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2008年 06月 06日 ( 1 )
Get Out and Get Under the Moon by Paul Whiteman & His Orchestra with Bing Crosby
タイトル
Get Out and Get Under the Moon
アーティスト
Paul Whiteman & His Orchestra with Bing Crosby
ライター
Charles Tobias, Larry Shay
収録アルバム
N. A. (78 release)
リリース年
1928年
他のヴァージョン
Doris Day, Bonnie Guitar, 榎本健一(「月光価千金」), バートン・クレーン(「月を眺めよ」)
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昨日のMagic Is the Moonlightに引きつづき、(たぶん)オーセンティックな月と六月の歌として、本日はGet Out and Get Under the Moonを聴いてみます。

日本ではエノケンの「月光価千金」として知られているので、どこがオーセンティックなんだとお思いになる方もいらっしゃるでしょうが、原曲の歌詞をお聴きになれば、納得されるものと思います。本日は英語詞、エノケン版、バートン・クレーン版と、三種類の歌詞を相手にしなければならないので、枕はそそくさと終わりにします。

◆ よけいな前付け ◆◆
まず英語詞からいきます。エノケンもバートン・クレーンもうたっていませんが、原曲には前付けヴァースがあります。というより、ポピュラー・ミュージックにおける、「ヴァース、コーラス、ブリッジ」という基本構成概念がまだ固まっていなかったのかもしれません。現代の概念で捉えようとすると、よくわからない構成なのです。ともあれ、以下が、わが家にあるものではドリス・デイしかうたっていない前付けヴァース。よって、ジェンダーは女性にしてみます。

What do you do in the evening
When you don't know what to do
Read a book? Play a game?
Every night is just the same
What do you say If I tell you how to keep from feeling blue
My advice is good to take and it's easier to do

「暇をもてあました宵にはなにをしているのかしら? 本を読む? ゲームをする? 毎晩変わり映えしないわね、気分を盛り上げる方法を教えてあげるといったら、どう? わたしのアドヴァイスはまちがいないし、むずかしいことはなにもないのよ」

と前置きをしたうえで本題に入る、という悠長な構成です。時代が下るにつれて、さまざまな曲の前付けヴァースが打ち捨てられていったのは、当然のことだと感じます。前付けヴァースというのは、二度とうたわれない、いわば「使い捨て」のパートです。つまり、ここに資源を投入するソングライターは愚か者であり、出来のいいメロディーライン、キャッチーな虎の子は、ここにはぜったいに使いません。ソングライターが力を入れるのは、ファースト・ラインとコーラスです。だから、「きわめて魅力的な前付けヴァース」などというものは、原理的に存在しえないのです。

Get Out and Get Under the Moonにおいても、前付けヴァースはどうでもいいメロディーになっています。ドリス・デイ以外はうたっていないのも無理はありません。前付けヴァースの本来の性質として、最後まで「解決する」わけにはいきません。「解決」というのは、ひとまわりした、終わった、という印象をあたえるわけで、そこからさらに前付けヴァースをつづけるわけにはいかず、解決したら、即、ホンモノのヴァースに入らなくてはなりません。だから、コードも落ち着かず、ぐるぐる、うろうろ、じたばた、じつに見苦しいのです。

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長ければ長いほど、前付けヴァースはどんどん退屈になっていきます。歌詞の長さにして2行が限界じゃないでしょうかねえ。Stagger Leeの「The night was clear and the moon was yellow/And the leaves came tumbling down」ぐらいがいいところでしょう。

そういう基準で見ると、Get Out and Get Under the Moonのヴァースは無限に長く、聴くほうは焦れに焦れます。ここになにか書かなければならないという義務感がなければ、わたしはぜったいに聴きません。あっさり早送りします。現代のテクノロジーはこういうときのためにあるのです。

◆ 六月の夜 ◆◆
以下はホンモノのヴァース。

When you're all alone any old night
And you're feeling out of tune
Pick up your hat close up your flat
Get out and get under the moon

「どんな夜でも、ひとりぼっちで、気分がさえないときは、帽子をかぶり、フラットの戸締まりをして、外に出かけ、月の光を浴びてみましょう」

セカンド・ヴァースと、ブリッジのようなもの。

Underneath the bright silvery light
You'll be feeling better soon
Pick up your hat close up your flat
Get out and get under the moon

Look, look, look at the stars above
Look, look, look at those sweeties love
Oh boy, give me a night in June, I mean it

「煌々と銀色に輝く月の光を浴びれば、すぐに気分はよくなる、帽子をかぶり、フラットの戸締まりをして、外に出かけ、月の光を浴びてみましょう、天の星を見てごらんなさい、恋人たちをごらんなさい、ねえ、わたしに六月の夜をちょうだい、本気でいっているのよ」

