- タイトル
- 'Tis Autumn
- アーティスト
- Nat "King" Cole
- ライター
- Henry Nemo
- 収録アルバム
- Nat King Cole Trio Story
- リリース年
- 1949年
- 他のヴァージョン
- The King Sisters, Chet Baker

スタンダードの秋の曲というのは、どうも湿っぽくていけません。秋を表現しようとすると、たいていのソングライターが思考停止して、クリシェといって悪ければ、「物思いの秋」という空想の領域に入りこんでしまい、かまえずに、さらっと秋のスケッチをするということができなくなるのではないかと思います。そのなかでは、この曲はただふんわりとやわらかいだけで、湿度は低く、ウィットもあるので、聴く気になります。
◆ 楽しく、愉快な秋 ◆◆
さっそくファースト・ヴァースから。
So there'd be no doubt
Called on the north wind to come on out
Then cupped his hands so proudly to shout
La-di-dah di-dah-di-dum, 'tis autumn
「時の氏神は間違いのないようにたしかめ、北風に出てこいといった、そして、なんとも誇らしげに手を丸めて『ラディダ、ラディダム、秋だぞよ』と叫んだ」

ずいぶんと近代化された神様で、懐中時計の発明に適応できたのなら、ディジタル・ウォッチにも簡単に適応できるだろうに、と思うのですが、そういう絵は見かけません。死神のように、かならず大きな鎌をもっている理由までは調べが行き届きませんでした。あとでわかったら補訂します。
They've born too much fruit
Charmed on the wayside
There's no dispute
Now shedding leaves
They don't give a hoot
La-di-dah di-dah-di-dum, 'tis autumn
「木々は、あんまりたくさん実を生らせたので、もう疲れたという、道ばたでうっとりとなり、一木たりとも異議を唱えることなく、じゃあ、葉を落とすことにしようと話がまとまった、木々たちはもうどうでもいいのだ、『ラディダ、ラディダム、秋だ』」
ちょっと意訳が入りましたが、1時間で書きと写真集めと加工とアップロードをしなければならないので、わたしもdon't give a hoot、解釈しそこなったところは無視して通りすぎます。なんでcharmedなんだ、なんて、いちいち考えている余裕はゼロなんです。

ブリッジ。
To chirp about the weather
After makin' their decision
In birdie-like precision
Turned about and made a beeline to the south
「そして、鳥たちも集まり、天気についてピーチク話し合って、いかにも鳥らしいきちょうめんさで決定をくだし、くるっと回れ右すると、真っ直ぐ南を指して旅立った」
なぜ鳥はきちょうめんなのかわかりませんが、これも無視して通りすぎます。たんに、decisionとprecisionの韻が笑えると思っただけかもしれません。すくなくとも、わたしはここでブハッと吹きました。
しかし、秋になると、夏鳥にかわっていろいろな鳥があらわれる、というのは、たいていの人が無視するみたいで、人間の心理は変というか、クリシェこそが人間の日常なのだといいたくなります。モズなんかがやってきて、にぎやかに啼いたりするんですけれどねえ。去る者もあれば、来る者もあるんです。わが家の近所では、秋になると、リスが冬支度でいつにもまして忙しく、そして、けたたましく活動するようになります。秋もまた秋なりににぎやかなものです。
Ask the birds and the trees and old Father Time
It's just to help the mercury climb
La-di-dah di-dah-di-dum, 'tis autumn
「こうしてきみを抱くのは、罪でもなんでもないんだよ、鳥や木々や時の氏神にきいてごらん、たんに水銀柱を上らせるだけなのさ、ラディダ、ラディダム、秋だ!」
時の氏神だの、木々が疲れたの、鳥が衆議一決して南下しただのと、あれこれゴタクをいっていたのは、ここが目的地だったのです。「てわけで、世の中みんな秋と決まったからさ、寒いから抱き合おうよ、いい季節だねえ」という歌なのです。
湿っぽい秋の歌は棚上げにして、この曲を取り上げた理由は、このサード・ヴァースにあります。こういう男には、わたしは百パーセント共感します。だいたい、秋というのは楽しい季節だとわたしは思います。でも、そういうことを歌った曲というのはごくまれなのです。昨日取り上げた、レイ・デイヴィーズのAutumn Almanacと並んで、秋を楽しげに歌っためずらしい曲として、おおいに稀少価値があります。
◆ 各種ヴァージョン ◆◆
ナット・コールの歌については、いつものように、まったく文句がありません。これだけの声と、これほどの表現力をもっていれば、無敵です。センティメンタルな曲をうたっても、いやらしくまとわりついてくるところがないのが、この人の歌の賞美のしどころかと思います。あとはバッキングのアレンジ、サウンドしだいというところで、弦や管がついたときは警戒しなければなりませんが、トリオについては文句なしです。
というわけで、ナット・コールを看板に立てましたが、「同時上映」扱いにしたキング・シスターズがまた素晴らしくて、こちらを看板してもいいくらいです。最近、彼女らのベスト盤は、わが家ではものすごいヘヴィー・ローテーションでかかっています。

わたしは、大昔の靄がかかったような女性コーラスというのには、コロッとやられてしまう傾向があるのですが、それにしても、キング・シスターズはすごいのです。声だけなら、アンドルーズ・シスターズより好きです。
だれがだれやらさっぱりわからないのですが、だれかひとり、風邪をひいたような声の人がいて、これが素晴らしいのですよ。たいていの曲でこの声が聞こえるので、'Tis Autumnのときだけ風邪をひいていた、ということではなく、もともと鼻にかかった声なのでしょう。こういう声をもっていたら、もう歌手になるしかありません。
サックス・ソロ、とくにスロウで思い入れたっぷりの嫌味なやつはわたしの天敵で、管楽器はアンサンブルにかぎる、ということは何度か書きましたが、ピッチの高い金管楽器の音はサックス以上の大天敵で、単独でも複数でも好まず(例外はTJB。あのトランペットのデュエットというのはたいした発明)、チェット・ベイカーも、他のプレイヤーよりは不快指数は低いとは思うものの、感銘は受けません。
そもそも、いくらそれがこの人の身上といっても、これはあまりにもダレすぎです。BGMのレベルをあっさり通り越して、完璧に子守唄。寝るにはいいのじゃないでしょうか。もっとシャキッとした音が猛烈に聴きたくなります。ハル・ブレインでも聴くか、という気分になったところで、ちょうど、わが家のプレイヤーはゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのAutumnになりました。