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(Now and Then There's) A Fool Such As I by Elvis Presley
タイトル
(Now and Then There's) A Fool Such As I
アーティスト
Elvis Presley
ライター
Bill Trader
収録アルバム
50,000,000 Elvis Fans Can't Be Wrong
リリース年
1959年
他のヴァージョン
Bob Dylan, Bobby Helms, Clarence White & Tut Taylor, Carl Dobkins Jr., Lou Rawls, Tommy Edwards
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この特集のトップ・バッター、ドリフターズのFools Fall in Loveのときに、「三大馬鹿ソング」ということをいいましたが、わたしの好みでは、Fools Fall in LoveとFools Rush Inの2曲はつねに三本指に入ったまま動きません。

しかし、三番目の椅子はしじゅう変動しています。先週からその三番目にしばしば指を折っている曲を相手に格闘をつづけたのですが、どうしても首尾の整った話にならず、とりあえず棚上げして、その曲のライヴァル、つねに三番目の椅子を争っている曲を、本日は取り上げることにしました。

とくに好んでいるヴァージョンは二種類ですが、並べてみるとほかにもいいヴァージョンがあり、なかなかの好取組です。そのへんのことはのちほどくわしく。

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◆ Now and thenのワン・アイディア ◆◆
以下はファースト・ヴァースないしはファーストとセカンドがいっしょになったものです。コード進行からいうと、以下にあげた部分で1ヴァースに思えますが、この一群をフルセットでうたうことは二度となく、あとは半分だけになってしまうことから考えて、コードがきちんと一巡しない短いセットをヴァースと考えるべきかもしれません。

Pardon me, if I'm sentimental
When we say goodbye
Don't be angry with me should I cry
When you're gone
Yet I'll dream a little, dream as years go by
Now and then there's a fool such as I

「別れをいうときに感傷的になっていたら許してくれないか、きみがいくときにぼくが涙を流しても怒らないでくれ、これからもずっと、すこしだけきみのことを夢見るだろう、ときどき、ぼくみたいな馬鹿がいるものさ」

典型的なカントリー・ソングの歌詞という感じで、特筆すべきものはありません。昔の歌謡曲はこんなもので、あまり変わったことをいうとヒットの可能性はゼロになってしまいます。now and then there's a fool such as Iという、タイトルにもなったラインは多少気が利いているわけで、そこだけは目立ちます。この凡庸さとささやかな非凡さのミックスのぐあいが、当時の市場にはちょうどよかったのでしょう。

ブリッジ。

Now and then there's a fool
Such as I am over you
You taught me how to love
And now you say that we are through

「ときおり、君に対するぼくみたいな馬鹿がいるものさ、きみは愛のなんたるかを教えてくれた、それなのに、ぼくらはもうおしまいだっていうんだから……」

なにもいうことはありません。now and thenをもってきたことが面白いだけで、あとは世にもありふれたクリシェ。つづけて短いセカンド・ヴァース。

I'm a fool, but I'll love you dear
Until the day I die
Now and then there's a fool such as I

意味はどうでもいいでしょう。あとはファースト・ヴァースの半分を繰り返すだけで、もう新しい言葉は(幸いにも)出てきません。

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◆ コード進行の面白さ ◆◆
歌詞は退屈千万ですが、この曲の魅力は音のほうにあります。世にも凡庸なC-F-Gのカントリー・ソングにはなっていないのです。コードが一巡しない短いひと連なりをヴァースとして見るなら、最初のヴァースはC-E-F-C-A-D-G-Cです。Eにいくところもいいし、Aに移るところは転調の感覚があって、非常に耳に立ち、大きなに魅力になっています。わたしがこの曲を記憶したのは、この部分の面白さが理由でした。

つぎのヴァースはコード進行がちがいます。だから、これを「つぎのヴァース」というのは抵抗があり、ファースト・ヴァースの後半と捉えたくなるのです。どうなっているかというと、C-E-F-C-G-C-F-Cで、Aへの移行はありません。こちらのコード進行パターンはA-Dへの移行がある最初のものほど面白くなく、冒頭のCからEへの移行だけが目立ちます。結局、このC-Eが、Fool Such As Iという曲のアイデンティティーといっていいのかもしれません。

カントリーだの、ブルーズだのというのは、どうも曲を聴かせるというよりは、語りの伴奏音楽の気味があって、楽曲として魅力のあるものは、いや、楽曲としての「独立性」のあるものはきわめて少なく、ルーツ・ミュージックにはあまり関心が湧きません。しかし、音楽が産業としての形を整えていく過程で、カントリー・ミュージックにも、楽曲の「独立性」が、歌詞(ないしはストーリー)の面だけでなく、譜の面でも求められるようになっていったのではないかと感じます。

