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Breezin' by Gabor Szabo
タイトル
Breezin'
アーティスト
Gabor Szabo
ライター
Bobby Womack
収録アルバム
High Contrast
リリース年
1971年
他のヴァージョン
Geoge Benson
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「おれは、古いんで損したのは清盛の溲瓶と、そいから岩見重太郎のわらじだけだ」――古今亭志ん生「火焔太鼓」

ぎっくり腰にかかると、ひどいときにはその場に釘付けにされたようになって、それっきり動けなくなるという話をきいたことがあります。ぎっくり腰ではありませんが、十日ほど前、わたしも、「それっきり動けない」というのを経験しました。

幸い、寝転がって読書をしている最中にきた発作だったので、寝るのに困る場所ではありませんでしたが、ものすごい眩暈に襲われたときには、ただ、うわ、やばい、今度こそ、はい、それまでヨか、と思いました。

しかし、即死もせず、気も失わず、ただ悪寒、悪心、異常発汗、心悸亢進、過呼吸といったいつもの症状と闘うだけの発作とわかると、枕から頭を一センチ持ち上げることすらできない完全無力状態に意識がいき、こう思ったのです。

「このまま動けないと清盛の溲瓶だ」

f0147840_23535478.jpgいや、ふつう、ただ溲瓶〔しびん〕といえばいいわけで、「清盛」は不要です。それがただの溲瓶ではなく、「清盛の溲瓶」になってしまうのだから、いかにしつこく「火焔太鼓」を聴いたか知れようというものです。まあ、『平家物語』に出てくる清盛の死に様がひどいことも頭の片隅にあるわけですがね。志ん生が「清盛の溲瓶」というくすぐりを考えたときにも、『平家物語』が頭にあったのでしょう。

結局、その場で即死することもなく、数時間、寝たり醒めたりしてじっと耐えているうちに、しだいに頭を持ち上げることぐらいはできるようになり、溲瓶のお世話になることもなく(そもそも、そんなものははなからないので、たとえ必要になっても、どうにもならなかったのだが)、五時間後には、這ってトイレにたどり着きました。

で、もうすっかり健康かというと、そのへんはあやふやです。十日ほど前に、再度発作があるまでは、順調に快方に向かっていると思っていたわけで、今回も、だいぶよくなったと思った瞬間、また「その場に釘付け」にしてかつ「清盛の溲瓶」にならないという保証はありません。じっさい、百パーセントの健康体という自覚はまったくなく、どちらかというと、いまだ療養中の身と思って毎日を過ごしています。

でもまあ、音楽を聴いたり、タイプをしたりといったことも、長時間でなければできるようになったので、そろそろ、ゆっくりとブログも復活させようと思います。寝込んでいるあいだは、ログインもせず、ただときおり開いて、ぐあいの悪いコメントが書き込まれていないかチェックしていただけですが、数日前、久しぶりにログインして、アクセス数を見たら、毎日更新していたときとあまり変わらぬ数字でした。こういうのを見ると、早く再開しなければと焦るので、ログインしなかったのですけれどね。ともあれ、亭主留守中も訪問してくださったお客様方に厚く御礼申し上げます。

◆ ケルトナー、ウォマックの非ジャズ的ガッツ ◆◆
強烈な発作に襲われた日に取り上げようと思って、資料を読んで準備していた曲には錯雑した背景があるので、それは棚上げにして、今日は楽な曲、例によって「いまよく聴いている曲」を、ということで、ガーボウア・サボーのBreezin'を軽くやって、早々に退散しようと思います。

例によって、わたしはサボーのギターには関心がなく、前回のBacchanal同様、ジム・ケルトナーのドラミングを聴いているだけです。いや、ケルトナーのドラミングだけにかぎれば、ほかの曲のほうがいいのですが(たとえばAmazonやFingersやJust a Little Communication)、Breezin'は、ジョージ・ベンソンのカヴァーで人口に膾炙しているし、夏向きでもあるような気がするので、これを看板にしました。

そもそも、当家のサボー=ケルトナー・シリーズは、Bacchanalでのケルトナーのドラミングがすさまじいので、ほかのサボーの盤でのプレイはどうなっているのだ、という好奇心からはじまったことです。Bacchanalのつぎにケルトナーが参加したサボーのアルバム、1969はまったくの期待はずれ、ケルトナーはぜんぜん活躍していませんでした。

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そして、本日取り上げる1971年のアルバム、High Contrastは、Bacchanalと1969の中間ぐらいの感じです。Bacchanalほど派手には叩いていませんが、この時期のケルトナーのポップ/ロック系セッション、たとえばニルソン(Without You)やジョン・レノン(Imagine)のときほど、スパルタ的地味地味プレイの極北でもなく、ほどほどに活躍していて、なかなか楽しめます。

