- タイトル
- Borne on the Wind
- アーティスト
- Roy Orbison
- ライター
- Roy Orbison, Bill Dees
- 収録アルバム
- The Legendary Roy Orbison
- リリース年
- 1963年
昨日のWinds of Barcelonaは、骨休めのつもりだったのに、意外に手間がかかり、今日こそ楽な曲を、と思い、いまプレイヤーにドラッグしてある140曲ほどの風の歌のなかから、歌詞が短くカヴァーがない、ロイ・オービソンのBorne on the Windを選んでみました。しかし、当てごととなんとかは向こうから外れるといいます。どうなりますことやら。
◆ 日暮れと夜明けのあいだ ◆◆
どういう構成と捉えるか、ちょっと迷うところですが、コーラスから入っているのだと考えることにします。といっても、コーラスはタイトルを繰り返すだけのものなのですが、そのあとでヴァースが出てくるのだと思います。ということで、コーラスとファースト・ヴァースをつづけて。
Borne on the wind
Between the sunset and the dawn
So tenderly your memory
Lingers with me on and on
「風が伝える、日暮れと夜明けのあいだ、きみの思い出がやさしく、やさしくまとわりつく」
なんだか、お互いに無関係なフレーズをだんごの串刺しにしたようになってしまい、恐縮です。そうなってしまうのだから、どうにもならず。
「風が伝える」とはいっているものの、なにを伝えるのかは明示されていません。さらには、こちらからどこかに「伝わる」のか、向こうからこちらに「伝わってくる」のかも明白ではありません。
三遊亭圓生が、なんの噺の枕だったか、「講釈師なんてえのはじつにもったいぶった話し方をするもので、『四百と四百、合わせて八百の軍勢が』なんていいますが、ならはじめから八百といやあいいんです」といっていました。講釈師は「先生」、噺家は「師匠」なんて差別があるので、そのへんも気に入らなくての八つ当たりでしょうが、まあ、ごもっともであると同時に、それをいっては身も蓋もない、でもあります。
なぜ、四百(「よんひゃく」ではなく「しひゃく」と発音する。講談にはこのような「講釈師読み」という独特の読みがたくさんある)と四百、合わせて八百、なんてもってまわった言い方をするかというと、ひとつは口調を整えるためです。つまり、リズムの問題。もうひとつは、ただ八百といったのでは、たんなる「説明」なので、四百と四百、合わせて八百の軍勢ということによって、稚拙とはいえ、「表現」のレベルにもっていっているのです。
「日暮れと日没の中間」とは、当然、夜のあいだずっと、という意味ですが、それじゃあ面白くない、とか、シラブルが合わないといった理由で、講釈師のようなもってまわった言いまわしになったのでしょう。
◆ 解釈不能 ◆◆
コーラスをはさんでセカンド・ヴァースへ。
A life to live, a love to give
And you will live in my dreams
「いまもまだきみとともあるような気がする、生きるべき生、捧げるべき愛、そしてきみはぼくの夢のなかに生きつづける」
やはり、センテンスになっていないところが多く、だんごの串刺しどころか、串にも刺さらず、ただ転がっているだけのだんご、というおもむきです。最初の行のit seemsも、直前のセンテンスにかかっているのか、直後のふたつのフレーズにかかっているのか、歌い方からも文脈からも判断できません。たぶん単純な倒置で、直前のセンテンスにかかっているのでしょうが。
ブリッジ。
But you love for me to be in love with you
You lured me on, led me on
But when I fell you were gone
「きみはぼくのことを愛していないけれど、(2行目不明)きみはぼくを誘い、惹きつけつづけたのに、ぼくが恋に落ちたときには、もうきみはいなかった」
残念ながら、長考の余裕がないので、2行目は通りすぎます。どなたか、そんなの簡単じゃないか、という方がいらっしゃったら、コメント欄でつっこんでください。わたしにはよくわかりません。your loveではなく、you loveとうたっているように聞こえますし、歌詞カードもyou、どこの歌詞サイトもyouとしています。そもそも、仮にyour loveだったとしても、わたしには解釈できません。
この曲には2種類のヴァージョンがあります。オリジナルのアルバム・ヴァージョンと、イギリスでリリースされたシングル・ヴァージョンです。ここではThe Legendary Roy Orbisonボックスに収録されたシングル・ヴァージョンにしたがっています。アルバム・ヴァージョンではled meが先で、そのあとでlured meとうたっています。
コーラスをはさんで最後のヴァースへ。
A soft refrain you will remain
To live in my heart again
「いまではひとつの歌がぼくの心にはある、きみはぼくの心に生きつづける、というやさしいリフレインが」
◆ 稀有のバラッド・シンガー ◆◆
歌詞にこんなに手間取るとは思いませんでした。肝心なのは音のほうで、歌詞は気にしたこともなかったのです。
ロイ・オービソンというと、いまではOh, Pretty Womanということになっていますが、この曲は、イギリス・ツアーで、アメリカのシンガーとしてはだれよりも早くビートルズ現象に遭遇し、ビートルズのようなスタイルでやってみようと考えて書かれたもので、オービソンのメインラインからはすこし外れたところに位置すると考えます。
