Fools Rush In その1 by Rick Nelson
タイトル
Fools Rush In
アーティスト
Rick Nelson
ライター
Johnny Mercer, Rube Bloom
収録アルバム
Rick Nelson Sings "For You"
リリース年
1963年
他のヴァージョン
James Burton, Glen Miller, Frank Sinatra (several versions), Lesley Gore, Brook Benton, Julie London, Dion & the Belmonts, Harry James, Doris Day & Andre Previn, Jo Stafford, the Flying Machine, Lita Roza, Bobby Hackett
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ヴァージョンが山ほどある曲はできれば避けたいのですが、そうもいかないことが多く、本日のFools Rush Inも、馬鹿ソング特集をやろうと思った動機のひとつなので、花も嵐も踏み越えます。

いいヴァージョンの多い曲ですが、看板にはリック・ネルソンを立てました。多少の迷いもなかったわけではないのですが、まあ、この曲はこのヴァージョンで決まりだろうというくらい、昔からリックのものが好きなのです。そのへんのくわしいことは後段で。

◆ 天使も三舎を避ける ◆◆
それではファースト・ヴァース。

Fools rush in where angels fear to tread
And so I come to you, my love, my heart above my head
Though I see the danger there
If there's a chance for me, then I don't care

「愚か者は天使も足を下ろすのをこわがる場所に踏み込んでいく、だから、愛しい人よ、僕はこうしてここに来たんだ、もう無我夢中さ、たしかに危険を感じるけれど、チャンスがありさえすれば、そんなこと、かまうものか」

my heart above my headの解釈はいくぶん問題ありかもしれません。辞書には、above one's headで「……の理解力を超えて」とあります。この場合は、ハート=感情は理知の理解を超えている、といったあたりになり、もう気持ちの昂ぶりを抑えられない、ぐらいの意味と考えればいいと思います。

f0147840_235314100.jpgジョニー・マーサーの曲を取り上げるたびにいっていますが、いやもう、うまいものです。発想、展開ともにきちんとしていて、やはりアメリカ音楽史上最高の作詞家のひとりだと思います。

佳作秀作目白押しの人なので、これくらいでは代表作とはいわれないかもしれませんが、やはり光るものがあります。このヴァースでは、ファースト・ラインから、so I came to youにつなげる展開のあざやかさに惹かれます。ま、意味としては「オレ馬鹿だから、こんなところに来ちゃったのよ」といっているだけですが、ふつうにいえばなんでもないことを、印象深く表現することこそが、作詞家という職業の要諦なのですよ、おのおのがた。

◆ 古典的にして清新な脚韻 ◆◆
セカンド・ヴァース。

Fools rush in where wise men never go
But wise men never fall in love, so how are they to know?
When we met, I felt my life begin
So open up your heart and let this fool rush in

「愚か者は賢い人間がけっして行かない場所に飛び込んでいく、でも、賢い人間はぜったいに恋などしないのだから、彼らにはわかるはずがない、きみに会ったとき、ぼくは人生がはじまったと思った、だから、心の扉を開いて、この愚か者を飛び込ませてくれないか」

f0147840_23542989.jpgジョニー・マーサーは、昨日取り上げたFools Fall in Loveのジェリー・リーバーとは正反対で、ティンパン・アリーに巣くったわけではないものの、旧派の代表的作詞家なので、ファースト・ヴァースも、このヴァースも、じつにきれいに韻を踏んでいます。その形を崩したくなくて、途中で行を割りたくなる箇所も我慢したのだから、行末をにらんでみてください。goとknowの脚韻なんて、ありふれていそうで、じつはあまりないだろうと思います。beginと、rush inも、なるほどねえ、と感心しました。韻はクリシェにつながるハイウェイですが、うまくやれば、やはりきれいなものです。

以上で歌詞はおしまい、この曲は2ヴァースのみで、ブリッジもサード・ヴァースもありません。多くのヴァージョンでは、どちらかのヴァースを繰り返し、サード・ヴァースのかわりにしています。

