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The Best of Jim Gordon その10 最終回

このシリーズも最終回なので、これまでの曲について書き忘れていたことも補っておこうと思い、編集の終わったものをはじめから聴き直していて、思いきりコケてしまいました。バーズのGet to Youを入れるつもりだったのに、なんとGoin' Backが入っていたのです。もうひとつ、エヴァリーズの2曲も順番を逆にしてしまったようです。いやもうお恥ずかしいかぎりです。アクセルとブレーキをまちがえたのではなくて幸いでした。

ひとつだけ、忘れていたことの補足があります。あの時代のハリウッドには、ジム・ゴードンという名前のスタジオ・プレイヤーが二人いて、同じような場所で働いていました。ひとりはもちろんいまここで話題にしているドラマーのジェイムズ・ベック・ゴードンです。もうひとりは木管プレイヤーです。

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This Jim Gordon is NOT the drummer James Beck Gordon. Be careful!

ジェイムズ・ベック・ゴードンはピアノやキーボードをプレイしたことはあっても、クラリネットをプレイしたことはありません。したがって、木管でクレジットされているジム・ゴードンは、ドラマーのジェイムズ・ベック・ゴードンではないことになります。

笑ってしまうのは、マリア・マルダーのエポニマス・タイトルのデビュー盤です。困ったことに、このアルバムには両方のジム・ゴードンがクレジットされているのです! 昔は、へえ、ジム・ゴードンは管楽器もやるのか、なんて思っていたものです。その蒙を啓いてくれたのはキャロル・ケイでした。

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◆ ジミーに自由を! ◆◆
とくに大きな書き落としはないようなので、かわりに、ジム・ゴードンに仮釈放を、と訴えているサイトをご紹介しておきましょう。

ジム・ゴードンにチャンスを

なにがまずくてこれほど刑期が長引いているのか、わたしにはよくわかりません。判決はもっと短かったはずです。「治癒」していないという医師の判断でしょうか。

上記サイトから行けるMy Spaceのジム・ゴードン・ページ(もちろん本人がつくっているわけではない)のリストは、これまでに見たものでもっとも充実しているようです。Laylaを鳴らすのは勘弁してくれ、と思ったのですが、つぎの曲で、おっとー、といってしまいました。アルバート・ハモンドのIt Never Rains in Southern Californiaだったからです。

ご存知の方も多いでしょうが、この曲はハル・ブレインのトップテン・リストに算入されています。むむう、弱った狸は目でわかる、これは白旗かもしれません。いま聴き直してみたのですが、ジミーの可能性ありと思って聴けばそうも聞こえるし、いや、ハルだろうと思って聴けば、やはりハルのようにも聞こえます。

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とりあえずここは白旗を掲げ、捲土重来を期すことにします。すぐに解決せず、何年も持ち越して解決にいたったケースもたくさんあります。ついこのあいだふれたメイソン・ウィリアムズなんか、それこそ十年越しの懸案だったわけでして、今回のケースの解決のオッズだってそれほど悲観的なものではないのです。

パーカッションのプレイや、ライヴでやっただけのものや、ヒット・ヴァージョンではないもの(たとえばサントラ用のリメイク)も算入されているハル・ブレインのトップテン・リストは百パーセント信用するわけにはいきません。厳密な校訂を要することは以前からわかっていたことで、じつは、かつて大々的に注釈を入れたヴァージョンをつくり、ウェブで公開したこともあります。

そういうことから考えると、今回もハルの「敗訴」の可能性が高いかもしれません(いや、わたしの増補改訂版ハル・ブレイン・トップテン・リストでは「勝訴」の例もあげておいた)。しかし、これは状況証拠に依存した「心証」にすぎず、音による、または、論理による判断ではありません。

