちろん、Telstar(およびアルバムLet's Go)は、ただの例外、ないしは、ささやかな「ブレ」と見る立場もあるでしょうが、わたしは、彼らの変化(とくにハル・ブレインのプロフェッショナルとしての「成長」)と、彼らのバックグラウンドが、そのまま表現されたのだと考えています。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_046095.jpg昨日のPearly Shellsは、あまりいいヴァージョンがなくて困りましたが、Calcuttaは逆で、悪いヴァージョンがありません。いや、そのまえに、ローレンス・ウェルク盤がチャート・トッパーになったことしか知らず、楽曲の出自を知らなかったので、調べた結果を書いておきましょう。

The Billboard Book of Number One Hitsによると、もともとこの曲は、1959年にドイツのHeino Gaze(まるっきり読めない。ファーストネームは、辞書によれば「ヘイノー」だが、ドイツ読みともなんとも注記がない)が、Tivoli Melodyとして書いたインストゥルメンタル曲だそうです。

しかし、すぐにTake Me Dreamingと改題され、さらにNicoletteと人格化したかと思うと、1960年には、ウェルナー・ミューラーがKalkuttaと改題してカヴァーしたのだとか。ブリのように名前がくるくる変わる「出世曲」ですなあ。地理的にも、イタリア(Tivoli Melody)から、インドまで、ずいぶん長旅をしたものです。同じメロディーから、イタリアとインドの両方が連想できるとはねえ。やっぱりエキゾティカ的無国籍性をもった曲なのかもしれません。

当家のお客さんに若年者はいないと思いますが、念のために書いておくと、カルカッタとは、現在ではコルカタ(Kolkata)といわれている、インドはベンガル州の州都のことです。イギリスの植民地になって以来、長年にわたってカルカッタといわれていたのを、1999年に旧名に戻したのだそうです。ATOKは、カルカッタと変換しようとするたびに、コルカタが正しいと、こまめにお節介を焼いてくれます!

ウェルナー・ミューラー盤は残念ながらうちにはなく、泥縄でクモの巣を這いまわって試聴しました(ドイツ語式のほうがいいだろうと思い、「werner muller kalkutta」で検索したら、ここでも「もしかしてcalcutta?」とお節介を焼かれた)。しかし、イントロのパーカッションがむやみに長く、30秒ではなんだかわかりませんでした。

f0147840_0481742.jpgThe Billboard Book of Number One Hitsは、「ローレンス・ウェルクはハープシコードを加えた」といっています。たしかに、ローレンス・ウェルク盤Calcuttaの主役はハープシコードで、ウェルクが弾くアコーディオンは途中でチラッとソロをとるだけです。とはいえ、ローレンス・ウェルク・ヴァージョンの最大の魅力は、軽快なグルーヴにあると感じます。ミュートしたフェンダーベースがそのグルーヴのおもな担い手です。途中の女声コーラスもけっこうなものです。使用楽器も編成も異なりますが、ヴェンチャーズ盤は、ローレンス・ウェルク盤の明るく軽やかなムードを、うまくギター・コンボ・サウンドに翻案したといえるでしょう。

f0147840_0501118.jpgアル・カイオラ盤は、リズム・アレンジに工夫がないのが欠点ですし、冒頭はローレンス・ウェルク盤のコピーのようなものですが、カイオラのギターが登場すると、やっぱりいいな、と感じます。これといってむずかしい技をやるわけではないのですが、ただメロディーを弾くだけでも、むむ、できるな、と感じさせます。子どものころはこういうプレイが苦手でしたが、人間、変われば変わるものです。ビリー・ストレンジは、アル・カイオラを高く買っていますが、たしかに、カイオラのスタイルは、ボスのプレイにいくぶんか影響をあたえたかもしれません。

f0147840_0531430.jpgザヴィア・クガート盤は、いかにもそれらしく、アップテンポでパーカッションが大活躍しますし、リード楽器のひとつはトランペットを中心とした金管です。もともと明るく、華やかで、軽やかな味のある曲ですから、さらに「にぎやか」まで加えた、こういう解釈が生まれるのも当然でしょう。変化に富んだ楽しいヴァージョンです。

レス・バクスターも速めのテンポでやっています。こちらもパーカッションが目立ちますが、クガートのように大量動員ではなく、マラカスが支配的です。べつにどこといって悪いところはないのですが、好みとしては、バクスターはゆったりとしたテンポで、ストリングスが主役になったもののほうが好きです。アップテンポで管楽器を主役にしたものなら、ほかのオーケストレーターにもできることですから。

◆ Standin' at the crossroads ◆◆
ぐるっと一周して、ヴェンチャーズ盤に戻ると、やはりギターの響きが心地よく感じられます。馴染んでいるからということもあるでしょうが、ハル・ブレインのグルーヴも、どのヴァージョンよりもしっくりきます。

昨日、音楽的好みが胎児のように未分化な時期、ということを書きましたが、ほんの数カ月後にはガチガチのロック小僧になるはずのわたしが、1965年には、まだ、こういう非ロック的な曲の非ロック的レンディションを好んでいたことが、自分にとっては、奇妙であると同時に、ある意味で、ごく自然なことに思えます。

時代もそういうムードだったのだと思います。まだロックンロールがすべてを圧する勢力にはなってはいなかったし、日本においては、アメリカ音楽が全面的な勝利を収めていたわけではありませんでした。女性シンガーなんか、アメリカ勢は影が薄く、たとえば、ジリオラ・チンクェッティ、シルヴィー・ヴァルタン、フランス・ギャルといった、イタリア、フランス勢のほうが有名だったほどです。

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まだ性が未分化の胎児状態にある幼い音楽ファンが、そういう多様な文化的背景をもった音楽環境にあれば、当然、その影響を強く受けますし、同時に、反撥もします。CalcuttaやPearly Shellsを好んでいた子どもは、すぐに、ヘヴィー・バックビートをこの世の支配原理として採用することになります。

いまでは信じがたいことですが、それ自体を売りものにした音楽映画はべつとして、ふつうの映画にロックンロールが登場することのない時代でした。1969年の『イージー・ライダー』は、映画の内容が云々される以前に、全編、ロックンロールを流したという、ただその一点のためにヒットしたほどです(この時代の映画と音楽の関係は、まもなく筆に載せるつもりでいる)。

1965年、音楽的な十字路に立っていた、ドラム・クレイジーの小学生のことを思うと、ちょっと感傷的になると同時に、そこに現在の自分がすでに胚胎していることに気づきもします。

ミドルティーンのころには、いったん、ガチガチのロックンロール・キッドになりながら、大人になると、「つぎのコードがどうなるかはモーゼの石板にもう書いてあった」とでもいわんばかりの、ブルーズ・ベースの単純きわまりない曲には関心がなくなったのは、小学校のころ、それもとりわけ、1965年に聴いた音楽の集合から導きだされた、当然の帰結なのでしょう。わたしのなかで(そして、その投影としての当ブログに)、たとえば、グレイトフル・デッドとレス・バクスターが併存する所以です。
by songsf4s | 2008-07-09 23:59 | Instrumental