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2008年 04月 29日 ( 2 )
Repent Walpurgis by Procol Harum
タイトル
Repent Walpurgis
アーティスト
Procol Harum
ライター
Mathew Fisher
収録アルバム
Procol Harum (eponymously titled 1st album)
リリース年
1967年
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明日、というより、お読みになっているみなさんの側からいうと今日4月30日の夜は、「ヴァルプルギスの夜祭」、すなわち、聖ヴァルプルガの祝日のイヴです。

聖女であるヴァルプルガがどのような因縁をもったのかわかりませんが、この夜、ドイツはハルツ山系の最高峰、ブロッケン山に魔女たちが集い、とてつもないドンチャン騒ぎをやらかすといわれています。

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冬のブロッケン山頂。聖ヴァルプルガの祝日は、春の訪れを祝うものでもあるそうで、ずいぶん寒い地方なんだなと感じる。メイデイの起源もこの祝日にあるらしい。

なんだって、聖女の祝日の前夜に魔女が集会を開くのかと、いちおう調べたのですが、謂われは不明のようです(もちろんウィキペディアの寝言は無視)。一般論として、悪魔、魔女は、聖者のカウンターパート、実体に対する影法師のような必須付属物なので、聖人の祝日があれば、それに付随して、対となる邪悪なものの祝日が必要だったのではないでしょうか。そして、聖女の祝日の前夜だから、ジェンダーを一致させて、魔女の夜会とした、というあたりでは?

「ブロッケン山の幽霊」というものがあります。ブロッケン山頂に立つと怪物に遭遇するのだそうです。これは怪異現象ではなく、気象現象です。霧がスクリーンの役割を果たし、自分自身の影がそこに拡大投影され、奇怪な形象となってうごめくのを、「幽霊」といったのです。まさに、幽霊の正体見たり枯尾花。ちなみに、枯尾花とはススキの異名であると辞書にあります。コンプレンデ? あ、こりゃドイツ語じゃないか。

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ブロッケン山の幽霊は、べつにブロッケン山に特有の現象ではなく、より一般的には「グローリー」(後光のこと。日本では「稲田の後光」といわれることもある)といわれる現象の一支部みたいなものです。4月30日の夜に魔女が大宴会を開くという伝説と結びつき、この普遍的気象現象が、世界的にこのように呼ばれることになってしまったのでしょう。

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グローリーの一例。現代人から見れば、ちょっとした光学現象にすぎない。科学というのは、考えてみると、一面で罪なものである。

彫刻家ベンヴェヌート・チェリーニは、ある霧の朝、この「グローリー」現象に遭遇し、みずからの頭部に後光がさしているのを見て、ついに俺も聖者に列せられたか、なにしろ俺は天才だからな、と思ったそうです。こういう幸せな人は、幸せなまま死んだのではないかと思います。わたしは理性をもって地上を統べるのをよしと考える人間ですが、残念ながら、理性で幸せになった人の話というのは、とんと聞きませんなあ。

◆ 曰く因縁枯尾花 ◆◆
ヴァルプルガの登場する曲など、わたしはプロコール・ハルムのRepent Walpurgisしか知りません(世の中にはオカルトに傾斜した音楽というのが山ほどあるので、しかるべき方面にはゴロゴロしているのかもしれない)。そもそも、ヴァルプルガなどというものを知ったのからして、この曲のせいなのです。

しかし、聖女に向かってなぜ「悔い改めよ」などというのか、不思議なタイトルです。多くの人がこのタイトルを不可解に感じるからでしょう、プロコール・ハルムのオフィシャル・サイトで言及されています。以下、作者のマシュー・フィッシャーによる説明。

Well, I don't think it means anything, really. As you may already know, I got the idea for the chord sequence from a Four Seasons record called Beggin'. Apart from the organ introduction it was a pretty co-operative effort. Rob, in particular, added a lot with his guitar-playing. The Bach prelude was, I think, Gary's idea. We were thinking of doing the whole prelude as a separate piece but Gary suggested putting it in to break things up a bit.

How the title came about was that we were trying to decide what the mood of it was. I thought it was all very angst-ridden and hence suggested 'Repent'. Someone else (probably Gary or Keith) thought it evoked images of Walpurgis Night (demons and such). Eventually we decided to put the two together.

「じつのところ、とりたてて意味などないと思う。たぶん気づいているだろうが、コード進行は、フォー・シーズンズのBeggin'という曲からアイディアを得ている。オルガンによるイントロをのぞけば、Repent Walpurgisは共同作業の産物だ。とくにロブ(・トロワー)はそのギター・プレイで多くのものを付与している。バッハのプレリュードは、たぶんゲーリーのアイディアだったと思う。われわれは、あのプレリュード全体を独立した曲としてやろうとしていたのだけれど、ゲーリーがちょっとした変化を与えるためにRepent Walpurgisに組み込もうといいだしたのだ。

タイトルはこういういきさつで決まった。どういうムードでプレイするか、ということを話し合ったとき、わたしは、全体が怒りの感覚で満ちていると考えたので、『悔い改めよ』という言葉を持ち出した。だれか、たぶんゲーリーかキースが、『ヴァルプルギスの夜祭』をイメージさせる、といった。結局、このふたつをつなげてタイトルにしたというしだいだ」

タイトルの前半と後半は命名者が異なり、したがって、前後半に連関はないという、幽霊の正体見たり枯尾花でした。ここで言及されているブルッカーのピアノ・ブレイクは、the Prelude No 1 in C majorというものだそうです。うちにあるささやかなバッハのグレイテスト・ヒッツ(!)には収録されていませんでした。

◆ ハルムにも長いお別れを ◆◆
プロコール・ハルムのRepent Walpurgisといっても、いくつかのヴァージョンがあります。まずは、オリジナルというか、デビュー盤に収録されたヴァージョン。これがもっとも人口に膾炙しています。じっさい、日本では、長年にわたってJunのコマーシャルに使われていたので、アーティスト名や曲名を知らなくても、あのハモンドのフレーズを聴けば、ああ、あれがそうか、と思いだされる方はたくさんいらっしゃるでしょう。阿井喬子が「Jun, clasical elegance」と例のあの声でいう企業イメージCMです。

f0147840_23525185.jpg当時は知りませんでしたが、これはショート・エディットだったことが、のちにわかりました。オリジナルのロング・ヴァージョンは、Pandora's Boxという、オルタネート・テイク/ミックス集に収録されています。何小節目にハサミが入ったか、なんてことをいっても詮ないので、わかりやすくいえば、ブルッカーのピアノによる、メイジャーに転調するバッハ・シークェンスが、ロング・ヴァージョンでは二度繰り返され、その前後にマシューのハモンドや、トロワーのギターがくっついています。この部分が切られて、5分少々の短縮版がつくられたわけです。オリジナルは、わが家のプレイヤーの表示では7分29秒となっています。

f0147840_23543576.jpg盤になっているものとしては、ほかに95年のライヴ、Long Goodbye(なんでハルムがチャンドラーの長編のタイトルを使っているのか?)収録ヴァージョンがあります。メンバーとしては、もちろん、B・J・ウィルソンはいないものの、ブルッカーのほかに、マシュー・フィッシャーとロビン・トロワーもいて、そこそこのものになる可能性もあったと思います。しかし、マシューがハモンドではなく、パイプ・オルガンをプレイしているのが致命的で、おおいに違和感があります。もちろん、BJほどの表現力のあるドラマーはめったにいるものではないので、ドラムは馬鹿馬鹿しいかぎり。