かつてハル・ブレインとアール・パーマーの分離に慣れるまでにも時間がかかりましたし(やはり、曲によってはすごくむずかしいものがある。たとえばラウターズのLet's Go (Pony)のように、「アール・パーマー・スタイルを完璧に模したハル・ブレインのプレイ」というのがあり、これには何年も苦しめられた)、ハルとジミーの区別もなかなか慣れませんでした。最近はだいぶ熟練したと思っていましたが、こういうことはもともと百パーセントに到達できるものではなく、やっぱり、「かはたれ」「たそかれ」の怪しいトワイライト・ゾーンは山ほどあります。

◆ トラック・リスト ◆◆
それでは、残りのトラックのことに話を移します。まずはトラック・リストの(いちおうの)最終版からどうぞ。

パート1
01. Derek & The Dominos - Why Does Love Got To Be So Sad
02. The Souther-Hillman-Furay Band - Border Town
03. Bobby Whitlock - Song for Paula
04. The Byrds - Get To You
05. Maria Muldaur - Midnight At The Oasis
06. B. W. Stevenson - My Maria
07. Glen Campbell - Wichita Lineman
08. Dave Mason - Only You Know And I Know
09. Delaney & Bonnie & Friends - Only You Know And I Know
10. Bobby Whitlock - The Scenary Has Slowly Changed
11. Joan Baez - Children And All That Jazz
12. Art Garfunkel - Travelin' Boy
13. Bobby Whitlock - Where There's a Will There's a Way
14. Delaney & Bonnie & Friends - Where There's A Will There's A Way
15. Gordon Lightfoot - Sundown
16. Carly Simon - You're So Vain
17. Nitty Gritty Dirt Band - Some Of Shelley's Blues

パート2
01. Mason Williams - Overture
02. Johnny Rivers - Rockin' Pneumonia, Boogie Woogie Flu
03. Dave Mason - World In Changes
04. Derek & The Dominos - Evil
05. Bread - Move Over
06. The Yellow Balloon - Follow The Sunshine
07. Frank Zappa - St. Alfonzo's Pancake Breakfast
08. Frank Zappa - Father O'blivion
09. Alice Cooper - I'm The Coolest
10. George Harrison - You
11. Seals & Crofts - Hummingbird
12. Tom Scott - Blues For Hari
13. Traffic - Hidden Treasure
14. Mike Post - The Rockford Files
15. Harry Nilsson - Together
16. Bread - Friends And Lovers
17. Johnny Rivers - Life Is a Game

パート3
18. The Everly Brothers - (Instrumental)
19. The City - Snow Queen
20. Alice Cooper - Road Rats
21. Steely Dan - Parker's Band
22. Joe Cocker - The Letter
23. Joe Cocker - Cry Me A River
24. Joe Cocker - With A Little Help From My Friends
25. Frank Zappa - DC Boogie
26. Derek & The Dominos - Let It Rain
27. The Everly Brothers - Lucille

◆ Joe Cocker - Cry Me A River ◆◆
やっぱり子どもというのはものを知らないなあ、と思うのですが、わたしがCry Me a Riverという曲を知ったのは、このジョー・コッカー・ヴァージョンでのことでした。後年、ジュリー・ロンドン盤やレスリー・ゴア盤を聴いて呆気にとられましたよ。

しかし、ものを知らないのは日本の子どもばかりではなく、アメリカの子どもも同じで、ジョー・コッカーが冒頭でタイトルをいっているのに、まったく手がきていません。当時の大人ならだれでも知っていたはずのこの大有名曲をだれも知らなかったか、または、おそろしく時代遅れの曲と思われていたのでしょう。若者を相手に商売するというのは、こういうことなのだということが、いまになるとよくわかります。

そういえば、60年代終わりに、バディー・リッチが、西か東か忘れましたが、フィルモアに出演したとき、若者どもが、あのオールド・マンはいったい何者だ、と大騒ぎしたという話もあります。バディー・リッチほどの人でも忘れられ、ただの「神老」(神童の対語をつくってみた)と思われちゃったのだから、時の流れの無慈悲さよ、ですな。