High Contrastというアルバムのもうひとつの魅力は、Breezin'をはじめ、楽曲の提供もしているボビー・ウォマックのセカンド・ギターです。Fly Me to the Moon その1 by Bobby Womackのときにもチラッとふれたように、ボビー・ウォマックという人は、ギター・プレイもなかなか魅力的で、興味深い歌伴をすると思っていましたが、ギター・インストという文脈でも面白いバッキングをしていて、いささか感銘を受けました。

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これでリードが面白ければいうことがないのですが、そこはよくしたもので、この盤でもサボーのプレイは、ガッツもなければ、目覚ましいパッセージの一小節もなく、退屈の極みです(そもそもギブソンJ-160Eをアンプに通さないでほしい。わたしはこのギターを持っているが、1ピックアップで、しかも、サウンド・ホールのネック側の脇に取り付けられているため、アンプに通してもつまらない音色にしかならない。ジョン・レノンがそうしたように、アコースティックとしてコード・ストロークに使うべきギターである)。危うくヘナチョコ根性なしフュージョンに堕すところを、ウォマックとケルトナーのガッツあふれるプレイが救っています。だいたい、この手のふやけたジャズ系ギターインストは大嫌いなので(ストレートなジャズは嫌いではないが、ロックに色目を使ったものにロクな代物はない)、ケルトナーじゃなければ、はじめから聴いたりしません。

◆ すまじきは宮仕え哉 ◆◆
ハル・ブレインも好きだし、好調のときにかぎれば、ジム・ゴードンはそれ以上にすごいと思いますが、ジム・ケルトナーというのはなんとも不思議な人です。いや、もちろん上手いことは間違いありません。手はそこそこ動くけれど、フィルインで走る、突っ込むのタイムおそ松くんジョン・グェラン・タイプでもなく、きわめて正確なプレイをします。

じゃあ、どこが不思議かというと、「叩かない」ことです。すくなくとも70年代中盤までのジム・ケルトナーは、無茶苦茶に正確なタイムに裏打ちされた端正なグルーヴを提供するだけで、ハル・ブレインやジム・ゴードンのような、派手なフィルインはめったに叩かなかったのです。ジョン・レノンの盤における彼のプレイはその典型です。

もちろん、プロフェッショナルは仕事の種類に応じてスタイルを使い分けますが、ジム・ケルトナーは極端な地味好みでした。ほぼ同じ時期にスタートしたジム・ゴードンのすごさには、デレク&ザ・ドミノーズの段階で気づいているのに、ジム・ケルトナーのプレイですさまじいと感じたのは、ゴードンより遅れること十年、ライ・クーダーのBorderlineでのことです。鷹がいかに巧妙に爪を隠していたかわかろうというものです。

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70年代終盤にいたって、なにか心境の変化が起こり、羊の皮をかなぐり捨て、狼の本性を顕すことにした結果が、Borderlineにおける超絶プレイの連発かと思っていましたが、68年のBacchanalを聴いて、ジャズ系のときは叩きまくっていたことがわかりました。

そして、その3年後、ジョン・レノンやニルソンのヒット曲でプレイし、第一線のポップ/ロック系ドラマーとして活躍しはじめた年に、ジャズ系では、というか、ストイックに叩かなければならない歌伴とはちがう、インストではどのようなプレイをしていたかというのが、このHigh Contrastの興味の焦点でした。じっさいに聴いて、やはり「文脈しだい」なのだということがよくわかりました。そうしてかまわなければ、あるいは、そうするほうが適切ならば、やっぱり派手に叩いているのです。

それにしても、すまじきは宮仕え、歌伴になると、みんなストイックになるんだなあ、と思わざるをえません。ケルトナーは地味の極北ですが、それをいうなら、ジム・ゴードンだって、ニルソン(Everybody's Talkin')やグレン・キャンベル(By the Time I Get to PhoenixおよびWichita Lineman)やマリア・マルダー(Midnight at the Oasis。すごいプレイだと思うが、そう思うようになったのは四十をすぎてからのことで、ヒットしていたときにはなんとも思わなかった)のときなんか、無茶苦茶に地味です。

ハル・ブレインだって、シナトラが歌っているときに、派手なフィルインなんか入れませんからねえ。宮仕え、歌伴というのは、そういうものなのです。まあ、Strangers in the Nightのときのハルなんか、ほとんどなにもせず、ひたすら隠忍自重、耐えがたきを耐えるのですが、最後に、健さんと池部良よろしく、ほんのささやかな隙を衝いたフィルインで、ハル・ブレインここにあり、とデカデカと署名したあたり(ブライアン・ウィルソンのCaroline Noのフェイドアウト直前でも、やはり、一瞬のフィルインで「署名」をしている)、やはり、ゴードン、ケルトナーの二人のジムとは、器がひとまわりちがうと感じますが、まあ、ハルは例外、宇宙人ですからね。