もともとが沈鬱荘重な曲ですから、ひとつまちがえば茶番になるわけで、このLong Goodbyeヴァージョンを筆頭に、ライヴはどれもあまり出来がよくありません。

まだBJがいた73年のテレビ・ライヴも、あまりいいとは思いません。このときのオルガンはクリス・コピングだと思いますが、どうにもこうにも退屈で聴いていられませんし、BJもとくに好調とはいえません。そもそも、テンポが遅すぎます。

ギターは日本にも来たなんとかいうプレイヤーでしょうが、武道館のときはトロワーに交代して加入したばかりで、譜面を見ながらやっていたのが、ここでは譜面なしになってよかったね、としか思いません。カメラが見当違いのところばかり追っているのにも苛立ちます。

このヴィデオで面白いのは、BJが、フロアタムの横に、ティンパニーぐらいの大きさの追加タムを置いていることがわかったことだけです。いや、それとも、ティンパニーそのものだったのか?

もっと近年のものになると、もう箸にも棒にもかからないひどさです。ギターもドラムも、なんのアクセントもつけず、間の取り方も変化させず、どの音も同じウェイトで、ただ平板にずらずらと機械的に並べているだけで、PCスクリーンのなかに入りこんでいって、殴りつけたくなります。

しかし、音に表情をもたせない平板なプレイというのは、この何十年かの支配的傾向であり、彼らはその「いまどきのプレイヤー」にすぎないのでしょう。わたしが同時代の音楽を聴かなくなった最大の理由は、ドラマーが「表現」をやめ、「表情」を失ったことです。クリック・トラックがもたらした惨禍なのか、シークェンサーに合わせなければならなくなったからなのか、それとも、プログラムされた「機械のドラマー」が増えて、それと同化してしまったのか、そのへんはよくわかりませんが。

◆ 『ファウスト』のヴァルプルギス ◆◆
それにしても、ヴァルプルギスの夜祭というのは、こういう沈鬱荘重なムードだと考えられているのでしょうかねえ。

これを題材として取り入れたものとしては、ゲーテの『ファウスト』が有名だというので、やむをえず、三十数年前に挫折した挑戦を継続してみました。『ファウスト』第一部の終盤、「ワルプルギスの夜」の場から感じられるものは、メッカへ向かって何十万人もの巡礼が移動する光景に近く、たいへんな馬鹿騒ぎだということです。メッカの巡礼は大げさとしても、関ヶ原で勝った東軍が、ロック・バンドか野球チームのように、即日移動で佐和山城に向かったときの、家康が激怒した大渋滞の混乱を思わせるものです。

プロコール・ハルムの曲で、このゲーテの描写(といっても、まさか眼前に見た光景を描いたわけではないが!)に近いのは、In Held 'Twas in Iの第二楽章、'Twas Teatime at the Circusではないでしょうか。まあ、宴たけなわのあとには、なにか隠微なことがあろうと想像するのはごく自然で、そういうイメージなのかもしれませんが。

しかし、『ファウスト』には、ヴァルプルギスの夜祭が二度登場します。第二部の第二幕「古代ワルプルギスの夜」の冒頭に出てくる魔女エリクトーの台詞をスキャンしてみました(池内紀訳)。

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どうでしょう。このへんになると。Repent Walpurgisの荘重なムードに近いかもしれないと感じます。

しかし、わたしという人間は、「荘重」とは縁がなくて、なんだって、子どものころ、この曲が好きだったのか、その答はいまになるとブロッケン山の霧のなかです。しいていえば、いま聴いても、冒頭のマシューのサウンドとプレイは好ましく、この一点かもしれません。わたしにとっては、プロコール・ハルムとはマシュー・フィッシャーのオルガンであり、BJのドラミングにほかならなかったのですから。
by songsf4s | 2008-04-29 23:57 | 魔女の季節
$1000 Wedding by Gram Parsons その2
タイトル
$1000 Wedding
アーティスト
Gram Parsons
ライター
Gram Parsons
収録アルバム
Grievous Angel
リリース年
1974年
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「$1000 Wedding by Gram Parsons その1」よりつづく。

