人気ブログランキング |
Titoli (from "A Fistful of Dollars") 邦題「さすらいの口笛」 by Ennio Morricone
タイトル
Titoli (from "A Fistful of Dollars")
アーティスト
Ennio Morricone
ライター
Ennio Morricone
収録アルバム
A Fistful of Dollars: An Original Soundtrack Recording
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Hugo Montenegro
f0147840_23545734.jpg

[お知らせ]
(本文中の重要なリンクが空になっていたミスを修正しました。-7月19日午前9時)

テレビドラマのテーマを取り上げたためなのかなんなのか、理由はよくわからないのですが、当家の水準からすると今週はむやみにお客さんが多くて、ちょっと戸惑っております。

いや、たくさんのお客さんにご訪問いただけるのはまことにありがたいことです。その点に不満があるわけでは毛頭ありません。ただ、当家の習慣として、記事公開直後にはまだ写真の貼りつけが終わっていないことが多いのです。よくいらしている方はそのへんは先刻ご承知で、深夜0時台は比較的静かだったのですが、このところ、新たにいらした方が多いのか、この静かなはずの時間帯に20人もいらしてしまった日があり(静かな当家の基準からいうと、まるでラッシュ)、いつも公開後にのんびり写真を貼りつけているわたしは、おおいにあわてました。

公開と同時にお客さんがたくさん来てくださるのはすごくうれしいことです。励みになります。しかし、当家の公開はじつは「仮公開」であり、カレンダーの表示の都合にすぎないのです。じっさいには、写真の貼り付けはおろか、まだ文字校ができていなかったり、ひどいときには小見出しすら空白になっていたりすることがあるので、わあ、せめてパンツを穿くまで待ってちょうだいな、と悲鳴を上げてしまいます。

当家で話題にするようなことがらは、みな数十年前のものです。あわてて読まなければならないほどの話柄はありませんから、ゆるりとご来訪いただけたらと思います。まあ、公開直後に来て、未完成の記事を読み、ミスを見つけるのが楽しい、という変わった趣味の方もいらっしゃるでしょうが、そういう方はべつとして、ふつうの方は午前1時ごろにいらっしゃるか、または翌日にご覧になるほうがよろしいのではないかと、よけいなお世話ながら、思うしだいであります。

◆ 尋ね人の時間 ◆◆
一周年をすぎたので、「なんらかの意味で季節に即した曲を」という、これまでのルールを枉げ、今月は気ままにやると宣言して、エキゾティカからスタートし、いつのまにかテレビドラマのテーマに迷い込んでいました。途中で、ノスタルジーのほうにすこしシフトする、ということも申し上げました。

そのように受け取られたかどうかは微妙なのですが、わたしのつもりとしては「1965年、音楽的な岐路に立っていた、少年時代の自分自身の肖像画を描く」というのが、途中から浮かびあがってきたテーマです。

音楽的な岐路ではありますが、ロックンロール方面は当家のメインラインなので、そちらには踏み込まず、やがてガチガチのロックンロール・キッドに成長し、その過程で忘れ去ってしまった方面の音楽を主として取り上げてきました。「ロックンロール未満」の子どもが、どういう音楽に関心をもったか、です。

忘れられない、あるいは、一度はみごとに忘却してしまったテレビドラマのテーマは、まだまだたくさんあります。もう一度、そのあたりに戻るかもしれませんが、そろそろ映画音楽のほうに歩を進めようと思います。

1965年に見た映画でもっとも記憶に残っているのは、ジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグが共演した『黄金の男』です。テーマ曲もまだメロディーとサウンドをセットにして覚えているほどです。ところが、わが家にはこのサントラやヴィデオがないだけでなく、ウェブを探しても、音も絵もなんにもなくて、記憶を確認することもできないし、みなさまに試聴していただくこともできません。よって、この映画とテーマは断念しました。

f0147840_004868.jpg

もし、どなたか盤をお持ちで、すでにファイルにしてあったら、ご喜捨願えないでしょうか。ご連絡はコメントでもけっこうですし、toodleoo@mail.goo.ne.jpにメールを送ってくださるのでもかまいません。よろしくお願いします。原題はEchappement Libre、ジャン・ベッケル監督の1964年の作品です。

◆ そもそもの大誤解 ◆◆
60年代中期の映画の傾向ははっきりしています。スパイものか、マカロニ・ウェスタンです。もちろん、ほかにもさまざまな映画がありましたが、時代の傾向としては、このふたつしかないというほど、支配的なジャンルでした。そして、この二者には共通点がありました。音楽が魅力的だったのです。

