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Try Too Hard by the Dave Clark Five
タイトル
Try Too Hard
アーティスト
The Dave Clark Five
ライター
Dave Clark, Mike Smith
収録アルバム
Try Too Hard
リリース年
1966年
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Tonieさんから、DC5にもfoolの出てくる曲がありますよ、とご指摘のあったTry Too Hardです。これは当時から好きな曲で、なんだって見落としたのかと思いますが、毎度申し上げるように、人間の記憶力も注意力も当てにならない、という一証左にすぎないでしょう、と誤魔化しておくことにします。

今日は書くべきことが山ほどあるので、枕はこれでおしまい。この勢いで、歌詞もあっさり片づけます。

◆ 説得と威迫 ◆◆
それではファースト・ヴァース。なんせサイケデリック以前なので、たいしたことをいっているわけではありません。

Tell me, do you want my love
Tell me what you're thinking of
I've been waiting round so long
You don't try too hard
You don't try too hard

「僕の愛がほしいのか、いったいどう考えているのか、教えてほしいね、長いあいだずっと待っているんだぜ、きみはちゃんと努力しているとはいえないよ」

つづいてセカンド・ヴァース。

I hope you're not trying to make a fool of me
Cause if you are I know there's going to be some tears falling
And they won't be mine
You don't try too hard
You don't try too hard

f0147840_15431335.jpg「僕を騙そうなんて考えていないといいけれどね、もしそうなら、涙が流れることになるし、その涙は僕のものじゃない、きみはちゃんと努力していないじゃないか」

まあまあ、旦那、そうとんがっちゃ、まとまる話もまとまりません、威嚇は穏やかじゃありませんよ、と幇間のようなことをいいそうになっちゃいます。ジョン・レノンもこういうのを好んだようで、You Can't Do ThatやRun for Your Lifeなどを思いだします。こういうタイプの歌詞もたまにありましたな。

短いブリッジとサード・ヴァースをつづけて。

Some people may want many loves, my friend
But we both know what happens to them in the end

So please listen to these words of mine
And let me know that I'm not wasting my time
I'm sure that we could get on very fine
You don't try too hard
You don't try too hard

「世の中には恋人はたくさんいたほうがいいと思っている人間もいるけれど、そういう連中が最後にはどうなるか、僕らは知っているじゃないか。だから僕の話をちゃんと聞いてくれ、そして、これが時間の無駄ではないことを望んでいるよ、僕らがうまくやれるのはまちがいないんだから」

◆ 音のかたまり ◆◆
歌詞はよくもなく、悪くもなく、というあたりですが、サウンドは厚く、子どものころも好きでしたし、いま聴いてもみごとなものだと感じます。ベスト盤のライナーによれば、デイヴ・クラーク自身も「Anyway You Want Itを洗練した」サウンドと表現し、とくにお気に入りの一曲にあげているそうです。

f0147840_15442216.jpgこれは本音だと感じます。デイヴ・クラークが初期から目指していたサウンドの集大成といっていい音になっているからです。どういう音を目指していたかというと、ずばり「コンボによるスペクター・サウンド」でしょう。楽器編成などの表面的なことでは、スペクターとDC5の音に共通点はありません。しかし、サウンドが巨大なボールになって飛んでくる、という一点で、同じ魂が生みだしたものであると感じます。

デイヴ・クラークというのは、あらゆる面にわたって賢明な人で、サウンド・プロダクションにおいても、凡百のスペクター・フォロワーとは隔絶した手腕を見せています。凡人がスペクター・サウンドの特長と考える、くだらない表面的なことはすべて無視し、本質だけをつかみだしたのです。これはスペクター・サウンドのすぐれた「批評」といってもいいくらいです。

なにも考えていない人は、スペクターはエコーだ、とか、スペクターはカスタネットだ、と考え、その勘違いをもとに、ろくでもないコピー商品を山ほどつくりました。Be My Babyのハル・ブレインのドラム・リックをそのままコピーした、とんでもない粗悪品もひとつや二つではすみません。

