人気ブログランキング |
2008年 03月 11日 ( 1 )
MacArthur Park by Richard Harris その2
タイトル
MacArthur Park
アーティスト
Richard Harris
ライター
Jim Webb
収録アルバム
The Webb Sessions 1968-1969
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Glen Campbell (live), Hugo Montenegro, Percy Faith, Andy Williams, the Four Tops
f0147840_2150179.jpg

この記事をもって、わたしの「つなぎ」を終え、つぎからはTonieさんによる「日本の雪の歌」特集の後半に入る予定です。

本日は昨日に引きつづき、MacArthur Parkの後半ですが、本題に入る前に、ひとつだけ昨日の記事の訂正を。クライアントの自動車会社からジミー・ウェブのところに届けられた車は1台のようなことを書きましたが、ハル・ブレインの回想記を読みなおすと、コーヴェット(CMの依頼はこちらのほうらしい)と、シェヴィーのステーション・ワゴンという2台が届けられた、と書いてありました。

◆ クレジット ◆◆
さて、歌詞のほうは、わけがわからないまま、とにかく検討をすませたので、残るは音楽面です。

昨日は調べものを省略してしまったのですが、どうやらMacArthur Parkは「三部作」と呼ばれているらしいので、昨日、「第2部」と仮に呼んだだけだったパートは、そういう呼称のまま訂正しないでいいようです。そして、そのあとにくる長いインストゥルメンタル・ブレイクは、間奏ではなく「第3部」とされているらしいことが、ヒューゴー・モンテネグロのカヴァーでわかりました。モンテネグロ盤はヴォーカル・パートを省略し、インストゥルメンタル・パートだけやっているのですが、ジャケットにはMacArthur Park Part IIIと記載されているのです。

その第3部にいたっておおいに活躍するプレイヤーたちの名前をまずあげておきましょう。

f0147840_21522025.jpg

JPEGでは読みにくいだけでなく、クレジットには名前があるだけでパートがないので、この曲でもそうだったという保証はないものの、通常の彼らの楽器ないしは役割を以下に書きます。

ハル・ブレイン……ドラムズ
ラリー・ネクテル……キーボード(MacArthur Parkではおそらくハープシコード)
マイク・デイシー(「ディージー」とは読まない)……ギター
ジョー・オズボーン……フェンダーベース
シド・シャープ……ストリング・セクション・リーダー
ジュールズ・チェイキン……トランペット
ジム・ホーン……木管
トミー・テデスコ……ギター

最後にあるアーミン・スタイナーはプレイヤーではなく、エンジニア、プロデューサーですが、このセッションのプロデューサーはジミー・ウェブ自身なので、エンジニアリングを担当したのでしょう。いまだに公然とは認められていない、60年代のモータウンLAの録音も多くはアーミン・スタイナーの仕事で、録音場所は彼の自宅でもあったTTGスタジオだったと、キャロル・ケイが証言しています。

f0147840_22172054.jpg
最近のアーミン・スタイナー。いまだ現役らしい。上掲クレジットのスペルはまちがっていて、正しくはArmin Steiner。

◆ ジミー・ウェブ ◆◆
MacArthur Parkは、実験の時代という空気のなかで生まれた実験的な曲だった、とジミー・ウェブが回想しています。たしかに、1968年はそれこそ「なんでもあり」の時代で、どんなに変なものが出てきても驚きませんでした。

しかし、ジミー・ウェブは「変なもの」タイプのソングライターではなく、「なんでも」のなかでも、「野心的な作品」を指向しました。あのころは、野心的ではないものは「作品」の員数に入らない、という空気があったので、この言葉ではなにもいっていないも同然なのですが、傾向としては「トータル・アルバム」「組曲」「シンフォニック」なんてあたりが、いちおう「野心的」といわれていました。

f0147840_22213431.jpgジミー・ウェブは伝統音楽の作曲家としてスタートしたわけではないので、当然、それまでは、verse、chorus、bridgeという術語で表現できる枠組みのなかで曲を書いていたのですが、ここで、大作、組曲、シンフォニックな方向へと、自分自身の地平を広げようと志したのでしょう。

彼は1946年生まれだそうですから、このとき二十一二歳。比較のために書いておくと、ブライアン・ウィルソンがPet Soundsをつくったのが二十三歳のとき、フィル・スペクターがA Christmas Gift for You from Phil Spectorをつくったのも二十三歳のときです。二十代前半というのは、「野心の年齢」「実験の年齢」なのかもしれません。あるいは、ギリギリめいっぱいのところ、掛け値なしで、自分にはどれだけの能力があるのか知りたい年齢、といえるような気もします(顧みて、そこが彼らのピークだったことは、なんともやるせない歴史的事実なのですが)。

