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2008年 06月 13日 ( 1 )
Come Dancing by the Kinks
タイトル
Come Dancing
アーティスト
The Kinks
ライター
Ray Davies
収録アルバム
State of Confusion
リリース年
1983年
他のヴァージョン
Ray Davies (solo live)
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Makin' Whoopeeまでは、いちおう大ざっぱに曲順を考えたのですが、ここからはべつに腹案はないので、ランダムに思いついた曲を取り上げていきます。

このところ、やるやると掛け声ばかりで、キンクスを取り上げていないことを思いだし、確認したら、今年に入ってからは一曲もやっていないことがわかりました。しからば、というので、とにもかくにも月が出てくる歌、Come Dancingを見てみます。

You Tubeに、この曲のヴィデオがありますので、よろしかったら、いや、ぜひご覧になってみてください。レイ・デイヴィーズの「稼げるうちに成り上がりそこねて、いまでは年をとりすぎ、あとは野垂れ死ぬのを座視して待つばかりの、もう稼ぎのないジゴロor結婚詐欺師」みたいな役柄をお楽しみあれ。

思いだすのは『東京物語』での杉村春子です。ほら、終盤で、母親の思いがけない死に、うつむいて涙を流していたかと思ったら、つぎの瞬間、顔を上げると、スッとふだんの表情にもどり、「紀子さん、あなた喪服をもってきた?」ときく、あの切り替えのはやい演技です。いや、ホントに。このヴィデオでの、女を見た瞬間のRDの表情の変化、素の顔から、一瞬にして商売用の笑顔に切り替える演技にご注目あれ。あの役者ぶりが、彼の音楽にそのままつながるのです。

◆ 町の変化、暮らしの変化 ◆◆
レイ・デイヴィーズの曲にはそういうのが多いのですが、Come Dancingも歌詞が長いので、さっそくファースト・ヴァースとコーラスをつづけて。

They put a parking lot on a piece of land
Where the supermarket used to stand
Before that they put up a bowling alley
On the site that used to be the local palais
That's where the big bands used to come and play
My sister went there on a Saturday

Come dancing
All her boyfriends used to come and call
Why not come dancing, it's only natural

「スーパーマーケットが建っていた土地に駐車場がつくられた、もっと前にはそこはボウリング場だったけれど、さらにその前にはダンスホールがあって、ビッグバンドが来ては演奏した、土曜になると姉さんはあそこに行ったものだ

『ねえ、踊りに行こうよ』姉さんのボーイフレンドはみな、うちにきては、そういって誘ったものだ、『踊ったっていいじゃないか、ふつうのことだよ』」

みごとな導入部です。われわれも、これに似たようなコースで、町から味わいが失われていくのを目撃しています。わたしの住む町の場合、映画館からボウリング場へというコースでしたが、儲かる娯楽の移り変わりに応じて、土地利用の形が変わっていくという点では、Come Dancingにうたわれた、イギリスのどこかの町にそっくりそのままです。

そして、最後が駐車場というのが、まさにそのとおりの現象がそこらじゅうで起きているだけに、じつに腹立たしく感じます。シャッター商店街などというけれど、町の息の根を止めるのは、シャッターを下ろした仕舞た屋ではなく、駐車場のほうだと、つねづね感じています。だから、このヴァースはため息が出てしまうのです。レイ・デイヴィーズも、わたしと同じものを見、わたしと同じように感じているにちがいないのです。そういえば、ジョニ・ミッチェルも、Big Yellow Taxiで、they paved paradise and put up a parking lotとうたっていましたっけ。はるか昔のことです。

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◆ 時は経巡り ◆◆
セカンド・ヴァースとコーラス。

Another Saturday, another date
She would be ready but she's always make them wait
In the hallway, in anticipation
He didn't know the night would end up in frustration
He'd end up blowing all his wages for the week
All for a cuddle and a peck on the cheek

Come dancing
That's how they did it when I was just a kid
And when they said come dancing
My sister always did

「また土曜になって、またデイト、姉さんはいつだって支度を終えていたけれど、かならずボーイフレンドを待たせたものだ、廊下では、下心いっぱいのボーイフレンドが、その夜は空振りに終わるのも知らずに待っていた、ちょっと抱きしめて、軽く頬にキスするだけのために、週給をフイにすることになるとも知らずに

踊りに行こうよ、ぼくが子どものころは、みなそうしていたものだ、そして、彼らが、踊りに行こうよ、といえば、姉さんはいつだって出かけたものだ」

ここはいかにもレイモンド・ダグラスらしいタッチの、一筆書きのようなスケッチです。こういう描写のうまさは毎度のことで、長年のファンとしては、これくらいはRDなら当たり前だと感じます。

ブリッジ前半、セリフ、ブリッジ後半。

My sister should have come in at midnight
And my mum would always sit up and wait
It always ended up in a big row
When my sister used to get home late

Out of my window I can see them in the moonlight
Two silhouettes saying goodnight by the garden gate

The day they knocked down the palais
My sister stood and cried
The day they knocked down the palais
Part of my childhood died, just died

「姉さんの帰りが夜中になると、母さんはいつも寝ずに待っていた、姉さんの帰りがひどく遅いと、いつだって最後は口争いになってしまったものだ

窓からのぞくと、月明かりのなかに二人の姿が見えた、ふたつのシルエットが庭の門のところで、別れの挨拶をしていた

ダンスホールが取り壊された日、姉さんは立ちすくんで泣いていたっけ、あの日、ぼくの子ども時代の一部も死んだ、そしてそれっきりだ」

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最後のヴァースとコーラス。

Now I'm grown up and playing in a band
And there's a car park where the palais used to stand
My sister's married and she lives on an estate
Her daughters go out, now it's her turn to wait
She knows they get away with things she never could
But if I asked her I wonder if she would

