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2007年 11月 04日 ( 1 )
Waterloo Sunset by the Kinks
タイトル
Waterloo Sunset
アーティスト
The Kinks
ライター
Ray Davies
収録アルバム
Something Else by the Kinks
リリース年
1967年
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本日からすくなくとも11月中旬いっぱいは、そぞろ歩きのように気まぐれに秋の歌を取り上げつつ、10月は忙しくてできなかった、これまでの曲の補足などをまじえて、イヴェントレスなハロウィーンとクリスマスの端境期をやり過ごすつもりでいます。

余人はいざ知らず、わたしの感覚では、秋といえば、イヴ・モンタンではなく、ヴァン・モリソンとレイモンド・ダグラス・デイヴィーズの季節です。この二人ほど、秋の歌、秋の雰囲気のある歌を書いたソングライター、秋の雰囲気をもっているシンガーはいないのではないでしょうか。

本日はまずレイ・デイヴィーズの曲をいきます。万一、誤解があるといけないので、さきに強調しておきますが、キンクスとはYou Really Got Meのバンドだと思っている方、あなたの考えの90パーセントほどは見当違いです。あれは、ブレイクスルーに必要な便宜、ツアーで客を喜ばせるための演技にすぎません。レイ・デイヴィーズの本質はぜんぜんべつのところにあります。

コマーシャルでは、しばしばYou Really Got Meが使われ、あのディストーション・ギターが流れますが、あれはごく初期、ほんの1年ぐらいしかつづかなかったスタイル(ライヴではあのスタイルを強調しつづけますが)で、すぐに内省的な楽曲、サウンド、スタイルへと変わっていきます。それは、アルバムFace to Faceあたりから明白になり、本日取り上げるWaterloo Sunsetを収録したSomething Elseで確立され、以後の基本路線となります。

◆ Waterloo Sunset's Fine ◆◆
レイ・デイヴィーズには、明示的に秋を描いた曲もありますが、そうと歌詞が明示してはいないものにも、秋を感じさせる曲もあります。Waterloo Sunsetは後者のタイプで、楽曲やサウンドが一体になって、はじめて秋のムードが色濃くなるので、Waterloo Sunsetは春の曲だ、という方もいらっしゃるかも知れません。歌詞だけでどうお感じになるか、まあ、見てみることにしましょう。

Dirty old river, must you keep rolling
Flowing into the night
People so busy, makes me feel dizzy
Taxi light shines so bright
But I don't need no friends
As long as I gaze on Waterloo sunset
I am in paradise

「汚れた川よ、なんだっていつも進みつづけなければならないんだ、夜のなかへと流れて、人々は忙しく行き交い、こっちは目がまわりそうだし、タクシーのライトがひどくまぶしい、でも、友だちなんか必要ない、ウォータールーの夕暮れを見つめているあいだは、楽園にいるのだから」

f0147840_21413289.jpgウォータールー橋はテイムズにかかる長い橋で、東京でいえば、日本橋、江戸橋ではなく、たとえば清洲橋、言問橋といった大川にかかる規模の大きなものの感じ。

gazeのあとのonが気になったのですが、辞書を見ると、atとonが並列してあるので、これはノーマルな使い方なのでしょう。down onのニュアンスがあるのかと思ったのですが、atと同じようなものと受け取っていいようです。

以下はコーラス。

Every day I look at the world from my window
But chilly, chilly is the evening time
Waterloo sunset's fine

「毎日、窓から世界を眺めているけれど、宵になるとほんとうに寒くなる……ウォータールーの夕暮れはきれいだ」

chilly chillyとくるのだから、冬と受け取ってもいいのですが、ロンドンは秋でも十分にchilly chillyなのではないでしょうか。音からは、わたしは晩秋のムードを感じます。

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◆ 第三者の不意の出現 ◆◆
セカンド・ヴァース。

Terry meets Julie, Waterloo Station
Every Friday night
But I am so lazy, don't want to wander
I stay at home at night
But I don't feel afraid
As long as I gaze on Waterloo sunset
I am in paradise

「毎週金曜の夜、テリーはウォータールー駅でジュリーと待ち合わせる、でも、ぼくはものぐさなので、外をぶらつく気にはならなくて、夜は家にいる、でも、べつに不安なんか感じない、ウォータールーの夕暮れを見ていれば、それでパラダイスなのさ」

