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MacArthur Park by Richard Harris その1
タイトル
MacArthur Park
アーティスト
Richard Harris
ライター
Jim Webb
収録アルバム
A Tramp Shining
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Glen Campbell (live), Hugo Montenegro, Percy Faith, Andy Williams, the Four Tops
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真打ちがまだ楽屋入りしていない、ちょいとつないでくれ、といわれて高座に上がり、軽く「千早振る」か「禁酒番屋」でもやって下りるつもりだったのが、あにはからんや、「真景累ヶ淵」を通しでやるみたいなことになってしまいました。

どうやらTonieさんによる「日本の雪の歌」特集も再開のめどが立ったので、わたしの長ったらしいつなぎも、これを最後とし、今週なかばにはTonieさんに再登場願えそうです。「日本の雪の歌」特集のあいだに、アメリカの春の歌がはさまるというのは、べつに南北の『四谷怪談』に範をとった趣向などではないのですが、結果的に、行きつ戻りつの早春の景を模したものになった、と受け取っていただければ幸いです。

◆ 「ホームグラウンド」もまた茨の道 ◆◆
さて、ロックンロールというのは季節感のない音楽で、これしもまた、このジャンルがティーネイジャーのものであったことを証明する一要素です。わたしは、小姑のように因循姑息無知蒙昧グルーヴ音痴時代遅れのジャズ・ファン(とくに「団塊の世代」)に小突かれ、ののしられ、馬鹿にされ、あろうことか、髪の毛の長さにまで文句をつけられながら、十代を送りました。

よって、バックビートのない音楽というのは「年寄りが聴く惰弱卑猥退廃的音楽」と思って育ちました。自分が年老いたいまでも、釈然としない思いが残り、スタンダード・ジャズなんていうものは、所詮、年寄りが骨董品でも撫でるようないやらしい手つきで聴く、惰弱退廃音楽だと思っているところがいくぶんあり、たとえ季節感に溢れていようと、できればスタンダードは避けたいのです。

スタンダードはことのついでの刺身のつまにしたいが、残念ながらロックンロールは夏と冬の二季しか扱わない、という矛盾相克には秋以来ずっと悩まされているのですが、春もまた苦しいのです。ほら、ちょっと考えただけでも、有名なスタンダードの春の曲がすぐに三つ、四つ出てきちゃうでしょう? 有名だということは、ヴァージョンが山ほどあるということで、もう、検索結果を見るだけでゲンナリし、聴くなどということは思いもよらず、ファイルをプレイヤーにドラッグするのでさえ、明日にしようや、と思っちゃうのですね。

それで、なんとか「敵地」に乗り込まずに、「ホームグラウンド」の曲をやろうとするのですが、こちらの橋にもちゃんと悪魔は待ちかまえています。どういう悪魔かというと、歌詞が面倒、コードが面倒、とくにいい曲とはいえない、その他もろもろ。で、今日の悪魔はトリプル、歌詞が長いし中身もわかりにくい、構成が複雑、ヴァージョンが多い、です。しかし、この三匹の悪魔に立ち向かおうという気が起きるほど、この曲には大きな美点があるのです。

じつは、面倒だなあ、長いなあ、と思っているうちに時機を逸して、ちょっと手遅れになりかかっています。内容から分類するとしたら、このMacArthur Parkは「冬の歌」かもしれないのです。でも、まあ、大負けに負けて、なんとか「春の歌」にすべりこませることにします。

◆ 雨ざらしのケーキ ◆◆
ポップ・ソングとしては異例なほど長く、しかもやや複雑な構成なので、単純に「ヴァース」といっていいかどうか迷うところですが、以下はたぶんファースト・ヴァースと呼べる部分。いや、いま泥縄でジミー・ウェブの回想を読んだのですが、verse/chorus/verse/chorus/bridge/verse/chorusといった、ポップ・ソングの伝統的枠組みから抜けだそうと思って書いたといっているので、あくまでも便宜的に「ヴァース」と呼んでおくだけです。

Spring was never waiting for us, girl
It ran one step ahead
As we followed in the dance
Between the parted pages and were pressed
In love's hot, fevered iron
Like a striped pair of pants

