人気ブログランキング |
2007年 12月 29日 ( 1 )
What Are You Doing New Year's Eve by Bette Middler
タイトル
What Are You Doing New Year's Eve
アーティスト
Bette Middler
ライター
Frank Loesser
収録アルバム
Cool Yule
リリース年
2006年
他のヴァージョン
The Orioles, Donny Osmond, Nancy Wilson, Mary Margaret Ohara, Barbra Streisand, Ella Fitzgerald, the Ramsey Lewis Trio
f0147840_23465382.jpg

What Are You Doing New Year's Eveは、大晦日のことを歌った曲ですが、つい先日も申し上げたように、クリスマスと新年はひと続きのお祝い事なので、これはしばしばクリスマス・オムニバスにとられています。

うちにあるこの曲のヴァージョンは、どれも好みではありません。だれか、いい声をした若い男性シンガーのものでもあるといいのですが、女性シンガーが大部分で、みな面白くありません。いや、「いい声をした若い男性シンガー」の正反対、たとえば、ランディー・ニューマンやトム・ウェイツが歌っても、味が変わって面白いのじゃないかという気がするのですが、女性シンガーでは話になりません。歌詞そのまんまのレンディションで、なにも付け加えられもしなければ、楽曲の隠れた一面を引き出すこともできていません。

f0147840_23483620.jpgしたがって、今日の看板にしたベット・ミドラー盤は、看板なしというわけにはいかないから、という意味しかありません。ろくなヴァージョンがないので、恒例の聴きくらべもしません。個別に各ヴァージョンを見ていくと、頭に血がのぼって大殺戮をはじめかねませんし、そもそも年末、みなさん同様、わたしもバタバタしだしたので、手早くすませたほうがお互いの利益であります。

あくまでも、すでに、Baby It's Cold OutsideMoon of Manakooraを取り上げているフランク・ラーサーの、さらなるすぐれた歌の紹介として、お読みいただければと思います。シンガーはこの際、無視してください。重要なのは楽曲だけです。

◆ ジャックポット・クエスチョン ◆◆
ベット・ミドラーは、大衆音楽の世界で通常いう意味での「ヴァース」ではなく、「前付けの独唱部」という意味での「ヴァース」を歌っていますが、多くのシンガーが略していることでわかるように、たいした意味はないのでそれは略し、本題であるファースト・ヴァースへいきます。女言葉は使いません。男性シンガーが歌うべき曲だと思うので、男言葉でいきます。

Maybe it's much too early in the game
But I thought I'd ask you just the same
What are you doing New Year's
New Year's eve

「ちょっと気が早いかもしれないけれど、結局、いつかはたずねることになるのだから、同じことだと思ったんできくけれど、きみ、大晦日の夜はどうしているの?」

セカンド・ヴァース。

Wonder whose arms will hold you good and tight
When it's exactly twelve o'clock that night
Welcoming in the New Year
New Year's eve

「大晦日の夜、十二時ちょうど、新年を祝っているとき、いったいだれがきみをしっかり抱きしめているんだろうね」

マイナーに転調するブリッジ。

Maybe I'm crazy to suppose
I'd ever be the one you chose
Out of the thousand invitations you'll received
But in case I stand one little chance
Here comes the jackpot question in advance
What are you doing New Year's
New Year's Eve

「数えきれないほどお誘いがあるなかで、きみが選ぶのはぼくだなんて想像したら、頭がおかしいということになるかな、でも、ほんのささやかなものでも、チャンスがあるかもしれないから、早めにとんでもない質問をするよ、『大晦日の夜はなにをしているんだい?』」

あとは、ヴァースのいずれかやブリッジを繰り返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。

◆ どこを切ってもみな金太郎 ◆◆
試聴したもののなかに、ファースト・ラインのtoo earlyを、too lateと変えているものがありました。それもひとつの考え方かもしれませんが、どんなものでしょうか。設定というか、背後にあるストーリーを考えると、やはりearlyであるべきだと感じます。