◆ 闇に消えたテープ ◆◆
あとで伝記を読んでわかったのですが、グラム・パーソンズは、フライング・ブリトー・ブラザーズのセカンド・アルバム、Burrito Deluxeですっかり嫌気がさし、数年のあいだ隠遁状態だったのだそうです。

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The Flying Burrito Brothers "Burrito Deluxe" まだグラムが在籍しているのに、グラムがまったく感じられない奇妙なアルバム。買ったとき、割りたくなった。すくなくとも、グラムのカタログからは抹消してよい。A&M首脳陣は、マスターを聴き、これで君たちのキャリアは終わる、べつのものをつくれ、といった。彼らはさらに録音をつづけたが、事態はいっそう悪化しただけだった。この「もうひとつのセカンド・アルバム」のセッションが、グラムの没後、さまざまな形でリリースされた。しかし、このときに録音されたという、$1000 Weddingのオリジナル・ヴァージョンはどこへいったのだ?

そのあいだ、なにをしていたかというと、あちこちに出かけて、遊んでいたようです。なにしろ、莫大な信託財産があるので、生活には困らず、これがかえって彼のキャリアを迷走させたように感じます。

最初は、まだマンソン・ファミリーの再襲撃におびえていたテリー・メルチャーの家に転がり込んで、しばらくのあいだ、セッションを繰り返したそうです。よし、というので、メルチャーをプロデューサーにして、グラムの初のソロ・アルバムにとりかかったはいいけれど、メルチャーはコンソールに突っ伏して寝込む、グラムはグランド・ピアノに吐く、というていたらくで、まともなセッションではなかったようです。二人ともひどいアル中、グラムにいたってはドラッグのほうでもすごかったのです。

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Sid Griffin "Gram Parsons: A Music Biography," Sierra Records, 1985. わたしが知るかぎり、最初に出版されたグラムに関する本。この本によって、没後、グラムの名声が高まっていることを知った。「音楽伝記」という副題が示すように、いわゆる伝記ではなく、関係者へのインタヴューで構成されている。エミールー・ハリスのインタヴューは、音楽のことに話を限定する、と気を遣っているが、なあに、エミールー自身がのちに非常に思わせぶりなことをいっている。どうであれ、グラムの妻はエミールーに猛烈な嫉妬をした。この二人がただの友だち、ただの仕事仲間であるはずがない、と信じさせるほど、グラムとエミールーの歌は相和していた。

このときに10曲ほどが録音されたそうですが、ある日、グラムがA&Mのオフィスにやってきて、そのテープをもちだしたきり、その後、発見されていないそうです。あまりのひどさに、グラムが廃棄したか、自宅の火事のときに焼いてしまったのではないでしょうか。

ブリトーズの末期から、グラムはキース・リチャーズにべったりになり、ソロ・アルバムの挫折のあとは、イギリスに渡って、主としてリチャーズの家に滞在し、税金の問題から、ストーンズがフランスに逃げだしたときにも、リチャーズについていっています。Exile on Main Streetのいくつかのトラックには、グラムが参加しているという噂があり(キースは肯定も否定もしていない)、グラム・ファンはその鑑定に忙しいようですが、わたしは興味なし。

グラムがストーンズからなにか得たかもしれませんし、ストーンズ、とくにキース・リチャーズはグラムからなにか得たのかもしれませんが、具体的なものとしてはなにも残っていません。しいていえば、Contry Honkでしょうが(グラムがいなければ、ストーンズのカントリーへの傾斜はなかった)、だからどうした、です。

Shots from so called "the lost weekend" of Gram Parsons and Keith Richards.
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グラム・パーソンズとキース・リチャーズの「失われた週末」の記録。一番下の写真の女性はアニタ・パレンバーグ。グラムとキースはこのときドラッグ中毒の治療を受けていて、二人でうたったり、ギターを弾いたりで、苦痛に耐えていたとか。

