- タイトル
- Lolita Ya Ya
- アーティスト
- The Ventures
- ライター
- Bob Harris, Nelson Riddle
- 収録アルバム
- Going to the Ventures Dance Party
- リリース年
- 1962年
- 他のヴァージョン
- Nelson Riddle (OST)

体調がわるくなってから一週間がたったので、このまま半病人状態を恒常化するわけにはいかないと、今日は2時間ほど歩いてみました。海岸にパーゴラがあり、陽射しを遮る屋根としては不満足ではあるものの、藤のかわりに、周囲に夾竹桃が20本ほど植えてあります。これが300パーセントの満開という感じで、上から下までびっしり花をつけていました。
白い夾竹桃ならけっこうなのですが、紅い夾竹桃なので、涼しげではありません。それどころか、これだけ盛大に咲いていると、強い毒をもつことを否が応でも意識せざるをえず、なんだか禍々しいおもむきがあり、「殺戮の予感」という画題がぶら下がっていそうでした。夾竹桃は花期が長いので、植え込みとしては便利なのでしょうが、紅いのは暑苦しいから、白いのにしてほしいものです。
帰りに小さなスーパーマーケットに寄りました。ここはいつもビートルズばかり流れています。今日は入ったときがYou Won't See Me、つぎがNowhere Man、そしてI Want to Hold Your Hand、ここまでは問題なし。でも、そのあとがI Am the Walrusって、これはどんなもんでしょうねえ。購買意欲をそそる曲には思えないのですが。レジに並んでいるうちに、こんどはYou Know My Nameになり、またまた「ウッソー」でした。混んでいたら、つぎはRevolution No. 9を聴くことになったのではないかと思います! ナンバー・ナイン……ナンバー・ナイン……ナンバー・ナイン……。
◆ ギター・アンサンブルの系譜 ◆◆
Lolita Ya Yaは、もちろん、スタンリー・キューブリックの1962年の映画『ロリータ』のテーマです。といっても、小学生のわたしは、この曲を聴いたとき、映画を見たこともなければ、ウラディミール・ナヴォコフの原作も知りませんでした。いや、いまだに映画は見ていませんし、ナヴォコフの小説も、高校のときにチラッと読みかけて、退屈なので投げました。よって、いまだにどういう話なのか知りません。
前回、申し上げたように、こういうときは双葉レヴューのお世話になるのがいい、と思ったのですが……まあ、ご覧あれ。


これでは、どういう話なのかわかりません。よほどお気に召さなかったのでしょう。キューブリックというのは、出来がどうこういう前に、『バリー・リンドン』のように、なんでそんな話柄を選んだのか、と思うことがあり、そういうのは飛ばしました。『時計じかけのオレンジ』も意味不明で、面白くもなんともありませんでした。アントニー・バージェスの原作のほうがマシ。リアルタイムで見たもので、面白かったといえるのは『2001年宇宙の旅』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』のみです。
いやまあ、今日は映画音楽の話ではあるものの、わたし自身、見ていないのだから、その映画の中身も、スタンリー・キューブリックもどうでもいいのです。曲があれば、それでいいのです。
非常にシンプルな曲で、CalcuttaやNever on Sunday同様、またしても非「エレキ・バンド」的なアレンジ、サウンドです。いや、たんにロック的ニュアンスがゼロだというだけで、ギターインスト・バンドとしては、じつは、王道をいく曲といっていいでしょう。
子どものころ、このLolita Ya Yaが大好きだったのですが、いったん、ヴェンチャーズ名義の盤とは完全に縁が切れ、この曲のことも忘れました。思いだしたのはCDの時代になってからのことです。小学生からいきなり中年男までジャンプしてこの曲を聴いてみて、やっぱり三つ子の魂百までだ、と膝を叩きました。のちに明白になる好みがこの曲にすでにはっきりあらわれていたのです。
どういう好みかというと、モビー・グレイプのRounder、オールマン・ブラザーズのIn Memory of Elizabeth ReedやBlue Sky、トッド・ラングレンのLove of the Common Man、スティーリー・ダンのReelin' in the Years、レーナード・スキナードのSweet Home Alabama、アンドルー・ゴールドのDo Wah Diddy、リンダ・ロンスタートのWhen Will I Be Loved(ギターはアンドルー・ゴールド)という系譜です。こうしたトラックをご存知の方なら、共通点は簡単におわかりでしょう。複数のギターによるアンサンブルです。






