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2007年 09月 09日 ( 1 )
I've Got Sand in My Shoes by the Drifters
タイトル
I've Got Sand in My Shoes
アーティスト
The Drifters
ライター
Arthur Resnic, Kenny Young
収録アルバム
Golden Hits
リリース年
1964年
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f0147840_0154981.jpgドリフターズは歴史の長いグループで、ヒット曲も多く、初期にはクライド・マクファーター、その後しばらくはベニー・キングという、ともに独立して名を成したリード・テナーが在籍したことでも知られています。I've Got Sand in My Shoesは、彼らの最末期のヒット曲で、このあと、トップ40に届いたのはマン=ワイルのSaturday Night at the Movieしかありません。

f0147840_019253.jpgドリフターズは、There Goes My Baby以来、長期間にわたってジェリー・リーバーとマイク・ストーラーがプロデュースしていましたが、この時期には二人はすでに自分たちのレーベル、レッド・バード/ブルー・キャットを設立していて、そちらが忙しくなったため、ドリフターズのほうはUnder the Boardwalkから、バート・バーンズがプロデュースをしています。

◆ 破綻のないスムーズな展開 ◆◆
それではファースト・ヴァースから順に歌詞を見ていきます。

Oh the boardwalk's deserted
There's nobody down by the shore
And the ferris wheel ride isn't turning around any more
The heat wave and the crowds are just old news
But I've still got some sand in my shoes

「ボードウォークはひと気がなくなり、もう浜にはだれもいない、観覧車は止まり、熱波と人混みは以前の話になってしまった、でもぼくの靴にはまだ砂がある」といったようなことで、夏のにぎわいが消え、すっかりさびれてしまった海岸の光景を簡潔に描写しています。靴のなかの砂粒だけが夏のなごりだ、という風に落とし込んでくるわけで、プロの作詞家らしい発想と展開です。

f0147840_043356.jpgこのへんは、あざといとも見ることができるので、近年の素人作詞家全盛時代に育った人には違和感のある「うまい展開」かもしれません。わたしぐらいの年代は、プロと素人がモザイクになった時代に育っているので、これはこれで平仄が合っていて、気持ちよく感じます。

つぎはコーラス。パーレンのなかはバック、地はフロントです。

(Sand in my shoes)
Brings memories of the salty air
(Sand in my shoes)
Oh the blanket that we used to share
How we fell in love down by the sea
Comes back to me with the sand in my shoes

靴の砂が潮風の想い出がよみがえらせる、二人でいっしょに使ったあのブランケット、靴の砂といっしょに、海辺で恋に落ちたぼくたちのことが思いだされる、ということを歌っています。ワン・アイディアの歌ですが、ヴァースからここまでの展開はスムーズで、昔のヒット曲らしいと感じます。airをshareで受けるというのも、きれいに決まっています。

つづいて、セカンドにして最後のヴァース

When the water was cold
You would tremble and hold me so tight
And we'd sit on the beach
Just to wait for the stars to come out at night
The heat wave and the crowds are just old news
But I've still got some sand in my shoes

f0147840_0402129.jpg水が冷たかったとき、きみは震えて、きつくぼくにしがみついたっけ、浜に坐って、星が輝きだすのを、夜までずっと待ったこともあった、熱波とにぎわいはもう昔のこと、でも、靴にはまだ砂が残っている、と締めくくられ、コーラスをくり返してフェイドアウトします。

まったく破綻のない、端正な歌詞で、昔はこうだったなあと、ちょっと懐かしくなります。まあ、tightとnightの脚韻の踏み方が、ひどい紋切り型であることもたしかですが。

で、結局、夏が終わって、残ったのは砂と想い出だけ、ということは、彼女はもういないわけですね。夏の終わりの歌の90パーセント以上がここへたどり着いてしまうのは、現実の数字を反映しているのでしょうか?

◆ バート・バーンズ・プロファイル ◆◆
f0147840_145171.jpgこの曲をプロデュースしたバート・バーンズも、多彩なキャリアの持ち主です。いちばん有名なのは、おそらく、Twist and Shoutを書いたことですが、ドリフターズのこの曲の直前のヒットであるUnder the Boardwalk(この曲の続篇としてI've Got Sand in My Shoesは書かれた)、エクサイターズのTell Him、マコーイズのチャート・トッパーHang on Sloopy、ジャニス・ジョプリン盤が有名なPiece of My Heart(オリジナルはアーマ・フランクリン)なども彼が書いたものです。

また、ガーネット・ミムズ、ソロモン・バーク、パティー・ラベル&ザ・ブルーノーツ、バーバラ・ルイス、ゼム(GloriaとHere Comes the Nightも含む。後者はライターもバーンズ。イギリスのデッカにいっていた時代の仕事らしい。ギターはジミー・ペイジとされている)、ゼムから独立したあとのヴァン・モリソンなどをプロデュースした(こんどはイギリスではなく、アメリカ録音。ドラマーはゲーリー・チェスター)ことでも、歴史に大きな足跡を残しています。

f0147840_0484538.jpgさらに、リーバーとストーラーと同様に、Bangレコードというレーベルを設立し、ヴァン・モリソン(Brown Eyed Girl)をソロ・デビューさせただけでなく、ストレンジラヴズ(I Want Candy)、マコーイズ(Hang on Sloopy、Fever、Come on Let's Go)、ニール・ダイアモンド(Cherry, Cherry、Girl, You'll Be a Woman Soon)などのヒット曲も生みだしています。

