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Skylark その2 by Tal Farlow
タイトル
Skylark
アーティスト
Tal Farlow
ライター
Hoagy Carmichael, Johnny Mercer
収録アルバム
The Complete Verve Tal Farlow Sessions
リリース年
1952年(録音)
他のヴァージョン
Tak Shindo, John Lewis, Paul Weston, Ray Anthony, Art Blakey & the Jazz Messengers, Hoagy Carmichael, the Singers Unlimited, Supersax & L.A. Voices, Dinah Shore, Linda Ronstadt
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さっそく昨日のつづきで、タク・シンドー盤以外のSkylarkの各ヴァージョンを見ていきます。

◆ タル・ファーロウ ◆◆
タル・ファーロウ盤は、インプロヴはゼロに等しく、素直にメロディーを弾いているだけですが、サウンドが奇妙で、なんでこんな音になってしまったのかと首を傾げました。むやみにピッチが高く、アタックばかりで、サステインがほとんどない尻切れトンボ、ひょっとしたら、レス・ポールのように低速回転録音をしたのかと思ったほどです。

やむをえず、彼のプレイをなぞってみました。わたしがふだん使っているストラトキャスターは21フレットですが、タル・ファーロウ盤Skylarkは、レギュラー・チューニングであっても、20フレットあれば弾けるので、最後の短いリプリーズ部分をのぞけば、低速回転ではなく、ストレートに録音したらしいとわかりました。

フレット数はもちろんギターによって変動しますが、上掲の写真で勘定してみたところ(ふたつのマークの並んでいるところが、1オクターヴの第12フレットのはずなので)、ギリギリで20フレットあるようです。しかし、カッタウェイ(ボディーの切れ込み)を見ると、20フレットを使う最高音は弾きにくそうで、きれいな音を出すにはそれなりの技術が必要に見受けられます。一般のリスナーにはそれとわからない、羽織の裏地に凝るような、地味な技に挑戦しようとしたのかもしれません。

f0147840_20103711.jpg音が尻切れトンボになってしまうのは、当時の太い弦、ピックアップの劣悪な特性、ボディーの構造上の問題のせいではないでしょうか(この問題を回避するために、レス・ポールは自分でギターをデザインしたり、ディスクおよびテープ・ディレイを開発しなければならなかった)。

なんだって、メロディーをなぞるだけのプレイなのかと思いましたが、弾いてみると、20フレットなんていうところでは暴れにくく、必然的にそうなってしまったのだろうと想像がつきました。タル・ファーロウの時代にはレギュラーゲージかヘヴィーゲージだったのだから、暴れにくいどころか、痛くてしかたなかったでしょう。昔の人は偉い! いや、面の皮、じゃなくて、指の皮が厚かっただけか。

しかし、暴れにくい場所で弾くことを選んだのは、タル・ファーロウ自身でしょう。もっと低いところで暴れるプレイも選択できたのですから。弾いていて、だんだんわかってきたのですが、Skylarkという曲は、なかなか面白いラインをとっていて、インプロヴするより、細部の微妙なタイミングの変化や、ささやかな装飾音で飾るだけにし、素直にメロディーをプレイしたほうが楽しいのです。シャドウズがカヴァーしてもよかったのに、と感じたほどです。

最後に加えられている短いリプリーズは、低速回転録音、通常回転再生によるものです。おそらくレス・ポールを意識したものでしょうが、ストレートなジャズでこういうことをやるのは、当時は行儀のいいこととは思われなかったのではないかと想像します。

◆ 他のインスト ◆◆
f0147840_21105035.jpgジョン・ルイス盤は、リーダーのルイスではなく、ジム・ホールのプレイが中心になっています。これまた、メロディーを弾いているだけ(タル・ファーロウより2オクターヴ近く低いところで!)といっていいほどです。いや、メロディーはかなり崩していますが、暴れてはいません。

しかし、中学のおわりだったか、高校のはじめだったか、ジム・ホールの盤を買ったのに、退屈で、すぐにトレードに出してしまったことを思いだしてしまうプレイではあります。ギタリストにはもうすこし華やかにやってもらいたいものです。わたしのいまの年齢でも、まだジム・ホールのプレイは地味すぎると感じます。米寿まで生きたら、あるいは面白いと感じるかもしれません! いや、生来、派手好き、百まで生きても、やっぱり趣味に合わない可能性のほうが高いでしょうな。

f0147840_2112385.jpgポール・ウェストンは好きなアレンジャーのひとりですが、彼のSkylarkは、猥褻なテナーサックスのプレイが中心で、趣味ではありません。一本のみの管楽器は嫌いで、二本以上のアンサンブルだけを好む偏った人間なので、ソロが終わって、途中からアンサンブル中心になるところで、やっと、さすがはポール・ウェストンと感じますが、またテナーが何度も出しゃばるので、釈然としないままエンディング。

f0147840_21292659.jpg一本のテナーサックスもあまり好みませんが、トランペットは一本でも複数でも、一握りの例外を除き、あまり好きではありません。それなのになんだってレイ・アンソニーなんか聴くのかというと、アンサンブルとしては、つねに派手で元気のいいところ(すなわち、わたしが忌み嫌う管楽器の猥褻さがない)がこの人の賞味のしどころで、その点ではいいバンド・リーダーだと思います。でも、Skylarkはまったく冴えず、問題外の出来。元気よくやるには不向きな曲だから、しかたありませんが。

f0147840_21383248.jpgいわゆる「モダン・ジャズ」は好かないので(スウィング/ビッグバンドのほうが百万倍好み)、アート・ブレイキーは、ドラム・クレイジーとしての関心のしからしむるところにすぎません。でも、この曲ではトランペットやサックスが下品なソロをしているだけで、ドラムはしょったれた青菜のていたらく。もっと背筋を伸ばして、きっちりプレイしてくれないと、眠っちゃいます。

