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2008年 07月 03日 ( 1 )
Quiet Village その3 by Martin Denny
タイトル
Quiet Village
アーティスト
Martin Denny
ライター
Les Baxter
収録アルバム
Exotica
リリース年
1956年
他のヴァージョン
別掲
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今日はべつのヴァージョンを看板に立てようかと思ったのですが、エルヴィス以後の時代に、エキゾティカとしては最大のヒット(ビルボード・チャート4位。ただし、オリジナルではなく、ステレオ・リメイク・ヴァージョンだろう)を記録したヴァージョンを外すのは、いかになんでもひねくれすぎていると思い直しました。

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マーティン・デニー盤Quiet Villageは数種類あるので、区別が面倒なのですが、とりあえず、1956年録音のモノーラル・ヴァージョンから。わたし自身、最初に聴いたQuiet Villageは、デニーのこのヴァージョンでした。これはハワイでのライヴ録音ということになっています。アルミ製ドームのなかにあるラウンジという環境だったので、独特のリヴァーブがかかったのだそうですが、とくにリヴァーブに特徴のあるサウンドには思えません。

またしても極端なことをいいますが、このヴァージョンでもっとも好きなのは、パーカッションのオージー・コロンがやったバードコール、鳥の啼き声の物真似です。ハワイで生まれ育ったコロンは、子どものころからバードコールが得意だったといっていますが、たしかに、じつになんともヴァラエティーに富んだ啼き声をつくっていて、そこらのライブラリー盤なんかより、よほどリアリティーがあります。

マーティン・デニー盤Quiet Villageはバードコールがすべてである、なんていっちゃうと、それはないだろー、といわれそうですが、バードコールをとったら、とくにうまくもなければ、特徴的なプレイをするわけでもない平凡なピアニストが率いる、二流どころのジャズ・コンボにすぎません。

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じっさい、後半、それまでパーカッションをやっていたのであろうアーサー・ライマンが、ヴァイブラフォーンをプレイする都合なのか、玉突きが起きて、コロンが本来のパーカッションに戻る必要が生じたらしく、バードコールはなくなってしまいます。そこからは、わたしの耳には、名曲の二番煎じをやっている退屈なローカル・バンドにしか聞こえません。

マーティン・デニーが売れたのは、彼のピアノの腕や、他のメンバーの卓越したミュージシャンシップのおかげではありません。「コンボによるエキゾティカ」を発明したおかげです。そして、そのエキゾティズムの最大の供給源が、オージー・コロンのバードコールなのだから、このヴァージョンはバードコールに尽きる、と断言してはばかるところはありません(とはいえ、自分自身のコピーをしただけのステレオ・リメイク・ヴァージョンを聴くと、プレイそのものはオリジナルのほうがいいと感じる)。

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ネガティヴに受け取られると困るのですが、わたしがいいたいのは、バードコールが「すばらしい」というポジティヴなことです。子どもっぽい気分を刺激されているような気がしないでもありませんが、でも、いいなあ、と思うのだからしかたありません。

エキゾティカがストレート・ロックンロールと決定的にちがうところは、エキゾティカにおいては、「そこにある音そのものはかならずしも決定的な重要性をもたない」という点です。なにが重要かといえば、音がトリガーを引くわれわれのイマジネーションなのです。イマジネーションを点火するなにものかがあるか否かが、決定的に重要です。マーティン・デニー盤Quiet Villageにおけるオージー・コロンのバードコールは、その起爆剤として十分な役割を果たしています。

f0147840_0174446.jpgマーティン・デニー盤Quiet Villageは、このほかにBaked Alaska収録のライヴ・ヴァージョン、アップテンポにアレンジし直したQuiet Village Bossa Nova、そして、Exotic Moog収録のムーグ・ヴァージョンがあります。

Baked Alaskaヴァージョンは、プレイも荒っぽく、機材トラブルがあったのか、途中からバランスがおかしくなったりして(ドラム以外はオフになる)、商品にするのはどんなものかという出来です。ボサノヴァ・ヴァージョンは、ふつうなら、チャチャチャと呼ぶであろうアレンジで、むやみにテンポが速く、Quiet Villageらしい味わいに欠けます。

言及するに足るのはムーグ・ヴァージョンでしょう。何度か書いていますが、そこらじゅうディジタル・シンセサイザーばかりになった時代に生きていると、たまにアナログ・シンセの太い音を聴くと、ムーグの音をはじめて聴いたときの気分を小規模に追体験できます。この楽器が多くの人のイマジネーションを捉えたのも当然でしょう。マーティン・デニーが、ムーグのサウンドに「つぎのエキゾティカ」を見たであろうことは、容易に想像がつきます。モノーラル・ヴァージョン以外で聴くに足るデニーのQuiet Villageは、このムーグ・ヴァージョンでしょう。

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◆ 「原理の発明」と「普及品の開発」 ◆◆
レス・バクスターは、マーティン・デニーのことを褒めていません。ただのコンボのプレイではないか、あんなもののどこが面白いのだ、と音そのものへの否定的意見を述べたあとで、デニーは当初、Quiet Villageは自分の曲だと偽っていた、わたしがそれをやめさせたのだ、といっています。もちろん、印税が入るのだから、デニーのヴァージョンは、わたしにはなんの害も及ぼさなかったが、といっています。

これはつまるところ、オリジネイターの模倣者への軽侮があらわれた言葉でしょう。バクスターは、それまでだれも思いつかなかったコンセプトを生みだし、認知させ、普及させた人です。それに対して、むくつけにいえば、デニーはそのおこぼれにあずかったにすぎません。オリジネイターが模倣者の頭を撫でることはあっても、尊敬することは永遠にないのです。

f0147840_033991.jpgバクスターのそうした立場、見方はそれとして、独創であるか、模倣であるかということから離れても、わたしはレス・バクスターとマーティン・デニーのあいだには、無限の距離があると考えています。

後年、レス・バクスターはハリウッドの主みたいな存在になっていくのですが、インタヴューのなかで、わたしがもっとも気にかけていたことに言及していました。後年、エキゾティカと呼ばれることになるサウンドをつくるにあたって、じっさいに、南米ないしはポリネシアなどの音楽を参考にしたのか、ということです。

答は明白なノーでした。「あの時代には、グレンデイルより遠くへ行ったことがなかった」といっています。この場合、アリゾナのグレンデイルのことではなく、LA近郊のグレンデイルのほうでしょう。昔の江戸っ子が「箱根の山よりむこうにいったことがない」というような意味で、「グレンデイルより遠く」にいったことがないといっているのです。

つまり、あの音は、純粋に、バクスターのスペキュレーションとイマジネーションの産物だということをいっているのです。レス・バクスターは、Quiet Villageによって、「どこでもない世界」の音楽を、虚空から取り出して見せたのです。

どれほど革命的な理論でも、いったん原理が解明されれば、それは自明のことになります。マーティン・デニーがやったことは、「原理の発明」ではなく、「既存製品の改良」ないしは「大量生産工程の開発」、革命の一般化、下流化にすぎません。根本原理の発明ができる人はごくかぎられていますが、こういう二次利用法の開発は、ささやかな才能と運があれば、多くの人にできることです。

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◆ NowhereとSomewhere ◆◆
いや、そういう手柄争いじみたことは、ささやかなゴシップのようなもので、つまるところ、たいして重要ではないのかもしれません。

もっと重要なことは、音がなにをもたらすかです。わたしは先にマーティン・デニー盤を聴き、あとからレス・バクスターのオリジナルを聴きました。そして、こりゃすげえや、と驚きました。

サウンドの作り方も規模も、当然、大きく異なるのですが、もっと重要なのは、こちらが受ける感覚がかけ離れていることです。マーティン・デニーのQuiet Villageは、簡単にいえば「ハワイっぽいけれど、現実のハワイアンとは異なる、キッチュな音楽」です。オーセンティックな音楽ではなく、フォニーだということです。

