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The Best of Earl Palmer その9

またしても映画タイトル話の蒸し返しですが、小津安二郎に『お茶漬けの味』という作品があります。このあいだ、これがFlavor of Green Tea Over Riceと訳されているのを見ました。いやはや。

たとえばですな、A Taste of Tortillaという映画があったとしましょう。あなた、これを『トウモロコシ粉を水で溶いて薄焼きにしたものの味』と訳しますか? 多少とも知性があったら、そんな愚劣なことはできませんよ。トルティーヤがどんなものか、ふつうの日本人にわかろうがわかるまいが、そのまま『トルティーヤの味』とするか、トルティーヤとは無関係なタイトルをつけるでしょう。

怒髪天を衝いた勢いのまま、このお茶漬け翻訳野郎を罵倒しようかと思ったのですが、考えてみると、彼らはわれわれとちがって素人なのかもしれません。なんの素人かというと、異文化導入の素人です。こちらは遣唐使の昔から異文化導入が得意なところにもってきて、明治以降は、さらに異質な欧州文化の取り込みに心血を注いで国をつくってきたのだから、そこらの素人衆と違って、異文化導入のフォームが完璧にできあがっているのかもしれません。ほら、ヒヨコのオスメスを瞬時に判断して振り分ける仕事があるじゃないですか。あれぐらいの練度の高さで、われわれは日々怒濤のごとく押し寄せる異文化を捌いているのかもしれません。

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たとえば、さきほどのA Taste of Tortillaです(なんだか、実在の作品のような気がしてきた。「メキシコの成瀬」なんていわれる監督がいたりして、彼の代表作だったりとか!)。きわめて異文化的で、日本語に直しようのない言葉は、そのまま投げ出してよい、という文化的暗黙の合意が形成されているわけですな、われわれの場合は。それはそういうものとして、勝手に分解せずに丸ごと受け取ること、と子どものころから教育されているのです。

こういう「装置」が、意外によく機能した結果、今日のわれわれがあるのかもしれない、なんて気がしてきました。そのせいで、消滅したり崩壊したりした固有文化もあるでしょうが、タダで手に入るものはないので、ある程度の犠牲はやむをえないでしょう。

もっとも、この医療用語言い換え提案に関する記事を読むと、われわれの文化のよき伝統――「それはそういうもの」として、解体せずにまるごと受け取る――も風前の灯火だと思います。ここでいっている「難解な用語」というのが、「緩解」「誤嚥」「浸潤」「生検」「耐性」といった、ごくあたりまえの言葉にすぎないのです。この程度の言葉を難解だなんていっていると、いずれ「難解」という言葉それ自体まで、むずかしすぎるからと使用不可になることでしょう。馬鹿が馬鹿を背負って馬鹿の地獄巡りをするような国になってきましたな、わが日本国は。

それで思い出しました。「団塊の世代」が暇と金をもてあまし、よせばいいのに料理学校に行ったりするのだそうです。でもって、なにが起こるかというと、「大根を千六本にする、とはどういう意味だ」「とろ火とはどれくらいの火量なのだ」などと世にも愚劣なことをいって、料理の先生を困らせるのだそうです。

そこで、最近の料理学校の教授スタイルも、料理書やレシピも、いたずらに論理性偏重になり、「千六本」などという、語呂のよい喩えは使わなくなったのだそうです。バッカじゃなかろか! 言葉というのは、論理性だけでできているわけではなく、音、響き、調子のよさというものも重要であり、それがわれわれの言語文化にふくらみと余裕をもたらしているのです。

なにしろ掃いて捨てるほどたくさんいるので、あの世代がまとまって動くたびに、イナゴの大群が通ったあとの畑のようなものができあがります。わたしはその荒廃した土地をずっと通ってきた世代だから、よく知っています。あれほどはた迷惑な世代はありません。これからの日本は、またイナゴの大群の大方向転換でさらに荒廃の度を深めることでしょう。「千六本」や「とろ火」が通じない無知にして無恥の国、日本です。

