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2008年 05月 28日 ( 1 )
Blowin' in the Wind その1 by Cliff Richard
タイトル
Blowin' in the Wind
アーティスト
Cliff Richard
ライター
Bob Dylan
収録アルバム
Kinda Latin
リリース年
1966年
他のヴァージョン
The 4 Seasons, Trini Lopez, the Hollies, Johnny Rivers, Cher, Billy Strange, Hugo Montenegro, the Searchers, the Sidewalk Swingers, Marianne Faithful, Stevie Wonder, the Kingston Trio, PPM, Bob Dylan
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今月の風の歌特集は、じつは昨日までで終わりなのです。とくにアイディアもないので、月の残りは寝ていようかとも思ったのですが、四日も寝るわけにはいかないので、アンコールみたいに、だれでもご存知の軽い曲をいきます。といっても、この曲はあんまりだよなー、と書いている当人も感じています。

当ブログは、ブログであるからして当然ですが、世の中がどうなっているかなんてことはまったく気にしていません。得手勝手に、好きな曲を選択しています。近ごろは、ふつうのブログの顔をしながら、宣伝をやって金を取っているなんていう器用なブログがあちこちにあるそうですが、不幸にも、残念にも、無念にも、当家にはそんなおいしい話の噂すらなく、開設以来、だれも一銭もくれたことがありません。

口をはさむスポンサーがいないので、楽曲の選択はおおむね気随気ままにやっていますが、ときおり、「客観」というモーローとした、あら怪しやなあ、の概念がどこからか勃然とわき起こり、わが脳裏を徘徊しはじめ、世間体を気にしたりすることもあります。

昨夏、べつにいい曲とも思っていないSummertimeを取り上げちゃったりしたのが、その典型です。気随気ままのつもりでいながら、このていたらくなんだから、「世間体」というのはおそろしいパワーを持っているものです。あんまり力の行使をしないでほしいものだと思います。世間が迷惑します。

わたしは勝手気まま、夜郎自大を絵に描いたような人間のつもりでいるのですが、やっぱり、どこか世間体を気にしていて、風の歌特集なんていうと、世間で重要と思われている曲も、いちおう、念のために、プレイヤーにドラッグしちゃったりするのです。ものすごくたくさんあっても、やっぱり、こまめにドラッグしちゃうのです。あまりの数の多さに、それ自体が面白くなってしまうのです。守銭奴の心境ですな。数を数えることそれ自体が目的と化すのです。

で、深夜、ひとり秘かに、チャリン、チャリンと怪しい音をたてながら、Blowin' in the Windを数えてみました。ん? 意外に少ないものですな。「金にきれいな」人生を送ってきた余禄というべきでしょう。クリスマス・ソングだと、もっと圧倒的な物量作戦でくるのがありましたもんね。しかも、LPとCDとか、LPのオリジナル盤とベスト盤、CDのオリジナル・リイシューとベスト盤とボックス、なんていうダブりもあり(ホリーズのBlowin' in the Windが8種類もあるのは正気の沙汰ではないが)、圧縮すればごく一握り。じゃあ楽勝だ、と決めつけて、気楽にあぐらをかいて書きます。

◆ 人は何本のバラを踏みつぶさなければならないだろうか? ん? ちがうか ◆◆
いまさら、この曲の歌詞がどうなっているかなんてことを知りたい方はいらっしゃらないと決めつけ、でも、切り捨てる度胸はないので、全ヴァースまとめて以下にペーストします。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannonballs fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head
And Pretend that he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

YES, 'N' how many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

日本語に移すこともしません。当家のような重箱の隅をせせるブログにいらっしゃるぐらいの方なら、この曲の「訳詞」とやらぐらい、一度は目になさっているでしょう。なにをいまさら、ちゃんちゃらおかしい、仮名で書けば「ちやんちやら」だ、ですよ。

◆ クリフ・リチャード盤 ◆◆
こういう曲は妙にシリアスなところが困ります。子どものころは、いちおう、かしこまって聴いちゃったりしましたが(しかし、冒頭はhow many roseなのだと思った。文法上、rosesでなければならないから、そう聴き取るのは無理、ということも理解していなかった)、この年になると、そんな馬鹿はやりたくてもできません。

で、思考が短絡しました。馬鹿をやるなら、徹底しなければ意味がありません。中途半端は馬鹿も利口も等しくダメ。馬鹿路線でいこうと思ったとたん、思考が三段跳びをやめ、棒高跳びで結論に達しました。もっとも馬鹿っぽいカヴァーがいちばん偉い、つぎに馬鹿っぽいのが二番目に偉い、こういう基準で評価しよう、と。