いきなり、テリーとジュリーというカップルが登場して、しかも、語り手とこの二人の関係が説明されないので、ちょっと目をまわします。ここで、ふつうなら、語り手とこのカップルは三角関係なのか、などと考えてしまうところですが、レイ・デイヴィーズはふつうではないので、無関係と思ったほうがいいような気がします。

f0147840_2151874.jpg彼の自伝(The Unauthorized Autobiography=非公認自伝と副題にある!)『X-Ray』を読むとわかりますが、RDは人称というものに特殊な考えをもっています。この「自伝」は、若いライターが書いたレイモンド・ダグラスの伝記という形式をとった、「三人称で書かれた自伝」という不思議なものなのです。そのうえ、RDの一人称的視点が、引用という形でどんどん挿入されていくのだから、変な人の面目躍如たるものがあります。

というのが一点。まだあります。ここで、彼がのちにウェイトをかけていく、市井の人々の生活を微細に描く、ディケンズ的な世界(いや、バルザックの「人間喜劇」のほうが近いか)が、フラッシュバック的に入りこんだのではないかとも感じます。

じっさい、このアルバムは、三人称的、小説的世界への入り口となった作品で、彼が自分ではないだれかを描くことにとりかかったのは、ここからのことです(オープナーのDavid WattsやTwo Sistersなどが典型)。窓から外を眺めているうちに、毎週金曜の宵にウォータールー駅で待ち合わせる、平凡な恋人たちの小さな幸せの物語が、頭をよぎったのではないでしょうか。

◆ 視点移動の完了 ◆◆
ファーストと同じコーラスをはさんで、サードにしてラスト・ヴァースへ。

Millions of people swarming
Like flies 'round Waterloo underground
But Terry and Julie cross over the river
Where they feel safe and sound
And they don't need no friends
As long as they gaze on Waterloo sunset
They are in paradise

「無数の人々が蠅のようにウォータールーの地下に群れ集まってくる、でも、テリーとジュリーは川向こうにいく、そこなら安全で安んじられるから、二人は友だちなど必要としない、ウォータールーの夕暮れを眺めているかぎり、二人はパラダイス」

と、こうなるわけです。語り手は自分の心象風景から、一転して、駅周辺の騒ぎに背を向け、静かな川向こうにいき、ひっそりとウォータールーの夕暮れを見つめる恋人たちへと視点を移してしまっています。かなりunsualな手法ですが、前述のように、レイ・デイヴィーズというのは、「そういう人」なのです。

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ウォータールー駅。テイムズおよびウォータールー橋は左手の方向。

たんなる背景情報ですが、ウォータールーはイギリス最大の駅だそうで、当然、地下鉄駅もあるようです。東京駅のように、地上路線の地下プラットフォームもあるのかどうかまではわかりませんが、東京でいえば、宵の口の渋谷駅や新宿駅の混雑を思い浮かべればいいのでしょう。

ウォータールー駅で待ち合わせて外に出ると、近くには劇場街(サウスバンク)があり、ここもまだ混雑するのでしょう。さらにいくとテイムズにぶつかり、ウォータールー橋を渡ることになります。

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中央の円筒形の建物(IMAXシアター)の右手がウォータールー駅。左側、バスが渡っている橋がウォータールー橋。テリーとジュディーは右手からきて、ウォータールー橋を渡り、川向こうに行った。

わたしはロンドンに行ったことがあるわけではないのですが、東京の場合、大川を越えて「川向こう」に行くと、佃島、月島、江東、いずれも静かなたたずまいになります。劇場街を背にして、ということでは、はるか昔の、まだにぎやかだった浅草六区を背にし、言問橋を渡って、川向こうの隅田公園に行くような感じが近いかもしれません。

しかし、景色からいうと、勝鬨橋を渡って、月島側から見た東京の夕景は、ウォータールーのような絶景ではないものの、なかなか悪くないもので、この曲からわたしは、言問より、勝鬨のほうを連想します。そういえば、勝鬨の近くにも新橋演舞場や松竹、さらには歌舞伎座もあるので、小さいながら、劇場街といえなくもないようです。

よけいなところに入りこみましたが、不思議な登場の仕方をしたこのテリーとジュディーに、わたしは、いくぶん迂回し、留保しながらも、感情移入をしてしまいます。派手なこと、華やかなことを好まず、ただ静かに世界を眺めていたいカップルが、近しいものに思えるのです。

◆ ナチュラルに変な人 ◆◆
作詞家としてのRDは、このWaterloo Sunsetにおける視点の移動のように、不思議なことを書くときもありますが、わたしは長年のRDファンなので、それなりについていくことができます。「そういう人」なのだ、というブラックボックス化みたいなことですが、とにかく、alienateされたと感じることはありません。いや、あえていうなら、「わかる」と感じます。