馬鹿の都合に合わせて国をつくってはいけませんねえ。水は低きにつくように、愚者も低きにつきます。社会を沈没させないためには、つねに高きにつくことを考えなければいけないでしょう。言葉はその基礎です。

◆ Thurston Harris - Little Bitty Pretty One ◆◆
さて、枕と本題が水と油ですが、本日の本題はベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇その2です。

われわれの世代の場合、このLittle Bitty Pretty Oneという曲を知っているとしたら、デイヴ・クラーク5盤か、さもなければ、ジャクソン5盤を通じてのことでしょう。ホリーズやパラマウンツ(プロコール・ハルムの母体)のヴァージョンもあるので、ブリティッシュ・ビート・グループに好まれたことがわかります。アール・パーマーのディスコグラフィーを仔細に見ると、後年、ブリティッシュ・ビート・グループにカヴァーされ、その結果、古典化した曲がたくさんあることに気づくことでしょう。

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この点になにか意味があるのかもしれませんが、しかし、過大評価はしないほうがいいと思います。アール・パーマーは、50年代後半から60年代はじめにかけて、アメリカのナンバーワン・ドラマーであり、きわめて多数のヒット曲でプレイし、その結果、この時期のアメリカ音楽、とりわけR&Bの強い影響下で生まれたブリティッシュ・ビート・グループのレパートリーに、アールがプレイした曲が大量に取り込まれた、という、いたって自然なことにすぎないのだろうと思います。その気で調べれば、バディー・ハーマンやゲーリー・チェスターといった、この時期の他の音楽都市のキングだったドラマーがプレイした曲も、同様に数多くカヴァーされていることが判明するのではないでしょうか。

わが家にはボビー・デイのヴァージョンもあって、ハリスとデイ、どちらが先かと調べかけ、ソングライター・クレジットを見たら、ボビー・デイとありました。わたし、ボビー・デイとサーストン・ハリスが頭のなかでゴチャゴチャになっています。同じ時期に、同じ系統の曲を、同じプレイヤーによって、同じようなサウンドでやっている、ということにその原因があるのですが(我が愛するDC5がこの両者の曲をカヴァーしているため、DC5のオリジナルをたどった結果として、サーストン・ハリスとボビー・デイに行き着いたという個人的事情もある)、このように楽曲まで重なってしまうと、いよいよ混乱してしまいます。

アールのプレイはどうかというと、マラカスやハンドクラップが重ねられているせいもあるのですが、前回ケチをつけたSlow Downなどより、はるかにリラックスしたいいグルーヴを生んでいると感じます。ドラマーはなによりもまずリラクシングです。

ちなみに、上記以外に、フランキー・ライモン&ザ・ティーネイジャーズ、クライド・マクファーター、ザル・ヤノフスキーのヴァージョンもわが家にはあります。いかにもフランキー・ライモン向きの曲で、これはなかなかの出来です。そういってはなんですが、クライド・マクファーターよりいいですな。

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ここまでがアール・パーマーのハリウッド初年度である1957年の録音で、つぎからは1958年に入ります。

◆ Ricky Nelson - Be-Bop Baby ◆◆
リラックスしたグルーヴというと、ハリウッド録音で最初にそれを感じるのが、このリッキー・ネルソンのインペリアル移籍第一弾です(be-bopは古代ジャズ方面の書き方では「ビバップ」または「ビ・バップ」とされている。辞書の発音記号でもアクセントは第一シラブルだし、biのあとに長音記号もある。したがって、アクセント位置を明示する意味も含めて、このシラブルは長音にしなければいけない。リック・ネルソンももちろん、「ビバップ」などという舌足らずな幼児発音ではなく、きちんと「ビーバップ・ベイビー」と長音で歌っている。「ビバップ」はそろそろ廃棄するべきだろう)。

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ニューオーリンズ時代のアールが好きな人は気に入らないかもしれませんが、ハリウッドでのアール・パーマーは、やがて独特の軽快なグルーヴを発明することになるわけで、この曲のプレイにはそのハリウッド的軽快さが見られます。ノッペラボーではなく、きれいな「うねり」とでもいうべきテクスチャーのあるグルーヴで、そこがニューオーリンズ的といえばいえるでしょう。この特集で何度かいった「ロコモーティヴ・ビート」のヴァリエーションです。