しかし、本質はそんなところにはありません。サウンドの「量塊性」massivenessこそがスペクターの本質です。デイヴ・クラークは、まさにその量塊性だけを抜き出して、自分のサウンドに応用したのです。これほどのスペクターの理解者は、同時代にはほかにブライアン・ウィルソンしかいなかったでしょう(ただし、ブライアンはスペクターの本質を量塊性と捉えたわけではない。ある楽器とある楽器が同じ音をプレイしたときに生じる「第三の音」が、彼がスペクターから得たものだった)。

f0147840_1547364.jpgいま、大人の耳でDC5のサウンドを聴くと、ひとつのポイントはサックスの使い方だと感じます。ロック・コンボでのサックスというと、たとえば、Tequilaのチャンプスのようなものを思い浮かべますが、DC5のサックスは、基本的には前に出てソロをとるものではありません。

では、なにをしているかというと、ベース、キック・ドラム、ピアノの左手と協力して、低音部に厚みをあたえているのです。「もうひとつのベース」といってもいいでしょう。トラック単位なら、こういうことをした人がほかにいないわけではありませんが(たとえばトラフィック)、サウンドのインテグラル・パートして、サックスを低音部の補強に使ったのは、きわめてクレヴァーなアイディアだったと思います。

サイケデリック以前にはそれがパラダイムだったといえばそれまでですが、DC5のバンドとしての一体感は、いま振り返ると尋常ではありません。リーダーが客寄せパンダをやるだけで、他の4人はだれも目立とうとしません。フォア・ザ・チームというけれど、野球チームにも、サッカー・クラブにも、これほどフォア・ザ・チーム、フォア・ザ・バンド・サウンドに徹したグループはないでしょう。

f0147840_15513748.jpgデイヴ・クラークは、リード・ヴォーカルのマイク・スミスのことを、もっとも過小評価されているシンガーといっています。そのとおりでしょう。同時代のバンドを見て、マイク・スミスよりすごいと感じるのは、スティーヴ・ウィンウッドただひとりです。しかし、スミスが目立たなくなったのは、彼の引っ込み思案な性格や名前のせいではなく(!)、極限にまで一体化した、DC5というバンドのあり方およびそのサウンドのせいだったにちがいありません。しばしばスミスの派手なヴォーカルを霞ませたDC5のハーモニーも、わたしにはおおいに魅力的でした。当時もいまも、ビーチボーイズなんかよりはるかに好きです。

ハーモニーとなるとバラッドですが、Because以外にもいい曲がたくさんあります。Hurting Inside、Come Home(2曲とも中学のときに自分のバンドでやった!)、When、Evetybody Knows(同じタイトルのものが2曲があるが、両方ともいい)、Crying Over You、I'll Be Yours、I Miss Youと、キリなくつづきます。

まだ付け加えることがありました。ブルース・スプリングスティーンがデイヴ・クラークに会ったとき、Anyway You Want Itのエコーはどうやったのだ、とたずねたそうです。これはわたしも知りたかったことです。答えは、スタジオの裏にあったコンクリート塀だ、とのことでした。これこそがエコーの基本です。

スペクター・サウンドの陰にエンジニアのラリー・レヴィンがいたように、DC5サウンドの陰にも優秀なエンジニアがいました。1963年から68年という彼らの全盛期のエンジニアはエイドリアン・ケリッジという人で、現在のベストCDも、クラークとケリッジがリマスターしたとあります。

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左からマイク・スミス(リード・ヴォーカル、キーボード)、リック・ハクスリー(ベース)、レニー・デイヴィッドソン(リード・ギター)、デイヴ・クラーク(ドラムズ、リーダー、プロデューサー、マネージャー)、デニス・ペイトン(サックス、アコースティック・ギター)。ハーモニーは全員参加だったことを、このマイク・セッティングも示している。

