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2007年 06月 29日 ( 1 )
薬屋さん by はちみつぱい
タイトル
薬屋さん
アーティスト
はちみつぱい
ライター
鈴木慶一
収録アルバム
センチメンタル通り
リリース年
1973年
 
 

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「はちみつぱい」とのつきあいはわずかなあいだだけ、もっているアルバムも一枚のみ、ライヴに行ったのも一度だけです。でも、このデビュー盤「センチメンタル通り」は好ましいアルバムでした。

なんとなく、当時よく聴いていたグレイトフル・デッドのような味があるバンドだという印象をもっていましたが、最近、友人が教えてくれたところでは、ライヴではデッドの代表作Dark Starをやったことがあるそうです。さてこそ、と思いました。わたしの彼らに対する親近感は、そこから発したもののようです。

◆ 不幸な六月、憂鬱な雨 ◆◆
このアルバムでとくに気に入って、繰り返し聴いたのは、「塀の上で」「土手の向こうに」「センチメンタル通り」、そして、ここで取り上げる「薬屋さん」です。

June NightやBoth Sides Nowのところで、西洋文化においては、ローマ神話の伝統から、「六月」という言葉には、「幸せな結婚生活」「女の幸福」「少女の夢」というふくみがあることにふれました。本邦の場合、六月とは、などと改めていうまでもありません。一に梅雨、二に梅雨、三四がなくて、五に紫陽花、というあたりでしょう。もちろん、農事では重要な時季で、多くの地域で六月には田植えがおこなわれます。しかし、現代都市生活にあっては、好まれる時季とはいいがたいでしょう。陰鬱なイメージをともなっています。

この「センチメンタル通り」というアルバムは、そういう梅雨ないしは雨のイメージで全体をおおわれているような気がします。「雨」という単語が出てくる曲が3つもありますし、晴天を想定した歌詞でも、なんだか梅雨の晴れ間のような印象を受けます。

アルバム・オープナーである「塀の上で」で、「ヒールが七糎のブーツをはいて、ぼくを踏み潰して出ていった」女性は、ほかの曲にも登場するような気がします。この女性のことを歌うのが鈴木慶一のこの時期の妄執だったのではないか、と思うほどです。だから、全体に沈鬱な歌詞、メランコリックな音になったのではないでしょうか。

◆ 停滞する雨と拘泥する心 ◆◆
「薬屋さん」は形式に縛られない自由詩ですが、3ヴァース構成で、その第一連は以下のようになっています。改行は歌詞カードにしたがいました。

紫陽花の花が
六月の雨に濡れているよ
だから
窓を開けて
だから
窓を開けて
薬瓶から零れ落ちる
悲しい雨垂れ
一粒
あいつの噂 忘れるさ

メランコリーが梅雨時分の温気のように立ちこめています。「塀の上で」で去っていった女性の面影がここにも揺曳しているのではないでしょうか。

梅雨の時季、紫陽花の色彩は慰めになるものです。ここでの紫陽花も、そのような意味で持ちだされたのだと思われます。でも、窓を開けて改めて見れば、雨に打たれる紫陽花(鈴木慶一用語を援用すれば、「雨に流れる紫陽花」)は、内面の憂鬱を外面化しただけにしか見えなかった、というあたりでしょうか。

第二連は七月、第三連は八月と、この歌詞は進みますが、語り手の心は停滞したままで、すでに去った女性に拘泥しつづけます。そういう、どうにも始末に負えない、なんともまとまりのつかないメランコリーが感じ取れる、すぐれた歌詞だと思います。とくに、「だから窓を開けて」というだけで、そのあとでどうするのかが宙に放り出されているところに、それを強く感じます。この停滞は、「土手の向こうに」の「冬さえくれば いくらか変わるはずさ それだけで」へとつながっているように思いますが、それはべつの話。

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ジャケットを拡大すると、あがた森魚らしき人物が……

「薬屋さん」を聴くと、やはり西洋の六月とはまったく異なるイメージを、われわれ日本人がもっていることを痛感します。ここには日本人の心情によく添った六月があります。テンポはゆるやかなものの、サウンドは透明感があり、また、メランコリーと自己憐憫の甘さも感じられ、全体として非常に好ましい音になっています。
by songsf4s | 2007-06-29 22:22 | 六月をテーマにした歌