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Surfside 6 (TV OST)
タイトル
Surfside 6
アーティスト
unknown (TV OST)
ライター
Mack David, Jerry Livingston
収録アルバム
Television's Greatest Hits of the '50s and '60s
リリース年
1960年
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なんだか、いよいよマルセル・プルースト気取りになってしまったかのようですが、どのへんからアメリカ音楽に関心をもったのだろうかと考えていくと、ひとつの源流はテレビドラマだったような気がしてきました。

時間的順序だの、歴史的重要性だの、どれほどのヒットかなどというと、本日の「サーフサイド6」はプライオリティーが高くありません。ほかにもっと重要な番組の有名なテーマ曲があります。そのあたりの曲も取り上げるもしれませんが、とにかく、子どものころ、どのテーマ曲がいちばん好きだったか考えると、やはりSurfside 6なのです。

いま聴けば、コード進行もメロディーもシンプルですが、この明るさ、軽快さ、華やかさは、ハリウッドだけが生み出せる感覚であることは、アメリカ各地の音楽都市の性質を観察したいまになると、明快に読み取ることができます。

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シンプルと書きましたが、すくなくとも当時のドラマのテーマ曲としては、かならずしもシンプルとはいえないところも、この曲にはあります。テレビ番組のテーマ曲というのは、番組の冒頭、タイトルバックで流れるので、ランニング・タイムはせいぜい一分程度、たいていのテーマ曲ははじまったときのムードでそのまま終わります。しかし、Surfside 6は、明白なブリッジ、べつの曲をつなげたといってもいいほど、ムードの異なる中間部があるのです。

冒頭の、

Surfside 6 (What's that?)
Surfside 6 (An address?)
Surfside 6 (Where is it?)
In Miami Beach

という部分は、ドラミングからいえば、シンバルで4分を叩くだけのビッグバンド的な処理をしています。このあとに、最後には女声コーラスの「Cha cha cha」という掛け声が入る、チャチャチャというか、G-C-Dの3コードによる、ボンゴなどが入ったラテン・アレンジのセクションが登場します。厳密にいうと、ここまででも、すでに2種類の異なるリズム・アレンジが使われています。

このヴァースを2回繰り返したあとで、ブリッジに入ります。今度は転調して(テンポは同じ)、ストリングス入りのバラッドに変化します。ドラムも、シンバルのパターンを8分の刻みに切り替えます(プレイヤーはだれなのか気になるが、手がかりなし。この時代のハリウッドの映画関係の代表的ドラマーというと、シェリー・マン、ジャック・スパーリング、アーヴ・コトラーあたりだろう)。

Soft guitars under the palms
Will gently lead you to a lover's arms
See the waves kissing the shore
While you are kissing someone you adore

バラッド部分の歌詞は以上で(soft guitarsは、子どもには「ソッキート」にしか聞こえなかった!)、それらしい歌詞になっています。いや、べつにめざましいところはどこにもなく、だれもジョニー・マーサーが書いたなどと勘違いする気遣いはないでしょうが。

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Surfside 6 (l-r) Troy Donahue, Lee Patterson, Diane McBain and Van Willams.

出来はどうであれ、この二段構え(楽曲構成上)というか、三段構え(リズム・アレンジ上)というか、ドラマの主題歌にはめずらしい、変化に富んだ構成とリズム・アレンジが、あの当時に見た無数のドラマのなかで、この番組がとくに強く記憶に残った理由だろうと思います。そして、このテーマ曲が、わたしの音楽の好みのひとつの芽となったと、いまでは考えています。

◆ エキゾティカ空間の構造と設計 ◆◆
放映当時(アメリカでは60年の秋から、日本では翌年の秋から)、わたしは小学校低学年だったので、同年代以上でないとこの番組を見ている可能性はなく、興味は薄いかもしれませんが、すこしドラマのほうにもふれておきます。といっても、各エピソードのストーリーどころか、レギュラー陣のキャラクターすら覚えていないので(トロイ・ドナヒューだけが記憶に残った)、書くことなどほとんどないのですが。

f0147840_034863.jpg小林旭の「ダイナマイトが百五十屯」のときにふれた、『日活アクションの華麗な世界』の著者である渡辺武信は建築家です。その渡辺武信が、建築家にして映画研究家というふたつの側面を合体し、かつて新聞の家庭欄(文化欄や芸能欄ではない!)に、映画と住居をテーマにした非常に興味深いエッセイを連載していました。わたしも建築に強い関心があるし、映画のなかの空間構成というのは、つねづね気になっていたので、こういうものを読みたかった、と思いました。

渡辺武信は日活映画研究のオーソリティーですが、この連載はもっとひろく材料をとったものでした。でも、ちょっとだけ、「我田」を耕したりもしました。『赤いハンカチ』に登場するホテルの構造にふれた回なんか、「そうそう、あのホテルの廻廊! あれはあの映画の魅力のひとつだったねー」と、新聞紙に向かってうなずいちゃいました。

だれだって、映画を見て、そういうことが気になっているはずなのですが、そこに着目し、しかも、建築学的視点まで導入して、セットの構造と視覚効果をみごとに腑分けして文章にできる人なんか、まずめったにいるものではないので、この連載は毎回ものすごく楽しみでした。空前絶後の映画エッセイといっていいでしょう。