「春がぼくらを待ってくれたことなど一度もなかったんだよ、ぼくらが開いたページのあいだでダンスをしながら、ストライプのパンツのようにあつく熱した愛のアイロンでプレスされているあいだに、春はいつも一歩先に行っていたんだ」

長い詩なので、冒頭だけで脈絡をつかもうとするのは愚の骨頂、と牽制しておきますが、それにしても意味不明。詩というものは、結局のところ、自分で考えろ、自分で感じ取れ、というものだから、詩人は受け取り手の解釈には容喙しないのが鉄則でして、その詩人に倣い、わたしもあれこれいわずにつぎへ進みます。

以下はヴァースではなく、コーラスのように思われます。でも、あとで繰り返されることと、タイトルが出てくるというだけでそう思っているのであって、音からはコーラスに入った感じはしません。

MacArthur's Park is melting in the dark
All the sweet, green icing flowing down
Someone left the cake out in the rain
I don't think that I can take it
'Cause it took so long to bake it
And I'll never have that recipe again
Oh, no!

「マカーサー公園は宵闇に溶け、甘い緑のアイシングはみな流れ落ちる、だれかが雨の中にケーキをおいていったけれど、あれを取れそうには思えない、ひどく手間をかけて焼いたものなのだから、ぼくはあのレシピをふたたび手にすることはないだろう」

f0147840_033016.jpgいよいよ混迷を深めていますが、そういう歌なのだから仕方ありません。「アイシング」といっても、アイスホッケーでパックが敵陣に「無人で」流れることではなく、ケーキにかける砂糖の衣のことです。そこまではいいとして、雨ざらしになったケーキというのは、どうにも落ち着かない気分になるイメージです。まあ、この際、大負けに負けて、そこまでもよしとしますが、あれを取るの取らないの、レシピがどうのにいたって、わたしは投げましたね。

「だれか」という他人のケーキと、そのレシピをかつて知っていたことが、どうつながるのかは、とりあえず、まったく不明。あとのほうにいくと、失った恋人について語っていることがわかってくるので、「ケーキ」も「レシピ」も「焼く」も、そのあたりに関係しているのかもしれません。

こういうときは成句を思い浮かべるべきですが、さて、この場面にふさわしいものかどうか。いちおうコピーしておくと、「take the cake [iron.] 一番[第一位]になる、きわだっている; ひどくずうずうしい、最低だ」というものがあります。となると、I don't think that I can take itは「そんな図々しいことはできそうにもない」と解釈することもできます。といっても、全体としての解釈のめどはさっぱり立ちませんが。

マカーサー公園というのは、LAのマカーサー公園のことでしょう。ジミー・ウェブはこの時期、LAに住み、ハリウッドで録音していたからです。地図で見ると、それほど規模の大きな公園ではなく、付近のドジャースタジアムと比較してみると、球場よりひとまわり大きいぐらいです。日比谷公園と似たようなものでしょうか。なお、歌には無関係ですが、正式名称は「ダグラス・マカーサー将軍公園」だそうです。もちろん、かの日本占領軍司令官。やあ、将軍、これはまたお濠端以来の奇遇、なんとも妙なところでお会いしますなあ。

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中央左(西)寄りの赤い「A」がマカーサー公園。右(東)寄りの道路網密集地帯がLAの中心部。右上の円形の灰色はドジャースタジアムとそれを囲む巨大駐車場。

グーグル・マップでは、「ストリート・ビュー」というものを見られるのですが、公園を突っ切るウィルシャー・ブールヴァードに立って、ぐるっと四囲を見渡すと、大きな池があり、ところどころに高い椰子の木が見えます。

なんだか、フラン・オブライエンの『第三の警官』の登場人物、ド・セルビー教授のいうとおりになっちゃったな、という気分になる経験です。わたしは年寄りなので、オルダス・ハクスリーのいうような意味での「すばらしき新世界」のような気も、チラッとします。ご興味のある方は、「すばらしきウェブ新世界」をご自分で体験あれ。いったことのない土地を見るのが、せめてもの正気の証拠、自分が暮らす町を見たりするのは不健康な精神の原因または結果でしょうから、やめておくにしくはありません。幸い、ストリート・ビューとやらが見られるのは、まだ一部の土地だけのようです。

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ウィルシャー・ブールヴァードに両断されたマカーサー公園。ケーキはどこにあった?