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しかし、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとしては、ずっと不思議な人だと思いつづけていて、40年間聴いても、まだ奥底がよくわかりません。基本的にはシンプルなコード進行を使う人なのですが、ところどころ変なのです。それも、昔のティン・パン・アリー(イギリスならデンマーク・ストリート)の作曲家のような、正規の教育を受けた人たちの複雑さではありません。どういえばいいのでしょうか、「生まれたまんまで変」とでもいうか、自然に妙な進行が入りこんできてしまうのではないかと感じます。

このWaterloo Sunsetも、基本はE-B-Aとシンプルなのですが、途中からおかしくなります。そもそも、ギターとベースの(主として下降)ラインが強調されているので、コードは動いていなくても、つねにどこかへ動いている感覚があります。

こういうアレンジは、いったいだれがやっていたのだろうと思います。RDという人は、印象としては、ちょうどジョン・レノンのように、サウンドの細部に対して強いこだわりや意見がある人には思えず(つまり、ポール・マッカトニー、ブライアン・ウィルソン的ではない)、ラリー・ペイジあたりがかなり手助けしているのではないかという推測ができますが、この見方には、ひとつ、ささやかな反証があります。

タートルズが、なにを思ったか、レイ・デイヴィーズにアルバムのプロデュースを依頼しました。依頼した彼ら自身、驚いたようですが、RDはこの意外なオファーを受け入れ、Turtle Soupというアルバムをプロデュースします。80年代にこのアルバムを聴いて、なるほど、キンクスのサウンドだ、と思いました。RDのスタイルが色濃く反映されているのです。

イギリスで自分たちの録音をしているときなら、いろいろな協力者が考えられますが、アウトサイド・プロダクションとなると、協力者の存在は考えにくく、RD自身とアーティストと、もしいれば、アレンジャーの色のどれかが強く出るはずで、それがキンクス風になったということは、つまり、RDの本来のカラーなのだと考えるのが妥当でしょう。

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弟のデイヴの協力があったにせよ、やはりサウンド面でも、RDが最終決定権をもっていたのでしょう。70年代、RCA移籍以降は、コード進行もサウンドも簡素化されますが、60年代後半のRDは、楽曲も、サウンドも、不思議なものが多く、いまだに聴いていて奇妙な感覚にとらわれることがあり、これもまた、パイ時代のキンクスの魅力のひとつとなっています。

◆ ゆるぎない足取り ◆◆
アルバムSomething Elseは、1967年9月という微妙なタイミングでリリースされています。おそらく、すでにSgt. Peppersを聴いたあとの録音でしょう。前作のFace to Faceと大きな落差があるわけではなく、前作で一歩踏み出した路線を、さらに推し進め、自分が書きたい曲を書き、歌いたい曲を歌う、RDの内省的な方向への確信が深まり、足取りがしっかりしてきただけと感じます。

それでも、Sgt. Peppersの登場は無視できなかったでしょう。いや、言い方がちがうようです。自分がFace to Faceで踏み出した方向に、ビートルズはドラスティックにジャンプしたと感じたのではないでしょうか。風はフォローだ、というように。

RDが凡庸ではないのは、ストーンズの動きとくらべれば明瞭になります。ストーンズは、ビートルズがとった方向性を予想していなかった、もっと厳密にいえば「覚悟」できていなかったと思われます。Their Satanic Majesty's RequestとWe Love Youは、「うろがきた」と感じます。あんまりあわてて舵を切ったものだから、45度曲がるつもりが、90度曲がってしまい、あわててまた反対方向に舵を切り直すことになります。

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RDは、そのような狼狽をいっさい見せていません。自分がいこうと考えた方向に、一歩一歩着実に歩んだことが、Face to Face、Something Else、The Village Green Preservation Society、Arthur Or The Decline And Fall Of The British Empireの4作でわかります。そして、最終的にたどり着いたのが、Muswell Hillbilliesであり、Everybody's in Show-Bizなのだと感じます。この足取りに乱れはありません。

レイ・デイヴィーズのことを書きはじめると止まらなくなるのですが、今月中にすくなくともあと2曲、来月にはもう2曲、RDの曲を取り上げる心づもりなので、本日はここらで切り上げることにします。なにはともあれ、ボビー・ジェントリーのMorning Gloryとならび、「棺桶に入れたい13枚」「墓の下でも歌いたい13曲」のひとつをまた取り上げることができ、喜びに堪えません。
by songsf4s | 2007-11-04 20:54 | 秋の歌