しかし、レス・バクスター盤は、なんといえばいいのかわからないのです。ハワイないしはポリネシアのムードなんか、レス・バクスター盤Quiet Villageにはありません。レス・バクスター盤Quiet Villageにポリネシア的なものを感じるとしたら、それはマーティン・デニー盤の響きが逆方向に「残響」したからにすぎません。

この「nowhereness」はすごいと思います。凡人のデニーは、「Somewhere, far-away」の音楽しかつくれなかったのに対して、レス・バクスターは「Nowhere, far-away」の音を生みだしたのです。Somewhereは「どこかにある」のですが、Nowhereは「どこにもない」のです。

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以前、わたしは、エキゾティカは本質的にフォニーだということを書きましたが、これは謬りだったと認めざるをえません。いや、マーティン・デニー以下のエキゾティカ類似音楽は、良くも悪くも本質的にフォニーです。しかし、レス・バクスターがQuiet Villageをつくったときには、エキゾティカ(まだそう名づけられてはいなかった)は、フォニーではなく、genuineでauthenticな音楽だったのです。どちらがいいとか悪いとかではなく、ここには大きな差異があるのだということを、はっきり認識するべきだと考えます。

◆ 他のオーケストラ・ヴァージョン(少々) ◆◆
もう残り時間わずかですが、すこしだけ他のヴァージョンを見てみます。

メロディーラインがメロディーラインなので、Quiet Villageは、やはりストリングスでやるのが王道だと感じます。オーケストラものカヴァーでまず「面白い」と感じるのは、クレバノフ・ストリングス盤です。いきなり、イントロから、一昨日ふれたG-C-G-Bb-G-C-Bbというベース・ラインを、ティンパニーでやっているのです。まるで、フィーリクス・スラトキンのI Get a Kick Out of Youです。

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そういうアレンジなので、冗談なのか本気なのかもよくわからないのですが、しかし、50ギターズ・ヴァージョンに通じる派手さがあり、ときおり笑いながら楽しんでしまいます。

ハーマン・クレバノフは、ロシア移民の子どもで、シカゴに生まれ、のちにハリウッドでオーケストレーター、オーケストラ・リーダーをした、とのことです。このExciting Soundsというアルバムのアレンジは、ウェイン・ロビンソンとシーザー・ジョヴァーニという人がやったそうですが、寡聞にしてどういうキャリアか知りません。

ヘンリー・マンシーニ盤もあります。当然ながら、マンシーニは70点を切る盤はつくりません。Quiet Villageは、ハーマン・クレバノフのような極端なところはなく、きれいにまとめています。Moon Riverに使われたのと同じ、あの妙なキーボード楽器(だろうと思う)も使われているところに、マンシーニらしさがちらっとのぞけますが、基本的には、良くも悪くもアノニマスな仕上がりです。フレンチ・ホルンとトロンボーンか、楽器を特定できないのですが、途中で右チャンネルで鳴る管のアンサンブルが好みです。

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Exodusのヒットで知られるピアノ・デュオ、ファランテ&タイチャーのヴァージョンは、ピアノよりもオーケストラのほうが印象的です。

昨日、ちょっとふれかけたビル・ジャスティス盤も、ピアノとオーケストラ、というか、ビッグバンドによるものです。管のアンサンブルをフィーチャーしたQuiet Villageというのは少ないので、変わり種として興味深くはあります。しかし、わたしの好みからいうと、ちょっとテンポが速すぎます。

時間切れなので、これにて打ち切りとします。アーサー・ライマンの数ヴァージョンにまったく言及しなかったのは、われながら手落ちだと思いますし、エディー・バクスター盤なんかも面白いと思うのですが、まあ、そういっていてはキリがありません。夏のあいだ、エキゾティカは何度も取り上げるつもりなので、アーサー・ライマンの話は後日に持ち越しとします。

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by songsf4s | 2008-07-03 23:57 | Exotica