◆ ロッカバラッド・キング ◆◆
リック・ネルソンの歌を褒めている文章というのを読んだことがありません。「水で薄めたエルヴィス」というデビュー時の評価が、生前はもちろん、没後にいたるまで、ずっとついてまわったという印象です。

f0147840_2357628.jpgじゃあ、へそ曲がりとしては、ここでひとつ褒めてみようか、と思うのですが、そう簡単には問屋が卸さず、「けなさなければならないほど嫌味なシンガーではない」というあたりです。でも、イヤったらしい歌い方のシンガーが多いなかで、このさっぱりとしたあと口のよさは、ちょっとした美質といっていいのではないでしょうか。

というと、リックの歌が下手だといっているみたいに受け取られかねませんが、そんなことはありません。バラディアとしての資質は十分以上にもっています。そもそも、ポップ/ロックの世界では、シンガーの最大の財産は、テクニックではなく、声の質です。それも、ただのいい声では不十分で、スタジオ・ギミックを適用しやすい声なら完璧なのです。

f0147840_2358860.jpgその代表がカレン・カーペンター。仮に彼女がうちにきて、目の前に立ち、イフェクターを通さない「素」でうたっても、わたしはぜんぜん感心しないでしょう。あれはスタジオ技術の結晶ともいうべきもので、イフェクターの助けがあって、はじめて特長のあるいい声になったのです。あれは、ほら、ご存知でしょうが、ビートルズとアビー・ロード・スタジオのエンジニアが「ADR」(Automatic Double Recordingの略だったか。一般的には「フランジャー」という)と呼んでいたイフェクターによって、数十人のカレン・カーペンターの複製をつくり、「電気的大合唱」にした声なのです。

そういう意味では、リック・ネルソンのほうが大先輩です。ダブル・トラック、リヴァーブ、それにたぶんディレイも駆使して、スタジオにしか存在しない、すばらしい声をつくりあげたと思います。この声は、残念ながら、リックが好んだロックンロール系の曲には不向きで、プロデューサーだった父親のオジー・ネルソンが好む、バラッド系の曲でおおいに効果を発揮しています。

ロック系の曲をうたうには、リックの声はやさしすぎますが、デビュー直後にロッカ・バラッドという金脈を発掘してからは、テレビ・ドラマのアイドルではなく、シンガーとしてのリック・ネルソンのキャリアは巡航速度に到達し、安全圏に入ったと感じます。

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ネルソン家の人びと。ドラマのセットは、じっさいのネルソン邸のコピーだったので、写真を見ても、ドラマなのか、現実なのか、判然としない。

Fools Rush Inは、リックの好みというより、父親の好み(彼の若いころにヒットした曲なので)だったようですが、アップテンポのロッカ・バラッドに仕上げることで、双方が満足できるものになったと感じます。いや、20年契約という太っ腹な条件でリックを獲得しながら、ヒットが出なくて気を揉んでいたデッカも、この曲で一息ついたことでしょう。もっとも、それはぬか喜びで、つぎにヒットらしいヒット(Garden Party)が出るまでに、じつにこのあと8年も要することになってしまうのですが!

◆ 最強のツアーバンド ◆◆
リックのFools Rush Inは、バッキングに関するかぎり、他のどのヴァージョンもホコリのなかに置き去りにする素晴らしさで、平均点以上のリックのヴォーカルに、バッキングの楽しさを加えた総合点で、最終的にトップ、というように見ています。

なんたって、ギターがジェイムズ・バートン、ベースがジョー・オズボーンなんですからね。いや、二人ともまだスタジオ・プレイヤーにはなっていません。リック・ネルソン・バンドのレギュラーとして給料をもらい、いっしょにツアーし、レコーディングもツアー・バンドのままで(すくなくとも1960年ごろから)やっていたのです。

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ごく初期のリック・ネルソン・バンド。芳紀十六歳の国民的ティーネイジ・アイドルと、これまたティーネイジャーだったジェイムズ・バートン(右)。まだジョー・オズボーンは参加していなくて、このときのベースはジェイムズ・カークランド。

これほど強力なツアー・バンドは、当時、ほかになかったでしょう。ドラムのリッチー・フロストも、エースとはいえないまでも、もとはスタジオ・プレイヤーで、タイムは悪くはありません。つねにツアーに帯同したわけではなく、準レギュラーだったピアノのレイ・ジョンソン(プラズ・ジョンソンの兄弟)も悪くないプレイヤーです。