どうであれ、時代の空気と彼の野心が合体した結果は、ブライアン・ウィルソンやフィル・スペクターの野心的傑作に比肩できるほど圧倒的なものには結実しませんでしたが(そして、残念ながら、By the Time I Get to Phoenix、Wichita Lineman、Up Up and Awayといった彼自身の過去の秀作ほど印象深くもない)、彼の名声を一段高める出来にはなったし、彼のエゴも満足させたでしょう。

傑作になりそこなった理由は、作り手のエゴ、俗にいう「自己満足」を優先したためだと考えています。メロディーの印象はほとんどかわらないのに(ピッチ、スケールは変化する)、仮にヴァースと呼んだ部分とコーラスと呼んだ部分では、コードがまったくちがうのです(前者はマイナー、後者はメイジャー)。

f0147840_22243713.jpgこの差異は、ボンヤリ聴いているとまったく意識しないほどで、この手法に注目したのは、ミュージシャンだけだったでしょう。結果的にヒットしたからいいようなものの、ミスだったら、若き天才ヒットメイカーという彼の名声は地に墜ちていた可能性すらあります。実験的作品までヒットさせるのも才能のうちだし、時代も時代だから、たとえ、MacArthur Parkを録音するときに、危険な賭けだという自覚が彼にあったとしても、やはり挑戦しただろうと思いますが。

この曲は、当初、アソシエイションが録音することになっていたそうです。彼らのプロデューサーであるボーンズ・ハウがジミー・ウェブにほれこみ、MacArthur Parkをうたわせようとしたのだけれど、アソシエイションのほうはまったく無関心で、ボーンズは腹を立て、「この曲がトップテンに入った日に、わたしは君たちのプロデューサーを辞める」という電報を送った、とジミー・ウェブがいっています(そして、じっさいにその宣言どおりになった)。

ヒット曲を逃したアソシエイションは馬鹿者の集まりに見えますが、これはどちらの側も正しかったのではないでしょうか。アソシエイションは良くも悪くもポップ・グループで、「野心」といっても、せいぜいサイケデリック・ジャケットどまり(それも、流行にしたがったまでのこと)、客が離れるのを怖れても、しかたがありません。子どもみたいなソングライターの試験管やビーカーになんかなりたくなかったのでしょう。そして、その判断は正しかったと思います。MacArthur Parkは、アソシエイションにうたえるタイプの曲ではないからです。パーソナルかつインティミットな表現のできる歌い手を必要とする曲であり、アソシエイションにはその能力はありませんでした。

◆ リチャード・ハリス ◆◆
f0147840_2229403.jpgリチャード・ハリスの名前を見て、音楽を思い浮かべる方は少ないでしょう。わたしの場合、『ナバロンの要塞』を思いだしますし、最後に見た彼の映画『許されざる者』もまだ印象に残っています。いま、フィルモグラフィーを見て、そういえば『テレマークの要塞』もあったな、『ロビンとマリアン』もいい映画だった、『戦艦バウンティ』も見た、という調子で、ふつうは映画俳優としてのリチャード・ハリスに馴染みがあるでしょう(舞台のほうでも有名ですが、そちらはぜんぜん存知あげず)。

MacArthur Parkは、リチャード・ハリスに当てて書かれたものではなかったにもかかわらず、アソシエイションが拒否し、たまたま彼がうたうことになった(ウェブにこの曲を聴かされたとき、ハリスはWe must do itといったそうですが)のは、まさしく僥倖でした。MacArthur Parkは、アソシエイションがかけらも持ち合わせていないもの、演劇的表現力を必要とするタイプの曲だからです。

f0147840_22305610.jpgほかのシンガーのヴァージョンを聴くといっそう明瞭になるのですが、リチャード・ハリスの、うたうというよりは語るような調子は、過度にパセティックになるのを防いでいて、やはりたいしたものだと思います。メロディーがそうなっているのでしかたないのですが、音吐朗々とうたいあげたくなるタイプの曲で、そして、そうやったら、クラブ歌手の凡庸なバラッド、堕落したMy Wayのようになってしまうのです。

リチャード・ハリスについては、ハル・ブレインがその回想記で人物像を活写しているので、ご興味のある方はそちらをご覧あれ。なかなか豪快な人物で、まだ若かったジミー・ウェブが、ハリスのことを兄か保護者のように思っていたというのも、さもありなん、です。

◆ ハル・ブレイン ◆◆
リチャード・ハリスのレンディションはさすがだとは思うものの、この曲でほんとうに好きなのは、第3部のインストゥルメンタル・パートです。といっても、フルオーケストラなので、派手なギターソロがあるわけではなく、魅力はハル・ブレインのプレイに尽きるのですが。

