- タイトル
- Spring Will Be a Little Late This Year
- アーティスト
- Rita Reys
- ライター
- Frank Loesser
- 収録アルバム
- First Lady Of Jazz
- リリース年
- 1956年
- 他のヴァージョン
- Rita Reys (remake in 1965), Jeri Southern, Carly Simon with Jimmy Webb, Pim Jacobs Trio, Dianna Durbin (OST for "Christmas Holiday")
本日も、ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集に割り込んで、レギュラープログラムをお送りします。
なによりもグッド・グルーヴが好きな人間なので、スロウな曲がつづくのはあまりありがたくないのですが、この曲を取り上げるなら、まだ寒いうちでないといけないので、ちょっとためらいつつ、まあ、やっておくか、というしだいです。
つらつら勘定してみたら、フランク・ラーサーを取り上げるのは、これで4曲目です。秋にMoon of Manakoora、十二月にBaby It's Cold OutsideとWhat Are You Doing New Year's Eveをすでに取り上げています。
記事数はやっと200件に達したところで(この記事は201件目。昨日、200件に到達したことをいま知りました)、そのなかで4回も登場したのだから、大のフランク・ラーサー・ファンのように見えるかもしれませんが、Baby It's Cold Outsideはクラシックだと思うものの、だからといって、ものすごく好きなソングライターだというわけでもありません。たまたま、季節を扱った曲をいくつか書いていためでしょう。
キャピトルのフランク・ラーサー・ソングブックにも選ばれなかったので、Spring Will Be a Little Late This Yearは彼の代表作ということでもないようです。たしかに、ささやかな美点のある小品といったあたりで、映画の挿入曲としてはともかく、アルバムのなかにおくと、沈んでしまうタイプの曲かもしれません。
◆ 季節と男女の「温度」 ◆◆
なにがヴァースやらコーラスやら、どこが切れ目やら、なんともあいまいな構成なのですが、適当に割りました。まずはファースト・ヴァース、ないしは、ヴァースとコーラスのつながったもの。
A little late arriving
In my lonely world over here
For you have left me
And where is our April of old
You have left me
And winter continues cold
「今年は春の訪れがすこし遅くなる、わたしの生きる孤独な世界には、遅れてやってくることになるだろう、あなたが去ってしまったのだから、わたしたちがいっしょにすごした以前の四月はどこへ行ったの、あなたが去って、このまま寒い冬がつづくことでしょう」
とくに問題にすべき七面倒なラインはありません。見たとおり、男女の関係と季節を重ね合わせただけのことで、クリシェといって差し支えないでしょう。ただし、ロック・エラ以後は、こういうアングルは失われていくので、わたしの世代からは、こうした歌に馴染みがなくなっていくのですが、それでも、演歌の世界などにはこの手の紋切り型はいまでも生きているのではないでしょうか。星野哲朗スタイルで日本語にしてみようか、なんて、一瞬、馬鹿なことを考えちゃいました!
それにしても、いつも以上にひどい日本語で、恐縮しております。だから、女言葉はイヤだっていうのに!
