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2008年 05月 08日 ( 1 )
Carey by Joni Mitchell
タイトル
Carey
アーティスト
Joni Mithchell
ライター
Joni Mitchell
収録アルバム
Blue
リリース年
1971年
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タイトルにはキーワードが含まれず、歌詞に出てくるだけ、という曲の出番は、もうすこし「深い」ところのほうがいいと思うのですが、いろいろと都合があって、風の歌特集は3曲目にして、ややイレギュラーなところに入りこみます。

◆ アフリカからの風 ◆◆
本日の曲はジョニ・ミッチェルのCareyです。さっそくファースト・ヴァース。

The wind is in from Africa
Last night I couldn’t sleep
Oh, you know it sure is hard to leave here, Carey
But it's really not my home
My fingernails are filthy
I got beach tar on my feet
And I miss my clean white linen
And my fancy french cologne

「アフリカから吹いてくる風のせいできのうの夜は眠れなかった、もちろん、ここを離れるのはつらいのよ、ケアリー、でも、ここはわたしの故郷というわけではないし、指の爪はひどいことになっているし、足にはビーチのタールがついちゃったし、清潔な白いリネンや素敵なフランス製のコロンも懐かしいの」

いろいろ問題ありのヴァースです。アフリカからの風、という言葉に記憶を刺激され、ものの本を繰ってみました。たぶん「シロッコ」のことでしょう。平凡社『気象の事典』は以下のように記述しています。

「シロッコscirocco 地中海北岸に吹く温かい南または南東風。サハラ砂漠の熱帯気団が北上し、初めは乾燥しているが、海を渡るうちに高温多湿(40度以上になることがある)となり、霧や雨、ときにはサハラ砂漠の砂塵をともなって吹く。この風は国や地域によっていろいろな呼び名がある」

f0147840_23324769.jpgこの風なら、(たぶん蒸し暑くて)眠れなかった、という二行目にきれいにつながります。それにしても、世界各地にさまざまな性質のさまざまな呼び名の風があるのは、じつに驚くばかりです。『気象の事典』を眺めていて、ああ、そういえば、そういうタイトルの曲があったな、と思いだしたものもあります。いずれ登場させるかもしれません。

ケアリーというタイトルはなんなのか、という問題もあります。変な場所に出てくるので、地名かと思ってしまいますが、あとのほうにいくと、人名であることがわかります。念のために、Careyという土地がないかといちおう調べましたが、みつかりませんでした。フランスの「カレー地方」はスペルがちがいます。しかし、では、いま語り手はどこにいるのか、という問題は残ります。それについては後段で。

足にタールがついているというので、子どものころを思いだしました。小学校に上がったころから、漂着タールがひどくなり、いつもいっていた海水浴場の多くが不快な場所になってしまいました。昔は、船というのは、どこへいっても、油槽の汚れを海に捨てていたのですな。最近はタールを見かけることはありません。見かけたら、ゴミ捨ての結果ではなく、事故による汚染でしょう。

コーラス。

Oh Carey get out your cane
And I'll put on some silver
Oh you're a mean old daddy, but I like you fine

「ケアリー、ステッキをわたしに寄越しなさい、そうしたら銀の飾りをつけてあげる、まったくあなたったらいやらしい年寄りだけど、でも、あなたのことが好きよ」

なんとなく、裏の意味がありそうにも感じるのですが、わたしには推測できません。籐製ではなく、黒檀製などの場合だけでしょうが、ステッキの持ち手に銀細工の握りをつけているものがありますね。あれのことをいっているのでしょう。大昔なら、老若を問わず、ステッキをもつのは紳士のたしなみだったのでしょうが、現代ではお年寄りのものとみなしていいでしょう。だから、mean old daddyは文字通り「おじさま」なのだと解釈できます。この曲を書いたとき、ジョニは二十代です。

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◆ マターラの月 ◆◆
セカンド・ヴァース。

Come on down to the Mermaid Cafe
And I will buy you a bottle of wine
And we'll laugh and toast to nothing
And smash our empty glasses down
Let's have a round for these freaks and these soldiers
A round for these friends of mine
Let's have another round for the bright red devil
Who keeps me in this tourist town

「さあ、マーメイド・カフェへいきましょう、ワインをボトルで買ってあげるから、そして、笑いながらなんのためでもなく乾杯してグラスを割りましょう、この変わり者や兵隊にひとまわり、つぎは友だちにもひとまわり、そして、この旅行者の町にわたしを引き留めている灼熱の悪魔にもまたひとまわり」

have a roundは酒がひとまわりする、つまり、その場の全員がグラスを干すことです。forがつくと、「~のために乾杯」といって全員が飲むことになるのだと思います。この場合、全員といっても二人しかいませんが。bright red devilは、どうやら南のほうの土地らしいので、太陽と解釈しておきました。