以上、インスト終わり。

◆ ヴォーカルもの ◆◆
f0147840_2140982.jpgインストもたいしたものがありませんでしたが、歌ものはもっと悲惨で、これを最後の行にしたほうがいいくらいです。

しいていうと、ホーギー・カーマイケルはウィシュボーン爺さんの顔を思いだす訥々としたうたいぶりで、猥褻さのかけらもないところは好感がもてます。さすがはこの曲の作者、メロディーの崩し方もきれいで、つくるときに、そういうラインもオルタナティヴとして考えていたのね、と納得します。

シンガーズ・アンリミティッドもまた、人間のイヤな体臭をかがないですむのはありがたいのですが(個性というのは、ときにうっとうしく、五月蠅いものです)、強引すぎるテンションをつけたヴォイシングが多く、メロディーのよさを殺している箇所の目立つ「手術は成功した、患者は死んだ、そいつは残念」アレンジです。

f0147840_22133275.jpgテンションをつけなければ、ヴォーカル・グループの存在意義はなくなってしまうのですが、だからといって、こういう曲に変なテンションをつけるのはうっとうしいだけ。所詮、彼らには合わない曲というべきでしょう。

シンガーズ・アンリミティッド盤Skylarkを聴くと、下手にメロディーをいじらなかったタル・ファーロウが、じつに賢明だったことがよくわかります。タル・ファーロウが異常なまでに高いキーを選んだ理由も、ここまできて明瞭に理解できました。この曲のメロディーをいじるのは無思慮である、しかし、ふつうに弾いたのでは面白くもなんともない、なにか「色」をつける必要がある……では、限界まで高くしてみてはどうか、という思考過程でしょう。

これでSkylark棚卸しを打ち切ります。とくに面白いものはなく、なにか書くと、血圧が上がりそうなので。きれいなメロディーラインなのですが、意外や意外、嫌味なくきれいに仕上げるのは、じつに至難の曲だということがわかりました。

◆ ふたたびタク・シンドー ◆◆
タク・シンドーのことが書きたくて、Skylarkを取り上げたのですが、各ヴァージョンの棚卸しを終えてみれば、ゆったりした気分で楽しめるのは、結局、タク・シンドー盤のみだとわかりました。やはり、彼が腕のいいアレンジャーだったことの証左です。

f0147840_23135337.jpgタク・シンドー盤Skylarkには、西洋人のきつい体臭を取り去った、清く正しい響きがあります。ちょっと引っかかるものを感じる琴のサウンドですら、猥褻な堕落ヴァージョンを山ほど聴いたあとだと、この清新さに一役買っているように思えてくるほどです。彼が日系人でなければ、ビリー・メイやゴードン・ジェンキンズに伍して、ハリウッドを代表するアレンジャーになったのではないかとすら思います。

デイヴィッド・ラクシンという映画音楽の作曲家(チャップリン作とされている曲のなかには、じっさいにはラクシンがつくったといわれるものがある)がいますが、彼がハリウッドにおけるシンドーのキャリアの輪郭を明瞭に照らし出す証言をしています。すなわち、

「マヌケなことをやらかしたくないときは、われわれみなは彼のところにいったものだ」

マヌケなこととは、必要性から映画のなかで東洋風音楽を使う際に、無知ゆえに失笑を買うような現実離れしたものをつくってしまうことです。これが、シンドーのアレンジャーとしてのキャリアがよじれ、彼が最終的にハリウッドでの仕事を断念し、学問の道に専念することになった理由でしょう。

若い日系人に、芸能界でのキャリアについてアドヴァイスを求められ、シンドーは、「日本に行きなさい、(アメリカでは)自分が何者であるかを隠すことはできないのだから」と答えたそうです。

f0147840_23472111.jpgいや、べつにこれを読んで憤ったわけではありません。世の中とはそうしたもので、ものをつくる人のキャリアは、世間の評価の関数でしかないのです。ただ、ビリー・メイやゴードン・ジェンキンズに伍すアレンジャーになる可能性をもっていた人が、その血筋ゆえに、ほんの一握りの盤しか残せなかったことを残念に思うだけです。現在、タク・シンドーの盤で容易に入手できるのは、Mganga!のみのようですが、これは代表作とはいいがたく、なんとかBrass and BambooかAccent on Bambooを見つけだしてお聴きになるようお奨めします。

タク・シンドーの話は尽きないのですが(たとえば、服部良一との比較なんていう、興味深い話材もある)、もう一度ぐらいは取り上げる機会が訪れることを願って、ここらで擱筆することにします。
by songsf4s | 2008-03-22 23:54 | 春の歌