とくに男の場合は、earlyでなければ設定が生きません。たぶん、知り合ったばかりという設定でしょう。だから、大晦日のことをきくなんて、いくらなんでも気が早すぎるのです。でも、男はもう一目惚れで、自分が抑えられなくなっているわけです。

f0147840_23495485.jpg女性シンガーが歌ったものは面白くないというのは、そこです。こういう気の早さというのは、男のものです。女性はもっと慎重なものです。逆に、too lateと変えて歌っている女性シンガーのヴァージョンは、女が自信満々なのがうかがえて(「あたしにくらべれば、先約なんか問題じゃないでしょ」)、あまり気持ちがよくありません。

「なんて馬鹿なことをいっているのだろう、お先走りもいいところだ」という自嘲、自信のなさを裏側に感じさせつつ、でも、ここは生涯に一度の勝負、度胸だ、と無理をしているような雰囲気が出せれば理想ですが、そんなヴァージョンはうちにはありません。言葉の向こう側にある世界を読み取れず、人間の心の奥行きに対する理解の欠如した、薄っぺらくて平板な、俗っぽい解釈ばかりです。

そろいもそろって、スロウな4ビート、アップライト・ベース、ピアノ、ブラシによるスネアとフット・シンバルといった編成の、ウソみたいに典型的な「カクテル・バーBGM」ばかりで、ほとほとうんざりします。紋切り型が、紋切り型の羽織を着て、紋切り型の披露目にきたといわんばかりの、どこで切ってもみんなおんなじ金太郎飴です。

f0147840_23505578.jpg彼女たちは「スタンダード曲の歌い方」という規範が、どこかにあると思っているのでしょう。そんなものは存在しません。そんなものが存在するなら、オリジナル盤がひとつあれば十分、カヴァーなど無価値ということになってしまいます。ありもしない空想の規範にしたがって歌うから、骨董品のレプリカに堕しているのです。うまい素人がカラオケで歌っているのと同じこと、いや、金を取るぶんだけ、プロのほうが悪質なのが、唯一の違いでしょう。歌うというのは、「裸の楽曲」に素手で立ち向かうことのはずです。

◆ 山姥の墓場にて ◆◆
歌手というのは、多くの場合、歌がうまいから歌手になったわけで、わが身を考えれば、歌のうまさなんか、だれも問題にしない、二束三文、一山いくら、ということに思い当たるのが知性というものでしょう。しかし、歌手、とくに女性歌手という人種はみなとほうもないナルシストらしく、自分のうまさだけは非凡だと思っている節があります。シンガーが気持ちよく自分の歌に酔っているのにつきあわされるほど、腹立たしいことはありません。

f0147840_23531865.jpg自分が世界一のシンガーだなんて夢にも思ったことのない人、男なら、そう、いま思ったのですが、デイヴィー・ジョーンズなんか、この曲にはいいんじゃないでしょうか。もちろん、現在ではなく、モンキーズ時代のデイヴィー・ジョーンズということですが! 頼りなさそうな、でも、どこかしぶといところもある若い男、というのがベストです。女性なら、Johnny Angelのころのシェリー・ファブレイなんかどうでしょう。たどたどしく、でも誠実に歌ってくれたりすると、すごくウレシイ曲です。

それにしても、ヴェテラン女性シンガーというのは、可愛げというものがかけらもなく、「歌のうまさ」という卒塔婆が林立する墓場に迷い込んだようで、なんとも背筋の寒くなる大顔見世お化け大会でした。下手くそなうえに、たいした魅力もないオリオールズ盤が、なんだか光明のように感じられ、錯覚とわかっていながら、思わずすがりたくなってしまいました。

あなたがシンガーなら、この曲を「古典的名曲を歌う大歌手」などという、聴く側には迷惑なだけの世にも馬鹿馬鹿しい思い入れからもっとも遠いところで、軽いポップ・ソングのようにうたえば(たとえば、ハーパーズ・ビザールあたりの雰囲気で)、成功間違いなしです。いい曲なのです。ダメなのは大歌手気取りの悪臭を安香水のように盛大にまき散らす山姥たちであって、楽曲にはなんの責任もありません。だれか、安香水なしで、さわやかにやってくれる人はいないものでしょうか。来年のいまごろまでに見つけられるといいのですが。
by songsf4s | 2007-12-29 00:02 | クリスマス・ソング