ほうっておけばスタジオに引っぱられてしまう腕の持ち主に給料を払うのは、かなりの負担になるので、リックぐらいの大きな稼ぎがないと、とうてい維持できなかったでしょう。エルヴィスがしきりに、「居抜き」でこのバンドをリックから買い取ろうとした、という噂も十分に信憑性があります。

じっさい、後年、ジェイムズ・バートンはエルヴィスのツアー・バンドに入り、間奏の直前、エルヴィスが「Take it for me James」を連発することになります。ジェイムズ・バートン・ファンとしては、昔からほしかったプレイヤーを獲得できて、エルヴィスもうれしかったのだろうな、と感じます(そして、ソロ・アルバムのレコーディングにジェイムズ・バートンを迎えたグラム・パーソンズも、Grievous Angelの間奏の入口で「Take it for me James」のセリフをいう誘惑に勝てなかった)。わたしらの世代が、名のみ高かったジェイムズ・バートンの動くすがたを見られたのも、エルヴィスの衛星中継ライヴのおかげでした。カメラがエルヴィスばかり追って、バートンの手の動きがよくわからず、イライラしまくったものです。

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ミスター・テレキャスターとそのギター。ウッソー、テレキャスじゃなくて、グレッチじゃん!

Fools Rush Inのときには、リック・ネルソンのキャリアははっきりと下降線を描きはじめていましたが、バンドはこの時期がもっとも充実していたと感じます。バートンのオブリガートや間奏は、素人が聴いてうまいと思う子どもっぽいものではありません。でも、目立たないながらも、さまざまなテクニックを織り込んだ、じつに渋い、同時に、あざやかなプレイです。もういつでも、フルタイムのスタジオ・プレイヤーに転身できるまでに成熟しています。このとき、バートンはまだ二十二、三歳なのですが。

片やバートンの幼なじみだったジョー・オズボーンは、いまになるとわかりにくいのですが、1960年代はじめという横軸で見たら、こんなプレイをしている人はほかにいないだろうというほど、ブンブンいわせています。あの時期、このサウンドとプレイは目立ったにちがいありません。

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ミスター・テレキャスターとそのギター。ウッソー、テレキャスじゃなくて、リッケンバッカーじゃん!

まだキャロル・ケイはギターを弾いている時期で、このころのハリウッドのフェンダー・ベースはレイ・ポールマンの一手販売でした(そもそも、レコーディングでは、フェンダー・ベースよりスタンダップ・ベースを使うことのほうが多かった)。レイ・ポールマンのベースは穏やかなもので、オズボーンのようにギラギラしたプレイをする人はほかにいなかったのです。

こういう場合、エンジニアリングも重要です。オジー・ネルソンは他のプロデューサーとちがって、低音をカットしなかったと、初期のリックのセッションでストゥールに坐ったアール・パーマーが証言しています。エンジニアというより、プロデューサーの判断で、同時代の他の盤より低音を(結果的に)強調するサウンドになり、そこにジョー・オズボーンのスタイルがうまくはまったのです。リックは、ブライアン・ウィルソンと同じように、父親の関与を嫌っていましたが、悪いことばかりでもなかったことになります。まあ、リックが主導権を握っても、やはり低音を強調したでしょうけれど。

オズボーンがリック・ネルソン・バンドに入った1960年ぐらいから、この1963年ぐらいまでは、たとえリックがいなくても十分に楽しめるほど、バートンとオズボーンのプレイが冴えわたり、この二人がいるというだけで、リックの盤はなんでも聴いてしまいます。

そして、Fools Rush Inにはオマケがあります。ドラマーのリッチー・フロストはハイハットだけを叩き(このテンポで16分なので、当然、両手でやらなくてはならない)、スネアはリックがプレイしたというのです。

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アール・パーマー(左)のセットを叩くリック・ネルソン。たんなるお遊び写真かと思っていたが、リックは大まじめだったのかもしれない。わたしだったら、よりによってアール・パーマーの前でスティックを振りまわしたりはしないが……。