わたしは、映画のなかの空間配置が子どものころからすごく気になりました。たとえば、だれでもご存知のものをあげると、『ローマの休日』です。ふつうはグレゴリー・ペックとオードリーの恋の行方が気になるのでしょうが、わたしは、あのグレゴリー・ペックの住居の内外の構造がものすごく気になりました。とくに外。いったん門を入ってから、狭い外階段(とはちょっとちがう。斜面の土の上につくった階段だろう)があって、しかも、それが真っ直ぐではなく、なんだかむやみに複雑な造りで、最初は夜のシーンだということもあって、どうなってんだ、と思う仕掛けになっていました。

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『ローマの休日』 サンルーフのあるこの部屋の構造もちょっと興味深いものだったが、問題はこの外の構造の複雑さ。ドラマが起きないせいか、だれもあの構造に興味をもたないのか、そのシーンのスティルは見あたらなかった。

記憶があいまいなのですが、あれは、斜面のある敷地を壁で囲い、そのなかに斜面に添ってアパートが建ててある、という設定でしょう。アメリカだったら、ちょっと考えにくい構造で(いや、現実にはそういうところもあるだろうが)、あのデザインによって、説明抜きに、ここは(たとえ、外ではサザーン・カリフォルニアの太陽が輝いていても)ヨーロッパなのだ、イタリアなのだ、ローマなのだ、と納得させるための装置でした。

もう一度『赤いハンカチ』のホテルの構造にもどります。あれは、日本のなかに異国をつくる「エキゾティカ効果」を狙ったデザインだったにちがいありません。日本ではあまり見られない構造だからです。

建物の角にあいた出入口はそのまま一階ロビーにつながっています。このロビーはすくなくとも二階までは吹き抜けになっています。三階から上は映画には登場しないので、確定できませんが、たぶん二階建てなのでしょう。

ロビーの出入口に近い端にある階段をのぼって二階に上がり、吹き抜けの周囲をめぐっている廻廊を半まわり(だったと思う)すると、裕次郎が泊まっている部屋にたどり着きます。西部劇のサルーン、娼家、あるいは酒場兼宿屋にそっくりの構造なのです。

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『赤いハンカチ』 観客はこの部屋の外がどういう空間構造になっているかをつねに意識しながら、この部屋で起きることを見守る。

日活アクションのひとつの特徴は、こういうセット・デザインやロケ地選択によって、日本のはずなのに、とうてい日本には思えない空間をつくりだし、日本では起きそうもない物語に、なにがしかのリアリティーをあたえるのに成功したことでした(もちろん、この階上の廻廊から階下を見下ろせる構造は、演出上の効果を狙ったものでもあった。ここでは人が「斜めに出会う」ようになっている。そして、人が出会い、視線をかわし、言葉をかわすたびに、人物たちの運命は終局に向かって螺旋状に曲がっていく)。

『俺は待ってるぜ』の裕次郎のレストランも「異界」の装置でした。埠頭の引き込み線の脇、周囲に建物ひとつない、猫の子一匹いない荒野のような界隈に、ポツンとレストランがあるのです。通りかかるのは貨物車ばかりで、人間などめったにきません。そんなところで商売が成り立つかどうかはさておき(船乗りや港湾労働者を相手に商売をしているという設定)、あの異国的、いや、異界的立地を通して、われわれは「どこでもない国」の「だれでもない男女」の物語を、リアリティーのあるものとして受け容れる準備を整える仕組みになっていました。音楽のエキゾティカとパラレルなのです。

さて、やっと「サーフサイド6」にたどり着きました。ほかのことはみな記憶からとんでしまいましたが、ひとつだけ、このプライヴェート・アイ・ドラマで忘れられないことがあります。主人公の私立探偵たちのオフィス兼住居だった、ボート・ハウスです。

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「サーフサイド6」 渚通り6番ボート・ハウス。

あんなものは、日本にはいまだってないはずで、昔はなおさらエキゾティックに見えましたし、わたしはまだ幼かったので、外国というより、異界そのものに見えました。運河のだるま船で生活する人たちしか知らなかったので、あんな豪華な(当時の貧しい日本から見れば)家が海に浮かんでいて、短い桟橋をひとまたぎして(車を介在して)町と行ったり来たりするなんて、「異国的」を通り越して「異世界的」だったのです。

いまになれば、アメリカだって、そこらじゅうにゴロゴロしているものではないから、そのエキゾティズムが視聴者を惹きつけると計算して、ボート・ハウスなんていうものを舞台にしたことがわかりますが、わたしは日本人、しかも小学校低学年、ただそこに表現された空間に驚くだけでした。

そして、その異世界的風景をおおって流れる、「Surfside 6 (What's that?), Surfside 6 (Where is it?), in Miami Beach」という歌が、エキゾティカのように異世界の現実性を保証したのでした。いや、歌は「マイアミ・ビーチにある」と明言していますが、マイアミがどこにあるかも知らない人間には、火星にあるといわれているのも同然でした。音楽もまた、本質的に「異界の装置」なのではないかと思いますが、そういう面倒な話はまた後日に。
by songsf4s | 2008-07-10 23:57 | 映画・TV音楽