- タイトル
- Trade Winds
- アーティスト
- Frank Sinatra
- ライター
- Cliff Friend, Charles Tobias
- 収録アルバム
- His Way: The Best of Frank Sinatra (originally 78 release)
- リリース年
- 1940年
- 他のヴァージョン
- Billy Vaughn, Bonnie Guitar (as "Down Where the Tradewinds Blow")
当地では、この五月は気温の差が大きく、こたつを片づけたのを後悔する日が数日あったかと思うと、昨日今日は暑くて、わが家でもっとも気温が高い場所である、仕事机に載せた寒暖計は28度までいきました。もうTシャツ短パン(というと、最近はハーフパンツだろうに、といわれるが、「Tシャツ、ハーフパンツ」はリズムが悪い)です。
おかげで、ちょっとためらっていた、このTrade Windsを取り上げる気になりました。でも、よく考えると、貿易風というのは、「恒風」と言い換えようという提案もあったほどで、季節に関わりなく、つねに吹いているんですよね。それなのに、夏のもののような気がするのは、赤道に向かって流れ込む偏東風だからなのでしょう。寒いところには吹いていませんからね。音楽のうえでも、おおむね、わたしの誤った観念と同じような扱いをされているようです。
◆ 東西ともに「貿易」風 ◆◆
それではファースト・ヴァース。
Down where you lose the day
We found a new world where paradise starts
We traded heart way down where the trade winds play
「貿易風がたわむれ、日々を忘れる場所で、パラダイスが生まれる新しい世界を見つけた、貿易風がたわむれる遙かな場所で、ぼくらは愛を誓った」
はなからむずかしくて、くじけそうになります。lose a dayだと、win a day「勝利を手にする」の反対の意味のはずですが、それでは意味が通りません。よって、loseを「敗れる」の意味ではなく、「失う」のほうだとみなし、文脈から考えて、「忘れる」といいたいのだと解釈しましたが、自信なんかかけらもありません。
trade heartも山勘です。「交換する」という意味から、「心を交換する」、ということはつまり、愛を誓う、といったあたりであろう、なんて考えただけです。trade windのtradeに引っかけたのでしょう(シナトラは単数形でうたっていうように聞こえるが、ボニー・ギターはheartsと複数にしているように聞こえる。複数のほうがいいのではないか? くどくいえばtrade our heartsなのでは?)。
しかし、Beyond the Reef by Elvis Presleyのときに書きましたが、trade windのtradeは貿易という意味ではなく、「通った跡」「通った道」という古い意味で使われていて、これを「貿易風」とするのは誤訳なのだそうです。だから、「恒風」などの代替案が生まれたのですが、結局、定着しなかったようです(いま、変換してみたら、ATOKの辞書に「恒風」はなかった)。
なるほど、「恒風」のほうが筋は通っているのでしょうが、これが定着しなかったのは無理もないと思います。まず、語呂がよくありません。同音異義語もあります。なによりも、観念的で硬く、イマジネーションを刺激しません。「貿易風の吹くサンゴ礁の島」なら20万円払って旅行したい人がいるでしょうが、「恒風の吹くサンゴ礁の島」では、せいぜい5万円の叩き売りがいいところでしょう。
言葉というのは、本然的に「呪文」なのです。だからこそ、われわれは言葉に縛られ、言葉に喜び、言葉に悲しみ、言葉に生き、言葉に死にます。呪力をもたない言葉に価値があるとはだれも考えないのです。たとえ誤訳であっても、なにがしかの呪力をもつ、「貿易風」という言葉は今後も生きつづけるでしょう。
そもそも、このヴァースでのtradeの二重の使い方を見ると、英語文化においても、trade windの言葉の由来は忘れられ、「貿易+風」という意味で使われている気配がうかがわれます。
◆ ことは定石通りに運び ◆◆
セカンド・ヴァース。
Flowers were in her hair
Under an awning of silvery boughs
We traded vows the night that I sailed away
「あたりは音楽であふれ、彼女の髪には花がさしてあり、大きな枝の銀色に燦めく葉の下で、ぼくらは誓いをかわした、出帆の夜に」
いかにも昔の歌らしい、絵に描いたようなロマンティシズムです。出帆したということは、語り手は異邦人、相手は地元の女性ということになるのでしょう(ボニー・ギターは女性なので、このあたりを微妙に変更している)。女性向けのいわゆる「ロマンス小説」では、依然としてこういう設定が使われたりしているのでしょうか。
ブリッジ。
Oh trade winds, are they only made to break
「ああ、貿易風よ、恋人たちの誓いとはなんなのだ、ああ、貿易風よ、それは破られるためのものなのか」
詠嘆調なんて、わたしだって書きたくはないんですよ。「嗚呼、紅涙に咽ぶ花子さんなのでありました」なんて、シャレにもなりません。でも、これは大昔の歌ですからね。いかんともしがたいのです。いまどき、風に呼びかけたりしたら、ふつうは笑いますよ。いや、去年、当家では「♪か~ぜが~呼んでる~、マイ~トガ~イ~」という曲を取り上げましたが!
ラスト・ヴァース。
Though I'm returning, it won't be the same
She traded her name way down where the trade winds play
「五月になったら、また船出するつもりでいる、あの土地に戻ることになるが、こんどはいつもとはちがう訪問になるだろう、あの貿易風がたわむれる土地で、彼女は名前を替えてしまったのだから」
結婚して姓が変わることを、trade one's nameと表現するのかどうか知りませんが、この文脈ではそうとしか解釈のしようがありません。結局、彼女は地元の男といっしょになってしまい、そこへ語り手が再訪するのでしょう。ん? ドラマがはじまるのはここからなんじゃないでしょうか?
◆ フランク・シナトラ盤 ◆◆
フランク・シナトラ盤Trade Windsは、1940年6月27日の録音と記録されています。マスター番号は2種類あるので、オルタネート・テイクがあるものと思われます。
これはまだシナトラはトミー・ドーシー・オーケストラの専属歌手だった時期のもので、当然、スウィング時代のスタイルでアレンジされています。つまり、歌が出てくるまえに、イントロではなく、長いバンドの演奏(この曲では、シナトラのヴォーカルが登場するのは1分をすぎてから)がある、あのスタイルです。
パーソネルを見ても、わたしにはチンプンカンプンの時期なのですが、ドラムはバディー・リッチとなっています。残念ながら、活躍していないというか、ドラムの音そのものが聞こえません。叩いているとしても、ごくごく控えめにブラシかなんかでやっているのでしょう。
Fools Rush In その2 by Frank Sinatraのときにも書きましたが、この時期のシナトラの歌は、もうおそれいってしまうしかありません。声はいいし、ムードはあるし、いうことなし。時代の寵児になって当然です。
バンドのプレイもけっこうなものです。いきなり出てくる音は、オルガンのように聞こえますが、1940年にはまだハモンドは誕生していないことを思いだして、まじめに聴いてみました。どうやら、ミュートした複数の金管が重なった音のようです。ソロをとるトロンボーンは、当然、トミー・ドーシーなのだろうと思います。これまたムードがあります。トロンボーンという楽器はアタックが弱く、向き不向きがあると感じますが、Trade Windsのように、ふわっとした曲にはふさわしいリード楽器です。背後でつねに薄く鳴っていて、ときおり前に出てくるクラリネットもけっこうなものです。
この時代の音というのは、はっきりとしたスタイルがありますし、有名どころの場合、それぞれのオーケストラごとに、独自の楽器編成とアレンジがあります。そういうものは、いずれクリシェになってしまうのですが、これだけ時間がたつと、まさに古き良き時代のサウンドに感じられます。そういうものがお好きなら、この曲なんざあ、こりゃたまらん、極楽、極楽、という音です。
◆ ビリー・ヴォーン盤 ◆◆
うちにはTrade Windsは、あと2種類しかありません。ビリー・ヴォーン盤は、当然ながらインストゥルメンタルです。オーケストラというのは、サウンドで売るものなので、特長となるスタイルのないバンドが長続きすることはありません。ビリー・ヴォーンも、多くの曲は、代表作であるSail Along Silvery Moon(タイトルは知らなくても、曲を聴けば、ああ、あれか、とおわかりになるはず)のスタイルでやっています(日本の場合、Perly Shellすなわち「真珠貝の唄」のほうが有名かもしれないが、あれはちょっと系統が異なる)。
ビリー・ヴォーンのTrade Windsは、Sail Along Silvery Moon同様、基本的には木管のアンサンブルで、チェンジアップとして、部分的にヴァイブラフォーンやトランペットがリードをとったり、この曲の南国ムードに合わせて、ペダル・スティールがオブリガートを入れる、といったアレンジです。これはこれでけっこうなものです。
ビリー・ヴォーンもやはりハリウッド・ベースだったようで、60年代になると、ハル・ブレイン以下、おなじみのメンバーが参加した盤があるようですが、このTrade Windsは1959年のリリース(シングルA面になっている)なので、まだそれらしき音はしていません。
◆ ボニー・ギター物語 ◆◆
録音時期は前後しますが、1957年のボニー・ギターのヴァージョンもあります。こちらは歌もので、ペダル・スティールとウクレレの入ったハワイアン・スタイルでやっています。マーティー・ロビンズという恰好の例があるように、ペダル・スティールのある楽器編成を利用して、カントリー・シンガーがハワイアンをうたうのもめずらしいことではなく、この人もカントリー系なのかと思いましたが、そういうことではないようです。
ベア・ファミリーのアンソロジーには、ボニー・ギターのくわしいキャリアが書かれていますが、これを読んで、二度、へえー、と驚いてしまいました。第一は、彼女が、芸名のとおり、ギタリストであるばかりでなく、おもな仕事はセッション・プレイヤーだったということです。
時期としては50年代後半のようなので、キャロル・ケイよりも早いことになります。自分の盤では、目の覚めるようなプレイはしていなくて(そもそも、ソロはほとんどないし、あっても、典型的なこの時代の「間奏」で、メロディーのヴァリエーションを弾くだけ)、腕前のほどはよくわかりませんが、ちゃんと弾けない人が、セッション・ワークなどできるはずもないので、一定のレベルではあったのでしょう。ジャズ的なコード・ワークをしている曲があって、そのあたりにしっかりした基礎がうかがわれます。
キャロル・ケイは「めずらしい女性スタジオ・プレイヤー」といわれることを嫌っています。まず第一に、女だからファースト・コール・プレイヤーになれたわけではない、性別に関係なく、それだけの技術をもっていたからだ、といいたいのです。「女っぽいプレイなんか一度もしたことがない」といっています。じっさい、彼女のプレイをご存知の方なら、スタイルには女性的なところなどないのは、いまさら繰り返すまでもないでしょう。
もうひとつは、あの時代、女性プレイヤーはけっしてめずらしくなかった、というのです。長い年月のあいだに多くは忘れられてしまったが、彼女の周囲には女性プレイヤーがすくなからずいたと証言しています(残念ながら、わたしの知らない名前ばかりで、記憶しなかったため、彼女があげたプレイヤーをいまここに記すことができない)。そういわれたときは、ふーん、そうだったのか、と思っただけですが、こうして、ジャズ・インフルエンスト・レイディー・ギタリストが、キャロル・ケイとすれ違ってもおかしくない場所で働いていたことを知ると、なるほど、と膝を叩いてしまいます。
しかし、ボニー・ギターはまだ50年代のうちにスタジオ・ワークをやめ、故郷のシアトルに戻りました。ここからがまた驚きの第二の人生なのです。ほら、シアトルとギターとセッション・プレイヤーという三つのお題で、話が作れるじゃないですか。そう、ヴェンチャーズです!
ボニー・ギター、いや、ここからは本名のボニー・バッキングハムのほうがいいかもしれません。どうであれ、ボニーは、友人が持ち込んだデモ・テープをきっかけに、べつの友人、ボブ・ライスドーフ(発音は不明だが、Reisdorfというスペルを手がかりに、他の名前におけるreisの発音を見ると、いずれも「ライス」なので、仮にこう書いておく。Reisを非英語的に「ライス」とするなら、後半にもそれを適用し「ライスドルフ」としたほうが整合性がとれるかもしれない)と共同でレーベルを設立します。ドールトン/ドルフィンの誕生です。
設立のきっかけとなったテープは、フリートウッズのCome Solftly to Meでした。この曲がビルボード・チャートトッパーになるのは、1959年4月のことなので、ドールトン/ドルフィンの設立時期もその数カ月まえとわかります。
残念ながら、ライナーはヴェンチャーズについてはろくにふれていません。まあ、勘繰れば、シアトルでどうこうなどと書くと、丸ごと大嘘になってしまうから、あえてふれなかったのでしょう。ボニー・バッキングハムが、ヴェンチャーズをどう思ったかすらわかりません。リバティーに配給をまかせた段階で、法律的な権利(つまり、金)だけを保留し、あとはリバティーにまかせたのではないかと推測します。
ヴェンチャーズのレーベルのオーナーが、セッション・ギタリストだったとはねえ! 世の中、たくまぬ皮肉といいうのはあるものですなあ。悪いことはできませんぜ、おのおのがた。