なにも知らない人間が、ただのジジイだと思ってバディー・リッチを見たら、心臓麻痺か脳溢血まちがいなしです。なんたって、老境にいたってからのリッチのブラシ・ワークたるや、まさに神業ですからね。ブラシなんてものが、あんなに面白いものだとは、晩年のバディー・リッチを聴くまでは思ってもみませんでした。

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おっと、同じ時代のフィルモアでも、ここはバディー・リッチの話ではなく、ジム・ゴードンの話でした。この1970年3月27日録音のCry Me a Riverは、昔のLPにとられていたヴァージョンよりずっと出来のよいものです。あのLPの選曲とミックスはどうなっていたんでしょうかねえ、ドラムに関してはひどいものでした。

このヴァージョンで、ムヒョーと奇声を発したのは、1:12あたりからはじまる、セカンド・ヴァース入り口のフィルインのときです。なんと、芝居の「割り台詞」のように、ひとつのフィルインを前後半の二つに割って、前半をジム・ゴードン(推定)、後半をジム・ケルトナーが叩いているのです。これにはひっくり返りました。

いや、昔のLPでも同じことをしているところが出てきます。でも、驚くなかれ、フィルインは二人が同じステレオ定位になっているのです。これでは「割った」とは思えず、ひとりのドラマーがやったように聞こえてしまいます。なにか家庭の事情があったのかもしれませんが、バッカじゃなかろか、のミックスです。

まあ、ふつう、こういうのはアイディア倒れと片づけてしまう人が多いでしょうが、わたしはそうは思いません。1:12のほうは成功にはほど遠いプレイですが、同じようにやっている2:11はだいぶよくなっていて、つぎの三度目はビシッとキメられるだろうという予感にみなぎっています。残念ながら、この「割りフィル」を繰り出すチャンスは、この曲ではもうやってこないのですが。

こういうことをやるとき、むずかしいのはあとから行くほうです。先のプレイヤーは、なにも考えずに突入し、もっと叩きたくなるところをやめるだけでいいのです(まあ、厳密にいうと、フィルを途中で打ち切るのだって素人にはむずかしいのだが)。しかし、あとから行くほうは、工夫と練習が必要です。ケルトナーは、最初の割りフィルでのうまくいかなかった部分(スタートが遅れて、きれいにつながっていない)を修正して、二度目ではかなり改善したプレイをしています。

いやはや、こうして楽しい実験がテープに記録され、いまになって、あっはっは、やるだけはやってみたのだな、この二人ならさもありなん、と呵々大笑できるのは幸せなことです。

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このアルバムのデザイン・コンセプトはなにかの興業もの(サーカス?)らしく、見開きは「番付」になっている。そこに登場する二人のジムの紹介。ケルトナーはムハメッド・アリというか、カシアス・クレイのキャッチフレーズそのまま。

◆ Joe Cocker - With A Little Help From My Friends ◆◆
すごいプレイばかりのライヴですが、そのなかでもこれがベストでしょう。この曲も当時のLPからはオミットされました。まあ、スタジオ盤も有名ですし(B・J・ウィルソンが叩いたこちらもすごいプレイ)、ウッドストックその他のライヴもあるしで、重複を嫌ったのかもしれません。

以前、You Tubeで検索していたら、この曲のヴィデオがあり、二人のドラマーの背後から撮ったショットが出てきました。これはちょっと驚きました。ジム・ゴードンが汗を飛び散らせる大熱演をしていたのです。「完全に入る」タイプのプレイヤーなのだということが、あのショットからよくわかりました。スタジオ・ワークだけでは満足できなくなったのは当然というべきでしょう。

もうひとつ、ドラム馬鹿にしか用がない些細なことですが、タムの並びにも驚きました。先に確認しておくと、ドミノーズあたりからのジム・ゴードンのセット(キャムコ製)は、タムタム2とフロアタム1の比較的ノーマルな構成に、小口径ハイ・ピッチの追加タムが1または2です。これはドラマーから見てタムタムの左側、ハイハットの右側に配置します。それ以前は、ツアーの写真や映像が見あたらず、音から判断するかぎりではベーシックなセットを使っていたと思われます。