◆ ロックンロール・スーパーマン ◆◆
長いあいだ、デイヴ・クラークについてはなにも知らず、ただ音を聴いてきただけだったので、マックス・ワインバーグの"The Big Beat"に収録された、デイヴ・クラーク・インタヴューには、ほんとうに驚きました。

第一のビックリ仰天は、マスターを自分で管理し、当時からレコード会社にリースしていたということです。これはいまでは常識ですが、アーティストの立場が極度に弱い当時にあっては、きわめて異例です。ミッキー・モストが、アニマルズやハーマンズ・ハーミッツなど、彼がプロデュースしていたアーティストのマスターを所持し、リースしていたそうですし、サム・クックのマスターもアレン・クラインの会社がRCAにリースしていただけだそうですが、どちらもマネージメントであって、アーティスト自身ではありません。

f0147840_16393678.jpgマネージメントといえば、デイヴ・クラークは、マネージャーをおかず、すべて自分で交渉し、契約していたそうです。二十歳になるかならずかの年齢で、EMIに出かけ、独立プロデューサーの最高印税率というのを聞き出し、いざ契約交渉になったら、その税率の倍という条件を出したのだそうです。しかも、最高印税が変動したら、つねにその税率へと引き上げるという条項まで付け加えたというのだから、アレン・クラインも裸足で逃げだす、強面ネゴシエイターぶりです。

デイヴ・クラークは、たぶんワン・ヒット・ワンダーだと軽く見られたので、こんな条件が通ったのだろうといっていますが、価値がないと考えているものに、そんな気前のいい条件で契約する会社はないでしょう。どうであれ、彼がnobody's foolだったのはまちがいありません。みな、若くして非常に不利な契約を結び、盤もライヴも売れに売れているはずなのに、いっこうに金は入らず、結局、しばらく派手な生活をしただけで、どこかへ消えていった人たちが山ほどいます。まだ若かったのに、そういう仕組をよく観察し、みずからマネージメントをした、デイヴ・クラークの才覚と手腕にはほんとうに驚きます。

f0147840_16404932.jpg引き際もあざやかでした。もはやヒットは出ず、潮時と見るや、じたばたせずに、あっさり解散しています。ご本人がいう「トップのときに辞めた」というほどではないにしても、オールディーズ・ショウなどでまだツアーをつづけているアーティストたちが山ほどいるのに、そういう未練がましいことをいっさいしていません。これも、度胸と頭脳でみずからマネージメントし、稼げるときにフルに稼いでおいたおかげでしょう。ビジネスマンに転身してからも、ずいぶん稼いでいるようですし。

破滅型の人物も魅力的ではありますが、それはそれでひとつの類型にすぎません。デイヴ・クラークのように、出処進退がみごとなミュージシャンというのは、類型にはほど遠く、ほかにだれかいるだろうかと考えこんでしまいます。しいていうと、ほかならぬフィル・スペクターでしょうかね! まあ、トランクいっぱいの札束といっしょに引退した、という共通点しかなくて、スペクターのその後の人生は、デイヴ・クラークほどきれいじゃありませんが。

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◆ ドラマー、デイヴ・クラーク ◆◆
デイヴ・クラークといえば、あのスネアのサウンドということになっています。もちろん、わたしもあのサウンドに強く惹かれました。なんたって、スネアのピッチが高い時代にあっても、飛びきりハイ・ピッチで、目立ったのなんの、ヘッドが破けそうなほど、パンパンにボルトを絞っていますからねえ。二度とスネアを高くチューニングする時代がもどらなかったこともあって、いまでは昔以上にあのチューニングに強く惹かれます。

f0147840_1644411.jpgデイヴ・クラークの盤でドラムを叩いたのは、ご本人ではなく、クレム・カッティーニだという噂があったそうですが、デイヴ・クラークは、それは70年代に彼がプロデュースした盤でのことだ、DC5時代は自分で叩いたといっています。