◆ Two to Tango ◆◆
以前にも書きましたが、ジム・ケルトナーほど数多くのダブル・ドラムをやったプレイヤーをわたしは知りません。ジム・ゴードンと組んだジョー・コッカーのMad Dogs and Englishmenツアーをはじめ、キース・ムーン、チャーリー・ワッツ、アントン・フィグ(これは最低だったが!)、そしてリンゴ・スターなど、すぐに思いつくだけでも、じつにさまざまなプレイヤーと、さまざまなシテュエーションでダブル・ドラムを組んでいます。

今日、たまたま、リリース以来数十年ぶりに、Concert for Bangladeshを見たのですが、このときのリンゴとのダブル・ドラムは、なかなか楽しめました。ダブル・ドラムというのは不思議なもので、上手いプレイヤーが二人そろえばそれでオーケイとはいきません。ジャン&ディーンのいくつかのトラックにおけるアール・パーマーとハル・ブレインにしても、ジョー・コッカーのときのジム・ゴードンとジム・ケルトナーにしても、文句のない組み合わせのはずなのですが、どうもしっくりこなくて、それぞれ、単独で聴いたほうが面白いと感じます。

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たとえば、グレイトフル・デッドのビル・クルツマンとミッキー・ハートが典型ですが、二人のドラマーのタイムが大きく異なり、そのズレが気になってしかたないことがあります。デッドの場合、片方が正確、片方がすこしearlyなのですが、ジム・ゴードンとジム・ケルトナーのように、どちらも非常に正確なのに、やはりズレが気になる場合があるのだから、わけがわかりません。

Concert for Bangladeshのジム・ケルトナーとリンゴ・スターの場合、リンゴはややearlyで、すこしズレるはずだという先入観があるのですが、意外にもしっくりとおさまっています。タイムのズレが小さいからなのでしょうが、それよりも、もっと微妙なところで、両者の呼吸が合っているせいではないかという気もします。

それから、ケルトナーにもリンゴにも関係がないのですが、久しぶりに聴いて、ほほう、と感じたことがあります。「ハリウッド・ホーン」という臨時の名をあたえられたホーン・セクションが、なんとも気持ちのいい分厚い音を出していることです。Somethingなんか、むむうと唸りますぜ。ジョージが一瞬、笑いそうになっているのは、ホーンが予想外の厚みで攻めてきたので、ギョッとしたのだと思います。

ジョージ・ハリソンはメンバー紹介で、the Hollywood Horn led by Jim Hornというだけで、ほかのメンバーにふれていませんが、じつは、ジム・ホーンがいちばんペエペエで、残りの人たちのほうが大物ぞろいなのです。トランペットは大エースのオリー・ミッチェル、トロンボーンとテナーは、ともにウェスト・コースト・ジャズ時代からの生き残り(このあともさらにずーっと生き残って活躍する)であるルー・マクリアリーとジャッキー・ケルソーですからね。文字通り、ハリウッドのスタジオではお馴染みのレギュラーたちなのです(それがなんだって、NYのマジソン・スクエア・ガーデンくんだりまで出張っていったのか、そこはよくわからないのだが!)。

話をケルトナーに戻します。そもそもダブル・ドラムというのは面白いものではなく、どんなドラマーも単独で聴いたほうが味わいがあります。しかし、しいて好ましいダブル・ドラムをあげるなら、ジム・ケルトナーとミルト・ホランドのコンビではないでしょうか。

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ライ・クーダーのアルバムで、ケルトナーと組むとき、ホランドはほとんどつねにティンバレスをプレイし、トラップに坐ることはありません。でも、二人のドラマーの組み合わせ、ということを考えたとき、まっさきに思い浮かべるのはこのコンビです。タイムのズレに悩まされずに二人のドラマーのコンビネーションが聴いてみたいという方は、ライのParadise and Lunchをお試しあれ。

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いまだ体力不十分で、明日も状態がいいと予想するわけにはいかないのですが、目下のところは、最低でも二日にいっぺんぐらいの割合で更新をしようと考えています。映画TV音楽に復帰するにはもう数日かかりそうに思えるので、あと2、3曲、今日のように、なにも資料を読む必要がなく、フリーハンドで書けるものを取り上げることになるでしょう。
by songsf4s | 2008-08-20 23:57 | Guitar Instro