そう考えると、(Now and Then There's) A Fool Such As Iは、近代的なカントリー・ソングの萌芽だった、という仮定が成り立ちそうです。年をとって(いや、いまよりもっと、という意味ですが)暇ができたら、この仮定を検証してみようと思います。

いずれにしても、わたしの耳には、この曲は「いつものコード進行の無個性なカントリー・ソング」ではなく、明確な独立性をもつ曲に聞こえます。そして、その理由はC-E間の移行と、CからA-Dへの移行というコード進行にあります。

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◆ エルヴィス・プレスリー盤 ◆◆
音楽は記憶の集積なので、最初に気に入ったヴァージョンには、つねになにがしかのアドヴァンティジがあり、Fool Such As Iも、やはり最初に聴いたエルヴィス盤がいちばんいいと感じます。なんたって時期が時期で、エルヴィスがもっとも充実していたときですから、ふつうにやれば、それだけで十分に魅力的ですしね。

例によって、セッション・データのJPEGをご覧いただきましょう。

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I Got StungとBig Hunk O' Loveという大ヒット曲も生まれた、なかなかすごいセッションです。この部分はページの一番下にあったので、つぎをめくったら、もうセッション記録ではありませんでした。つまり、陸軍入隊前の最後のセッションだったのです。

フォンタナがトラップに坐って、バディー・ハーマンが(よりによって)ボンゴというのが意味不明ですが、あとは文句のない、この時代のナッシュヴィルの「Aチーム」です。念のために書いておくと、Fool Such As Iでは、ボンゴの音など聞こえません。

フォンタナの困ったところは、とりわけアップテンポの曲で、フィルインが突っ込み気味になることです。この不安定感はかなり気色が悪いのですが、Fool Such As Iはやや速めのミディアム・シャッフルだから、16分のパラディドルはお呼びではなく(ただし四分三連はある)、破綻なくまとめています。

チェット・アトキンズの名前のあることが気になる方もいらっしゃるでしょうが、この曲のリードはおそらくハンク・ガーランドで、チェットは主として低音弦を使ったオブリガートを弾いているだけです。チェットがエルヴィスのセッションでリードをとったことはないような気がします。エルヴィスのトラックを聴いていて、あっ、チェットだ、と思ったことはありません。エヴァリー・ブラザーズを聴いていても感じますが、セッション・ギタリストとしてのチェット・アトキンズは、なによりも目立たないことを最優先にしていたのではないかとすら思います。

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チェット・アトキンズ(左)とバディー・ハーマン

しかし、この時期のエルヴィスは、声はいいし、後年に見られるイヤな味が混じることもないし、独特のシンコペーションも自在に操り、なるほど、これならキングだ、と思います。

わたしは、フランク・シナトラとエルヴィス・プレスリーは、同じものを武器にしてトップに立ったと考えています。シナトラもエルヴィスも、それぞれの時代に合った、独自のシンコペーティッド・シンギング・スタイルを発明した、ということです。シナトラにはシナトラのシンコペーションがあり、エルヴィスにはエルヴィスのシンコペーションがあります。それがすなわち、時代の好尚のちがいなのでしょう。

◆ ボブ・ディラン盤 ◆◆
つぎにこの曲がまた耳に立ったのは、アルバムDYLANに収録されたボブ・ディラン・ヴァージョンを聴いたときでした。年端のいかぬころに、よく流れていたエルヴィスのヴァージョンを聴いただけで、長らく忘れていたので、ああ、いい曲をカヴァーしたなあと、まず懐かしさが先に立ちました。しかし、ノスタルジーだけではそうそう面白いと感じるものではありません。ディラン盤が印象的だったのは、トラックの出来がいいからです。

以前、Blue Moonを取り上げたときにも参照したのですが、The Story Behind Self Portraitという興味深いページがあります。簡単にいうと、ディランのキャリアにおける巨大な穴ぼことでもいうべき、Self Portraitという愚作がなぜ生まれたのか、ということを検証しているのです。

f0147840_23472433.jpgしかし、以前にも書きましたが、わたしはディランの書く曲はそれほど面白いと思わず、Nashville SkylineからSelf Portrait、そしてNew Morningとつづく時期の彼のヴォーカルのほうを好んでいます。ディランのファンが嫌うものを好むということは、要するに、わたしはディラン・ファンではないことを証明しているのでしょう。眉間に皺を寄せるような音楽は聴かない人間だから、当然の結果です。ディラン・ファンというのは、「ただの歌謡曲」は嫌いで、その歌謡曲が2枚のLPに詰め込まれたSelf Portraitは、とうてい我慢がならないのでしょう。