わたしは、このDCの主張をそのまま受け取ってよいと考えています。シンプル&ストレートフォーワードなものでは、ときにファイン・プレイを見せますし、意外な小技を聴かせてくれることもありますが、同時に、セッション・プレイヤーならしないであろうミスもやっているからです。あれはミスだ、と彼も認めている(ただし、プロデューサーとして、魅力的なミスはそのまま残すという方針だった)Bits and Piecesのイントロにおけるスネアの3連符が典型です。Do You Love Meのイントロ・リックも、これはミスといえるかどうか微妙ですが、寸足らずのパラディドルと感じます。

いや、ダメなドラマーだといっているのではありません。バンドのドラマーとしては最上の人で、同時代を見渡して、彼ほどの人はいないと感じます。キース・ムーンはタイムにおいてデイヴ・クラークの足元にも及びません。タイムの面ではホリーズのボビー・エリオットのほうがデイヴ・クラークよりいいかもしれませんが、華やかさにおいてはDCのほうが数段上でしょう。

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アメリカのバンドで当時、好きだったドラマーというと、デトロイト・ウィールズのジョニー・ビーと、ラスカルズのディノ・ダネリですが、どちらもスタートはDCよりあとです。わたしの主観では、67年暮れにプロコール・ハルムのB・J・ウィルソンを聴くまでは、DCはイギリスを代表するドラマーでした。

デイヴ・クラークは、アメリカ・ツアーのときに、まだ無名だったラスカルズをNYのクラブで見て、すっかり気に入ってしまい、ツアーに帯同したそうです。DC5とラスカルズを同系統のバンドと思っていたわたしとしては、この組み合わせは、ものごとはそうではなくてはいけない、というほど自然なものです(Silly Girl by the Rascalsをご参照あれ)。デイヴ・クラークとラスカルズのディノ・ダネリは「同じ系統」のドラマーでした。

f0147840_1654756.jpgわたしは知らなかったのですが、"The Big Beat"によると、デイヴ・クラークは、ステージではドラムをバンドの「前に」出してセットしていたそうです。バンドのスター、フロント・マンは、ヴォーカルのマイク・スミスではなく、ドラムのデイヴ・クラークだったのです。

これはそうしたくてやったとか、彼のバンドだからというわけではなく、マイク・スミスは目立つことが嫌いで、うしろに引っ込んでいることを好んだからだと(あの声とあの姿で!)、DCはいっています。どうであれ、これはサウンドときれいに符合したセットアップでした。盤で聴いても、スターはドラマーなのです。

f0147840_16555477.jpg十三歳のマックス・ワインバーグが、デイヴ・クラークの姿を見、音を聴いて、俺はドラマーになると決心した、というのも、わたしには当然のことに感じられます。小学生のわたしがドラマーになりたいと思った理由のかなりの部分も、やはりデイヴ・クラークでした。

年をとったわたしは、ドラムのテクニカルな面を尊重するようになっていますが、しかし、ドラムはなによりも派手で目立たなければいけない、剛球一直線こそドラムだ、という気持はやはり依然として強くもっています。ギターは羽織の裏地に凝ってもかまいませんが、ドラムは時代劇の主役のように、どこからどう見ても、俺が主役だ、というキンキラキンの錦の表地で勝負です。その究極の理想型がデイヴ・クラークでした。そもそも、こういう観念をもたらした張本人がデイヴ・クラークなのだから、当たり前ですが!