ハード・ロッキングな曲およびサウンドのほうが得意なのだと思いますが、このI've Got Sand in My Shoesのようにセンティメンタルな曲も、やはりプロですから、べつに不得意ということはなかったのでしょう。盛夏の海でのことを歌ったUnder the Boardwalkの明らかな二匹目のドジョウを狙って、ちゃんと成功したのは、やはり手腕だと思います。

◆ ニューヨーク・ステイト・オヴ・ミステリー ◆◆
ドリフターズはつねにニューヨークで録音していました。ハリウッドとちがって、ニューヨークのものは、いまだにパーソネルが明らかにされないことがほとんどで、わが家にあるドリフターズのLPやCDにも、記載はありません。ニューヨークのセッションがどうなっていたかを知るには、さまざまな断片をつなぎ合わせ、類推をするしかないのです。

f0147840_0511985.jpgこれまでにもっとも頼りにしてきたのは、ニューヨークのエース・ドラマー、ゲーリー・チェスターの教則本、The New Breedに付された彼のディスコグラフィーです。ほかに、たとえば、ドリフターズと同じく、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが楽曲の提供とプロデュースをおこなったコースターズのベスト盤に付されたディスコグラフィーも、50年代が中心ですし、リーバーとストーラーの記憶にもとづくという欠点はあるものの、それなりにかの地の状況を伝えてくれる貴重な資料でした。

あとは、たとえば、マーク・リボウスキーのフィル・スペクター伝『He's a Rebel』に描写された、スペクターのニューヨーク・セッションのようす、ドラマーに関するものや、その他の書籍などに散見する断片的な情報、要するに人名ですね、そういったものをつなぎ合わせて、ボンヤリとした像を浮かび上がらせていったのです。

f0147840_0542934.jpgリボウスキーのスペクター伝。かまどにくべてしまったほうがいいくらいひどい代物だが、とにかく、固有名詞はたくさん出てくる。プレイヤーの楽器の間違いを数カ所で犯すほど無知な著者だが、初歩的なミスばかりなので、自分で補正しながらデータを拾えばよい。それにしても、よりによってフィル・スペクターの伝記を書いた人間がこれほどひどいライターだったのは、返す返すも残念。「入獄記念」(!)で、音楽ライターではない、まともな書き手(最初にスペクターの短い伝記を書いたのはトム・ウルフ)に決定版を書いてもらいたい。

こうなったのは、おそらく、AFM、アメリカ音楽家組合のNY支部には、古い支払い記録が残されていないからなのだと考えています。逆にいうと、ハリウッドの研究がこれだけ進んだのは、ひとつには、AFMのLA支部(Local 47)に昔の支払い記録が大量に保存されているからです。支払い記録というのは、レコード会社から払われたセッション料金が、いったん組合に集まり、ここから年金積立金を除いた金額が、ミュージシャンに支払われる仕組みだったために、何年何月何日、だれがなんのセッションで、何時間働いたという記録をもとに伝票を切った、その勤務記録のことです。これがあるので、当時の盤には記載されていなくても、あとから、パーソネルを復元することができるのです。

こういうものがあれば話は簡単なのに、ニューヨーク録音のものは、パーソネルが復元されることがめったにないわけで、ということは組合に記録が残っていないのだと推測できます(ついでにいうと、ナッシュヴィルも古い記録がたくさんあるとは思えない)。おかげで、われわれは断片を拾ってはつなぎ合わせるという、賽の河原の石積みのような作業を強いられることになりました。

◆ ヴィニー・ベル登場の波紋 ◆◆
しかし、ウェブの時代のありがたさ、キャロル・ケイやビリー・ストレンジたちと同じように、ニューヨークにも、自分がどういう仕事をしてきたのかを知ってもらいたいと考えるミュージシャンがあらわれました。それが、オオノさんがチャド&ジェレミーのA Summer Songのコメントで紹介されたギタリストのヴィニー・ベルです。

ベルのスタートは、63年あたりと思われ、大活躍をはじめるのは60年代中期からなので、ハリウッドでいうと、ビリー・ストレンジやトミー・テデスコではなく、それよりすこし下、マイク・デイシーやディーン・パークスなどの世代に近いのかもしれません。ドリフターズの全盛期とは時期が重ならないので、ベルのリストには彼らの名前はありませんが、こういう新事実が出るたびに、空白が塗りつぶされ、残ったブランク部分の推測もやりやすくなっていきます。

とはいえ、こういうものが出るたびに、また新たな謎も生まれてしまうのがつねで、コメントに書いたように、いくつか疑問点もあります。ラヴィン・スプーンフルのファンの方は、これを見るとちょっとショックを受けるかもしれませんが、デビュー・ヒットであるDo You Believe in Magicは、すでにゲーリー・チェスターのディスコグラフィーにリストアップされています。今回は驚くようなことではなく、証言が増えただけにすぎません。彼らの盤、すくなくともシングルは、いずれもプロフェッショナルがトラックをつくったと考えるべきだ、というように、一歩前進したわけです。

今後、ニューヨーク録音のトラックを取り上げるときは、チェスターのディスコグラフィーだけでなく、ヴィニー・ベルやバート・バーンズのディスコグラフィーを参照することにします。

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by songsf4s | 2007-09-09 23:55 | 去りゆく夏を惜しむ歌