グラムがこの「失われた週末」から帰還できたのは、たぶん、エミールー・ハリスというシンガーに出会ったおかげでしょう。フランスからもどった(ありていにいえば、尋常ではないグラムの振る舞いに耐えかねたキースに追い出された。グラムのような人間とつきあえるのは、彼と同等に尋常ではない人間だけだろうが、キース・リチャーズほど尋常ではない人間も耐えられなかったということは、一考に値する!)グラムは、クリス・ヒルマンらの助言で、ワシントンまでこの無名のシンガーを見にいき、イマジネーションを刺激されます。すなわち、新しいジョージ・ジョーンズとタミー・ウィネットの誕生!

しかし、なにごとも真っ直ぐには進まないグラムの人生にあっては、アルバム・プロジェクトもすんなりとはいかず、ああだこうだの紆余曲折があり(とりわけ、プロデューサーとして招聘したマール・ハガードとのゴタゴタ)、またイギリス旅行があったりしたあげく、エミールーとの出会いから一年近くのち、ようやくスタジオに入ります。初日から、共同プロデューサーのリック・グレッチ(たび重なるイギリス滞在で知り合った)が胆石で入院するという蹉跌が起こります。さすがは名にし負うトラブル・メイカー、手の込んだ遠隔トラブルを引き起こして、GPプロジェクトはスタートします。

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◆ 妻が隠す夫の惨たる状態 ◆◆
グラムのソロ・デビュー作、GPがたちまちチャートを駆け上がっていたら、むしろ、彼のその後の名声はなかったのではないでしょうか。すこしだけ、世間より先を歩いてしまったアルバムだと感じます。「カントリー・ロック」はオーケイでしたが、ロック・シンガーがうたう「もろのカントリー・アルバム」は、まだ不可だったのです。

しかし、わたしはこのアルバムから、カントリー臭味は感じません。きわめてオリジナルなミュージシャンだったグラムは、どこかのジャンルに収まる以前に、ひとりで一ジャンルを形成するタイプでした。わたしがこのアルバムから聴き取ったのは、ほかのなにものでもない、純粋な「グラム・パーソンズの音楽」でした。

裏話を読めば、たいていの作品はさんざんな状況でつくられているもので、GPのときのグラムも最低の状態だったようです(スタジオにも付き添ってきた妻は、ひどい状態をプレイヤーたちに見せないために、グラムをパーティションの外に出さなかったという。バッド・トリップしていたのだろう)。しかし、わたしの耳には、人生のどん底で、右も左もわからぬまま、ボンヤリとつくったアルバムにはとうてい聞こえません。そもそも、グラムがうたおうとしていたのは、暗く深い底でもがく魂だったのだから、現実の人生のどん底と、表現されたどん底の状態が区別できないのかもしれませんが。

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グラムの歌の魅力は、端的にいえば、(ひどいクリシェをお許しいただきたいが)「甘さと苦さの絶妙のブレンド」で、おそらく、このブレンドを得るには、不幸な人生と大量のアルコールと最高級のドラッグを必要としたのでしょう。ありあまる財産も、不幸を倍加することはあっても、減じることはなかったにちがいありません(バーニー・レドンはグラムに、俺はおまえとちがって働かなければならない、といったそうだが、こんな小さなこともグラムの鬱を増しただろう)。

しかし、アルバムGPが市場で無視されたことは、グラムの状態をさらに悪化させたと思われます。悪いことに、この時期に、カントリー・ロックという「ジャンル」が表舞台に出かかっていました。グラムは、ありとあらゆる「カントリー・ロック・バンド」を呪ったことがあるそうです。

ポコも、イーグルズも、あんなものはバブルガムにすぎない、といったと伝えられていますが、気持はよくわかります。イーグルズのTake It Easyを聴いたとき、わたしが思ったのも似たようなことでした。バーズとブリトーズ(ということはすなわちグラム・パーソンズ)のやったことを水で薄めて売りやすくしたもの、と聞こえたのです。あの時点では、イーグルズはまだマシな部類だと思ってはいたのですがね。