コーラスをはさんでサード・ヴァースへ。

Maybe I'll go to Amsterdam
Or maybe I'll go to Rome
And rent me a grand piano
And put some flowers 'round my room
But let's not talk about fare-thee-wells now
The night is a starry dome
And they're playin' that scratchy rock'n'roll
Beneath the Matalla moon

「ひょっとしたらアムステルダムかローマに行くかもしれない、そしてグランドピアノを借りて、部屋に花を飾ろうかな、でも、いまは別れのことはやめましょう、夜は星のドーム、そして彼らはマターラの月の下で、スクラッチ・ノイズのひどいロックンロールをかけている」

f0147840_23381940.jpgマターラとはなんだ、ですよねえ。何々の月といった場合、たいてい、どこかの土地から見た月という意味です。ハヴァナの月といったら、ハヴァナで見る月といったたぐい。ということは、マターラは地名である可能性が高くなります。マターラという土地が、アフリカから風が吹いてくる範囲にあるか?

北シナイ、イスラエルのガザ地区ないしはそこに接したところにマターラという町がありました。たぶん、語り手の現在位置はここなのでしょう。海辺の町なので漂着タールとも符合します。どんなところかまったく知りませんが、暑くて、ほこりっぽく、おそらくは清潔なリネンもない、へんぴなところなのでしょう。

ということはつまり、ケアリー(ジョニは「カリー」に近い発音をしている)はマターラの住人で、語り手は旅行者ということなのでしょう。マターラを去るということは、すなわちケアリー/カリーにも別れを告げることになるという意味だと読み取れます。

フォースにして最後のヴァースは、ファースト・ヴァースの変形なので略させていただきます。

◆ ジョニにはめずらしいグッド・グルーヴ ◆◆
べつに悪い曲ではないのですが、コードはシンプルだし、歌詞が特段冴えているわけでもありません。いや、半分ぐらいは記憶していたので、それなりに音としては面白いのでしょうが、たとえばGalleryのように、ほほうと思うストーリーではありません。

この曲を選んだ理由は、じつはジョニ・ミッチェルではないのです。肝心なのは、ベースとギターで参加しているスティーヴ・スティルズなのです。

f0147840_2340553.jpg当家にいらっしゃるお客さん方の大多数は、CS&NのSuite: Judy Blue Eyesという曲をご存知だと思います。あの曲がヒットしたとき、みなさんはどう感じられたか知りませんが、わたしは、スティルズのアコースティック・ギターのプレイと、ベースのグルーヴに感心しました。あれ一曲で、スティーヴ・スティルズのベースのファンになりましたねえ。

記憶に頼るとミスをすると思い、いまSuite: Judy Blue Eyesを聴きなおましたが、やはりきわめて個性的で楽しいプレイです。本職のベース・プレイヤーのように、予定調和的凡庸ラインをとらないところが非常に好ましいですし、タイムも立派なものです。ベースの面でだれかに影響を受けたとしたら、ポール・マッカトニーでしょう。CS&Nのボックスでは、ダラス・テイラーが冒頭からドラムを入れるオルタネート・ミックスが収録されていますが、これはオリジナルのドラムレスが正解でしょう。ドラムが入ると、スティルズのベースが聞こえなくなってしまいます。

さて、Careyです。はじめて聴いた瞬間、このベースは知っている、と確信し、脳内データベースに検索をかけたら、即座に、スティーヴ・スティルズ確率90パーセント、と応答があったくらいで、彼らしい面白いラインをとるプレイだし、グルーヴも一級品です。このベースがなければ、Careyはこれほど印象深いトラックにはならなかったでしょう。

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スティルズのアコースティックがまた、いうまでもなくグッド・グルーヴなのです。Careyでは、最初に入ってくるアコースティックはジョニのプレイで、すこし遅れて入ってくる左チャンネルのギターがスティルズです。オープン・チューニングだと思いますが、バランとオープンで弾いたときの響きのいいこと。ベースとあいまってすばらしいグルーヴをつくっています。