ここでまたヴァースになると思うのですが、確信なし。

I recall the yellow cotton dress
Foaming like a wave
On the ground around your knees
The birds, like tender babies in your hands
And the old men playing checkers by the trees

「ぼくは思いだす、地面の上で波打つように、きみの膝のまわりでふくらんだ黄色いコットン・ドレスのことを、きみの手のなかでやわらかい赤ん坊のようにしていた鳥を、そして、木のそばでチェッカーをしていた老人を」

やっと、わかりやすい情景描写になってくれました。タイトルどおり、公園での出来事をうたっているのでしょう。ウェブで調べると、最近はストリート・ギャングがいなくなり、安全になったといっているので、まっとうな人間が散策する場所ではない時期もあったのでしょうが、60年代には安全だったのだと、この詩からは考えられます。

ここでコーラスのようなパートがふたたび登場し、短めのインストゥルメンタル・ブレイクが入ります。

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むこうに見えるのは湯島のラヴホテル街、というのは大嘘。しかし、この写真だと、トロピカルに飾り立てた不忍池というおもむき。貸ボートは1時間7ドルだそうな。

◆ 「第2楽章」? ◆◆
ここから変奏曲に入った感じで、何番目のヴァースというより、第二楽章とでもいうべきパートで、音楽的にはテンポを落とし、バッキングのニュアンスを変えているだけですが、べつの部分に入った感覚が明白にありますし、歌詞の内容からいっても、べつのパートに入ったことが歴然としています。ということで、以下のパートをなんと呼べばいいのかわかりませんが、ニュアンスとしては第2部のファースト・ヴァースといったあたり。

There will be another song for me
For I will sing it
There will be another dream for me
Someone will bring it
I will drink the wine while it is warm
And never let you catch me looking at the sun
And after all the loves of my life
After all the loves of my life
You'll still be the one

「ぼくのためにべつの歌があるにちがいない、ぼくにはそれをうたう気があるのだから、だれかがもたらしてくれるべつの夢があるにちがいない、まだあたたかいうちにワインを飲もう、太陽を見つめているぼくのすがたをきみに見せたりはけっしてしない、人生で出合った愛のなかで、結局、きみがホンモノなのだということは変わらないだろう」

わかるような気がする部分なので、そういう場合、ほんとうは深く考えないほうがいいのです。ここではっきりするのは、これは追想の歌であり、また、ハッピー・ソングではないということです。

For I will sing itはよくわかりません。形からいって、前置詞ではなく、理由を示す接続詞でしょうが、心理的にどうつながるのか?

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昔の着色絵はがき。むこうに見えるのは湯島のラヴホテル街ではなく、エルクス・クラブという現在もある(歴史の浅いLAにしては)古い建物で、パーク・プラザ・ホテルになっているとか。

ふつう、ワインは冷やして飲むものなので、while it is warmのitは、気候、気温のほうでしょうか。それとも、わざと「衝突」させているのでしょうか。だからなんだという結論はないのですが、こういうラインは、「楽しめるうちに人生を楽しめ」という例のアメリカ的考え方から出てくるといつも思っています。

let you catchのcatchは、目撃する、といった意味で、never let youだから、「目撃させない」となりますが、「太陽を見つめている」というフレーズがなにを意味するのかよくわかりません。「明日を見つめる」のか、「手の届かないものを見つめている」のか、「見てはいけないものを見ている」のか、はたまた、「失意」の表現なのか。要するに、そのすべてなのかもしれません。

◆ 「輝かしい」未来への正確にして無惨な展望 ◆◆
つづいて、「第2部」の「セカンド・ヴァース」とでもいうべき部分。

I will take my life into my hands and I will use it
I will win the worship in their eyes and I will lose it
I will have the things that I desire
And my passion flow like rivers through the sky
And after all the loves of my life
After all the loves of my life
I'll be thinking of you
And wondering why