先に、第1部と第2部のプレイに簡単に触れておきます。「野心的作品」にはありがちなことですが、MacArthur Parkもまた変拍子を使っています。それも、ちょっと嫌らしいタイプの変拍子です。イントロ冒頭の4小節は4/4-4/4-4/4-2/4、そのつぎのひとまわりは4/4-4/4-5/4なのです(ちゃんと繰り返しカウントしたから大丈夫だと思うのですがね!)。これだけでも、「プロが必要な仕事」だということがわかるわけで、二流のドラマーを呼んだら悲惨なことになります(たとえ結果的にいいものができても、リテイクで時間を食って予算を超過すれば、それも「目に見えない」悲惨な事態)。

こういう変拍子およびテンポ・チェンジを多用した曲をスムーズに聴かせるのは「クルー」の得意とするところで、彼らならなんの心配もありません。第3部は、移行過程抜きで、いきなり速いほうへとテンポ・チェンジして突入する構成ですが、ここもなんの遅滞も違和感もなく、きれいにつないでいます。ここまでのハルのプレイも、例によってよく練られたデザインになっていますが、本領を発揮するのはここからです。

だれしもいい日悪い日はあるもので、ハル・ブレインといえども、すごくいい日、悪くない日、ちょっと不調の日というのがあります。MacArthur Parkは、すぐくいい日の録音です。ひとつひとつのビートが、早過ぎもしなければ、遅すぎもせず、「ここしかない」というポイントにきているのです。これほどいい日は、ハルの全キャリアのなかでもそうたくさんはないでしょう。

f0147840_2248771.jpg
ジミー・ウェブ(左)とハル・ブレイン

そういうコンディションで、第3部では、アップテンポになり、複雑なビートを叩くのだから、そりゃもう、ドラマー自身にとっても天国でしょうが、ドラム・クレイジーにとっても、天国にもっとも近い場所です。ひとりでやりたいことをやれるタイプの曲ではなく、オーケストラとの緊密な連携を必要とされるプレイなのですが(インプロヴはゼロ、すべて自分でアレンジして、譜面に起こし、それに厳密にしたがってプレイしたにちがいない)、その制約すらもが魅力のひとつになっています。

こういうプレイをなんと名づければいいのか? 「MacArthur Parkでハルがやったプレイ」という言葉しか出てきません。ということは、いままで気づいていませんでしたが、これまたきわめてオリジナルなプレイ・デザインだったことになります。

あえて説明すれば、オーケストラがプレイするラインのアクセントに合わせて、その補強としてのビートを叩きつつ、同時に、ドラム本来のフィルインも入れ、曲の流れをリードしつつ、いっぽうで装飾を加える、という八面六臂縦横無尽の大活躍プレイというところでしょうか。

f0147840_22521623.jpg楽曲の構造、このパートのムードとしてはシンフォニックなのですが、シンフォニーでは、打楽器はこういうプレイをしません。では、ビッグバンド的かというと(ハル自身のルーツはビッグバンドで、そちらも非常に得意としていた)、そういうタイプでもありません。ビッグバンドなら、もっとタイムキーピングを重んじるはずです。もちろん、ロック的なところもなく(ハルがもっていたロック的ニュアンス、強さは明白に出ているが)、じっさい、ロックドラマーにはこのプレイはできないでしょう。

しいていうと、いやもう、ほんとうに無理矢理に考えてみただけですが、In Held 'Twas in Iにおける、バリー・J・ウィルソンのプレイが近いでしょう。しかし、あちらはテープ編集も使っているし、BJのタイムは、かなりいいほうではあるものの、ハルほど正確ではありませんし、オーケストラとの緊密な連携もできるとは思えません。それに、BJなら、譜面は使わず、インプロヴでやるでしょう。

必要に迫られて生みだしたデザインでありスタイルなのでしょうが、改めて考えると、わたしの自前データベースをいくら検索しても、似ているプレイというのが出てこなくて、またしても、「ロック・ドラミングを発明した男」のすごみ、懐の深さを思い知った気分です。

たんなる景物として書きますが、回想記のなかで、この曲についてハルがなにをいっているかというと、リハーサルでオーケストラを指揮させてもらったのが楽しかった、だそうです。ドラミングのほうは、彼の観点からいえば、「いつものお仕事」にすぎなかったのでしょう!

