人気ブログランキング |
2008年 04月 30日 ( 1 )
Season of the Witch by Al Kooper and Steve Stills
タイトル
Season of the Witch
アーティスト
Al Kooper and Steve Stills
ライター
Donovan Leitch
収録アルバム
Super Session
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Donovan, Vanilla Fudge (2 versions)
f0147840_2233727.jpg

昨秋のハロウィーン特集、いや、ジョン・カーペンターのHolloween Themeを持ち出すことを読まれないようにするために、あえてEvil Moonというタイトルにした特集の途中で、魔女の歌をまだやっていないな、と思いました。

f0147840_2245069.jpgではなにかやろうか、と思ったところで、はたと昔読んだ本の一節を思いだしました。魔女の季節といえば四月なのです。で、そのときは握りこんでしまった曲をここに登場させるというしだい。しかし、ドノヴァンがこの曲を書いたとき、ヴァルプルギスの夜祭のことを意識していたか、いや、そもそも、そういうものがあることを知っていたか、そのへんは微妙です。

今回登場する三者によるヴァージョンがYou Tubeにあるので、盤をお持ちでなく、ご興味のある方は、歌詞の検討に移る前にそちらをどうぞ。いずれもライヴではなく、通常の盤からのものなので、お持ちの方はわざわざ見るようなものではありません。

また、ここにはマイケル・ブルームフィールドの名前もありますが、ご存知のように、Super Sessionは、A面のギタリストはブルームフィールド、B面のほうはスティーヴ・スティルズというメンバーで録音され、このSeason of the WitchはB面なので、ブルームフィールドはプレイしていません。

クーパー=スティルズ
ドノヴァン
ヴァニラ・ファッジ

◆ 魔女と縫い目 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

When I look out my window
Many sights to see
And when I look in my window
So many different people to be
That it's strange, so strange
You've got to pick up every stitch
You've got to pick up every stitch
You've got to pick up every stitch
Must be the season of the witch
Must be the season of the witch
Must be the season of the witch

「窓から外を見ると、じつにさまざまな光景が目に入る、窓を覗きこむと、ものすごくおおぜいの人間がいる、じつに奇妙だ、なんとも奇妙だ、あらゆる縫い目を拾わなければならない、きっと魔女の季節にちがいない」

意味? そんなことはドノヴァンにきいてください。ラリっていたのではないでしょうか。

セカンド・ヴァース。

When I look over my shoulder
What do you think I see
Some other cat looking over
His shoulder at me
And he's strange, sure he's strange.
You've got to pick up every stitch
You've got to pick up every stitch
Beatniks are out to make it rich
Oh no, must be the season of the witch
Must be the season of the witch, yeah
Must be the season of the witch

「肩越しに振り返ると、いったいなにが見えると思う? どこかよそのヤツが肩越しに振り返ってこっちを見ているんだ、奇妙なヤツだ、あらゆる縫い目を拾わなければならない、ビートニク連中はそこらで大金を稼ごうとしている、きっと魔女の季節にちがいない」

ここはちょっと怪談ぽい雰囲気があります。本邦なら、「それはひょっとしたら、こんな顔だったかい?」てなくだりですな。catは人間にも使うので、そのように解釈しておきましたが、文字通り猫のことを指す可能性もゼロではありません。でも、ここは人間のことでしょう。いくぶんか、猫のクリーピーなイメージを借りているかもしれませんが。

f0147840_22463371.jpgとはいえ、この歌詞で、なぜ魔女の季節なのか、しかもmustまでくっついちゃうのか、よくわかりません。必然性が感じられないところがシュールでいい、という意見もあるでしょうから、追求しませんが……。

ビートニクなんて、いま通じるのでしょうか? ほら、ジャック・ケルアックとかアレン・ギンズバーグとか、ああいう一群の芸術家連中のことです。ケルアックの『路上』なんて読みませんでした? いや、わたしは途中で投げましたがね。いま考えると、この邦題は珍ですね。原題はOn the Roadだから、そのまま訳せば『旅路』(池波正太郎!)、せいぜい『途上』(谷崎潤一郎!)あたりじゃないでしょうか。

話が横滑りしましたが、ヴァニラ・ファッジは、「ビートニク」は古いと判断したようで、ヒッピーズと言い換えています。しかし、いずれにしても、古くなってしまうのだから、いまになれば、どっちだっていいじゃないか、と思います。落語で、一両を一円と言い換えたりしますが、どっちにしろ、貨幣価値は変わってしまうから、無駄なのと同じです。

◆ エディー・ホー ◆◆
看板にはアル・クーパーとスティーヴ・スティルズのヴァージョンを立てました。しかし、その理由はアル・クーパーでもなければ、スティーヴ・スティルズでもありません。ドラムのエディー・ホーです。