この曲で好きなのは、イントロと同じパターンのストップ・タイムからの戻りで、何度か短いロールを使っているところです。これはハル・ブレインにも受け継がれ、さらにはジム・ゴードンにまで遠く響くことになる、ささやかな、しかし、魅力的なリックです。もちろん、すごくきれいなロールだから、いいなあ、と思うのですがね。

Be-Bop Babyは大ヒットし、リッキー・ネルソンの代表作のひとつとなりますが、そのヒットにアールの軽快なビートもおおいに貢献したのではないでしょうか。

◆ Jan & Arnie - Jennie Lee ◆◆
前回のリストでは、アーティスト名をジャン&ディーンとしましたが、リリース当時のクレジットに戻しました。つまり、このジャン・ベリーとアーニー・ギンズバーグのデュオが壊れ、ジャンの相方がディーン・トーレンスに交代することによって生まれたのが、かのジャン&ディーンだということです。

この曲はもともとジャン・ベリーのガレージで、彼の2トラックのアンペクスで録音されたもので(この時代のアンペクスの2トラックはちょっとした値段のはずで、このあたりからもジャン・ベリーのお坊ちゃまぶりがうかがえる。良くも悪くも、典型的なLAの良家の子弟であり、それが彼のサウンドにもあらわれていた)、アールらのプレイはあとでオーヴァーダブされたものです。

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したがって、トラックはジャン・ベリーのタイムでつくられていることになり、この曲もまた、ドラマーの代表作に入れるのは不都合だということになります(じっさい、B面のGotta Getta Dateのタイムはよろめくような代物!)。しかし、ジャン・ベリーはこのあとアールにとって重要な顧客になりますし、もう少し引いた絵で見ても、アール・パーマーにとって、この時期には白人のセッションが重要な意味をもっていたので、この曲も取り上げることにしました。すでに58年には、典型的なカリフォルニアの白人であるジャン・ベリーの仕事をしていた、ということが重要で、楽曲の出来はどうでもいいのです。

◆ Johnny Otis - Willie And The Hand Jive ◆◆
わが家のHDDを検索したところ、ジョニー・オーティス以外に、サンディー・ネルソン、ヤングブラッズ、ニュー・ライダーズ・オヴ・ザ・パープル・セイジ、ジョニー・リヴァーズ、そして、クリフ・リチャードのローカル盤がありました。いったい、だれのヴァージョンでこの曲を記憶したのかわからなくて調べたのですが、検索結果を見ても、ああ、そうだった、とは思いませんでした。

70年代はじめにジョニー・オーティスのベストを買ったので(シュギー・オーティスの父親というのはどんな人なのかと思ったため!)、結局、オリジナルを通じて知ったのかもしれません。世間ではエリック・クラプトンのカヴァーが有名なようですが、このヴァージョンが流れていたのを聴いた記憶はありません。オリジナル以外では、これまた影武者としてアールがプレイしたサンディー・ネルソン盤、それに、ジョニー・リヴァーズ盤のグルーヴがすぐれています。

ジョニー・オーティスはLAのR&Bシーン(むしろ「セントラル・アヴェニュー・シーン」といったほうがわかりやすいかもしれないが)のキーマンなのだから、アールがLAにやってきた以上、遅かれ早かれ顔を合わせることになったでしょう。オーティス自身がドラマーなので、自分のセッションでプレイするドラマーに対しても一言も二言もあったはずで、大エースの参加を歓迎したにちがいありません。このあと、キャピトル時代のオーティスのセッションのほぼすべてで、アールがストゥールに坐ったようです。