◆ そして誰もいなくなるだろう ◆◆
この曲は、大ヒットしたダブル・ライヴ・アルバム、Miles of Aislesにも収録されています。このライヴ盤では、スタジオではリズム・セクションなしでやっていた曲が聴きやすくなったのはたしかですが、正直にいって、うーん、という出来です。だって、LAエクスプレスですからね、ドラムは「突っ走り」のジョン・グェラン、わたしはこの人が好きではないのです。

f0147840_23453962.jpgまあ、Careyでは、グェランもひどく走ったり、突っ込んだりといういつもの悪いクセはあまり出してはいませんが、やはり微妙にタイムが速く、いつも遅れがちのジョニのヴォーカルがいっそう遅れて聞こえます。亭主のドラムをバックに歌いたい気持はわかるけれど、亭主に選ぶなら、グェランではなく、べつのドラマーにするべきだったでしょう。他のプレイヤー、とくにベースも感心できません。

ジョニ・ミッチェルのタイムが悪いのは、かつては、字あまりなんて言葉では足りないほど盛大にあまりまくる、むやみにシラブルが詰め込まれた、やたらと忙しい歌詞のせいかと思っていましたが、Why Do Fools Fall in Loveのバッド・グルーヴを聴いていて、他人の曲でもタイムが悪いことがハッキリし、ジョニ自身のタイム自体に問題があるのだと、やっとわかりました。年をとると、概して感覚は鈍磨していきますが、蓄積がものをいう分野では、鋭敏になっていくこともあるようです。

最近、命名してみた現象があります。「老人性嗜好尖鋭症」または「老人性嗜好狭窄症」というのですが、わかりますか? 子どものころは、「ストライク・ゾーン」がむやみに広く、大人の目にはバックネット直撃の大暴投に見える球でも、ストライクと見て振りにいきます。だんだんと目が厳しくなり、ハイ・ティーンぐらいになると、高さは胸から膝まで、幅はベース板いっぱいぐらい、という、すくなくとも当人にとっては妥当なストライク・ゾーンに到達します(まあ、悪球打ちというタイプもいますな)。これは長期安定型ストライク・ゾーンで、大きな変化はなく、数十年が経過します。

そして、晩年を迎えるとどうなるか。家族親戚知人が櫛の歯を欠くように消えていくのと軌を一にするかのように、かつて親しかった嗜好品が姿を消していくのです。選別眼がラディカルといっていいまでにきびしくなっていき、ほとんどの音楽や書物の出来が気に入らず、机辺から遠ざけ、二度と再読、再聴しないものの倉庫へとしまわれていきます。

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マーティンO-45Sスティーヴ・スティルズ・モデル。D-45のヴァリエーションだろう。値段は知らないほうがいいと思うが、それなら車を買うという人のほうが多いにちがいない。さすがに家が買えるほどの値段ではない。

ひとつはいわゆる「趣味の洗練」が原因でしょう。許せるドラマー、聴いていて不快にならないドラマーはどんどん減っていきます。たいていがダメなプレイヤーに分類されてしまうのです。

もうひとつは、こちらが大人になった、というか、作者が自分の子どもか孫のように見える年齢になったことが原因でしょう。たとえば、長いあいだ読んでいた池波正太郎がついに読めなくなりました。もともと気に入らなかった部分が肥大化して、気に入っていた部分を圧倒してしまうというか、要するに、なんだ、若いころは立派な大人に見えたけれど、こっちが年をとってみれば、この人も所詮、物書きというだだっ子にすぎない、若僧じゃないか、という気分です。

かくして、読むもの、聴くものの幅はどんどん狭まり、やがて、気に入ったものはなくなり、この世に未練なく死んでいけるのだろうと思います。いやまあ、そこにいたるまでにはもうすこし時間があるだろうと期待していますが、なあに、あしたの紅顔も夕べには白骨となる、この記事が当家の最後の挨拶になる可能性だってあります。

f0147840_23534924.jpgえーと、ジョニ・ミッチェルの話でした。つまり、そういう過程において、この人も好きなシンガーから脱落してしまったということです。最近のお婆さん声にショックを受けたということもありますが、ずっと気に入らなかった彼女のドラマーの趣味が、当人のタイムの悪さに由来するものだとわかったところで、Miles of Aisles以降の盤がまったく聴けなくなりました。Ladies of the Canyon、Clouds、For the Roses、Blueといった初期の数枚があれば、わたしには十分です。

それにしても、あらゆる表層物が時の流れに飲み込まれて、変質、褪色していくのに、Careyという曲はベースがいい、という印象はずっと変わらないのだから、グルーヴというのはすごいものです。ここに、グルーヴというものの本質、本然的堅牢性があるような気がするのですが、その点はまたいつかチャンスがあったときにでも書きます。
by songsf4s | 2008-05-08 23:55 | 風の歌