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Ben Fong-Torres "Hickory Wind: The Life and Times of Gram Parsons," Pocket Books, 1991. こちらは通常の伝記。いろいろなことがわかったが、でも、この本で描かれた人物は、アルコールとドラッグにかき乱された支離滅裂な人生を送った無頼漢にしか見えず、たった一曲でもまともな音楽がつくれたようには思えない。グラムの音楽の切れ端すら捉えていない非音楽的伝記。

グラムがなにを目指していたのか、彼の惨憺たる人生から読み取るのは困難です。彼の表現によれば「コズミック・アメリカン・ミュージック」ということになるのですが、これでなにかがわかる人はいないでしょう。ときには、「カントリー・ロックなんかじゃない、カントリーだ」といったこともあるそうですが、これもその場の成り行きから、つい口にした言葉に感じます。

のちに、彼は「伝説のカントリー・ロック創始者」と呼ばれることになりますが、墓の下で、冗談いうな、カントリー・ロックなんかクソ食らえだ、と腹を立てているでしょう。他人がつくった「ジャンル」など、興味がなかったにちがいありません。とくに「カントリー・ロック」という言葉には我慢がならなかったらしく、繰り返し、さまざまな場面で、自分の音楽はカントリー・ロックではないと否定しています。

わたしはグラム・パーソンズの長年の大ファンですが、彼の音楽をカントリーと思ったこともないし、まして「カントリー・ロック」という文脈で考えたことなどありません。繰り返しますが、彼はひとり一ジャンル、他とは隔絶した高みにいます。イーグルズごとき三下と同じジャンルにされたときのグラムの怒りは、わたしの怒りでもあります。大文字の「ザ・シンガー」と、その爪の垢を煎じて飲んだだけの物真似芸人を、同じ地平に並べる馬鹿がどこにいますか。

グラムの不幸は故郷のジョージアにまでさかのぼりますが、しかし、彼に最後まで取り憑いて、その存在そのものをおびやかした最大の不幸は、こういう無理解、あらゆる才能を「パッケージ」してしまう、芸能界のありようそれ自体だったかもしれません。

パーソナル・ライフがどうであったにせよ、彼の音楽人生は、まさに魂の七転八倒、のたうち回って、もがき、苦悶しているようにしか見えません。バンドからバンドへ、プロジェクトからプロジェクトへと、けっして「センテンスを完結」することなく、彷徨っていった彼の軌跡は、のたうち回る魂が、この世に投影された像にすぎないのでしょう。

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グラムと妻のグレッチェン。女優としてのキャリアをなげうって、尋常ならざるシンガーにじつによく尽くしたが、最後は嫉妬の業火に灼き滅ぼされた。

◆ 砂漠のミステリー ◆◆
このようなアル中にしてジャンキーの人生には、トラブルは付きものですが、体調がよくなかったことをのぞけば、$1000 Weddingを収録したセカンド・アルバム、Grievous Angelは、とくにひどいトラブルに見舞われることもなく録音されたようです。グラム自身も、はじめて自分の音楽に満足したことが、残された彼のコメントや周囲の証言からうかがわれます。

しかし、このセカンド・アルバムのニュースや現物が届く前に、思わぬところで、グラムの消息を知ることになりました。新聞の三面記事です。グラム・パーソンズというアメリカの歌手が死亡し、空路ロサンジェルスに運ばれた遺体が盗まれ、翌日、砂漠で火葬されたことがわかった、というミステリアスなニュースでした。グラム・パーソンズの名前を新聞記事で読むとは思っていなかったので、わたしは何度も読み直しました(のちに死因はドラッグ・オーヴァードーズとわかった。グラムの死因がほかのものだったら、かえって驚くが!)。

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このミステリーそのものは、グラムの友人でツアー・マネージャーだった人物が、生前にかわした約束を守って、ジョシュア・トゥリーという砂漠の真ん中に彼の遺体を運び、火葬しただけだったことが、後年、伝記でわかりました。

