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The Best of Earl Palmer その13

週末にHollywood Homicideという映画を見たのですが、思わず笑った場面がありました。

あるラップ・グループのメンバーがまとめて射殺されるという殺人事件の話で、当然、音楽業界の裏側の描写があります。このグループに曲を提供していた若者が事件を目撃したはずだというので、情報を求めているうちに、彼の本名の姓がロビドーだとわかります。

以下は、ケータイのリングトーンをMy Girlのイントロにしている白人刑事と、上司の黒人刑事の会話。

白「ロビドー、ロビドー、なんだかよく知っているような気がするんだが……。あんた記憶がないか?」
黒「そうだ! オリヴィア・ロビドー、モータウンのシンガーだ」
白「うん、そうだ。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのバックで歌っていた」
べつの刑事に、
白「オリヴィアのその後を当たってくれ。音楽家組合、ASCAP、そういうところだ」

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スタジオ・シンガーなら、ユニオンに所属していた可能性は高いでしょうが、ASCAPは著作権管理団体なので、このシンガーが曲を書いていたというのでないかぎり、まず無関係です。このあたり、シナリオの詰め甘し。

母親の現住所がわかると、若者の行方を求めて刑事たちはその家に向かいます。玄関での刑事と母親の会話。ドアが開いたとたん、

刑事「わたしはいつも、あんたのほうがタミー・テレルよりうまいと思っていましたよ」
母親「彼女はブレイクした、わたしはダメだった、それだけのことよ」

で、このブレイクしなかった元シンガーを演じているのが、グラディス・ナイトだっていうんだから、おおいに笑えました。タミー・テレルより売れなかったシンガーがこの母親の役をやったら、まったくシャレになりません。たとえば、『リーザル・ウェポン』でお母さん役をやったダーリーン・ラヴなんかだと、「まんま」だからうまくいかないというか、そういうキャスティングははじめから考えられません。

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謎解きの興味はゼロの物語なので書いてしまいますが、犯人はプロデューサー兼レコード会社経営者で、だれでもベリー・ゴーディーやフィル・スペクターを思い浮かべるキャラクターになっているところが、いやはやご時世ですなあ、と苦笑します。日本にも同じような音楽プロデューサーがいたことは、たんなる偶然にすぎませんが、まあ、業界のノリからいえば、洋の東西を問わず、「必然」ともいえるのかもしれません。

グラディス・ナイト演じる元シンガーが、アーティストとプロデューサーの対立の背景について語るときに、「金はすべてプロデューサーがもっていくもの、昔からそうでしょ」というあたりも、本音むき出しの時代らしい描き方です。昔なら、音楽業界を描く場合、題材になったのはシンガーとマネージャー、あとはせいぜいソングライターだったでしょう。いまや、プロデューサーだの著作権団体だのがキーワードになるのですな。

もうひとつ思ったことがあります。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルなど、モータウンのアーティストのうしろで歌っていたグラディス・ナイト演じるシンガーが、いまもLAに住んでいて、LA育ちと思われる主人公の刑事に顔と名前を知られている、という設定はリアルです。

マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエット盤でプレイしたのは、わたしの判断では、おもにハリウッドのプレイヤーたちです。デトロイト録音ではありません。だから、モータウンの録音で働いたシンガーが、いまもLAに住んでいるというこの映画の設定はごく自然なことなのです。

現実にも、そういう人たちは多いでしょう。たとえば、のちにハニー・コーンを組んで売れることになるエドナ・ライト(ダーリーン・ラヴの姉妹)も、モータウンの盤でバックグラウンド・シンガーをやっていました。もちろん、LAの住人であり、エドナがバックグラウンドで歌ったモータウンの盤(マーヴィン・ゲイとタミー・テレル!)はLA録音です。

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映画としての出来はひどいものですが、終盤に出てくる、サンセット・ブールヴァードからハリウッド・ブールヴァードに入り、グローマンズ・チャイニーズ・シアターの手前までで終わるという、空撮を使ったカー・チェイス・シークェンスは、例によって「映画のトポロジー」に対する関心を満足させてくれたので、シナリオに文句をつけるのはやめておきます。

◆ Earl Palmer - New Orleans Medley ◆◆
ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇、本日は1961年のトラックを扱います。

New Orleans Medleyはアール・パーマーのリーダー・アルバム、Drumsvilleのオープナーで、メドレーの内訳はI'm Walkin'、Blueberry Hill、Ain't It a Shameの3曲。アールの自己名義の盤としては、このあとにまだPercolator TwistというLPがありますが、そちらは未聴でなので、聴いた範囲内でいえば、このDrumsvilleがもっとも出来がよいと思います。

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New Orleans Medleyはアルバム・オープナーなので、当然、軽快なグルーヴで、最初の45秒間を使ったI'm Walkin'がベストでしょう。ドラマーのリーダー・アルバムのオープナーなので、イントロはドラム・リックなのですが、ここにハンドクラップを重ねたのもなかなかのアイディアで、楽しいイントロになっています。

◆ Sandy Nelson - Let There Be Drums ◆◆
スタン・ロスだったか、デイヴ・ゴールドだったか、ゴールド・スター・スタジオの共同経営者のどちらかが、フィル・スペクターがTo Know Him Is to Love Himのレコーディングでつれてきたドラマーはひどいものだった、といっています。それがサンディー・ネルソンです(ついでにいうと、For What It's Worthの録音でゴールド・スターにきた、バッファロー・スプリングフィールドのドラマーも最低だったそうで、結局、ロスだったか、ゴールドだったかが、キック・ドラムのかわりにベースを「叩いて」、やっとのことで録音を完了したとか! わたしは、ライノのバッファロー・スプリングフィールド・ボックスのパーソネルは調査が甘いと考えている。デューイ・マーティンのプレイはもっとずっと少ないだろう。大部分はほんもののプロのプレイではないか?)。

