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The Best of Earl Palmer その8

前回のベスト・オヴ・アール・パーマー、ニューオーリンズ篇が終わった段階では、三日ほどあれば、ハリウッド篇に入れるだろうと楽観的に考えたのですが、当てごととなんとかは向こうからはずれる、ライトフライと三塁ゴロほどにかけ離れた計算違いでした。

まあ、二十数回目の『晩春』見直しや(『東京物語』よりこちらのほうが好き)、小津の撮影監督だった厚田雄春〔ゆうはる〕の本の数回目の再読、さらには村松友視の『トニー谷、ざんす』の再読などと、(別のブログのための準備なのだが、こちらのブログの観点からいえば)よけいなことをしていたせいもあるのですが、なんといっても時間を食われたのは、必要な盤の発見(消えることがよくある!)と吸い出しと圧縮、タグ入れ、年次フォルダーへの振り分けといった下準備です。

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厚田雄春/蓮實重彦『小津安二郎物語』 何度読んでも新たな発見がある本だが、それよりもなによりも、これほど話し手の人柄がじかに伝わってくる談話はめずらしい。一度でいいから、厚田雄春という人に会って、お話を伺ってみたかったと慕わしい気持ちになる稀有の書。写真は『東京物語』撮影中の小津安二郎と厚田雄春。

ベスト・オヴ・ジム・ゴードンでも、この作業にはずいぶん時間を使いましたが、彼の場合、ドミノーズやトラフィックなどのメンバーになって、ツアーに出ていた期間がずいぶんあるので、幸か不幸か、スタジオ仕事は「大量」にあるといった程度で、「膨大」ではありませんでした。対処可能な範囲内の数量です。

アール・パーマーの生涯記録をご存知でしょうか? キャロル・ケイがアールから直接にきいたところによると、晩年に4万曲を超えたそうです。仮に1曲平均3分として、合計プレイング・タイムは12万分、60分で割ると2000時間、一日に2時間ずつ聴いても全部聴き終わるのに千日、まるで比叡山で修行しているみたいなものです。あるいはシェヘラザードの夜物語というべきか。

いや、もちろん、この4万曲のすべてが盤のための録音ではないでしょう。もうひとりの「4万曲プレイヤー」であるハル・ブレインの場合、サントラもあれば、コマーシャルもあり、ジングルもありで、盤になったものはこの半数にも満たないようです。それにしたって2万曲。半分はガラクタと切り捨てても1万曲。アールにしてもハルにしても、そのうち1割ぐらいは「死ぬ前に一度は聴いておいたほうがいい曲」と丼勘定でいってしまってもいいでしょうから、すくなくとも千曲は聴かないと、彼らについてなにかものをいうことはできないのです。

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LA移住直後と思われるアール・パーマー

いや、この特集を現実の時間の範囲内に終わらせるために、今回は手順をものすごく簡略化しています。アールの伝記の末尾に掲載されているセレクティッド・ディスコグラフィーをベースにして、ここから好みでないもの、歴史的重要性の小さいものをふるい落とし、ディスコグラフィーにはない、好みのものを多少追加する、という方針です。これくらいに見切らないと、とてもじゃありませんが、こんな記事を書くための準備すらできません。吸い出すCDの数をある程度抑えないと、数カ月の準備期間が必要になってしまうでしょう。

とまあ、ごちゃごちゃ弁解が多くて恐縮ですが、やっとできあがったのが、以下の1957年と58年の選曲です。たった2年分で申し訳ありませんが、ここまでもってくるだけでも、おそろしく手間がかかったのですよ。

01. Ricky Nelson - I'm Walkin'
02. Larry Williams - Bony Moronie
03. Larry Williams - Slow Down
04. Sam Cooke - You Send Me
05. Thurston Harris - Little Bitty Pretty One
06. Ricky Nelson - Be-Bop Baby
07. Jan & Dean - Jennie Lee
08. Johnny Otis - Willie And The Hand Jive
09. Ritchie Valens - La Bamba
10. Ritchie Valens - Come On, Let's Go
11. Bobby Day - Over And Over
12. Sheb Wooley - The Purple People Eater
13. Little Richard - Good Golly, Miss Molly
14. Eddie Cochran - Summertime Blues
15. Don & Dewey - Koko Joe
16. Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village (Part 1)
17. Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village (Part 2)
18. Bobby Day - Rockin' Robin
19. Eddie Cochran - Jeannie, Jeannie, Jeannie