今日はまず、マカロニ・ウェスタンのそもそもの出発点にして、最初の大ヒット作である『荒野の用心棒』(A Fistful of Dollars)の挿入曲、Titoli(「さすらいの口笛」)を取り上げます。この曲には、ちょっとした誤解がからまっているので、まず、You Tubeでタイトルをご覧になっていただけると、話が簡単になります。

このタイトルで流れる曲が、本日、わたしが取り上げる曲なのですが、ただし、これは映画『荒野の用心棒』のテーマ曲ではありません。Theme from 'A Fistful of Dollars'という曲が別にあるのです。だから、You Tubeにあるこの画像の表題は間違いです(あるいは、この表題ならべつの曲にするべきである)。タイトルに流れる曲だから、テーマだと思ってしまうのは無理もないのですが、楽曲の戸籍にかかわることなので、そのへんは明確にする必要があります。

サントラ盤では、この曲にはTitoli (from A Fistful of Dollars)というタイトルが書かれています。また、近年の編集盤には、A Fistful of Dollars Overtureというタイトルで、Titoliのオルタネート・エディット(ロング・ヴァージョン)を収録しているものもあります。このタイトルなら、誤解を生まなかっただろうにと思うのですが、残念ながらはじめの一歩をまちがったために、いまだにTitoliとTheme from A Fistful of Dollarsにまつわる混乱は収まっていません。

f0147840_031452.jpg

さらにおかしな間違いがあります。ヒューゴー・モンテネグロの盤のなかには、For a Few More Dollars(『夕陽のガンマン』のテーマ)という曲に、Theme from A Fistful of Dollarsというタイトルをつけているものがあるのです。これもまた、Titoliがテーマではないことから来た混乱だろうと思います。

◆ メロディーメイカー、モリコーネ ◆◆
よけいなことばかりでひどく遠回りしましたが、ご存知の方には説明の要がいっさいない曲です。日本では「さすらいの口笛」という、いかにも日本らしいタイトルがつけられ、大ヒットしました。アメリカではオリジナルもカヴァーもヒットしていませんが、それも当然だろうと感じます。Dmの曲で、イタリア人や日本人はおおいに好みそうなメロディーとサウンドですが、どう見てもアメリカ向きではありません。

いま、泥縄でちょっとプレイアロングしてみたのですが、素直なマイナースケールで、「あれえ、なんだよこの音は」などと、フレット上のあちこちに指を彷徨わせたりする場面はありません。オーギュメントもフラッティッド・フィフスもナインスもサーティーンスもなく、演歌のようにきれいなマイナーなのです。

では、予定調和的で、平凡な曲かというと、そうではないところがエンニオ・モリコーネの非凡なところで、やはり、名を成す人というのは、どこかちがうものだな、と感じ入ります。

f0147840_082417.jpg
「ローハイド」の脇役にすぎず、ハリウッドでは芽が出なかったイーストウッドが、イタリアに都落ちしながら、起死回生の大逆転をして、スターへの道を歩みはじめたのは、この重要な小道具、シガリロの吸い方、扱いの手つきのおかげだったのではないかと思う。

プレイアロングをして、なるほどと思いました。どのヴァースも、だいたい似たようなメロディーラインなのですが、完全に同じラインではないのです。最初のヴァースで指の動きを覚えても、それが三番目のヴァースでのプレイを邪魔してくれます。

何度か書いていますが、インストゥルメンタル曲というのは、どのように変化させていくかが勝負です。シャドウズのDeep Purpleに書いたような、音域の移動もひとつの方法ですが、これはリード楽器を変化させられないギターコンボの特殊事情から導きだされたものといえるでしょう。

◆ オーケストレーター、モリコーネ ◆◆
オーケストラの場合は、まずなによりもリード楽器を替えていくことで目先を変えます。さらに音の強弱、楽器編成そのものの組み替え、カウンターメロディーないしはオブリガートのライン自体の変化、および、それを担当する楽器(の組み合わせの場合もある)自体の交換、そして、転調などの手段を組み合わせて、同じことの繰り返しになるのを防ぎます。結局、オーケストレーターの腕、格というのは、各楽器の性質を理解し、必要に応じて上記のような手段をどう組み合わせるか、そのセンス、状況判断によって決まるのだと思います。

エンニオ・モリコーネというと、このTitoliに代表されるような、独特の浪花節のようにパセティックな楽曲の作り手としての印象が強烈です。もちろん、その印象がまちがっているわけではないのですが、改めて子細にアレンジ、構成を検討すると、オーケストレーターとしても第一級の腕の持主だと感じます。構成に遅滞がなく、スムーズに、かつドラマティックに音の風景が変化していくのです。

f0147840_0153687.jpg
エンニオ・モリコーネ 譜面台には譜面ではないものがたくさん載っているのが、映画音楽のオーケストレーター、コンダクターの特徴なのだろう。そして、眼鏡が3種類! スクリーンを見なければいけない、手元のキューシートも見ないわけにはいかない、お年を召した方にはつらい商売。