そのどうしようもないお子様ドラマーが、不安定なビートでエンジニアを悩ませてからほんの数年後、ドラマーとしてヒットを生みます。そんな馬鹿な話はないだろう、というのが常識的な反応でしょう。じっさい、現実にありえないことはやはり現実には起こりません。わたしの耳には、このLet There Be Drumsは、素人のお子様ではなく、鍛え抜かれた壮年のプロのプレイに聞こえます。第一の候補はアール・パーマー、第二もアール、三四がなくて、五もアール・パーマーです。

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そう思ったので、キャロル・ケイに、アール・パーマーがサンディー・ネルソンの盤でプレイしたという話を聞いたことがないだろうか、と問い合わせてみました。彼女の返事は明快で、ラス・ウェイパンスキーがユニオンの支払伝票を調査した結果、アール・パーマーがサンディー・ネルソンのいくつかのトラックでプレイしたことは証明されている、とのことでした。ザッツ・イット、ザ・ケース・イズ・クローズド。

どのトラックがアールのプレイで、どれがネルソンのプレイかということまではわかりませんが、そんなことは自分の耳で聴けばいいことです。わたしが聴いたかぎりでは、ネルソンのプレイはほとんどありません。ものすごく下手なので、いくつかのトラックはアールではないことがすぐにわかります。ご自分でお試しあれ。

Let There Be Drumsはネルソンの2曲目のヒットで、アールは派手なフロア・タムをフィーチャーした、じつにいいプレイをしています。アールの代表作のひとつに繰り入れてもいいと感じるトラックが、他のドラマーの名義だっていうのは、なんとも皮肉というか、スタジオ・プレイヤーの人生を象徴しているというか、ミュージシャン版『雨に唄えば』かと思ってしまいます!

◆ Gene McDaniels - Tower of Strength ◆◆
アール・パーマーのプレイはもちろん、他のさまざまな要素まですべてひっくるめて、アールが関係したトラックのなかで、ベスト3に入る楽曲の登場です。プロデューサーはスナッフ・ギャレット、アレンジャーは不明ですが、アーニー・フリーマンである可能性が大です。

イントロをチラッと聴いただけでも、前景と背景をきちんと区別し、音像に奥行きを持たせるエンジニアリングの技が聴き取れ、これはいいぞ、と期待でワクワクします。ヴァースの尻尾、I don't want you, I don't need you, I don't love youのうしろで、右チャンネルのトロンボーンに合わせてアクセントをつける、左チャンネルのストリングスの、近すぎず、遠すぎない、みごとなバランスと響きには感嘆あるのみです。わたしがエンジニアだったら、このバランシングを再現することを目標として仕事をするでしょう。

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わたしがもっているジーン・マクダニエルズのベスト盤のこのトラックでは、冒頭で「22、swingin' 22」というトークバックの声が聞こえます。例外もありますが、テイク数をいうのはエンジニアの仕事なので、この声の主が問題の人物だということになります。エンジニアのクレジットはないものの、スタジオはユナイティッド・ウェスタンなので(ギャレットは自社のリバティー・カスタム・レコーダーは使わず、ほとんどつねにユナイティッド・ウェスタンで録音したことがわかっている)、「容疑者」は数人に絞り込めます。ユナイティッド・レコーダーのオーナーであるビル・パトナム、ボーンズ・ハウ、ウォーリー・ハイダー、リー・ハーシュバーグ、エディー・ブラケットのいずれかでしょう。

アールのプレイは、サイドスティックを中心としながら、ときおりストレートなヒッティングで強いアクセントをつけるもので、このソフトとハードのバランスは申し分ありません。ドラミング単独で目立つものではありませんが、音楽なのだから、アンサンブルが最重要であり、盤なのだから、バランシングも同等に重要であり、その両面でこれだけ高いレベルにある録音に参加し、サウンド作りに貢献したことは、スタジオ・プレイヤーとしては、やはり勲章のひとつに数えていいでしょう。プロデューサーやエンジニアにとっても、生涯の誇りにするに足るトラックです。

◆ Bobby Vee - Take Good Care Of My Baby ◆◆
このあたりのアール・パーマーのトラックは、どれもこれも申し分なしで、あまり書くことがないくらいです。とりわけボビー・ヴィーのトラックでのプレイは、いずれが菖蒲か杜若かで、取捨選択に苦しみます。これまたスナッフ・ギャレットの代表作なので、当然、スタジオはユナイティッド・ウェスタン、したがってまたまた見事な録音、見事なバランシングです。こういうのを聴いてしまうと、そこらの盤はバカバカしくて聴けなくなります。

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アール・パーマーのプレイとしては、この曲のほうが、マクダニエルズのTower of Strengthより、ドラマーのベストにふさわしいでしょう。とりたてて派手なことをやっているわけではありませんが、飛び跳ねるような軽快なスネアを特徴とする、「60年代型アール・パーマー・スタイル」が完成したと感じます。バックビートを4分にせず、8分2打にしているのも、アール・パーマーらしいやり方で、この点はニューオーリンズ時代から継承したものでしょう。

以上で1961年のトラックを終了し、次回は1962年、「わが人生最良の年」に入ります。いや、わたしのではなく、アールの人生ですがね。


by songsf4s | 2008-11-10 23:58 | ドラマー特集