しかし、マッドドッグス・ツアーはぜんぜん違います。8個のタムがずらっと並ぶハル・ブレインのオクトプラス・セットのように、ジム・ゴードンもドカーンとタムを並べたセットを使っているのです。それだけだったら、ハルの影響ね、でおしまいなのですが、あれっと思ったのは、ハルのように(ドラマーから見て)左から順に高いほうから低いほうへというきれいな並べ方はしていないのです。まるでシャッフルしたかのように、口径およびピッチは順不同(のように見える)で並べてあるのです。

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「番付」での二人のジムの扱いは東西の小結といったあたり。リオン・ラッセル、クリス・ステイントンという両大関につぐビリング。

ああ、そういうことか、と膝を叩きました。ハルのようにドレミファソラシドと順序よく並べると(もののたとえではなく、通常は音階に合わせてチューニングしていたらしい。やれといわれれば、Moon Riverぐらいならタムで「叩けた」のである)、場合によっては叩きにくいにちがいありません。どういう場合かというと、ランダムに鳴らしたい場合、あるいは、高いのと低いのを交互に鳴らしたい場合です。B・W・スティーヴンソンのMy Mariaのフィルのなかには、こういう変な並べ方のタムでやったのではないかと感じるものがあります。どうであれ、ピッチの高低の順に並べないというのは、ちょっとした発想の転換であり、なかなかの工夫といえます。

肝心なこの曲でのプレイのことが後まわしになりましたが、いやもうすごいですわ。それ以外に言葉が出てこない失語症誘因レベルのすごさです。たとえば、2:51あたりからのパラディドル、3:18のフィルなんかいかがでしょうか。ホットかつ正確、ジム・ゴードンのべつの側面を見る思いです。ジム・ケルトナーも負けじとするどいショットをつぎつぎに繰り出し、二つのセットのあいだで火花どころか、雷電が走るほどの空前絶後のダブル・ドラム・プレイ。

◆ Frank Zappa - DC Boogie ◆◆
こんなこともやっていますよ、というサンプルの意味でおいておきました。どこかザッパ・ファンのサイトで、ザッパにはやっぱりエインズリー・ダンバーのほうが合うと、ジミーのプレイが批判されていましたが、なるほど、そうかもしれません。感覚的に表現すると、ジミーのスタイルは、端正、あっさり、さわやか、といったところで、このキーワードだけで、ザッパとはすでに水と油です。

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しかし、ドラマーのキャリアからいえば、ザッパみたいなスペクトル領域外の人間とやるのもなにかの経験で、地平を広げるテコぐらいの用には立つものです。ジミーも、この時期にいくつか変なリックを生み出したのではないかと想像します。いつもとちがったことをするのは、いつだって悪くないことなのです。

◆ Derek & The Dominos - Let It Rain ◆◆
Let It Rainは、スタジオ、ライヴ、いろいろ聴きましたが、やはり最初にリリースされたライヴ・ヴァージョンである、In Concert収録のものが最上の出来です。イントロからヴァースへの移行部分での16分のパラディドルからして、もう陶然となる美しさで、わたしが理想とするスネアのサウンドです。

このトラックをここまで出さなかった理由は、むやみに長くて流れを妨げるからです。しかしいっぽうで、これは大団円にふさわしい大作(楽曲がというのではなく、ドラミングが、という意味)でもあって、長いドラム・ソロまでやっています。

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いまもこのトラックを聴きながら書いているのですが、人間、これほどドンピシャリの気持ちのいいところでバックビートを叩ける日が、生涯に何度あるだろうかと、粛然たる思いにうたれます。よくまあ、つぎつぎと、「ここしかない」という精妙なポイントでスネアをヒットできるものです。

いつもはジミーに取り憑くのはせいぜい魔王どまりですが、この日はビートに神が宿ったとしか思えません。アール・パーマーがバックビートを発明したのは、この日のジミーの完璧なプレイのためだったのでしょう。