あまり有名ではないし、わたしもそれほど多くのトラックを聴いたわけでもありませんが、いいタイムのドラマーなんですよ。彼がプレイした曲でもっとも有名なのは、モンキーズのDaydream Believerでしょう。あの四分三連と二分三連のコンビネーションによるフィルインは、派手ではないものの、ちょっと印象的でした。

f0147840_22474262.jpg
エディー・ホー? Super Sessionの裏ジャケで、唯一、名前と顔の一致しない人物。

なんせ、Must be the season of the witchのくだりで、ちょっとちがうところにいくだけで(といっても、ただのG-Aだが)、ほとんどはDm7とG(各ヴァージョン、キーは異なる)をいったり来たりするだけの単純な曲なので、実情をいえば、あとなにを書けばいいんだ、てなもんです。

クーパー=スティルズ盤は、この単純さをインプロヴに利用しています。がしかし、スティルズのインプロヴを聴きたい人がどれだけいることやら。CSN&Yの4 Way Streetでの、ニール・ヤングとの悪夢のギター・バトルは、わたしにとってはトラウマといってもいいぐらいで、彼の長いソロなんか聴きたくもありません。

いや、それをいうなら、ニール・ヤングもギター・ソロなんてものはいっさいしないほうがいいでしょう。ヤングにくらべれば、スティルズはずっとマシで、たとえばWooden Shipsの、トレブルを絞ったやわらかいトーンの、おそらくはフィンガリングによるプレイ(ギターはグレッチ?)なんか、なかなかけっこうでしたし、Blue BirdやBlack Queen(「色物」で統一してみた)での、強烈なアコースティック・ギターのプレイなども魅力があります。

71年だったか、アメリカでスティルズを見た友だちから聞いた話ですが、むやみに弦を切るので、スペアタイアのように、ステージにずらっとギターを並べていて、Black Queenでも弦を切ったそうです。そりゃそうでしょう。あんなにブリッジに近いところで強いピッキングをしたら、太い弦だってひとたまりもありません。しかし、ブリッジすれすれと、強いピッキングのふたつがそろわないと、あのサウンドにはならないのだから(もうひとつ、マーティンも加えるべきかも。ギブソンではあんな音は出ない)、弦を大量消費するのもやむをえないでしょう。

f0147840_2354017.jpg
左から、ハーヴィー・ブルックス、スティーヴ・スティルズ、アル・クーパー

で、このSeason of the Witchにおけるスティルズのプレイですが……うーん、つまらん、と一言いえばいいだけか! そういっては身も蓋もないのですが、スティルズは、録音をすっぽかしたブルームフィールドの代役として、やむをえず呼ばれただけです。ブルームフィールドの精神状態さえ安定していれば、この曲でも彼のプレイが聴けたでしょう。

まあ、エディー・ホーの端正なプレイを楽しめるから、わたしとしてはそれで十分です。ハイハットのキレ申し分なし、サイドスティックのサウンドも一級品。どういうわけか、ほとんど録音が残っていないこのドラマーの、これは代表作といえる一枚だと思います。

そうそう、昔はハーヴィー・ブルックスというベースには、とくに注目していなかったのですが、久しぶりに聴いて、なかなか悪くないと感じました。その後の数十年のあいだにひどいプレイを聴きすぎただけかもしれませんが。

◆ ヴァニラ・ファッジ盤 ◆◆
この曲を収録したヴァニラ・ファッジのRenaissanceというアルバムは、彼らの代表作といっていいと思います。他人の曲に奇怪なアレンジをほどこすことで売り出したヴァニラが、このアルバムでは、オリジナル曲中心にシフトし、その楽曲の出来がよかったことで、当時はおおいに気に入っていました。

f0147840_238216.jpgということはつまり、当初は新鮮に感じられたヴァニラ流の異様なアレンジに飽きたのだと、いまにして思います。どれか一曲だけを取り出せば、そして、その曲のオリジナルを知っていれば、You Keep Me Hanging Onにせよ、Ticket to Rideにせよ、She's Not Thereにせよ、もっと後年のThe Windmills of Your Mindにせよ、いまでもそれなりに面白いと感じられるでしょう。

しかし、それが束になってみるとどうか? 一見、クリシェへの批評に思えたものが、結局のところ、別種のクリシェでしかないことが露呈してしまうのです。いや、彼らのスタイルが変形されて、主としてヘヴィー・メタル方面に受け継がれ、文字通りのクリシェに堕したことには同情します。でも、それ以前に、高校生のわたしは、すでにNear the Beginningの段階でパターン化を感じとり、興味を失いました。

f0147840_024987.jpg子どものときは、ヘビのように長ったらしく思わせぶりなイントロも、なにやら粋なものに感じていましたが、年をとると、早く噺に入れ、枕を聴きに来たわけじゃない、といいたくなってしまいます。「じらし」を楽しめないようになっちゃ、もうまもなく棺桶かな、という気もしますが……。年齢によって、音楽の感じ方は180度ちがうものだな、と呆れます。

