ギターを持った渡り鳥 by 小林旭
タイトル
ギターを持った渡り鳥
アーティスト
小林旭
ライター
西沢爽、狛林正一
収録アルバム
アキラ3
リリース年
1959年
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今月の風の歌特集では、日本の曲をどうするか、はじめたときからずっと悩んでいます。悩みに悩んで、とうとうあと一週間になってしまったので、ど真ん中のストレートにしました。

いや、ど真ん中のストレートは、当家の場合、はっぴいえんどだろうというご意見もございましょうが、わたしの頭のなかでは、やはり上座にデンと坐っているのはアキラなのです。なんといえばいいんでしょうねえ……。いい音楽というのは、それが流れた瞬間、その場の色を染め上げてしまうものだと思います。たとえば、映画のなかで、フランク・シナトラのNew York New Yorkが流れると、「そういうムード」になるでしょう? あれです。

はっぴいえんどの風の歌も、何度かCMに使われ、「そういうムード」をもっていることが証明されています。でもねえ、「ギターを持った渡り鳥」の「そういうムード」パワーたるや、「風をあつめて」どころじゃないですよ。いや、反論はしかと承る覚悟ですが(「しかと」が「シカト」と変換されてしまった。気が向けばユーザー皮肉るFEPかな)、でも、小林旭とはっぴいえんど、どっちが偉いか、と子どものケンカをすれば、これはもう、アキラというしかないでしょう。反論されても、子どものケンカだから、拳固で決着つけるしかありませんぜ。「拳をね、こう、隠しもってるんだね、貯蓄拳固……なんて」と志ん生もいっています。

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◆ 風がそよぐよ 別れ波止場 ◆◆
今日は歌詞とコードをいっしょにご覧いただきましょう。たんにタイプの手間をはぶきたいだけですが。

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かすれている文字はDm7です。じっさいのキーはEbなので、盤に合わせて弾きたい、あるいは小林旭と高音比べをしたい場合は、転調してください。

このコード譜に問題があるとしたら、「夜にまぎれて」のAでしょう。ここはペダルポイント的にDmのルートを半音ずつ下げるほうが合うと思います。コードでいうと、Dm-Aaug-Dm7というあたりです。コードネームにすると変なところにいくように見えますが、指板上では1本の弦を半音ずつ下げるだけ、キーボードならさらに楽です。

もう一カ所、「どこへゆく」のDm7とCのあいだに、G7をはさむほうがいいでしょう。IVから直接にIにもどるのではなく、一度VにいってからIにもどるというノーマルな手続きを踏んでいます。これがあると、「解決」した感覚、一巡した感覚になりますから。

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『ギターを持った渡り鳥』 小林旭と浅丘ルリ子。背後は函館の市街。

いきなりコードの話になってしまったので、先にその点からいきます。ポップ・ミュージック的にいうと、2行目までがヴァース、3行目から5行目までがコーラスになっています。ヴァースのコード進行はいたってノーマルです。

この曲の勝負は、アキラが例の脳天に突き抜けるハイ・ノートをヒットする、パセティックな味わいのコーラスのほうにあります。コードはおおむねノーマルに動きますが、メロディー・ラインは、半音ずつ上げたり下げたりするところが出てきて、ピッチの悪い歌い手(たとえば、かくいうわたし)がうたうと、気持ち悪く聞こえるくだりです。よほど自信のある方以外は、カラオケでは歌わないほうがいいでしょう。もっときびしい難所のある裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」同様、a must to avoidです。

うっかり、「脳天に突き抜ける」などと書いてしまいましたが、「ギターを持った渡り鳥」の最高音は「ファ」です。「ファ」ぐらい、わたしだって若いときは出ました(この年ではもう無理。ヴォイス・トレーニングを受けているキムラセンセにお任せします)。

なぜ、「ファ」ぐらいで「脳天に突き抜ける」と感じるかといえば、それはもう、これこそがアキラの武器だったからです(過去形で書かなければならないのは残念)。グラム・パーソンズがあの低音のクラッキングでリスナーをノックアウトしたように、アキラはハイ・ノートで聴き手の「魂をもっていく」のです。「フランク永井は低音の魅力」「漫談の牧伸次は低脳の魅力」なら、「小林旭は高音の魅力」なのです。

作曲の狛林正一は、そういうアキラの特長を生かすために、「ギターを持った渡り鳥」のコーラスに半音進行を使ったのでしょう。「これぞアキラ節」という、オーセンティシティーを確立する曲だったと感じます。

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『大草原の渡り鳥』 小林旭と宍戸錠。

◆ 「不良」の見る映画 ◆◆
1959年といえば、わたしはまだ小学校にも上がっていなくて、残念ながら、「渡り鳥シリーズ」は、リアルタイムでは、最後のほうのぐずぐずに崩れたものを見たボンヤリとした記憶があるだけです。

小学校に上がるまえからひとりで映画館に行っていましたが(幼稚園が休みのときは、託児所代わりに、お隣といっていいほど近くの大映東映併映館に「あずけられ」ていた。昼食後、映画館に連れていかれ、夕食前になると母親が「ごはんですよ」と迎えにきた。テレビ普及以前のお話)、日活だけは、ひとりでいくのを禁じられていたのです。

しかし、裕次郎と吉永小百合の映画はかなり古いものでもリアルタイムで見ています。裕次郎は母親のお供、吉永小百合は兄のお供なので、見られたのです。でも、父親がアキラのファンというぐあいには話がトントンと運ばず、だれも連れていってくれませんでした。ほかの映画館はぜんぶひとりでいっていたのに、日活だけは不可。これが当時の日活の価値だったといっていいでしょう。昔の表現でいうと、「不良の見る映画」です。

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『口笛の流れる港町』 小林旭と宍戸錠。

山田風太郎が、戦争直前の旧制中学時代、映画館に入ると退学だったということを書いていましたが、小林信彦のエッセイによると、戦後なのに、日活映画を見るのを禁じていた学校があったそうです。わたしが通った小学校では、そんなことはありませんでしたが、両親に禁じられたということは、あの時代、世間では「日活は不良の温床」というのは常識だったのでしょう。「不良」なんて言葉もいまでは懐かしいですがね。

じっさいには、大部分は禁じなければならないようなものではなく、穏当な映画ばかりです。とくに「渡り鳥」は、アウトロウと見られがちな流れ者が主人公ではあるものの、簡単にいえば、各地の地上げ屋(たいていが金子信雄)との終わりなき戦いの物語で、いたってモラリスティックです。

小学校高学年になると、親には東宝か洋画館にいくようなことをいって、日活にもぐりこんでいましたが、ロビーに怖い中学生や高校生がとぐろを巻いていて、通りかかる小心な小学生から小銭を巻き上げる、なんて気配もありませんでした。ほかの映画館といっしょです。ゲーム・センターのほうがよほど危険だったでしょう(もちろん、そちらのほうは、学校がきびしく立入禁止を言い渡していた。自動車模型のレーシングが流行していたころ、何度か兄に連れていってもらったことしかない)。だいたい、映画館に入ったら、映画を見るだけで忙しく、ほかのことなんかやれるはずもないのです。

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『渡り鳥いつまた帰る』 アキラとジョー。

◆ ♪あかーい、夕陽よー ◆◆
フラン・オブライエンの『第三の警官』に登場するド・セルビー教授が、「旅の記憶は一枚の写真のようなものになってしまう」という趣旨のことをいっていましたが、あらゆる記憶は、最終的には、スティルへと縮小していくような気がします。

映画館を託児所としていた時代に見た無数の東映時代劇の記憶は、結局、万事が解決し、旅に出ることにした主人公が、日本晴れの富士山に向かって歩いていく光景にまで縮小してしまいました(茶屋でだんごを食べていた子分の三下が、主人公がいなくなったのに気づき、あわてて「旦那、だんなー、待ってくださいよ~」と、これまた富士山に向かって手を振りながら走っていく、というシーンも追加される)。

では、「渡り鳥」はどこに圧縮されたかというと、アヴァン・タイトルで、小林旭が馬に乗って峠にあらわれ、眼下の風景を見下ろす、真っ赤な文字のタイトルが、起きあがってくるように、バーンと表示され、「あかーい、夕陽よー」で「小林旭 浅丘ルリ子」と併記で名前が出る、というシーンです。

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『大草原の渡り鳥』

なんでしょうねえ、あの晴れやかな気分は。いい年した大人としては、馬鹿馬鹿しいと思うのですよ。でも、「あかーい、夕陽よー」が出てきたら、もうそれ一色に世界が染め上げられてしまいます。このパワーはなんなのか?

まず第一に、やはりこのテーマ曲がじつによくできているということでしょう。並べて比較したわけではありませんが、映画ごとに新たに録音していたのだと考えています。いくつか、「あれ?」と感じたものがありました。もともと、かすかにそういう要素が組み込まれているのですが、カントリー&ウェスタン的なアレンジのものもありました。なかには、違和感があって、乗れないなあ、と感じた作品もありました。ということはつまり、このテーマ曲が、映画を見る気分を決定づける要素になっているということです。

当たり前です。プロットは似たり寄ったりで、意外性はなく、想像したとおりに運んで、想像したとおりに終わるようにできています。それがプログラム・ピクチャーというものです。すべては「パッケージ」されているだから、「同じ」テーマ曲が流れるのは死活的に重要なのです(東宝はこの点を理解していなかった。ゴジラが「シェー」をやったり、トゥイストを踊ったりすることに、子どもはどれほど失望したことか! 小林旭がテスコのギターを背負い、グヤのアンプを馬腹に提げて登場したら、だれだって失笑するはずで、それと同類の間違いを犯したゴジラ映画は当然、衰微した。え? そういう問題じゃないって? 問題はギターの種類ではなく、つねにギターを背負っているのからして変だ? いや、それをいうと映画が成立しなくなるので、いいっこなし)。

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『渡り鳥いつまた帰る』 アキラとジョー。はじめは敵役の悪党だったジョーは、いつのまにか滝伸次の相棒のようになっていた。

ノスタルジーにいくぶんか目を曇らされているのかもしれませんが、ああいう、晴れやかな気分になるシーンというのは、洋邦問わず、70年代以降の映画では出くわしたことがありません。やはり、楽天的な時代が生んだものではないかという気がします。

昭和30年代が、戦後日本の黄金時代であったかのようにいう気は毛頭ありません。あの時代は貧しすぎます。飢餓線上の極貧の生活をしている人がいても、べつに不思議とも思わなかった社会を、時間がたったからといって肯定するほど、わたしは度胸の据わった嘘つきではありません(「小心な嘘つき」ではある!)。現に、「渡り鳥シリーズ」は昭和30年代の日本の悪と闘う物語でした。あそこに描かれていたのは、現今とまったく同じ、もっている金額の多寡がなによりも重要な社会です。そんなものを肯定できるはずがありません。

でも、それでもなお、「あかーいー、夕陽よー」とアキラの声が流れたとたん、ほんの一瞬だけ、あれはいい時代だった、という錯覚に陥ります。当時の日本がよかったわけではなく、それが歌の力であり、小林旭という稀有のシンガーの力だということです。

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西沢爽『雑学 東京行進曲』 「ギターを持った渡り鳥」の作詞家は、いつのまにか音楽史家になっていた。すばらしい戦前期流行歌研究書で、おおいに感銘を受けた。

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by songsf4s | 2008-05-24 23:55 | 風の歌