流れが自然で心地よいことは、モリコーネのオーケストレーション全般についていえることですが、このTitoliに関して感じることは、リード「楽器」に口笛を選んだのはじつに適切だったということです。これが他の楽器だったら、日本で大ヒットすることはなかっただろうと思います。

オーケストレーションの初歩である「リード楽器の交替による変化」は、途中から登場する印象的なギターによって実現されています。この時代に見た映画というのは、どういうわけか、ギターが強く印象に残っています。でも、その話は、これから取り上げていくいくつかの映画のOSTで改めて考えることにします。

f0147840_02716.jpgこの曲のカヴァーは、わが家にはヒューゴー・モンテネグロのヴァージョンしかありません。しかし、これは「うーん」な出来です。リズム・アレンジはApacheの流用で、ハル・ブレインはフロアタムであのパターンを叩いています。これもピタリとはまったとはいいかねるし、全体的なアレンジ、サウンドも「料理方法がわからずに困った」といった雰囲気です。アメリカ人が苦手とする、マイナーコードを徹底的にパセティックに利用した曲だから、途方に暮れたのでしょう。アメリカ人リスナーには、こういうふうにマイナーのムードをトーンダウンしたアレンジが好まれるのかもしれませんが、日本ではぜったいに受けないし、たぶんイタリア人も好まないだろうと思います。

◆ 付録:短編アニメーション ◆◆
といっておしまいと思ったのですが、ひとつ、ぜひ書いておくべきことがあったのを思いだしました。

あとから考えると、ハリウッド映画の黄金時代は50年代前半まで、われわれの世代は、ハリウッドが思いきり零落し、その沈滞が底を打った時期の映画で育ったことになります。日本映画も長期低落のとば口に立っていました。

音楽に関しては、われわれほど幸運な世代はない、自分自身の成長期とハリウッド音楽の黄金時代がピッタリ重なり、すばらしい音楽をリアルタイムで経験できたと考えています。しかし、映画については、情けない時代に育ったとしかいいようがありません。音楽大富豪、映画極貧世代なのです。

そのなかでただひとつだけ、あの時代の映画はよかった、といえることがあります。それはグラフィックなタイトルです。どのあたりからそういう傾向がはじまったのか、そのへんはよく知りませんが、よくいわれるのは、ソール・バスがデザインしたヒチコックの『サイコ』のタイトルです。あとから見ただけですが、たしかにすごいタイトルだと思います。

わたし自身の経験、印象としては、まず『ピンク・パンサー』が抜きんでています。『シャレード』もすばらしかったと思います。文字の処理もよくて、60年代のデザイン・センスの卓越性が、こうした映画のグラフィカルなタイトルにあらわれているといえるでしょう。

f0147840_0424064.jpg

『荒野の用心棒』のタイトルも、イタリアのローカルなものではなく、60年代映画のグローバルなセンスによってつくられています。おそらく、ディズニーのアニメーションのように、実写フィルムのうえからなぞった絵か、または実写フィルムを光学化学的に処理したものでしょうが、『シャレード』ほどハイブロウではないものの、やはり、アメリカ市場を強く意識して、このようなデザインがなされたのだと感じます。

その後、こうしたグラフィカルなタイトルは廃れてしまいます。79年の『エイリアン』のタイトルが象徴的でした。暗黒に小さな文字がゆっくりゆっくり浮かびあがってくるあのタイトルは、ある意味で60年代のグラフィカルなタイトルの延長線上にあり、同時に、60年代的なお祭り騒ぎグラフィカル・タイトルの全面否定だったと感じます。

60年代の映画をリアルタイムで見たというのは、音楽とちがってあまり自慢にならないのですが、でも、館内が暗くなり、スタジオのロゴが映されたあと、それぞれに工夫を凝らしたタイトルが出てくるのはつねに楽しいものでした。まるで、短いアニメーション映画のおまけみたいだったのです。

『荒野の用心棒』のタイトルは、そういう意味で、きわめて60年代的なセンスでつくられたものであり、あれを見ると、この年になっても、まだワクワクしてしまいます。まあ、A Fistful of Dollarsの書き文字は、もうすこしなんとかなったのではないだろうか、とは思いますがね!

視覚的なことをいいはじめると、まだまだ山ほど書きたいことがあるのですが、マカロニ・ウェスタンを取り上げるのはこれが最後ではないので、後日に譲ることにします。

f0147840_048836.jpg

by songsf4s | 2008-07-18 23:58 | 映画・TV音楽