では、どのようなものが本線かというと、Only the Lonely、Blue Bayou、In Dreams、Crying、Falling、(Say) You're My Girl、Leah、そして、本日のBorne on the Windのような、バラッド、ロッカ・バラッドにこそ、ロイ・オービソンの真骨頂があると思います。
そういうタイプの美声だから、といってしまえばそれまでなのですが、ロイ・オービソンという人は、わたしにとっては微妙な、そして、不思議な位置にあります。そもそも、美声のバラッド・シンガーはあまり好きではないのですが、ロイ・オービソンは、一見、そのタイプでありながら、彼の声、歌にはまったくイヤな味を感じないのです。
その理由は、なんて考えても、わかるはずがありません。ひと口に美声といっても、声の質は人それぞれで、ロイ・オービソンも、ロイ・オービソンだけの独特の美声をもっているから、といった、当たり前じゃんか、ということしか思いつきません。
子どものころには、Oh, Pretty Womanしか知りませんでしたし(それもヴェンチャーズがカヴァーした曲の元歌としての関心だった)、FENのジム・ピューター・ショウでかかって気に入ったのもOnly the Lonelyぐらいでしたが、ひとたび盤を買ってからは、ずっと好きなシンガーでありつづけています。
◆ フラメンコ的コード進行? ◆◆
それほど妙なところにいくわけではありませんが、Borne on the Windのコード進行はちょっと印象的です。コーラスこそF-Dm(またはF-Fmaj7-Dm、またはF-Am-Dmのパターン)とノーマルですが、そのあと、ヴァースにはいると、Ab-G-F-G-F-Eといって、コーラスのFにもどるのです(Abなんていう妙なところではじまるので、この部分をヴァースといっていいのかどうか、いまだに躊躇う)。このAbへの転調と、G-F-Eの移動が、ちょっと強引ながら、なかなか印象的です。
ヴァースの最後のEが、そのままブリッジの頭になって転調したような感覚をあたえながら、ヴァースとほぼ同じF-G-F-Eと動くところも、フラメンコのようなリズム・アレンジと相まって、ちょっと風変わりなムードがあります。
変なことを思いだしました。トミー・テデスコの教則ヴィデオというのがあります。爆笑もので、教則ヴィデオといっていいのかどうか、よくわからないのですがね。このヴィデオでトミーが何度も繰り返している「哲学」とでもいうべきものは、「スタジオ・ワークはプラグマティズムである」ということです。その例として持ち出されたエピソード。
ある西部劇映画の録音で、音楽監督が、だれかフラメンコ・ギターを弾けないか、といいました。そのときのギター陣はバーニー・ケッセル以下の大物ばかりだったのですが、だれも手を挙げないので、トミーが、俺が弾ける、といったそうです。弾いたことはなかったけれど、弾けるだろうと思ったというのです。で、なにをやらされるのかと思ったら、オープンEを、4分+8分×2のタンタタ、タンタタというリズムでストロークしただけ! これが騎兵隊突撃の場面。つぎに半音上げて、Fメイジャーをまた同じリズムでストローク。これがインディアン突撃の場面。これを見て、並み居る大物ジャズ・ギタリストたちが、口をあんぐりだったとか。
トミー・テデスコは、オープンEとFメイジャーをジャンジャジャ、ジャンジャジャとストロークしただけで、倍のギャラを手にしました。彼は、これがスタジオ仕事のプラグマティズムだというのです。結果がすべてであって、すぐれたプレイか、正しい奏法か、などというのはどうでもいいことだ、必要ならガットギターをピックで弾けばいい、というわけです。
なんでこれを思いだしたかというと、G-F-G-F-Eと動くくだりが、トミーが弾いた「騎兵隊対インディアン」によく似ているのです。疑似フラメンコというおもむき。
◆ バディー・ハーマンとフロイド・クレイマー? ◆◆
どことなくフラメンコのようなムードのある曲ですが、それは曲調、コード進行のみならず、アレンジとプレイとサウンドもそうなっているからです。わたしはハリウッドの全盛期に育った世代で、カントリーではなく、ポップの世界でナッシュヴィルが強かった時代はよく知らないのですが、Borne on the Windを聴いていると、ナッシュヴィルでもなかなか洗練された録音がされていたのだな、と思います。ハリウッド世代にも納得のいく立体的な音像の構築だと感じます。
うちにあるボックスにはなにも書いていなくて、たんなる印象、憶測なのですが、この曲のドラムはバディー・ハーマンに聞こえます。フロアタムが彼のサウンド、プレイではないかと感じるからです。このフロアタムがじつにいいのです。ピアノもときおりフロイド・クレイマーのようなフレーズを弾くので(これも印象的)、ドラムもハーマンである確率はかなり高いと思います。よく考えると、かなりイヤなノリの曲ですが、ハーマンを筆頭に、さすがは手練れのプロフェッショナル、まったく違和感のない、立派なグルーヴをつくっています。
なお、歌詞のなかでふれた2種のヴァージョンのちがいについては、どちらかを選択しなければならないほど大きな差異を感じませんでした。アルバム・ヴァージョンのほうが、女声コーラスが大きくミックスされていて、やや大仰に聞こえるかな、という程度です。
Oh, Pretty Womanもけっこうだし、Only the Lonelyもいい曲ですが、ロイ・オービソンは薄っぺらいアーティストではなく、ライターとしてもシンガーとしても、やはり一時代を築いただけのことはある厚みをもっています。ほかにも佳曲、秀作が目白押しで、ヒットがほとんどなかったMGM時代だって、いい曲があります。Oh, Pretty Womanのようなタイプの曲はあまりありませんが、Only the Lonelyがお好きな方なら、ベスト盤を聴いてみる価値は十分にあるでしょう。