いや、リズム・ギターがあって、リード・ギターがあるだけでも「複数のギターによるアンサンブル」といえるので、もうすこし特定すると、「2本以上のリードギターがユニゾン、オクターヴ、あるいは、3度、5度などの協和するフレーズを弾くアンサンブル」です。厳密にいうと、この定義ではレーナード・スキナードのSweet Home Alabamaはオミットしなくてはならないかもしれませんが、まあ、入れておいてください。受ける印象としては近いのです。
わたしはこのタイプが大好きなのですが、そうしょっちゅうは出くわしません。2人以上のリード・ギターを抱えているバンドというのは少ないからでしょう。こういうことをライヴでできるバンドがあるとしたら、60年代、70年代でいうと、モビー・グレイプ(じっさい、Rounderのライヴ録音がある)、レーナード・スキナード、ウィシュボーン・アシュ、オールマン・ブラザーズといったところでしょうか。

結局、スタジオでごく稀に起こる景物というべきであって、それを売りものにしたグループは存在しないのではないでしょうか。
◆ キング・オヴ・ギター・アンサンブル ◆◆
スタジオで、ということにかぎるなら、ギター・アンサンブルをもっともたくさん録音したのは、ヴェンチャーズ・プロジェクトです。ツアー用ヴェンチャーズにはそんな技量はありませんでしたが、スタジオでは、ビリー・ストレンジ、トミー・テデスコ、グレン・キャンベル、ジェイムズ・バートンといったハリウッドを代表する手練れたちがリードをとっているので、やりたければ、ギター・デュオぐらい簡単にできたのです。
Lolita Ya Yaが収録されたGoing to the Ventures Dance Partyのひとつ前のアルバム、Mashed Potatoes and Gravyが、ヴェンチャーズ・プロジェクトにおけるダブル・リードのピークでしょう。アルバム・オープナーのLucille、Mashed Potatoes Time、Poison Ivy、Scratchなどでダブル・リードが使われています。

しかし、もっとも精緻なギター・アンサンブルは、Lolita Ya Yaです。ダブルなんだかトリプルなんだか、クワドラプレクスなんだか、ええと、ファイブフォールドなんだか(いや、五重になった箇所はない、たんに勢いで書いただけ!)、もはや呼び名もわからないくらいに、たくさん積み重なったアンサンブルなのです。
ベース・ラインは、オリジナルのネルソン・リドル盤から受け継いで、微妙に変更を加えたもので、Ab-F-Eb-C-Eb-Bb-F-Eb-Fといったあたり(ちょっとちがうかも)なのですが、ヴェンチャーズ盤では、このベースからしてすでに単体ではありません。右チャンネルにミュートしたフェンダーベース、左チャンネルには、そのオクターヴ上に、ミュートしたギターが重ねられているのです。
イントロで鳴っているのは、あとはハープシコードとライド・シンバルだけなのですが、全員がきわめて正確なタイムでプレイしています。かつて、スタジオにおけるヴェンチャーズのメンバーを同定しようとしていたとき、Lolita Ya Yaを聴いて、これは日本に来たヴェンチャーズと称するバンドとはまったく無関係なプレイヤーたちだと確信しました。日本に来たツアー用ヴェンチャーズは、全員、タイムが甘くて、つねに突っ込み気味でしたが、このスタジオ録音のメンバーは、そんな素人臭いプレイはしていないのです。
イントロが終わり、リードギターが入ってきてからも、もちろん、きわめて魅力的です。年をとったわたしは、このトラックに夢中になった小学生におおいに共感しました。こういうトラックを愛する人間、すなわちそれがわたしなのです。小学生のときから、「わたしはすでにわたしだった」と感心しちゃいましたよ。いったい、何本のギターを重ねたのか、以前にも勘定しかけたのですが、結局、よくわかりませんでした。たぶんつねに鳴っているのは二本から三本なのでしょうが、それだけではないような気がする箇所もあります。
上述のギター・アンサンブルの例のなかで、唯一、トッド・ラングレンのLove of the Common Manのギターだけは、Lolita Ya Yaに近いと感じるサウンド、構成をとっています。あの世代は子どものころにヴェンチャーズを聴いた可能性があるので、トッドは自分なりにLolita Ya Yaのサウンドを再現しようと、Love of the Common Manでギター・アンサンブルをやったのだと空想しています。
◆ ギター・アンサンブルの稀少性 ◆◆
話はギター・アンサンブルに終始してしまったので、ネルソン・リドル盤の出番がなくなってしまいました。楽曲としてはいたってシンプルで、あまり加工のしようのない曲だと感じます。それで、カヴァーがほとんどないのでしょう。
ひとついっておかなければいけないのは、ヴェンチャーズ盤のアレンジの要素は、ネルソン・リドル盤にほぼすべて提示されているということです。ベースのオクターヴ上にギターを重ねる手法、女声コーラスによるスキャット、リード楽器がギターであることなど、そのままヴェンチャーズ盤に受け継がれます。ヴェンチャーズ盤がやった変更は、ギターを三倍、四倍に増やしたことぐらいなのですが、それが決定的なちがいをもたらしたのです。