◆ 他のヴァージョン ◆◆
ハルのドラミングのことを書けば、MacArthur Parkを取り上げた目的は果たしたようなもので、気が抜けてしまいました。

f0147840_238281.jpgあまりいいカヴァーはないのですが、しいていうとフォー・トップスでしょうか。リーヴァイ・スタブスの声が好きだというだけなんですがね。それにしても、なにもトップスがこの曲をやることもないなあ、という感じもします。モータウン末期の彼らは、どうも干されていたような印象で、「Aチーム」の曲がもらえず、白人アーティストのカヴァーばかりやっています(最悪はWalk Away Renee)。

トップス盤MacArthur Parkは、モータウンにしてはビッグ・プロダクションで、トラッキングはもちろんハリウッドでしょう。この時期になると、モータウンLAのドラマーも錯綜してきて、明快な判定はできませんが、アール・パーマーやハル・ブレインではないので、第一候補はポール・ハンフリー。悪くないタイムですが、やはり、何カ所か気になるミスがあります。まあ、おかげで、ハルがどれほどいい仕事をしたかがいっそうよくわかるのですが。第3部は非常に短くまとめていて、賢明にもボロがでないうちに手じまいしたという印象です。ドラムは必要なことをやっているだけで、華々しさはありません。

f0147840_2393148.jpgしかし、ハル・ブレインがやれば、どれもすごくなるかというと、そうでもないことが、アンディー・ウィリアムズ盤とヒューゴー・モンテネグロ盤でわかります。どちらもハルのプレイと考えられますが、やはり、コンダクター、プロデューサーの姿勢というか、どこを目指すかという志の高低は、プレイにも反映されてしまうのです。

アンディー・ウィリアムズ盤は、トップス盤とちがって、第3部にもそこそこの長さをあてているのですが、ハルのプレイは残念ながらクリシェになっています。自分の書いた譜面の縮小再生産なのです。しかも、ドラムは休みの箇所がたくさんあり、見せ場のいくつかは消去されています。

f0147840_23103535.jpgヒューゴー・モンテネグロ盤は、第3部だけをダイジェストしたインストゥルメンタルですが、ちょっとテンポが速すぎて、ハルはやるべきことをきちんとやっただけ、という印象です。これまたクリシェといわざるを得ず、「あるパターン」に収まったプレイで、オリジナルの「名づけえぬすごみ」にはほど遠いものです。

f0147840_23112020.jpgパーシー・フェイスももちろんインストですが、ヒューゴー・モンテネグロとは正反対の方向性で、ジミー・ウェブのメロディーをより美しく、甘く、ストリングスによって表現したものといえます。パーシー・フェイスのものとしてはシンプルなアレンジで、もうすこし複雑なほうがいいのに、と思います。ドラムは活躍しないので判断できませんが、これまたハル・ブレインであってもおかしくありません。ベースはキャロル・ケイではないでしょうか。

f0147840_23123340.jpgグレン・キャンベルはライヴでやっています。ちゃんとフルオーケストラ付きで、この大作をライヴで、全曲通しでやった挙たるや壮とするべきでしょう。バンドもがんばっていて、違和感はないのですが、だからといって、すごいなあ、と感心もしません。そして、グレンのヴォーカルについても、シンプル&ストレートフォーワードな曲のほうが合っていると感じます。でも、たまにはこういう曲もやってみたくなるのでしょう。気持ちだけはわかります。だれだか知りませんが、ドラマーは、第3部における「危険箇所」を注意深く取り除き、プレイを単純化して、ミスを最小限に抑えた(一度、スティックどうしを軽く衝突させている)のは賢明でした。できないことはしない、できることに最善を尽くす、が鉄則。

◆ 「スージー組曲」 ◆◆
ハル・ブレインは無名のときからジミー・ウェブを知っていて、個人的に親しくしていたそうです。なんともはや、と思う情景があります。ジミー・ウェブは、若くして大物になり、無数のハリウッド人種が彼を金の生る木と見ていました。ユニヴァーサル映画は、彼にスタジオ・ロットにあるバンガローをあたえ、いつでも好きなときに、好きなだけ録音していいといったそうです。ユニヴァーサルは、できればジミー・ウェブの自伝映画を作りたいと思っていたのだとか!

そのユニヴァーサルのバンガローに、ハルは何度か遊びに行きました。ジミーは模型作りが好きで、ハルもいっしょになって飛行機や船を組み立てたそうです。その間にも、依頼の電話は引きも切らず、そのたびにジミーは、フランク・シナトラからだ、とか、バーバラ・ストライザンドからだ、といったそうです。そして、二人はまた子どものように模型作りにいそしみ……。

もうすこし音楽的な話題を拾っておきましょう。ハルがはじめてジミー・ウェブと録音したのは、ジミーが面倒を見ていた女の子のヴォーカル・グループの仕事でした。そのグループにスージーという子がいて、ひと目で、ハルはジミーがスージーに恋していることがわかったのだとか。ハルは、この当時のジミーの曲、そして、その後しばらくのあいだに書かれたものも、みなスージーについてうたったのだろう、といっています。MacArthur Parkもまた、「スージー組曲」の一部なのかもしれません。

f0147840_23155749.jpg

by songsf4s | 2008-03-11 23:52 | 春の歌