上記のSelf Portrait研究リポートによると、Fool Such As Iの録音データは以下のようになっています。

April 26, 1969 (Nashville):

1. Take Me As I Am (Or Let Me Go)
2. A Fool Such As I
3. I Forgot More Than You'll Ever Know
4. Let It Be Me
5. Running

Personnel:

Charlie McCoy (bass)
Norman L. Blake (guitar)
Pete Drake (steel guitar)
Robert S. Wilson (piano)
Kenneth Buttrey (drums)
Charlie E. Daniels (guitar)
Fred F. Carter Jr. (guitar)

すくなくともリリース当初のアルバムDYLANにはデータはなく、Self Portrait録音時のアウトテイクだと報じられただけでしたが、この記録はそのとおりだったことを裏づけています。

Take Me As I Am (Or Let Me Go)、I Forgot More Than You'll Ever Know、Let It Be Meの3曲は、Self Portraitに収録されています。いずれもいい曲で、これを眺めていると、わたしが多少ともカントリーを聴くようになったのは、ディラン(とグラム・パーソンズおよびグレイトフル・デッド)のおかげだったことを思いだします。

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当時のDYLANに付された「たすき」の宣伝文句。誤解のないようにいっておくが、昔だって、こんな気がちがったような宣伝文句がゴロゴロしていたわけではないし、昔の子どもがこんなドアホをまともに信じたわけでもない。高校生のわたしはゲラゲラ大笑いした。音楽業界というところは、知性の高さで有名というわけではないというだけのこと。

◆ ウォーム・アップ・セッション? ◆◆
Fool Such As Iは、他の曲より出来が悪いわけではないのに、なぜお蔵入りし、アウトテイク集で陽の目を見ることになったのか? 直接の理由かどうかは確信がありませんが、Self Portrait収録の他のカントリー・カヴァーと、Fool Such As Iのあいだには、大きなちがいがあります。ビートです。

今回、たいした数ではありませんが、うちにあるFool Such As Iをすべて並べ、ついでに、ウェブでいくつか聴いてみましたが、ディランのものほどrave upしたヴァージョンはほかにありません。突出しています。

ひょっとして、ケニー・バトリーじゃないのかもしれないと思ったほど、スネアはノーマルなチューニングですし(何度も書いているが、バトリーはアブノーマルなほど低いチューニングをする)、しかも、別人のようにシャキッとしたビートを叩いているのです。もう、イントロ・リックから派手だし、本体も派手なハード・ヒット連発のフィルイン満載、ディランがなんぼのもんじゃい、ここはナッシュヴィルだ、生きてNYに帰れると思うなよ、てなドラミングです。

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Almost Went to See Elvisというタイトルのブート。ディランはもともとはロックンローラーだった。

Fool Such As IがSelf Portraitに収録されなかったのは、この派手さが、あのLPの他のトラックとは水と油だったからだろうと思いますが、もうひとつ勘繰るなら、ディランを押しのけてしまうほど、うしろが派手なことも理由になったのではないでしょうか。

しかし、ディランのヴォーカルだってけっして悪くありません。強いビートと気持ちのよいグルーヴに乗って、ディランも気楽にうたっているところが、このヴァージョンを魅力的にしています。そもそも、Self Portraitの魅力というのは、賭け金の低いところで、リラックスして、うたうことを楽しんでいることにあるわけでしてね。

一説によると、Self Portraitセッションはたんなるウォーム・アップ、テスト録音にすぎなかったそうで、それもまんざら謬説と退けられない気がします。だから、気楽に、思いつくままに、他人の曲をうたっていったのではないでしょうか。物作りとはしばしばアイロニカルなもので、肩に力が入ると、笑顔が消え、魅力のないものになってしまうものです。

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この殴り描きの自画像について、ディランはむちゃくちゃなことをいっているが、ご興味のある方は、上記のSelf Portrait研究リポートをご覧あれ。

◆ ボビー・ヘルムズ盤 ◆◆
日常的に聴いていたFool Such As Iは以上の2種なのですが、今回、改めて比較検討して、うーむ、とうなったヴァージョンがほかにふたつありました。ひとつは、クリスマス特集のときにJingle Bell Rockを取り上げたボビー・ヘルムズです。これがなかなかいいヴァージョンなのです。まずはデータを。

録音日は1957年6月10日、場所はナッシュビルのBradley Film & Recording Studio、プロデューサーはポール・コーエン。パーソネルは以下の通り。