これでも絞りに絞ったのですが、これ以上の軽量化は無理なようです。しいていうと、最後のJeannie, Jeannie, Jeannieはオミットするかもしれませんが、あとの18曲は、プレイの善し悪し以前に、主として歴史的意味合いからの選択なので、こちらの好みの入り込む余地はあまりないのです。

◆ Ricky Nelson - I'm Walkin' ◆◆
アール・パーマーはニューオーリンズの黒人プレイヤーだったので、ニューオーリンズ時代には、当然ながら、ブラック・シンガーの仕事ばかりでした。この点もLA移住の理由のひとつだったのではないでしょうか。以前にも書いたように、彼はビーバップ世代であり、複雑な和声に対する強い嗜好をもっていたので、来る日も来る日も3コードのR&Bばかりでは、なんともやるせない気分だったでしょう。

最終的には映画音楽の世界に進みたいと考えていたようですが、ハリウッドに来たばかりの黒人プレイヤーが、人種の壁と音楽の「クラス」の壁(もちろんR&Bが最下層で、映画音楽が最上層。いや、わたしの価値判断ではなく、業界人の価値観をいっているにすぎないが、客観的にいって、映画音楽のプレイヤーの技術水準はきわめて高く、仕事は複雑かつ困難であり、適性のあるプレイヤーは限定される)という二つの障害を、一足飛びに乗り越えるわけにはいきません。まずは白人のセッションでプレイすることが第一段階です。

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Ricky Nelson on the stool of Earl Palmer's set.

ハリウッドで仕事をはじめたとき、アール・パーマーは保険としてアラディン・レコードとA&R(プロデューサー)契約を結び、サラリーをもらっていました。故郷には「前の家族」を置いてきたし、LAには「現在の家族」をつれてきているので、養うべき口は多く、ロック・バンドのドラマーとはまったく異なった考え方をするわけです。スタジオ・プレイヤーというのは概して大人で、それがよかれ悪しかれ彼らのプレイにもあらわれるものなのです。

当初はハリウッドでも、当然ながら、ロックンロール、R&B系のセッション、それも黒人シンガーが中心になります。それが変化するのは、トミー・サンズとリッキー・ネルソンという、二人の白人ティーネイジ・アイドルの仕事をしたあたりからでしょう。サンズの曲は典型的なロカビリー、テレビ・ドラマのアイドルだったリッキーのデビュー・シングルにいたっては、なんと、ニューオーリンズをあとにする直前に録音したファッツの曲のストレート・カヴァーです。

ミュージシャンの手配をするコントラクターも、その推薦を受け入れたプロデューサーのバーニー・ケッセルも、アールがファッツのドラマーだったことを知っていたのでしょう。だから、ニューオーリンズ風味のハリウッドでの再現を狙ったかというと、そういうサウンドには聞こえません。

俳優としてのリッキーはロウティーンの白人少女のアイドルであり、高視聴率番組を通じて数百万の大人の白人も聴くことになる、という前提が強い縛りになったのではないでしょうか。たんにリッキーが白人であり、なおかつ子どもだからというだけでなく、サウンドそのものが意図的に白っぽくつくられていると感じます。

リック・ネルソンの伝記によれば、このセッションではっきりしているのは、ドラムのアール以外では、サックスがプラズ・ジョンソン、ギターがマール・トラヴィス(う、うっそー! カントリー系のことは知らないが、ポップ系セッションでトラヴィスがプレイしたトラックとしてはわたしが知る唯一のもの!)だったことだけで、ローカル47(アメリカ音楽家組合LA支部)のオフィスにはコントラクト・シートが残っていないため、ベースとピアノはわからないそうです。バーニー・ケッセルの記憶では、ベースはジョージ・“ジャド”・ディノート(George "Judd" Denaut)という人だったそうで、アールもこれを肯定しているものの、肝心のディノート本人は否定しているとのことです。