しかし、わたしとしては、日本の新聞の外報選択基準とは正反対に、遺体がどうなったか、だれが盗んだか、などはどうでもよく、グラムの死それ自体がショックでした。アルバムGPの出来から、つぎの盤をおおいに期待していたのです。なんだ、GPでおしまいか、と気が抜けました。

これまたあとでわかったことですが、セカンド・アルバムの作業は、ジャケット写真の撮影を残すだけで、すべて完了していました。しかし、アーティストの死を販売に利用した、という非難を受けたくなくて、リプリーズ・レコードは、このアルバムのリリースを延期してしまったのだそうです。

だから、彼の死からだいぶたって、セカンド・アルバムGrievous Angelを見たときは、遺作というより、残されたガラクタを寄せ集めたものではないか、と考えました。もちろん、針を落とすまでのことですが!

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◆ 嘆きの天使 ◆◆
グラムが、死の直前に完成したアルバムの出来映えに満足した、というのはよくわかります。楽曲の出来、グラム自身のヴォーカル、そして、エミールーとのヴォーカル・コンビネーション、さらにはバンド(ジェイムズ・バートン、グレン・ハーディン、ロン・タットというエルヴィスのバンド、のちのエミールーの「ホット・バンド」)のプレイ、すべてがGPの延長でありながら、いちだんと洗練され、完成度の高いものになっています。

なによりも、グラムのヴォーカルが重要です。彼が死の直前にどこまでたどり着いたかは、ほかならぬ$1000 Weddingから聴き取ることができます。もう歌いだしからしてすごいのです。

Was a $1000 weddingとうたうグラムの声! ピッチの揺れ! これがgreat voiceじゃなくて、どこにgreat voiceなんてものがあるのか。Hot Burrito #1の"I'm your toy"のラインで、高校生の魂を震えさせたあのクラッキングは、よりいっそう深みを増していました。グラム・パーソンズ・トリビュート・アルバムなんてものが出ていますが、わたしは興味のかけらももったことがありません。グラム以外の人間の声で、グラムの歌なんか聴いて、いったいどうするというのか? 気がふれているとしか思えません。グラム・パーソンズが偉大である理由は、あの声にしかないのです。

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Gram Parsons with the Shilos. 学生時代のフォーク・グループ、シャイローズ。右から二人目がグラム。

もちろん、彼が残した楽曲に魅力がないということではありません。でもねえ……。われわれは記録された音楽の時代に生きているんですよ。19世紀に生きているわけではありません。この意味がわかりますか? たとえ歌い手は死んでも、歌声は残るのです。ニセモノはまったく不要じゃないですか。そこにホンモノがちゃんとあるのに! まあ、よろしい。トリビュート・アルバムというのは、悪質な商売人たちが、脳足りんのリスナーから小銭を巻き上げるために考え出した、ろくでもない「エンジニアリング」にすぎないので、そんなもののことは放っておきましょう。

残念ながら、没後にリリースされたものも、やはり「エンジニアリング」のたぐいです。わたしもすこし脳足りんなところがあるので、グラムに関しては断簡零墨まで食指が動き、いくつか買ってしまいました。いい瞬間がなかったわけではありません。しかし、その話は、近々控えているグラム・パーソンズの再登場のときにでもします。グレン・ハーディン、ロン・タット、ジェイムズ・バートンといった、晩年のグラムを支えたミュージシャンたちの仕事ぶりについても、そのときに書くとします。

ひとつだけ書いておくと、$1000 Weddingにおけるロン・タットのドラミングはみごとです。ダブルですが、トラップも、オーヴァーダブらしきタムも、非常に効果的なプレイをしています。彼らの素晴らしいプレイがなければ、グラムが満足して死ぬことはなかったにちがいありません。

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by songsf4s | 2008-04-29 04:38 | 愚者の船