ギターをオーケストラのリード楽器にするというのは、ネルソン・リドルの世代としては「学校では教わらない」外道な選択のはずで、それをやったところにハリウッドのオーケストレーターらしさを感じます。でも、世の中はさらに先に進んでいて、ただギターを使うだけでは時代遅れ、ギターを「いかに使うか」の工夫で勝負する段階に入っていた、それでヴェンチャーズ盤にしてやられた、といったあたりでしょうか。
ギター・アンサンブルが好きというわりには、そういうものだけを並べて聴いてみたことはありませんでした。全体を聴くのは面倒くさいし、そもそもスティーリー・ダンなどは、ギター・ソロとか、ジム・ゴードンのドラムとか、パーツが好きなだけで、バンドないしはプロジェクトしては大嫌いなので、全部を聴くのではなく、ポイントだけですが、とにもかくにもみな聴いてみました。
結論その1。ロック・バンドはものを考えない! 結局、エゴがぶつかり合ってしまうのだと思いますが、本気でギター・アンサンブルを追求しようとしたバンドは存在しないでしょう。グレイプなんか、その気になれば、ギター・アンサンブルなんかいくらでもできただろうと思いますが、彼らが話し合ったことは、この曲では「だれがリードをとるか」だけで、ジャンケンポンだったのでしょう! 三人でリードをとってみようという発想はついに出てこなかったのだと思います。まあ、音楽をやっているより、ラリっている時間のほうがはるかに長かったのだから、あの時代のサンフランシスコのバンドに、理性をもて、なんていってもはじまりませんが。
結論その2。ギター・アンサンブルは大いなるストレスである! ギター・アンサンブルは規定演技です。氷に円が描いてあるから、それをできるかぎり正確になぞって滑らなくてはいけません。まちがえたら、だれが聴いてもまちがえたように聞こえます。ロック・バンドをやるような若者は、そういう我慢は嫌いなのです。自由に、思いつきでつぎの音を鳴らしたいのです。たとえ決まり事のイントロ・リックでも、ちょっと崩してみたいときもあります。
面倒なアンサンブルをやったところで、すばらしい、などと賞賛するのはごく一握りの変わり者だけ、だれも熱心にやらないのは無理もないか、と思います。おかげで、どのギター・アンサンブルも強く印象に残っているのでしょう。はじめて出合ったギター・アンサンブルであり、たまたま出来もきわめてよかったため、Lolita Ya Yaは忘れがたいトラックです。