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Philip Bashe "Teenage Idol, Travelin' Man: The Complete Biography of Rick Nelson" 音楽ライターには稀なことだが、不明点は徹底的に調査するという、物書きとしての基礎ができている書き手なので、非常にすぐれた伝記になっている。リック・ネルソン伝というより、調査の裏付けのある背景情報が満載で、ハリウッド音楽史の資料として一級品である。

ピアノはジーン・ガーフではないかという伝記作者の推測は、この際、合っていてもまちがっていても大勢に影響はないのですが、ベースがだれか、というのは、わたしにはすごく気になります。この曲のベースは、スタンダップではなく、フェンダーだからです。フェンダー・ベースがスタジオ機材として一般化するのはもう少しあとのこと、60年代に入ってからで、この1957年の時点ではプレイヤー(もちろん、「プロの」という意味)の数すらごく一握りだったのです。

キャロル・ケイが調べたかぎりでは、スタジオではじめてフェンダー・ベースをプレイしたのは、モンク・モンゴメリー(ウェスの兄弟)ではないかとのことで、60年代前半、ハリウッドのフェンダー・ベースの仕事をほぼ独占することになるレイ・ポールマンですら、まだこの時点ではベースを弾いていないと思われます。だから、この曲でのフェンダー・ベースの使用は注目に値します。

ドラマーとサックスはニューオーリンズ出身なのに、この曲のサウンドが「白く」なった理由は、ベースとギターの(悪い意味ではなく)軽さのせいでしょう。アールは重くもなく軽くもなく、ニュートラルなプレイです。知らない土地での、不慣れな環境における「様子見」なのではないでしょうか。

しかし、4ビートに変化する間奏でのマール・トラヴィスとプラズ・ジョンソンという、世にも意外な取り合わせのソロ回しはドキドキしますなあ。お子様アイドルなんかまったく当てにしていなかったバーニー・ケッセルが、歌抜きでも楽しめるトラックをつくろうとしたのではないか、なんて勘繰っちゃいますよ。

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Country Music's Two Guitar Greats: Merle Travis & Joe Maphis タイトルどおり、ジョー・メイフィス(左)とマール・トラヴィスという、カントリー・ギター界の重鎮二人の共演。もうむちゃくちゃなうまさで、開いた口がふさがらない。わたしはカントリー・ファンではないが、カントリー・ギター・インストは大好き。

わたしはリックのファンなのですが、そのファンが見ても、リックのトラックというのは、いつもシンガーの足を引っ張るほどゴージャスで、これはデビュー盤以来の「伝統」なのだなあ、と感じ入ってしまいます。リックだって、バックに喰われまいと思ってがんばったのじゃないでしょうかね。

このあと、だれがリードをプレイするかといえば、ハワード・ロバーツであり、ジョー・メイフィスであり、そして驚異の新人ジェイムズ・バートンですからねえ。これをゴージャスといわず、なにをゴージャスというのか、ですよ。しかも、途中からベースはこれまたもう一人の驚異の新人ジョー・オズボーンなんですから、まちがいなくあの時点での史上最強のツアーバンドです。これだけすごいと、スタジオではドラムだけハルやアールに交代、というわけにはいかなかったのでしょう。リッチー・フロストという二級のドラマー(といってもタイムはいい)だったおかげで、なんとかシンガーとのバランスがとれたようなものです。

アールとしてはまだ本領発揮とまではいきませんが、とりあえず、白人セッションで実績をつくった(リックのI'm Walkin'もヒットした)ことは重要です。

◆ Larry Williams - Bony MoronieおよびSlow Down ◆◆
ジョン・レノンがラリー・ウィリアムズを好んだのはどういうことなのでしょうねえ。いま聴いても不思議です。ご存知でしょうが、この人、歌がうまくないのです。そこが魅力といえば魅力といえなくもないのですが、わたしの好みからいうと、音のはずし方が魅力的ということはなく、たんに下手だなと思うだけなのです。

しいていうと、どの曲もリック・オリエンティッドなところが、60年代のロック・バンドのスタイルに通じるかもしれません。曲や歌詞は忘れても、ギター・リックは絶対に忘れません。ラリー・ウィリアムズ自身はピアニストなのですが、リック・オリエンティッドなところはギター・バンド的といえます。

f0147840_128630.jpgBony MoronieとSlow Downは、リリース時期は異なるものの、録音自体は両方とも1957年9月11日におこなわれているので、当然、メンバーも同じです。ウィリアムズのピアノ、アールのドラムのほかに、ギターがルネ・ホール、サックス陣のひとりはプラズ・ジョンソンです。ここにもうひとり加わると、この時期のハリウッドのヒット・メイカーのそろい踏みなのですが、それはそのあとひとりが登場したときに詳しく見ます。