反論はございましょうが、「なにをいまさらちやんちやらおかしい」の曲を取り上げるんだから、なにも曲がないというわけにはいきません。どうしたって趣向が必要です。本日の趣向は「馬鹿くらべ」と決めたので、もう手遅れです。文句あるかよ、あるはざない、と神君植木等公の御遺訓にもあります。

で、栄えある馬鹿Blowin' in the Windレースのナンバーワンは、二位とは鼻の差ですが、クリフ・リチャード盤に決定。こんな馬鹿なBlowin' in the Windはありません。すごいものです。もうイントロからしてボンゴがチャカポコして、ラテンですからね。ラテンですぜ、ちゃんと読んでくれましたか? ラテンのBlowin' in the Wind。アルバム・タイトルだって、Kinda Latinなのだから、(たぶん)まちがいありません。

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ここまでやってくれると、もうアナーキズム、テロリズム、カーリー女神ですよ。これほど原曲の深刻さを笑い飛ばせばリッパ! ザッパのまじめな批評(Anyway the Winds Blowって曲をつくった)なんか、これにくらべれば、ディランへのお追従同然じゃん、と思います。それくらい破壊的。

で、このヴァージョンのもうひとつ偉いところは、これだけのアホ馬鹿アレンジをしながら、ああだこうだを忘れて(とくに眉間に皺の寄った歌詞を忘れて)無心に聴くと、これっていい曲じゃん、と思わせるところです。

ホント、いい曲なんですよ。ヒットしそうなほどです。ヒットしなかったんでしょうかねえ。なら、シングル・カットしなかった会社がアホだったか、リスナーがツンボだったかのどちらかです。いまディスコグラフィーを調べたら、45はなくて、ただのアルバム・カット。馬鹿ですねえ。どっからどう見ても、正真正銘のヒット曲です。現にうちではヘヴィー・ローテーションでプレイされ、シンコペートした管のイントロ・リック入りで鼻歌になるほどの大ヒット中です。

◆ 4シーズンズ、トリニ・ロペス ◆◆
二位はフォー・シーズンズ。これもアホに年季が入っています。なんたって、アルバム・タイトルがThe Four Seasons Sing Big Hits by Burt Bacharach, Hal David, and Bob Dylanっていうんですからね。バカラック=デイヴィッドとボブ・ディランは同じ平面上にあると宣言しているのです。一瞬、すげえアナーキズム、と思ったのですが、これはわたしの心得違い。彼らのほうが正しいのです。歌は歌にすぎない、それ以上でもそれ以下でもない、というのが評論家以外のまっとうな生活人の考え方でしょう。

f0147840_00999.jpgイントロのピアノはこないだやったばかりのCast Your Fate to the Windのいただきのように聞こえます。あとはいつものフォー・シーズンズ・スタイルで、数小節のあいだは、ShellyとBlowin' in the Windがいっしょはまずいだろ、という気がチラッとしたりもするのですが、すぐに忘れちゃいます。いっしょでいいんです。しかし、このドラム、下手です。いや、バックビートは安定していますが、いくつかフィルで拍を食って、バックビートに戻るときに辻褄を合わせるという、非常によろしくないことをしています。ゲーリー・チェスターではなく、べつのドラマーではないでしょうか。

三着は、トリニ・ロペス盤。これもかなりのパアでんねん。いつものあの調子ですよ。世にいう「パーティー・サウンド」ってやつです。ご存知ない? じゃあ、ジョニー・リヴァーズの「ゴーゴー・サウンド」はどうです? あれの原型、三歳上ぐらいのお兄さんて見当です。それもご存知ない? じゃあ、忘れてください。

f0147840_03448.jpgBlowin' in the Windも、いつものトリニ・ロペスです。あのサウンドがなぜスタイルになったかといえば、なんでも飲み込める合切袋、ドラヱもんのどこでもドアだからです。どんな曲だろうと、その気になれば、パーティー・サウンドになります。ひとたび、「パーティー・サウンドのトリニ・ロペス」という名が確立してしまえば、あとは鯛焼きをつくるみたいなもので、鉄板の型に小麦粉を溶いたのとあんこを流し込んでいくだけです。

クリフ・リチャード同様、トリニ・ロペスもまた、歌詞がなにをいっても馬耳東風、おネエちゃんたちを侍らせて、楽しく、あくまでも脳天気にBlowin' in the Windをうたっています。音楽だから、こうでなくちゃね、というお気楽ぶりで、頭が下がります。実るほどこうべを垂れる稲穂かな。あ、これは誤用、すなわち慣用句の不適切な適用。