スティックよりはごまかしがきくブラシのプレイではあるし、ミックスはフロストのハイハットがオンで、スネアはオフですが、それにしても、ときおり入れる16分も乱れはなく、やるじゃん、です。8番バッターより頼りになるピッチャーがいるのと同じような感じで、これはやはり才能というべきでしょう。聞こえるところに関するかぎり、きれいなブラシ・ワークです。まあ、オズボーンみたいなベースがいると、ドラムも引き立つものなんですがね。

◆ ジェイムズ・バートンの「セルフ・カヴァー」 ◆◆
70年代後半、ディスコの嵐が吹き荒れると、盤だけではなく、ラジオ番組も聴くものがなくなりました。やむをえず、時間の都合がつくかぎり、できるだけFENのジム・ピューター・ショウを聴く生活になりました。70年代に入った時点で、すでにビートルズ以前の音楽に回帰しつつあったのですが、ディスコ・ミュージックのあまりの猖獗ぶりに、先行きをはかなんで、こうなったら、昔の音楽を本気で集めようと思い、ジム・ピューターを師匠に選んだのです。

ある日(月曜から金曜まで、毎日25分の帯番組だった)、「明日はリッキー・ネルソンだよ」とジム・ピューターがいったので、わたしは新しいテープを用意して翌日を待ちました。この2日つづきのリック・ネルソン特集は、いま思い返せばビギナー向けの構成で、大瀧詠一の番組のようにマニアックな曲はありませんでしたが、いい曲ばかりで、十分に満足できるものでした。

そのなかで一曲、最後のアナウンスのバックに流れたインストだけは、その後、長いあいだ入手できなかったので、ややマニアックな選曲といえます。イントロでジム・ピューターが割り込み、ジェイムズ・バートン、といったので、寝転がって聴いていたわたしは、むっくり起きあがりました。それがFools Rush Inです。

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ジェイムズ・バートンのFools Rush Inは、リック・ネルソン・ヴァージョンの8年後、1971年に録音されたものです。しかし、キーは同じ、テンポもアレンジもほぼリックのヴァージョンを踏襲したもので、セルフ・カヴァー、いや、リメイクとでもいったおもむきの仕上がりなのです。

ちがうのは、当たり前ですが、リックの歌のかわりに、ジェイムズ・バートンのドブロがリードをとっていることです。このドブロがまたうまいんです。じつにきれいな音で、うなっちゃいます。グラム・パーソンズのアルバムでは、ドブロばかり弾くので、もっとテレキャスターを使ってくれよ、と思ったほどで、バートン自身もドブロを好んだようです。

いまも聴きながら書いているのですが、いやもうすばらしい。ジム・ピューター・ショウのリック・ネルソン特集を録音したテープを、繰り返し繰り返し、すり切れるほど聴いた夏のことを思いだします。うっかりすると涙がこぼれるような、美しいプレイです。

間奏では(って、インストには間奏はない、といわれそうですが、リック盤の間奏に相当する箇所、という意味)、それまでうしろでカッティングをしていたテレキャスター(もちろん、バートンのダブル)が前に出て、リックのヴァージョンとほぼ同じラインを弾きますが、8年のあいだにバートンも成長した、と感じる、タイミングが微妙に遅くなった、懐の深いプレイです。ドブロ、テレキャスター、どちらも完璧。

Fools Rush Inを収録したThe Guitar Sounds of James Burtonというアルバムは、エルヴィスの録音のためにスタジオを押さえたのに、肝心のご本尊が来られなくなったので、急遽、バートンのソロ・アルバムの録音に切り替えたというもので、全体を聴くと、準備不足の感は否めません。ほかに面白いものといって、Pork Salad Annieぐらいです。でも、Fools Rush Inのすばらしさは、すべてに補いをつけてくれます。ときには、これ一曲あれば十分、というトラックもあるものなのです。

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ボブ・ルーマン・バンド時代のジェイムズ・バートン(右)とジェイムズ・カークランド(左)。いやはや、バートンの若いこと。十六歳ぐらいか。要するに、このバンドがそのままリックに引き抜かれてしまったようなもので、ボブ・ルーマンは困ったにちがいない。

リック・ネルソンがらみの2ヴァージョンを書くだけで本日は力尽きてしまったので、残りのヴァージョンは後日に繰り越させていただきます。ほかにもいいヴァージョンがあるので、どうぞお楽しみに。
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by songsf4s | 2008-04-01 23:54 | 愚者の船