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番外篇 双葉十三郎『ぼくの採点表II 1960年代』

ちょっと体調芳しからず、画面をじっとにらんでいると、目がまわるので、久しぶりに、テキストの少ない、よそさんの作物を拝借するだけの、楽な記事で本日はお茶を濁させていただきます。

いろいろ確認したいことがあり、本棚から双葉十三郎の『ぼくの採点表』を引っ張り出してみたところ、やはり、なかなか面白いことが書いてあったので、このところ当家で取り上げた映画についての双葉評を拝借してみたというしだいです。

まずは、『日曜はダメよ』の記事からどうぞ。星印は、☆=20点、★=5点のつもりだが、あまり重視しないでほしいと著者はいっています。

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以前、allmusicのレヴューなんか引用しちゃいかん、あんなのは批評になっていないし、そもそも、ウェブは自分で書いてナンボである、ということをいいました。

f0147840_9503047.jpg双葉十三郎の『ぼくの採点表』は「スクリーン」誌に連載されたreviewすなわち紹介短評であり、批評すなわちcritiqueではありません。しかし、やはり、allmusicのレヴューのような、おまえ、耳はついているのか、耳があるなら、脳は大丈夫か、英語は書けるのか、そもそも読めるのか、読めるのなら、ちゃんと資料を読んでいるのか、読んでいるのなら、総合分析能力に問題があるにちがいないから、もう一度小学校からやり直したほうがいい、または医者に診てもらうことだ、といいたくなるようなチンピラいかさまレヴュー、アマゾンのタワケな読者評にも劣る代物とはまったく異なります。筋金入りの批評家が、プライヴェートな時間に、友人を相手にちょっとした座談でもするように、軽く、楽しい話、でも、笑顔の下からときおり人を刺す寸鉄が飛び出すという、大看板の噺家のお宅にうかがい、長火鉢のわきで師匠の茶飲み話でもきいているような気分になる「レヴュー」です。

おつぎは『荒野の用心棒』。

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reviewというのは、本来、芸になっていなければいけないものです。当家の記事も含めて、ウェブにおけるレヴュー類似のものは、「芸」を形成するだけの基礎ないしは前提(売り手と買い手がいて、金銭のやりとりがあり、その金銭の移動の条件として、一定以上の厳密性をもつ評価がなされる)をもたないため、永遠に芸になることはありません。

金を取れるレヴューとは、まずなによりも「呼吸」「テンポ」に裏づけられたものです。これがもっとも才能and/or修行を要するところで、昔は、この才能だけで文字を書いて食べた人がずいぶんいたものです(いまは文章の呼吸、リズム、テンポを評価できる人間が地を払ったので、もうメシは食えない。好かれない芸が廃れるのは世の常なのである)。音楽においても、いいプレイヤーはタイムがいいものですが、文章においても、いいプレイヤーは生まれつきタイムがいいのです。

つぎに、限定的スペースのなかで、必要な要素をある程度のプライオリティーをつけてすべて盛り込む、言い換えるなら、読者が知りたいと感じるであろうことがらを、構造化して(つまり、序列をつけて)すべて書き出す、ということです。そして、最後に、自分が言いたいことを簡潔に述べることも重要です。

この双葉十三郎の『荒野の用心棒』評は、必要な要素をすべて盛り込む、ということにかけて、やはり名人芸だと思います。後年にいたって重要性をもってくる要素まで、この時点できちんと押さえてあります。たとえば、監督はクレジットとは異なり、セルジオ・レオーネであること、イーストウッド扮するガンマンには名前がないこと、なども押さえてあります。やがて、この主人公による一連の作品は「名なしのガンマン」シリーズと、日本以外の国では呼ばれるようになるのです(日本の配給会社は、シリーズに属さない無関係な作品に『続・荒野の用心棒』などというタイトルを付けたために大混乱となり、「名なしのガンマン」シリーズという言葉が使えなくなった。われわれの国はこういうところでつねに世界から孤立するようになっている)。

また、おそらくは黒澤明をはばかったのでしょうが(雑誌社としてはつまらないところで黒澤の不興を買うわけにはいかない)、『用心棒』はダシール・ハメットの『血の収穫』のプロットを無断借用したものだという点は、この双葉評からはオミットされています。そして、『血の収穫』の主人公は「コンティネンタル・オプ」ないしは「名なしのオプ」と呼ばれるシリーズ・キャラクターです(「オプ」とはoperative=私立探偵の略)。

双葉十三郎はミステリー通でもあり、チャンドラーの翻訳もあるほどで、そのへんのことを知らないはずがありません。雑誌社の意向をくんで、黒澤の無断借用への言及は避けつつ、いっぽうで、主人公が「名なし」であることに言及して、ハメットの『血の収穫』を連想するように促しているのでしょう。編集部の顔を立ててつつ、どうにかこうにか、書くべき最低限のことは書いたこのへんの綱渡りはまさに「芸」です。

つぎは劇場版ナポレオン・ソロ第一作のレヴュー。

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これを読んで、なるほど、そういうことだったか、と納得しました。タイトルのどこにも「ナポレオン・ソロ」とか「0011」といった、テレビ番組の映画化であることを示す手がかりがないのです。公開月を見れば、その謎はあっさり解けます。65年1月の公開なのです。まだテレビ版がはじまっていないので、「0011ナポレオン・ソロ」というタイトルそのものがまだ存在していなかったのです。

ナポレオン・ソロの記事に、1965年に3本ほどの劇場版ナポレオン・ソロを見た記憶があると書きました。テレビが6月からはじまり、その後半年で3本の劇場版公開は異常に多いな、と思いましたが、この双葉レヴューを読んで、そういうことではないとわかりました。いや、この本でその後のナポレオン・ソロ劇場版がどうなったかを追跡すると、65年公開は2作のみ、第3作は66年2月公開となっています。子どものころの記憶というのは、学齢を単位としているから、わたしの主観としては「年間3作」という記憶に謬りはないことになります。

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体調が悪くなると、気も変わってしまうのですが、いまのところは、まだしばらくは1965年を中心としたテレビ、映画の音楽を追いかけるつもりでいるので、双葉レヴューにもまた登場してもらうつもりです。

30分も画面を見ていると、気分が悪くなってくるので、この状態が解消されないかぎり、毎日更新という習慣は復活できないでしょう。元のペースに戻るのは来週ぐらいになるのではないかと考えています。引っぱる気はなかったのですが、Never on Sundayのつづきを書ける感じはまったくしないので(いまの体調で大量のヴァージョンを聴けるとは思えない)、これはたとえ完結するにしても、ずっと先のことになるだろうと思います。
by songsf4s | 2008-07-28 21:45 | その他