この時期(1965年)のトリニ・ロペスはハル・ブレインの可能性が高いのですが、この曲のドラマーは判断できませんでした。ずっとライドとサイドスティックだけで、フィルインといえるようなものは皆無なのです。サイドスティックだけじゃあねえ。でも、タイムの正確なうまいドラマーです。アコースティック12弦のリードも、これはうまい人だ、とひしひしと感じますが、残念ながら活躍しません。きっとおなじみのだれかさんでしょう。

◆ ホリーズ、ディランをうたい、ナッシュ、ディランをうたわず ◆◆
うれしくなるほどお馬鹿なヴァージョンは、残念ながら以上で売り切れです。以下は、そこそこお馬鹿なヴァージョンばかり。

着外、払戻金ゼロのそこそこお馬鹿Blowin' in the Windの代表は、ホリーズ盤。でも、馬鹿をやるつもりはなく、結果的に馬鹿に聞こえただけ、というところが弱いですなあ。こういうのを聴くと、馬鹿をやるというのは、知的操作なのである、と思いますね。だから、ホンモノの馬鹿には、面白い馬鹿はやれないのです。いくぶんかの知性が馬鹿を面白くするのです。

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いっときますが、わたしはホリーズの大ファンです。68年の渋谷公会堂も見にいき、大いなる感銘を受けて帰り、あんまり感銘を受けすぎた結果、自分のバンドで、ホリーズをやろうぜ、と大騒ぎし、できるわけないじゃんと、いつにもましてバンドメイトに迷惑がられたほどです。じつにはなはだしい迷惑だったようで、いまだに、ホリーズの話になるたびに、あのときのことを持ち出されます。On a Carouselはダメだったろう、つぎがDear Eloiseで、これもちょっとやってギヴアップ、なんて、水子供養をされてしまうのです。象は忘れないといいますが、幼友達の記憶力たるや、象が裸足で逃げますぜ、って、靴を履いてから逃げる象はいませんな。座敷に上がるまえから裸足でしょう。いや、象は座敷に上がりませんが。

で、このBlowin' in the Windを収録したアルバム、The Hollies Sing Dylanには曰く因縁怪談話怨霊譚がついています。当時は有名だった話です。曰く、この盤の企画が持ち上がったとき、グレアム・ナッシュが、ホリーズにディランが歌えるわけないだろ、といって辞め、CS&Nが生まれることになったというのです。

まあ、なんです、たしかに、The Hollies Sing Dylanの出来はよくありません。この失敗が祟って、このまま消えても不思議はなかったほどのきわだった失敗作でしょう。でも、だからといって、グレアム・ナッシュが正しかったのだ、なんてチラとも思いません。どっちも平等に馬鹿だっただけです。馬鹿だったけれどナッシュは結果オーライ、馬鹿だったのでホリーズは結果ナット・オーライだったにすぎません。

f0147840_064316.jpgホリーズにディランが歌えるわけがないとは、なんて言いぐさだよ、です。幼すぎます。青すぎます。クリフ・リチャードを見なさい、トリニ・ロペスを見なさい、フォー・シーズンズを見なさい、リッパにディランの曲をうたっているじゃないですか。ホリーズにできないはずがないでしょうに。

ディランの曲はほかとはちがう、という呆れた事大主義的勘違いを、ナッシュも、他のホリーズの面々もやらかしてしまったのです。結果ナット・オーライと、結果オーライは、同じ勘違いがもたらした結果の表と裏にすぎません。いや、ナッシュのゴタクは、たんなる理屈付け、「性格の不一致」みたいな、適当かついい加減なな理由にすぎなかったのでしょう。要は、もうホリーズにいたくなかっただけだろうと思います。

では、ホリーズはどうすればよかったのか? 答は風になんか舞っていません。ディランの商売道具なんかに騙されちゃいけませんよ。あれはシリアス馬鹿評論家どもをケムに巻く方便です。ウォーホールの缶詰のコマーシャルといっしょ。あの二人は血を分けた兄弟としか思えませんよ。評論家を愚弄する手つきがまったく同じです。

答はそこにデンと坐っています。ほかの曲と同じように、お気楽にうたえば成功したのです。じっさい、もうすこしでそうなるところだったのに、惜しいなあ、と思います。ボビー・エリオットとバーン・カールヴァートは、たんに、なにも考えていなかったのか、あるいは、なあにがディランだ、くだらねえ、と思っていただけか、いつものようにふつうにやっています。

ドラマーやベーシストといった地道な生活人は、ウォーホールやディランの目くらましには引っかからないのです。缶詰を描いた絵を見たら「缶詰の絵だねえ」と思うだけで、よけいな霊感など受け取りません。いや、ウォーホールが嫌いだといっているのではありません。世間を完璧にたばかったスーパー詐欺師として心から尊敬しています。