セカンド・ヴァースなのかどうかよくわかりませんが、とにかく後半の部分。前半の最後からずるずるとつなっています。すなわち、「寒い冬がつづくのでしょう、まるで……」というぐあいです。
Spring will be a little slow to start
A little slow reviving
That music it made in my heart
Yes time heals all things
So I needn't cling to this fear
It's merely that
Spring will be a little late this year
「(寒い冬がつづくのでしょう)まるで春のはじまりは遅い、と告げるように。春がわたしの心にもたらせた音楽がよみがえるにはすこし時間がかかるのでしょう、たしかに時はすべてを癒すのだから、こんな不安にいつまでもしがみついていることはない、たんに、今年は春の訪れがすこし遅くなるだけのこと」
I needn't cling以下は、強がっている描写によって、逆にさびしい心を浮き上がらせようという意図なのでしょう。
◆ サントラ・ヴァージョン ◆◆
Spring Will Be a Little Late This Yearは、1944年の映画Chritmas Holidayのために書かれたようです(原作はサマーセット・モーム)。映画のなかでは、ニューオーリンズの娼家のバーで、歌手役のディアナ・“オーケストラの少女”・ダービンがうたいます。
タイトルはクリスマス・ストーリーじみていますが、クリスマスらしい華やかな雰囲気はなく、犯罪物語ないしはフィルム・ノワールというところ。ディアナ・ダービンがこの曲をうたうのは、クリスマス・イヴという設定ですが、歌詞からもわかるように、クリスマス・ソングの扱いではありません。そういう意図で書かれた曲ではないのでしょう。ダウナーな歌詞なので、強引にクリスマス・ソングとみなして、これを収録したクリスマス・アルバムというのも、管見では、いまだないようです。
You Tubeにダービンがこの曲を歌うシーンがありますが、感情移入せず、突き放すように軽くうたっているところが、じつに好ましく感じられます。アレンジもちょっとだけディクシー風味があって(ニューオーリンズの娼家という設定ですから)、気色悪くまとわりついてくるところがなく、歌詞の粘り気を帳消しにする、あっさりしたサウンドなのが気に入りました。思い入れだの、感情移入だのと、そういう湿っぽいのは好かないのです。
第二次大戦後になると、思い入れたっぷりのヴァージョンばかりになる曲でも、戦前までたどってみると、あっさりやっているものがあります。戦前は、歌手の技術を誇ることより、ダンサブルであることのほうが重要だったからではないでしょうか。この傾向は1950年前後にいったん途絶え、思い入れたっぷりにうたうのが主流になりますが、エルヴィス以後にまた逆転が起き、わたしは突き放す歌い方の時代に育った、という道筋で捉えています。だから、感傷的な歌を思い入れたっぷりにうたっているものに出くわすと、おおいにめげてしまうというしだい。
1944年はまだ戦争中で、基本的には戦前の流れのなかにあった時代です。ダービンの役柄とか、シーンのコンテクストといったこととはべつの次元で、アプリオリに、クラブ歌手が思い入れたっぷりにうたうなどということは、音楽監督の頭にはチラとも浮かばなかったにちがいありません。
もちろん、もはや「オーケストラの少女」ではなく、大人になったダービンが、シンガーとしても魅力的であることも言い落とすわけにはいきません(それにしても、ダービンの明るいキャラクターとは正反対の役柄で、ちょっと驚く)。この映画のなかで、アーヴィング・バーリンのAlwaysもうたっていますが、ピッチは正確無比、そして美声でもあり、おおいに楽しみました。
音楽映画ではないのですが、教会のシーンではKyrie Eleisonを、コンサート・ホールのシーンでは「トリスタンとイゾルデ」を、どちらも長々と流します。監督のロバート・シオドマクが、どの曲でも音楽になにかを語らせようとしていることが感じられます。
これまた、Spring Will Be a Little Late This Yearには関係のないことですが、ダービンの夫、ギャンブル癖のある殺人者を演じるジーン・ケリーが、後年の彼のイメージとはまったくちがう性格俳優的演技をしていて、意外な味わいに一驚しました(といっても、このつぎの作品、『錨を上げて』で、すぐに「あの位置」を確保するのだが)。
◆ 「スミ10パー」の声 ◆◆
ディアナ・ダービンのSpring Will Be a Little Late This Yearは「試聴」のようなものをしただけなので、看板にはリタ・リーズ(と、面倒なので英語読みしてしまったが、レイスとかレイだったりするのかもしれない)を立てました。わたしはヴォーカル・テクニックにはあまり興味がありません。それどころか、楽器とちがって、歌というのはうまさが鼻につくケースが多く、むしろ、あまりうまくない人のほうが好きなくらいです。でも、歌手にとってなにより重要なことは、声の質そのものだと思っているので、声がよければ、うまいからといって差別したりはしません(呵々)。