当ブログの最初の記事である、June Nightにも、give me a June nightというラインが出てきます。もちろん、これは偶然ではありません。June Nightのときにも書いたように、「六月の夜をくれ」とは、すなわち「わたしをジューン・ブライドにしてね」ということです。だから、give me a July nightではなく、give me a June nightでなければならないのです。

◆ ポール・ホワイトマン=ビング・クロスビー盤 ◆◆
楽曲のコピーライトが1928年、ポール・ホワイトマン=ビング・クロスビー盤のリリースも同じ年なので、これがオリジナルの可能性があります。ただし、前付けはなく、バンドのプレイも前付けは省略し、ヴァースからはじまっているので、オリジナルではないのかもしれないという気がしてきます。

しかし、Japanese Sandmanでも、ポール・ホワイトマンは、つまらないところは切り捨て、もっともいい部分からはじめていることを考えると、Get Out and Get Under the Moonでも、譜面を見て、客が退屈すると判断し、あっさり前付けヴァースを切り捨てただけかもしれません。あれだけ売れに売れたバンドの経営者です。それくらいの判断はできて当然ですし、ソングライターのエゴなんかには三文の値打ちもないと考えていたでしょう。自分のバンドを売ることが最優先だったはずです。

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ビング・クロスビーとポール・ホワイトマン

ポール・ホワイトマン=ビング・クロスビー盤Get Out and Get Under the Moonは、いかにも1920年代というつくりで、テンポは速く(この種のリズムは「フォックストロット」と分類されるのか?)、前半はバンドの演奏で、ビングの歌が登場するのは、なかばを過ぎたあたりです。

わたしには、この曲の歌詞はどう見ても、女性が男に語りかけているものに思われます。とりわけ、仮にブリッジとみなしたくだりは、百パーセント女性の立場から発せられる言葉です(「ジェンダーの解放」後の時代というのはやっかいで、こういうことを書くと性差別と見られる恐れがある。昔の感覚にもどっていっているだけにすぎず、女性や同性愛者を差別したわけではない)。男が「ジューン・ブライドにしてね」なんていうわけがないのです。

それをビング・クロスビーがうたうというのは、どういう感覚なのでしょうか。最近はどうか知りませんが、昔の演歌歌手、とりわけコーラス・グループは、よく女性の一人称で書かれた曲をうたっていましたが、あれに近い感覚でしょうかね。どうもすっきりしません。

しかし、give me a night in Juneをふくむブリッジだけは、いくらなんでもビングがうたうわけにはいかなかったからでしょう、バックコーラス(ただし男声コーラス、ということはつまり、「リズム・ボーイズ」か?)にまかせています。苦肉の策というところ。

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ポール・ホワイトマン=ビング・クロスビー盤Get Out and Get Under the MoonのキーはGです。ここからCに移行するのですが、その直前にG7をはさんでいます。ここがこの曲のもっとも耳立つところでしょう。じつにオーソドクスなセヴンス・コードの使い方で、オーソドクスすぎて、最近ではあまり耳にしないくらいです。でも、いまになると、こういう、IからIVへの移行の際のセヴンスは、世にあらまほしきものに感じます。

◆ ボニー・ギターおよびドリス・デイ盤 ◆◆
うちにあるそのつぎに古いGet Out and Get Under the Moonは、ボニー・ギター盤で、57年6月の録音です。ステレオ黎明期の立派なステレオ録音で、すごいものだなあ、と思います。ハリウッドのどこかであるのはまちがいないのですが、スタジオまではつまびらかにしませんし、プレイヤーやエンジニアの名前もわかりません。

f0147840_23513686.jpgボニー自身のプレイによるギターのバッキングも、じつに上品なトーンと上品なコード・ワークで、ちょっとしたものですが、声がまたいいので、じつに気持のいいヴァージョンです。シンガーとしてもいいし、セッション・ギタリストとしても活躍するほどギターがうまかったのに、なんで故郷に引っ込んでしまったのか、惜しいなあ、と思います。

まあ、しばらくハリウッドで働いてみて、得をするのは鵜飼いだけ、鵜は飲み込みかけたものを、みな吐き出さされるという、業界の構造がいやというほどわかったのでしょうね。だから、シアトルに戻って、鵜飼いの仕事をはじめたにちがいありません。

f0147840_23521060.jpgつぎは、1959年のドリス・デイ盤。これはテンポが遅くて、エノケン盤に馴染んでいると、ありゃりゃ、となります。アレンジャーはフランク・ディ・ヴォール。いや、アレンジャーの判断というより、そういう時代だったからなのだろうと思います。戦前の曲を戦前のスタイルでやるのを潔しとしなかったのでしょう。

ボニー・ギター盤を聴いても思いますが、この曲はやはり、女性がうたったほうが据わりがよいと感じます。Give me a night in Juneというラインがあっては、どうにもなりません。

◆ エノケン盤 ◆◆
うちにあるエノケンの「月光価千金」は、戦後も戦後、60年代の録音ではないかと思いますが、もっとずっと古いもの、戦前の録音があるのではないでしょうか。

