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The Fugitive(「逃亡者」) by Pete Rugolo (TV OST)
タイトル
The Fugitive
アーティスト
Pete Rugolo
ライター
Pete Rugolo
収録アルバム
N/A (TV OST)
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Si Zentner, Al Caiola
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本日は、わたし自身はほとんど見なかった「逃亡者」のテーマ音楽です。「逃亡者」は、アメリカ製テレビドラマとしては、おそらく三本指に入るヒット作でしょう。まるで日本製のドラマのように、主演のデイヴィッド・ジャンセンや、その役名であるリチャード・キンブル、そして、謎めいた「片腕の男」は有名でした。

外国テレビドラマ評論家でもやっているのかと思うほど、なんでも見ていた小学生のわたしが、なぜこのドラマを見なかったかについては、ウディー・アレンが『アニー・ホール』の映画館のシーンで説明しています。「途中から映画を見るのは大嫌いなんだ!」

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いや、本編を途中から見るのは、まだマシです。待っていれば、一周して、開巻にもどり、話はつながります。子どものころは、映画館の都合にあわせて生活するのはむずかしく、外出できる時間は短かったので、しばしば途中から映画を見たものです。いまになって思うのですが、映画を途中から見て、この人物とこの人物はなぜ対立しているのだろうか、なんてことを想像してみて、あとで回答を知るというのは、いくぶん倒錯的ではあるものの、想像力の訓練になるのではないかという気がします。

しかし、テレビはそうはいきません。「前回までのあらすじ」みたいなものがあったとしても、あらすじはあらすじにすぎませんからねえ。あらすじですむことなら、だれも1時間ドラマなど長々と見たりせず、「あらすじだけを見て」すませるにちがいありません!

しかし、よく考えると、はじめからこのドラマを見ていたとしても、途中でやめたのではないかと思います。わたしは、連続ドラマというのは子どものころも大人になってからも、ほとんど見たことがないのです。第一回から最終回まで、きちんと全部見たのは「プリズナー・ナンバー6」だけじゃないかと思います。あれだって、最初の放送のときは飛び飛びになってしまい、70年代なかばの再放送のときに気合いを入れて(まだ安価なVCRが普及する以前だった)、やっと最終回まで通しで見ることができました。

f0147840_22442380.jpgしかし、「プリズナー」は例外です。たかがドラマなんだから、「気合い」なんか入れて見るのではなく、テレビをつけたら「たまたまやっていた」ぐらいが理想でしょう。昼食ができあがって、箸をとり、テレビのスウィッチを入れると、たまたま「CSI」をやっていて、ちょうど解剖の真っ最中、医師が変死体の肝臓を取り出し、秤に載せているところで、ギャッと食べ物を飛び散らせそうになる、なんていうのが、テレビドラマの見方としてはノーマルだと思います(アブノーマルだってば!)。

いつまでも決着のつかない話を、何十回も付き合わされるのはあまりありがたくないし、子どものころは、いまよりもっと気短だったので、はじめから見ていたとしても、わたしはあっさり「逃亡者」は見なくなっただろうと思います(結局、リチャード・キンブルの無実が証明されるのは1967年のこと。見なくてよかった!)。そもそも、「逃亡者」は地味なドラマで、子どもが面白いと感じるタイプのものではありませんでした。ちらっと見たときのわたしの印象は、『ああ無情』のジャン・バルジャンみたいだ、というものでした。『ああ無情』も、退屈で投げた本のひとつです。

映画『ヘルプ!』のバハマのシークェンス、ファブ・フォーが自転車に乗って田舎道を走っているシーンをご記憶でしょうか。十字路のところで、4人がぐるぐる廻りながら、逃げてばかりでいいのか、立ち向かおうじゃないか、といい、反撃に転じるというくだりがあります。十二歳のわたしは、『ヘルプ!』のなかで、あのシーンにもっとも共感しました。逃げるのは大嫌いなのです。「逃げる男」たち、ジャン・バルジャンも、リチャード・キンブルも、子どものわたしには我慢のならないキャラクターでした。敵に背中を見せるな、正面に向き直って戦え、なのです。ジョン・ウェイン映画を見すぎた、時代遅れの小学生だったのです。

◆ 各ヴァージョン ◆◆
さて、テーマ音楽です。例によってYou Tubeにタイトルがありますが、今回は日本語版と、どのシーズンのものかわかりませんが、英語版のオープニングとエンディングのセットがあります。しかし、最終回のオープニングというのを見ると、日本語版に近いのはこちらのほうです。まあ、重要ではないので、どれがどのシーズンのものかとか、そういうことはほうっておきます。

f0147840_22474263.jpg作曲のピート・ルゴーロは、ハリウッドのアレンジャーで、いま泥縄でチラッとディスコグラフィーを見たら、ジューン・クリスティー、パティー・ペイジ、フォー・フレッシュメン、ビリー・エクスタインのアルバムなどで、アレンジとコンダクトをしたとありました。ビリー・メイ、ネルソン・リドル、ゴードン・ジェンキンズ、マーティー・ペイチ、ショーティー・ロジャーズ、ニール・ヘフティーといった、「第一グループ」の売れっ子とはいかないまでも、ピート・ルゴーロも、それなりに名の通ったアレンジャーでした。