ドラムとベースのスタイルも、それまでの常識にはないものでした。中学生はそういうのが大好きだから、あのころはカーマイン・アピースとティム・ボガートのファンでした。中学どころか、大学に入ってもまだなんとなく彼らが気になり、武道館にまで、ベック・ボガート&アピースを見にいき……それでついに憑きものが落ちたようです。ティム・ボガートになにも期待できないのはカクタスで十分にわかっていたことで、人間というのは、現実を受け容れるのに長い時間を必要とするようです。

しかし、Renaissanceは、当時はよく聴いたアルバムで、もうヴァニラに興味はなくても、1枚だけいいものをあげろ、といわれれば、デビュー盤かRenaissanceのどちらかにするでしょう。リリースの時点でしか意味をもたなかったとしても、公平にいって、それが無価値ということにはなりません。あのときには大きな価値がありました。

f0147840_2312099.jpg現在のCDではあとによけいなものが加えられていますが、Season of the Witchは、LPではアルバム・クローザーなので、彼ら(またはプロデューサーのシャドウ・モートン。いまになると、あれはモートンのサウンドだったのではないかという気がする)がそれだけの意味のあるトラックと考えていたことがうかがわれます。しかし、それは時代感覚のバイアスが強くかかっていたのでしょう。いま聴くと、沈鬱で、芝居がかりなところが、やや滑稽に感じられます。この年になると、カーマイン・アピースのミスショット、とくにパラディドルがスムーズでないことも気になります。

彼らは、最近のThe Returnというアルバムでも、またこの曲をやっています。タコが自分の足を食べたようなもので、過去の縮小再生産にすぎません。アピースのタイムはいくぶん改善していますが、パラディドルで乱れる悪いクセは直っていません。まあ、ドラマーというのはそういうものです。

◆ 魔女的魔女 ◆◆
f0147840_2313148.jpgドノヴァンという人は、なんといっていいのかわかりません。それなりに好きだった曲があり(Sunshine Superman、Mellow Yellow、Atlantis、To Susan on the West Coast Waiting、Jennifer Juniper、Riki Tiki Tavi、Barabajagal、Wear Your Love Like Heaven、Song for John、There Is a Mountain)、新宿厚生年金まで見にいきましたが、だからといって、好きなアーティストだったことがあるような感覚は残っていません。Just friends, lovers nomoreではなく、はじめからjust friendsという感じで、いまも、強い好悪の感情はありません。

で、Season of the Witchです。久しぶりに聴いたら、ドラムがうまいんで、おや、イギリスにもいいドラマーがいるな、と思い、クレジットを見ました。おっと、ハリウッド録音、ドラムはエディー・ホー! うまいはずです。

ただ、タイトルとの関係で考えると、このヴァージョンはスムーズすぎるというか、軽すぎるというか、あっけらかんとしすぎているというか、物足りないというか、カヴァーがつけ込む隙がたっぷりあると感じます。

Super Sessionは、短時間でつくられたものなので、はじめから複雑な曲は排除する方針だったにちがいなく、多くはインプロヴしやすい曲なので、魔女という題材にとくにこだわった形跡はなく、たんに結果的に、ドノヴァン・ヴァージョンよりいくぶん沈鬱な、「魔女」という題材により接近したたムードが生まれたにすぎなかろうと思います。

ヴァニラ・ファッジ盤は、明らかに魔女という題材それ自体に重きを置いたアレンジです。それゆえに、歌詞の物足りなさを補うために、最後のほうに、いわずもがなの、よけいなものを付け加えてしまったのではないでしょうか。ヴァニラ盤のエンディングには以下のような台詞が加えられています。

God, god, hey!
If you can't help us, you better listen
Please...Mama, I'm cold

なにをやるのもご自由だし、とりわけ、あのころはそういうムードが充満していたので、当時は、この芝居がかりのくだりを、べつにどうとも思わずに聴いていました。しかし、いま聴くと、赤面とまではいいませんが、ちょっとばかり尻がむずむずし、早送りボタンに手が伸びそうになります。

光陰矢のごとし、流行り廃りはうたかたの夢、時の雨しずくは、ゆっくりと、しかし無慈悲に、音楽がまとっていた衣と肉を洗い流し、骨組だけの野ざらしにしてしまうものだなあ、と無情を感じる聞き比べでした。音楽がしゃりこうべになったとき、すぐれたドラマーのプレイだけが、確固たる実体として耳をうちます。
by songsf4s | 2008-04-30 22:12 | 魔女の季節