◆ The Everly Brothers - Lucille ◆◆
アンコール、カーテン・コール、リプリーズのつもりで、ふたたび、十代のジミーのプレイをお聴きいただきます。ドンのナレーションから、ラジオのエヴァリー・ブラザーズ・ショウのエンディングだとわかるので、ちょうどいいでしょう。Thank you for listenigとかWe hope you've enjoyed what you've heardなんていっています。わたしも、みなさんに楽しんでいただけたらと願いつつ、そろそろこのプログラムを閉じることにします。

先日の記事を読んだ友人から、このトラックが録音されたのは1965年4月22日となっている、と注釈が送られてきました。19歳のときと推定されます。ジミーのプレイは、やっぱり三つ子の魂で、大々的にライド・ベルを使っています。まったく、それも無理はないという思うほど、後年同様の美しいライド・ベルです。やっぱり、人間、十代のうちにプロトタイプは完成しているものだなあ、と思います。

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Teenage Jim Gordon on drums with Don and Phil Everly

まだこのとき、彼は自分がドラッグ中毒になるなんてことは思ってはいないんですよねえ。ドラッグだけなら、音楽界には山ほど例があり、そういってはなんですが、それほど深刻なことではなかったのに、それが精神分裂とむすびついて、親属殺人にまでいたってしまったことは、ほんとうに不幸なことで、かえすがえすも残念です。

しかし、毎度申し上げるように、世の中には百パーセント悪いことなどありません。ジミーはあの事件を起こす前から、すでに第一線からはずれつつありました。ドラッグ中毒ないしは精神分裂の悪化が原因かもしれません。どうであれ、彼はきびしい時代を肌で感じる以前に、塀の向こう側に「保護」されたのです。

シャバに残ったジム・ケルトナーの80年代以降のプレイヤー人生を見て、幸せだったかどうかと考えると、塀の向こうで浮き世の荒波から守られているジミーの人生だって、悪いことばかりでもなかった、と思えてきます。80年代以降のケルトナーだって、もちろんいい仕事をしていますが、でも、ハル・ブレインの言葉はささやかな幻想すら打ち砕きます。

「ハリウッドの音楽シーンは死んだ。ジム・ケルトナーほどのプレイヤーがツアーに出ているんだからな」

世が世なら、ハリウッドのドラマーのキングは、出稼ぎに行くなんて野暮なことはしなかったのだ、とハルは嘆いているのです。ハリウッドという町が、キングを外に出て行かせない仕組みだった時代を、ハルはよく知っているのです。

キャロル・ケイも、自分のBBSで何度も若いミュージシャンに話しかけていました。LAに来てはいけない、ここにはもう仕事はない、一流プレイヤーですら、月に一回しかセッションの依頼がなかったりするのだと。

ジミーは、そうした巷の変転とは無関係な世界で生きてきました。彼は、またプレイをしたい、とくにエリックとはまたやりたいといっているそうです(わたしはクラプトンがジミーの中毒を悪化させたと推測しているので、この組み合わせはやめたほうがいいと思うが)。

たとえ仮釈放になっても、そうした希望が実現するかどうかわかりませんが、すくなくとも、自由に発言できるようになることだけははっきりしています。ひょっとしたら、オフィシャル・サイトすら登場するかもしれません。しかし、プレイヤーとしては、第一線で世界中のドラマーに影響を与えるようなことがまた起こるとは思えません。彼自身のためにプレイすればいいだけのことです。

事件とその後の下獄のせいで、彼は歴史の証言者としての貢献はまったくしていません。出獄(まもなく実現すると予感している)後の余生は、その方面に力を入れてくれたらと願っています。下世話な話で恐縮ですが、金の使い道のない場所に四半世紀も閉じこめられているあいだに、Laylaなどの印税が手つかずのまま貯蓄され、いまやちょっとした金持ちだそうですから、隠居仕事に精を出しても生活に困ることはないでしょう!


by songsf4s | 2008-09-29 23:58 | ドラマー特集