大混乱の机廻りから、この盤が消え失せてしまったので、歌詞カード見ずに、聞こえたとおりに、つまり、東京下町訛りもそのままで聴き取りをしてみます。どうやら頭韻になっているように思われるのです。

美しいシとに出会ったときは、やさしく、しとやかにシざまずいて、ニヤニヤッと、エッヘッヘ、笑って手を握りなさい、大声あげず逃げださないならば、「ア、ラ、マ、いけ好かないひ、と、ですわね、およしなさいましよ」てなことを云ったって、もう大丈夫、彼女はわたしの両手を待ってます

美しいシとに思いこまれて、朝から晩まで、愛の囁き、イヤーンと鼻声で、いちゃつくときは、小鳥も、仔猫も、あら、これにゃあ顔負けだ、おっ、おっ、愛しいおまえ、む、ね、が燃える、「あ、ら、まあ、キマリが悪いわよ」、暁の朝風がしみじみと、二人の愛の巣は、ヘッ、へックション、夢だった

というわけで、月なんかどっかにすっ飛んでしまって、千両も三文も、月がないのだから、価なんかあったものではありません。そういう意味で、「名訳」という「定説」には疑問を感じます。どちらかというと、羊頭狗肉詐欺まがい邦題では? それとも、「北京とも秋とも無関係だから」という理由で、作品に『北京の秋』というタイトルをつけたボリス・ヴィアンのように、現代的、尖鋭的な意味での「内容と対立する」タイトル付けのつもりなのでしょうか。

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エノケンがうたうのだから、ロマンティックな歌詞というわけにはいかないのはよくわかるので、月が消えたについては、まあ、どうでもいいということにしておきましょう。基本的には、メロディーだけをいただいた「替え歌」なのだと思います(だからこそ、タイトルはこういうものであってはいけない)。

この曲が昭和初年の日本でヒットしたことについては、セヴンス・コードの使い方を伝えたという点で重要だと思います。

◆ バートン・クレーン盤 ◆◆
バートン・クレーンの日本語詞は、エノケン盤とは異なります。これまた盤が消えていて、CDと本とLPのうずたかい山から掘り出すよりは、聴き取るほうがはるかに楽で時間もかからないので、歌詞カードは参照しません。

たーそがれ、ただひとり、さびしくなたらば、おもてに飛びだし、月を眺めなさい、輝く月を見るは、くろ(苦労)がなくなるよ、おもてに飛びだし、月を眺めなさい、おーおー、十五夜様、おーおー、三日月様、おお、お月様よ、恋する二人には、月夜はなにより、表に飛びだし、月を眺めなさい

こちらのほうが、さすがにアメリカ人がうたっただけあって、原曲のニュアンスを残した日本語詞になっています。しかし、バートン・クレーンは男だから当然ですが、ジューン・ブライドはまったく無関係で、季節を限定していません。

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で、とどのつまり、エノケンもバートン・クレーンも、季節感を無視したところで、なんとかこの曲を日本語化したわけで、究極のところでは、やはり替え歌、ヴァリアントです。ジューン・ブライドが日本文化にもあれば、たとえば、渡辺はま子あたりがうたうべき曲だったでしょう。

◆ 幸せの公式、幸不幸の函数 ◆◆
現代では、もうジューン・ブライドなどにこだわる花嫁はいないのでしょうが、ロアリング・トウェンティーズのヒット曲である、Get Out and Get Under the MoonとJune Nightからは、「月+六月=幸福」という確固たる公式が存在したことが読み取れます。

「わたしが信じているのは科学とセックスだけだ」というセリフが、ウディー・アレンの映画にありましたが、これには爆笑しつつ同意しました。しかし、科学は、安逸ぐらいならもたらしたかもしれませんが、残念ながら、幸せをもたらしたとはいいかねます。迷信や宗教のほうが、いや、幸せをもたらすとまではもちろん云いませんが、すくなくとも、科学よりは「幸不幸に関係がある」といえるでしょう。

若いころは、ジューン・ブライドなどということを口走るガール・フレンドのことを、よせや、そんなんで幸せになれるなら、そこらのお社にお百度詣りすれば、みんな病気も治り(桂文楽十八番「心眼」ですな、いや、「堀ノ内」か)、争いごともなくなり、万人が幸せになる、くだらない迷信だ、と笑い飛ばしましたが、この年になると、そういうことにすがりたくなる人間の心持のほうが重要だ、という思うようになります。憐れというか、いじらしいというか、いずれにせよ、現代では払底した心持でしょう。

しかし、念願かなって、ジューン・ブライドになったとしても、万人が幸せになれるというものではないのが、人事の冷酷な現実で、そういうことを嘆いた歌もまた、ジューン・ブライドの歌同様、あるいはそれ以上にたくさんあります。
by songsf4s | 2008-06-06 23:56 | Moons & Junes