Come dancing
Come on sister, have yourself a ball
Don't be afraid to come dancing
It's only natural

Come dancing
Just like the palais on a Saturday
And all her friends will come dancing
Where the big bands used to play

「いまではぼくも大人になり、バンドをやっている、そして、ダンスホールがあった場所は駐車場になっている、姉さんは結婚して、いまは団地に住んでいる、娘たちが出かけるので、こんどは姉さんが待つ番だ、姉さんは娘たちが、彼女には無理だったことができるのを承知している、でも、できるなら、自分もそうしたかときけば、たぶん、そんなことはしようとも思わなかったというのではないだろうか

踊りに行こうよ、さあ姉さん、自分でダンスパーティーをやればいいじゃないか、踊るのを怖がることはないさ、当たり前のことなんだから、さあ、踊ろうじゃないか、昔の土曜のダンスホールのように、姉さんの友だちはみんなやってくるだろう、昔はビッグバンドが演奏していた場所に」

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◆ 日本青年館の夜 ◆◆
ディスコグラフィーを見て、Come Dancingのリリースが1983年だったことを確認し、そうだっけなあ、とため息が出ました。この時期になると、ラジオは聴かなくなっていたし、新譜は買わず、60年代に買えなかったものをそろえることにすでにとりかかっていました。Come Dancingを知ったのも、ラジオではなく、テレビでのことでした。MTVの時代がはじまったのです。

82年だったと思うのですが、日本青年館でキンクスを見たときは、ぶんむくれになりました。いっしょにいった友だちも、なにこれ、というので、ふと「出るか?」といったら、「出よう」というので、途中で帰ってしまいました。

ライヴに行って途中で出たのは、ほかに、プロコール・ハルムのあとに、ぜんぜん興味のないテン・イヤーズ・アフターが出てきたとき(このときも、たしか四人が衆議一決して出た)が最初、それから、バックステージ・パスだったので立ち見だったし、面白くもないし、そもそも金を払ったわけでもなかった、新宿厚生年金でのトッド・ラングレンのソロ・ステージ(「バックバンド」は、むやみにスタックして、リブートばかりしていたアップル・マッキントッシュ一台のみの正真正銘の「ソロ」。「トッド、マックなんか2、3発蹴り飛ばして、それでもダメならたたき壊してやれ」と声をかけたくなった。マックが「楽器」とは、なんとも情けない時代になったものだ)という二回だけです。

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ひどいステージでしたねえ。あの日のパフォーマンスがブートになっていて、念のために聴いてみましたが(まさか買いはしない。それでは泥棒に追銭になってしまう)、やはり、出たのは正解だったと思います。70年代終わりから80年代はじめのキンクスは、最低最悪の状態でした。

後足で砂をかけるように日本青年館を出た夜をもって、キンクスとの長い付き合いは終わったと思っていました。もう二度と立ち直ることはないと確信したのです。わたしが子どものころから愛したバンドは、AC/DCと区別のつかない、ドサ廻りの三流ハードロック・バンドにまで落ちぶれてしまったことを、この目で確認したのです。

◆ 遅すぎたMTV ◆◆
Come Dancingは、アリスタ時代に奇蹟的にも再現された、RCA時代のキンクス・サウンドです。久しぶりにレイ・デイヴィーズが文句のない佳曲を書いたことに、人生もわからないけれど、バンドもわからない、やはり、人間、棺の蓋を閉じてはじめて定まるものか、と思いました。

しかし、いっぽうで、もやもやした複雑な味わいが舌に残りました。ヴィデオのせいです。Come Dancingのヒットには、MTVがおおいにあずかったにちがいありません。あのヴィデオには、レイ・デイヴィーズの魅力がよく表現されています。それだけに、MTVがもう十年早く誕生していれば、キンクスのコースは変わったはずなのに、と残念でしかたなかったのです。あれは、レイ・デイヴィーズが70年代前半にとった方向性が、まったくの商業的な見当外れではなかったことを証明していました。

いや、もちろん、60年代からプロモーション・フィルムはあったし、ヴィデオの時代になってもそういうものはずっとつくられていました。たんに、それを流すことを専門とする局が存在しなかっただけです。MTVの誕生によって、プロモーション・ヴィデオははじめて「メディア」になったのです。

f0147840_23505092.jpgそういうものが70年代前半にもあれば、レイ・デイヴィーズの音楽/芝居は、もっと多くの人に理解されたでしょう。そうなっていれば、ただ生き残るために、いい年をして、ティーネイジャーの嗜好に合わせた、世にも馬鹿馬鹿しいハード&ヘヴィー路線への退行などしなくてすんだはずです。Something Elseのときからつづけてきたことを、そのままやっていれば、あるいは、それをさらに発展させればよかったはずです。そして、あの日本青年館の失望の夜もなかったにちがいありません。

82年に日本青年館で見た、尾羽打ち枯らしたドサ廻りの中年ロックシンガーと、もっとも得意とすることを、思いのままにやってみせた、83年のCome Dancingのヴィデオでのレイ・デイヴィーズは、尖鋭なコントラストを成していました。順序が逆なら、数千円の金を無駄にしなくてもすんだかもしれないのに、なんてケチくさいことも思わなかったほどの、それはあざやかな対照でした。

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by songsf4s | 2008-06-13 23:52 | Moons & Junes