余談ですが、この2曲のベースはテッド・ブリンソンで、この人は自宅にガレージ・スタジオをもっていました。ここから何曲かヒットが生まれていますが、もっとも有名なのはペンギンズのEarth Angelです。ここにLAの北(ハリウッド)と南(セントラル・アヴェニュー)のトポロジーという面白いテーマもあるのですが、それはまたいつかべつのときに。

肝心のアールのプレイはどうかというと、わたしとしてはやや不満です。植え替えをしたあとの植物と同じで、まだ根が張っていなくて、葉っぱに勢いがない、といったあたりです。ニューオーリンズ時代の自信満々の落ち着きが感じられません。土地が変わり、スタジオのレベルがいきなり数段階あがって、最新設備になり、スタジオ内にいる人間は白黒入り乱れているわけで、まだ環境に適応しつつある、というところでしょうか。

いまわが家のHDDを検索してみたのですが、Bony Moronieは、ジョン・レノンのほかに、フライング・ブリトー・ブラザーズとグラム・パーソンズのヴァージョンがありました(グラムはグラムでソロになってからブリトーズとは別に録音がある)。ブリトーズ盤、グラム盤(フォールン・エンジェルズ・ツアーのライヴ盤)、ともに生前にはリリースされなかったもので、一級品とはいいかねますが、グラムがこの曲を好んだことだけはこの2種のカヴァーが証明しています。

Slow Downのほうは、ラスカルズとボビー・フラー・フォーのヴァージョンがあります(もちろん、ビートルズ以外に、という意味だが、考えてみると、この曲がビートルズのカヴァーによってクラシックになったことをご存知ない人もいらっしゃるかもしれない)。タイプは異なるのですが、こういう風に並べてみると、この二者にはどことなく共通点があるような気がします。香車というか、猪というか、思いこんだら一直線みたいなところがあると思います。後年のラスカルズには当てはめられませんが、このデビューの時点ではまっすぐ一本道のサウンドでした。ラリー・ウィリアムズの楽曲というのは、なにかそういう原初の魂を呼び覚ますようなところがあるのでしょう。

◆ Sam Cooke - You Send Me ◆◆
f0147840_136422.jpgこういうプレイの曲をドラマーのベスト・セレクションに入れるのは「あんまり」だとは思います。しかし、何度も申し上げるように、スタジオ・プレイヤーの場合、「そのとき、そこにいた」ことはきわめて重要で、これくらいの曲になると、ワールド・シリーズでプレイしたのと同じぐらいの価値があるのです。ま、理屈はおくとしても、わたしはサム・クックの大ファンであり、なかでもこの曲は彼の代表作なのだから、オミットするはずがないのです。

アールはサム・クックのニューオーリンズ・セッションのときにもストゥールに坐っていますし、最終的にYou Send Meという大ヒット曲にして不朽の大古典を生むことになる、彼の一連の実験的なセッション(といってもアヴァンギャルドという意味ではなく、ゴスペル・シンガーからメインストリーム・シンガーへの転身をはかって、さまざまなデモを録音したという意味で「実験的」なのだが)のときからサム・クックをバックアップし、晩年の代表作でもプレイしています。

アールとしては、どこにも腕の見せどころはなく、ただタイム・キーピングに徹する「3分間の我慢」のカップ麺セッションですが、なんたって曲がいいし、サム・クックのレンディションが絶品なので、ドラムが出しゃばる余地はまったくなく、やむをえない我慢です。詰まるところ、スタジオ・プレイヤーというのは、自分のためにプレイするわけではなく、楽曲とトータルなサウンドに奉仕することをその本分とするのだから、こういうふうに、聴かせどころ、やりどころがまったくない曲というのは、「やむをえない」どころか、これこそがスタジオ仕事のメインラインというべきでしょう。


by songsf4s | 2008-10-25 23:56 | ドラマー特集