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この曲は典型的なボー・ディドリー・ビートで、アールとしては自家薬籠中のものといえるでしょう。興味深いのは、このWillie and the Hand Jiveでは、いつものジョニー・オーティス・バンドの編成(4リズム+4管)ではなく、管なしの4リズム(およびパーカッション)、それもピアノ抜きでギター×2(ひとりはジミー・ノーランらしいが、もうひとりはわからない)という変則的編成、要するに後年のロックバンドの編成でやっていることです。なにをヒントに、こういう編成を思いついたのか、ビッグバンド時代からやっているヴェテランにしては、ずいぶん若々しいことを思いついたものです。

余談ですが、キャピトル時代のジョニー・オーティスのプロデューサーはトミー・モーガンだったそうです。あのハーモニカのモーガンその人です。モーガンは、アル・ディローリーと同じように、インハウス・プロデューサーとしてキャピトルから給料をもらいながら、スタジオ・プレイヤーをやっていたのです。スティーヴ・ダグラスも一時期キャピトルに勤めていたようで、こういう例はけっこうあるのでしょう。

◆ Ritchie Valens - La Bamba ◆◆
これまた、アールのプレイとしては、とくに褒めるほどの出来ではないのですが、古典なのでオミットできなかった曲です。多少とも音楽好きなら、だれでも知っている曲ですからね。

この曲のメンバーは、リード・ギターがリチャード・ヴァレンズエラ自身、ダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)がルネ・ホール、リズム・ギターがキャロル・ケイ、というところまでははっきりしています。はっきりしないのはベースで、ウェストコースト・ジャズの重鎮、レッド・カレンダーという説が有力のようです。また、アーニー・フリーマンは、自分がピアノをプレイしたと主張しているそうです。証明する材料がないようですが、この時期のハリウッド・スタジオ事情を鑑みると、このメンバーならフリーマンがいてもなんの不思議もありません。

アール・パーマー、レッド・カレンダー、ルネ・ホール、アーニー・フリーマン、そしてこの曲には登場しませんが、プラズ・ジョンソンを加えた5人は、この時期のハリウッドのレギュラーでした。かつてのニューオーリンズの「ザ・スタジオ・バンド」に相当するものがハリウッドにあったとしたら、その嚆矢はこのメンバーです。ハル・ブレインのせいで、ハリウッドのスタジオのレギュラーというとレッキング・クルーということになってしまいましたが、そのプロトタイプとしてのパーマー=ホール=カレンダー=フリーマン=ジョンソンも、レッキング・クルーに引けをとらない大活躍をしたことを特筆大書しておきます。

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◆ Ritchie Valens - Come On, Let's Go ◆◆
La Bambaとちがって、この曲には、わが家のHDDで見るかぎり、ブルース&テリーとマコーイズのカヴァーしかなく、古典とはいいかねますが、わたしの好みでいうと、夭折したリチャード・ヴァレンズエラの代表作は、La Bambaではなく、Come On, Let's Goなのです。アール・パーマーのプレイという観点からいっても、Come On, Let's Goのほうが数段出来がいいので、La Bambaだけでは片手落ちと考えました。

アールの強烈なバックビートも素晴らしいのですが、ルネ・ホールの変なギターも、なんだか妙に好ましく感じます。この人は独特のペラペラしたトーンにしているのですが、どうやってつくっていたのでしょうかねえ。チューニングを下げたか、または弦を一本ずつずらして張ったか、なにかそのような処理をしていたのではないでしょうか。そうじゃないと、あんなにペラペラした音は出ないだろうと思います。たまにしか聴かないなら、ホールがなにをしていても気にすることはないのですが、この時期のハリウッドではおなじみの音なので、いやでも考えてしまいます。

アールには関係のないことですが、マコーイズのCome On, Let's Goも素晴らしい出来です。まだ子ども子どもしたリック・デリンジャーの元気いっぱいのヴォーカルが魅力的ですし、だれがプレイしたのか不明ですが(もちろん、マコーイズのメンバーではなく、セッション・プレイヤー)、ドラミングもたいへんけっこうです。わたしは、ちょっと強引かと思いつつ、バーナード・パーディーではないかと密かに卦を立てています。


by songsf4s | 2008-10-27 23:58 | ドラマー特集