「ぼくは自分の人生をこの手に握り、それを使うだろう、人々の尊敬のまなざしを勝ちとり、それを失うだろう、望んだことを手に入れ、ぼくの情熱は大空の川のようにあふれるだろう、そして、結局、この人生で出合ったさまざまな愛にもかかわらず、きみのことを考えつづけ、そして、なぜだ、と後悔しつづけるだろう」

面倒になったので、ちょい意訳が入りました。あしからず。このあとは、もう新しい言葉は出てきません。ハル・ブレインがそのもてる技術を駆使して、大車輪で叩きまくる、長い長いインストゥルメンタル・ブレイクをはさんで、仮に「コーラス」と呼んだ部分にもどり、プロコール・ハルムのIn Held 'Twas in Iのような、グランド・フィナーレになだれ込みます。

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パーク・プラザ・ホテル。1920年代、30年代の建築を愛する人間としては、かなり食指をそそられる、あの時代らしい折衷的デザイン。しいて日本で近いものをあげるなら、駿河台の山の上ホテルだが、こちらのほうが規模が大きく、しかも、妙な彫像付きのところが、いかにもカリフォルニアらしく、ブラウンストーンの古色蒼然たる建物が象徴するNYの古建築群とは対照的。

このヴァースがこの曲の肝心要なのだと感じます。思いだすのはジョン・レノンのIn My Lifeですが、あれはハッピー・ソング、こちらは、ディランのI Threw It All Awayタイプというか、バーズのYou Don't Miss Your Waterタイプというか、そういう開墾の歌(カントリーだからって耕すなよ>ATOK)、もとい、悔恨の歌なのでしょう。

ジミー・ウェブの天才少年ぶり、というか、正確には若き大物ぶりでしょうが、そういうものもこのヴァースにあらわれています。カントリー・ソングにおける悔恨の歌は、特別な人間の思いをうたうわけではなく、ふつうの人、あなたやわたしに起きたことをうたうのですが、MacArthur Parkは、あくまでも「天才少年ジミー・ウェブの悔恨の歌」です。彼は人びとのthe worship in their eyesをすでに勝ち得ていたわけで、その後、失ったかどうかは意見が分かれるにせよ、ポップ・ソングの世界では何十年もトップにいるというのは原則としてありえないので、「予想どおりになるはず」の「既定の針路」ではあったでしょう。

ジミー・ウェブというのはほんとうに「時代の寵児」で、ハル・ブレインが書いていましたが、どこかの自動車会社にCMを依頼されて、その会社が作っているある車種が好きだといったら、翌日には現物が一台届いてしまったというのですからねえ。しかも、そういうふうにむやみに車をもらうので、ほとんど友だちにやっちゃったというのだから、I will have the things that I desireどころか、ほしくないものまで山のように手に入れていたのです。

この歌を書いた時点で、もうそういう状態だったはずです。Up Up and Awayのヒットで一躍、売れっ子ソングライターになった直後ですがね。いかにUp Up and Awayが一大センセーションだったかわかろうというものです(ご存知ない方のために付言しておくと、Up Up and Awayはどこかの航空会社のCMソングでした。どこの会社も、あれにあやかりたかったにちがいありません)。

◆ 知らぬこととはいえ ◆◆
ふと、エディターの行数表示を見ると、もはや文字数制限到達は目睫の間なり、とく立ち去りたまえ、といっているので、音楽的検討は明日以降にさせていただきます。

付記 さきほどテレビをつけたら、かつてその著書を熟読熟視した石川光陽と東京大空襲の番組をやっていて、あ、いかん、3月10日だった、とあわてました。今日、マカーサーの名前がタイトルにある曲を取り上げたのは、まったくの偶然にすぎず、なんの意図もないことをお断りしておきます。カーティス・ルメイとあのじつに馬鹿げた勲章のことを思うと、歴史は冷静に見ること、と自制しつつも、やはり、はらわたが煮えくりかえります。

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MacArthur's Park is melting in the dark...夜景もやっぱり不忍池

by songsf4s | 2008-03-10 23:50 | 春の歌