ハル・ブレインが、ドラマーになった動機を簡明に語っています。派手なことをやって目立ちたかった、と。わたしは断言します。「派手なことをやって目立ってやる」という魂のないドラマーは、たとえタイムは正確でも、一滴の魅力を持つこともないでしょう。音楽は、技術である以前に、芸能なのです。

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"The Best of the Dave Clark Five" LP sleeve, Toshiba Musical Industries, Tokyo, OP-7524, released in 1966 in red vinyl disk.
66年に買った『ベスト・オヴ・ザ・デイヴ・クラーク・ファイヴ』。まさか、このLPを30年以上にわたって聴きつづけなければならないとは思わなかった。CDリイシューまでの長かったこと! 66年発売なので、Try Too Hardまでは入っているが、67年のYou've Got What It Takesは収録されていない。

◆ 1966年のやり残し ◆◆
以上で話の本体は終わりです。書きたいこと、書くべきことはまだ山ほどありますが、そんなことをいったら、本を一冊書くことになってしまいます。最後に、いたって個人的な思い出話にを書くことにします。何度か書いたことなので、すでにお読みの方には先に謝っておきます。

f0147840_1771541.jpg最初に気に入ったDC5の曲はCatch Us If You Canでした。たぶん、65年秋のヒットだと思います。翌年の正月だと思うのですが、このCatch Us If You Canをテーマ曲にした彼らの映画『五人の週末』が公開されました。同時上映はビートルズやスペンサー・デイヴィス・グループ、サーチャーズなどが出演する、当時のブリティッシュ・ビート・グループのパッケージ・ショウ映画『ポップ・ギア』でした。

これはもう見たくて見たくてたまらない組み合わせでした。ところが、わたしは中学受験を目前に控え、映画を見にいくとはいえず、はたと困惑しました。すぐにDVDになる、なんていう時代じゃありません。安価な家庭用VCRなんてものもなく、もちろん、ヴィデオ・パッケージなんて商品もありませんでした。公開されたときに劇場で見なければ、それで終わりだったのです。

f0147840_17103843.jpgやむをえず、一大決心をしました。塾をサボって映画館に行ったのです。しかし、根が正直なので、塾をサボって見にいくと決めたはいいけれど、疑われることを恐れ、いつもどおりの時間に家を出て、いつもどおりの時間に帰宅しました。これ、勘定合って銭足らず(ちょとちがうか)なんです。どうなったかというと、『ポップ・ギア』の途中から見て、『五人の週末』の途中で映画館を出たのです。

痛恨でした。『ポップ・ギア』は、脈絡もなくずらずらとバンドが出てきて、ただうたうだけの歌謡ショウみたいなものだからあきらめもつきますが、『五人の週末』は劇映画なのに、結末を見なかったのです。いまのわたしなら、どうせたいした結末じゃないさ、とうそぶきますが、小学生だから、悔しかったのなんの。後ろ髪を引かれるとはあのことですぜ。

f0147840_17124447.jpgそれから幾星霜。VCRの時代が来ても、DC5なんてバンドのことはだれも覚えていないのか、いっこうにヴィデオにならず、『五人の週末』は、もう一度見てみたい三本の映画の一本でありつづけました。監督が、その後、それなりに名を成したジョン・ブーアマン(『ポイント・ブランク』)だということに期待をかけたのですが、ブーアマン程度ではおまじないにもならなかったのでしょう。

ようやく結末を見られたのはほんの十年ほど前のこと、アメリカの友人がカセットを見つけて送ってくれたおかげでした。で、どうだったかというと、やっぱり、たいした結末じゃありませんでした。でも、そんなことは問題ではありません。おおいに満足しました。小学校のときにやり残したことに、きっちり落とし前をつけられるなんて、たぶん、これが最初で最後にちがいありませんからね!

付 記

さっき知ったのですが、マイク・スミスは今年二月に亡くなったそうです。三月のホール・オヴ・フェイム授賞式には出席するつもりだったのだとか。このページに晩年のスミスの写真がありますが、病み衰えた姿をお見せするのは忍びないので、コピーしません。気になる方はご自分でどうぞ。かわりにDC5時代のマイク・スミスと、DC5サウンドのトレードマークのひとつだったVOXのオルガンの写真をどうぞ。

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by songsf4s | 2008-04-26 17:20 | 愚者の船