番組はあまり見なかったのに、テーマ音楽のほうはよく記憶しています。それだけ印象的だったのでしょう。G-F-D-E、G-A-B-F-E-C-Dという冒頭の管のフレーズは、たしかによくできていると思います。弦のピジカートによるリフも切迫感を生み、同時に、モダーンな感覚を生むのにも貢献していると思います。

サイ・ゼントナー盤では、この弦のピジカートのパートを、複数のギターとフェンダーベースで置き換えていて、よりいっそう、時代に添ったサウンドに仕上げています。何度か書いているように、もうギターの時代に入っていたのです。

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アル・カイオラ盤は、ピート・ルゴーロやサイ・ゼントナーのように、いかにも「必死の逃亡中」という切迫感はなく、クールなヴァージョンです。ギターのトーンをつぎつぎと変化させるという工夫がなされていて、カイオラとしても、やはりかつてとは異なるギターの時代への対応が必要になったのでしょう。後半、ギターとオルガンのデュオになるところが非常に魅力的なサウンドなのですが、残念ながら、あっという間に終わってしまいます。

「逃亡者」のスタートは1963年なので、おもなリード楽器は管のアンサンブル、裏のリフは弦のピジカートにする、というピート・ルゴーロの選択は、その時点ではいたってノーマルで、まちがってはいませんでした。しかし、翌1964年にはビートルズがアメリカを「征服」します。65年には『ゴールドフィンガー』と『荒野の用心棒』という、ギターをフィーチャーしたOSTをもつ映画が大ヒットします。リチャード・キンブルがジェラード警部に追われ追われて逃げまわっているあいだに、世間はすっかりギターの時代になっていました。そういう時代の変化が、サイ・ゼントナーとアル・カイオラという2種のカヴァーにあらわれています。

リチャード・キンブルが転覆した列車から脱出したのは、音楽的にいえば「ガール・グループ最後の年」、すなわち、ロネッツのBe My Babyの年です。キンブルの無実が証明され、「あの男」が犯人だったことがわかったのは、なんとその4年後、サイケデリックの年、ジェファーソン・エアプレインのSomebody to Loveや、ドアーズのLight My Fireや、プロコール・ハルムのA Whiter Shade of Paleが、ビルボード・チャート・トッパーになった年です。

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乾直明『ザッツTVグラフィティ』より

この1963年から67年という4年間は、リチャード・キンブルにとっても大変な時期でしたが、アメリカ音楽史においては、もっとも変化が激しかった疾風怒濤の時代です。わたしが専門的に研究しているのは、この4年間であるといってもいいほどの重要な時代、あらゆることが起きた時代です。

ピート・ルゴーロにはなんの責任もないことですが、63年の段階では申し分のなかった「逃亡者」のテーマ曲は、このドラマが終わったときには、おそろしく気の抜けたサウンドになっていました。そのことは、1967年に生まれたドラマのテーマ曲を取り上げるときに、もう一度検討するつもりです。

◆ 幻のデイヴィッド・ジャンセン主演作(?) ◆◆
予定よりテキストが短くすんだので、ちょっとよけいなことを書きます。デイヴィッド・ジャンセンの顔を見ていて、そういえば、と思いだしたことがあるのです。今日の曲にはまったく無関係なことなので、お暇な方だけお付き合いください。それでは、御用とお急ぎのない方だけ、まずは絵を見ていただきましょう。

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これは「ミステリ・マガジン」1973年1月号に掲載された劇画版『長いお別れ』の連載第一回の冒頭5ページです。映画好きの方ならおわかりのように、コミックとはいえ、構成は映画そのまま、それもアヴァン・タイトルになっているという凝りようです。おかげで、デイヴィッド・ジャンセンの顔とタイトルが出るまでに5ページもスキャンするハメになってしまいました!

この5ページでおわかりでしょうが、この矢作俊彦(まだ短編をいくつか書いた程度で、処女長編『リンゴォ・キッドの休日』の上梓にはだいぶ間がある)演出のコミックは、「キャスティング」の妙を楽しませるものです。『長いお別れ』がどういう話であるかは常識として説明は省きますが、テリー・レノックスがジェイムズ・ディーンというのは、だれが考えても、ほかの俳優はありえないというところでしょう。

フィリップ・マーロウというのはじつにむずかしい役柄で、だれがやってもみなうまくいかなかったという印象があります。ロバート・ミッチャムのマーロウ(『さらば愛しき女よ』)だけは、もうすこし痩せていて、もうすこしからだが動けばなあ、惜しいなあ、と思いました。

このコミック版『長いお別れ』が、デイヴィッド・ジャンセンにマーロウをやらせたのを見て、最初は、そうかなあ、と思いました。しかし、読み進むうちに、だんだんイメージが整ってきて、じっさい、ジャンセンにマーロウをやらせてみればいいのに、と思うようになりました。みなさんも、しばらく、デイヴィッド・ジャンセンが演じるフィリップ・マーロウというのを想像してみていただけたらと思います。

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by songsf4s | 2008-08-03 23:24 | 映画・TV音楽