Bobby Helms……vocal
Thomas Grady Martin……guitar
Walter "Hank" "Sugarfoot" Garland……guitar
Roy Q. Edenton or Harold Ray Bradley……rhythm guitar
Bob L. Moore……bass
Murray M. "Buddy" Harman Jr.……drums
Owen Bradley……piano
(poss.) Anita Kerr Singers……vocal chorus

f0147840_0144980.jpg日付がちがうだけで、あとはJingle Bell Rockとまったく同じです。いくら同じ年の録音とはいえ、これはちょっと首をひねります。このセッショノグラフィーは、セッション・シートなどの確たる根拠にもとづくものではなく、関係者の記憶による「再現」ではないかという疑いが鎌首をもたげてきます。だって、Fool Such As Iには、フィドルが入っているんですよ。それはどこへいったのか? さらにいえば、コーラスなんかどこにもないのに、なんだってアニタ・カー・シンガーズなんかが湧いて出てきたのか。

よって、百パーセントの信用はおけないものだとお断りしておきますが、しかし、グルーヴは安定していて、この時代のナッシュヴィルのトラックのよさは十分に感じられます。バディー・ハーマンがストゥールに坐ったということだけは、まちがいないでしょう。

そして、ボビー・ヘルムズの明るい歌声もいつものとおりで、なかなかよろしいヴァージョンです。ずいぶん昔に買ったものなのに、なんだっていまごろ気づいているんだよ、とちょっと呆れましたが。

◆ カール・ドブキンズ・ジュニアほか ◆◆
そろそろ文字数制限の壁が見えてきたので、残りは簡単に。

f0147840_0155873.jpgもうひとつ、カール・ドブキンズ・ジュニア盤も出来がよいと感じました。録音場所、メンバーなどのデータはわからないのですが、1959年リリースで、バディー・ハーマンのいるナッシュヴィル録音の雰囲気が濃厚なグルーヴです。ナッシュヴィルはわたしにとっては「アウェイ」なのですが、このブログをはじめたおかげで、かなりの数を聴いた結果、ナッシュヴィルの音が躰に染みこんできたようです。あと一年もやれば、ハル・ブレインのように簡単に、ハーマンのプレイを聞き分けられるようになっているかも!

カール・ドブキンズ・ジュニアも明るい美声で、アレンジは異なるものの、全体としての印象はボビー・ヘルムズ盤によく似ています。これまた聴くにたるヴァージョンでしょう。

f0147840_0174736.jpgクラレンス・ホワイトのヴァージョンがあるとわかって、どんなものかと試聴してみました。1964年の録音で、ホワイト兄弟がギターとマンドリン、タット・テイラーという人がドブロという三人だけのものです。ドブロがほとんど聞こえなくて、なんだかホーム・レコーディングのようなバランシングです。

タット・テイラーというのは、フラットピッキング・ドブロのパイオニアだとかで、ということは、それ以前は、サム・ピックをつけてのフィンガリングだったということなのでしょう。どんなプレイをするのか、ちゃんと聴いてみたいものです。

クラレンス・ホワイトは、ストリングベンダーではなく(64年にはまだストリングベンダーは存在しなかったのか?)、アコースティックを弾いています。端正なピッキングするプレイヤーなので、きれいにやっていますが、ストリングベンダーのときほど興味深いものではありません。そもそも、本気のプレイには思えず、お遊びのジャムではないでしょうか。

f0147840_0192424.jpgルー・ロウルズはゴスペルからスタートしながら、徐々にメインストリームのほうに移動していった、50年代、60年代のブラック・シンガーのある類型を代表するタイプです。彼のFool Such As Iは、完全なメインストリームのアレンジで、ハリウッドのサウンドに聞こえます。音の広がりは立派なもので、エンジニアの腕のよさはよくわかります。こういうタイプのソフトな音楽がお好きな方にはお奨めできますが、ロックンロール・リスナーにはまったくもって不向きでしょう。

ずいぶん捜索に時間をかけたのですが、ハンク・スノウのオリジナル盤を聴くことができなかったのは遺憾というしかありません。You Tubeでかなり後年のテレビ・ライヴを見つけましたが、年代が離れすぎていて、あまり参考になりません。予想したとおりのムード(ミディアム・シャッフル)でやっていますが、スタジオでもそうだったかどうか保証のかぎりではありません。カントリー・シンガーっていうのは、どうしてみなギターがうまいのだろう、なんていうよけいなテーマを背負い込んだけでした。
by songsf4s | 2008-04-09 23:56 | 愚者の船