まあ、とにかく、ボビーとバーニーのごくまっとうな生活人ぶりを評価して、ホリーズ盤Blowin' in the Windは4位としましょうや。やっぱり、ボビーはいいなあ、と思うから、それでいいのです。

◆ ジョニー・リヴァーズとシェール ◆◆
お馬鹿サウンドの元祖総本家勧進元大問屋であるハリウッドで製造されたBlowin' in the Windは、トリニ・ロペス盤ばかりではありません。

トリニ・ロペスのパーティー・スタイルをいただいて、ゴーゴー・サウンドで売り出したジョニー・リヴァーズのBlowin' in the Windも、当然、ほぼ、いつものようなサウンドでやっています。でも、トリニ・ロペスほど脳天気度が高くないのが欠点です。「ほぼ」であって、「完全に」いつもどおりでないところが弱点です。

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これくらいの時期からジョニー・リヴァーズのドラマーはハル・ブレインになるのですが、この曲はちがうでしょう。タイムがやや早く、ちょっと突っ込んでいます。ベースはジョー・オズボーンなのでけっこうなプレイですがね。まあ、こういうサウンドの場合、遅いよりは早いほうがずっとマシに聞こえるので、ミッキー・ジョーンズだか誰だか知りませんが、こういうドラミングは次善ではあります。

サウンドはそこそこですが、問題はジョニー・リヴァーズのほうにあります。Where Have All the Flowers Goneなんか、これでもか、といわんばかりに脳天気にやったくせに、ディランの曲となると、ミスター・ゴーゴーでも、いくぶんか、かまえてしまうのだから、くそまじめ馬鹿評論家のプロパガンダも馬鹿になりません。

なんだっていってみるものですな。世の中には騙されやすい人間がたくさんいるのです。ウォーホールが成功したのなら、その戦略を忠実に音楽界に翻訳したディランが成功しても不思議はありません。俺の作品がわからない奴は脳みそが足りない、と暗示してやるのです。脳みそが足りないシリアス馬鹿評論家にかぎって、そうは思われたくないものだから、わかるわかる、などとわかったようなことをいうのです。

こういうくそまじめにお高くとまった曲は、爆破粉砕するしかないのですよ。それ以外にカヴァーする方法があったら、教えてもらいたいですね。クリフ・リチャードは、無意識馬鹿が意図的自覚的馬鹿に勝っただけという、結果オーライにすぎないかもしれませんが、みごとにくそまじめ曲を粉砕しています。ただの曲じゃネエか、ただの曲としてうたやいいんだ、答なんかどこにあろうと知ったことか、王様は裸だ、です。

で、やっぱりなにも考えていなかったふしのあるシェール盤も、もうすこしだったのに、惜しいなあ、という出来。これはハル・ブレインでオーケイでしょう。とくにいいプレイではありませんがね。一カ所、フィルインで拍を食ったところがあるのが気に入りません。ハル・ブレインだってミスをするのですが、そういうのはプロデューサーが聞き逃さず、リテイクしてもらいたいのです。

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ソニー・ボノの戦術というのはじつに単純で、簡単にいうと、「低予算サルにもわかるスケール・ダウン通俗スペクター・サウンド」です。シェールの初期の盤のすべてに、この定義を当てはめられます。ソニー&シェール名義のものも同様。もちろん、彼女のBlowin' in the Windもこの定義のど真ん中です。

シェールのAll I Really Want to Doがヒットし、競作となったバーズ盤が完敗した、というのはなかなか愉快な現象です。ここから読み取れることは、ディランだろうがなんだろうが、ヒットチャートに登場する曲は、本質的に「ヒット曲」なのだ、ということです。つまり、流行歌だということ。シリアスだろうがなんだろうが、そんなことはリスナーの知ったことじゃないのです。

バーズとしては、自分たちのシリアスなヴァージョンが、シェールの脳天気なヴァージョンに負けたのは心外だったかもしれませんが(じっさいには、とくにシリアスなヴァージョンというわけでもないんですがね)、出来をくらべれば、当然の結果です。シェールのAll I Really Want to Doは「いい曲」に聞こえ、ラジオで流れればいい気分になるでしょうが、バーズ盤はダメです。バッド・ヴァイブレーション。グッド・フィーリンのほうがヒットしたのは当たり前です。

ひるがえって、こういう結論になります。バーズのMr. Tambourine Manは、ディランの楽曲としてヒットしたわけではない、たんに流行歌としてよくできていただけである、と。

よけいなことばかり書いていたら、いつのまにか文字数制限の崖っぷちに立っていました。残りは明日に持ち越させていただきます。
by songsf4s | 2008-05-28 23:59 | 風の歌