リタ・リーズは、印刷のほうでいう「スミ10パー」(多色印刷で黒インクを10パーセント混ぜ、発色を落ち着かせる)ぐらいの理想的な混入率でざらつきの入った美声の持ち主で、こういう声で生まれたら、シンガーになる以外の人生はないな、と思います。
どうせなら、こういう、いかにもジャズ・ヴォーカルでござい、と収まりかえったアレンジと編成ではなく、いろいろなサウンドの上に載せてみたいと感じるほどです。ネルソン・リドル、ビリー・メイ、ゴードン・ジェンキンズ、アクスル・ストーダールといったエース・アレンジャーの譜面で、フルオーケストラをバックにうたわせたら、さぞかしゴージャスな盤ができたでしょうに。ハリウッドにいなければ、そういうアレンジャーは使えないだろう、なんて思うのは素人です。金さえ払えば、そして、ユニオンにきちんと仁義を切れば、だれだってハリウッドで録音できたのです。
もちろん、バッキングでちょっと引っかかったので、こういうことをいっているのです。リタ・リーズのSpring Will Be a Little Late This Yearには、1956年と1965年のすくなくとも2種類のヴァージョンがあります。ヴォーカル・レンディションにかぎれば、56年版のほうが好ましい出来ですが、バッキングはあまり好きではありません。ドラムはブラシ・ワークが雑だし、タイムが不安定で、アンサンブルがぎくしゃくしているのです。こういうタイムのよくない人に、途中で倍テンポなんかで叩かせるのは、事故のもとです。まあ、56年ぐらいだと、後年とちがって、タイム、グルーヴに対する考え方が緩やかだったのもたしかですが、それにしてもあか抜けないバンドで、じつに据わりの悪いサウンドです。
65年ヴァージョンは、時期も時期だし、ドラムレスでもあるので(下手なドラマーを使うくらいだったら、ドラムがいないほうがよほどましな結果になる)、タイムが安定し、右チャンネルのアコースティック・リズム(というか、フルアコースティックのジャズ・ギター)とスタンダップ・ベースがいいグルーヴをつくっています。しかし、好事魔多し、こんどはリタ・リーズのヴォーカルが、56年ヴァージョンほど魅力的ではありません。まあ、世の中、そうしたものなのでしょう。
◆ カーリー・サイモンとジミー・ウェブ ◆◆
カーリー・サイモンとジミー・ウェブというデュエットによる、Spring Will Be a Little Late This Yearも試聴してみました。うーん、曰く言い難し、です。カーリー・サイモンはとくに好きでも嫌いでもなく、曲としてはAnticipationがよかったとか、サウンドとしてはYou're So Vainのほうが印象的だったとか、その程度のことしか思いません。
ジミー・ウェブはほんとうに困った人です。60年代後半から70年代にかけて活躍したソングライターのなかではもっとも好きな人で、Wichita Linemanはわがオールタイム・ベストの1曲です。でも、シンガーとしては、これがもう、箸にも棒にもかからないというか、何枚買ってもいいものに当たらず、5枚目ぐらいで、もうぜったいに買わないと決意しました。
考えてもみてください。「あのジミー・ウェブ」が彼の専属ソングライターなんですよ。変な言い方になりますが、だれもよりも早く、優先的かつ独占的に、時代の寵児だったソングライターの曲をうたう、絶対的権利をもっていたシンガーなのです。それなのに、まったくヒットがなかったのだから、どれほどつまらない盤をつくったかわかろうというものです。ジミー・ウェブというソングライターが時代の寵児になれたのは、グレン・キャンベルやフィフス・ディメンションといった、ジミー・ウェブ以外のシンガーのおかげでした。
もちろん、あなたに突っ込まれるまでもなく、こんなのはあと知恵だということは、書いた当人が百も承知しています。はじめから、この鉄壁の論理に思い至っていれば、1枚も買わなかったに決まっているじゃないですか。何度も煮え湯を飲まされないと、ごく当たり前の理屈すらわからない、頼りない存在なのですよ、われわれ人間というのは!
どの盤のプロダクションも感心できませんが、それ以前に、シンガーとしてのジミー・ウェブには、パフォーマーにとってもっとも重要な、「説明のつかない魅力」というものがまったくありませんでした。天は二物を与えずとはよくいったもので、あれほどすばらしいソングライターが、あれほどヘボなシンガーだったことは、考えようによってはいいことだったのではないかと思います。すくなくとも、グレン・キャンベルやフィフス・ディメンションにとっては、天恵だったにちがいありません!
肝心のSpring Will Be a Little Late This Yearの出来はどうかというと、二人の声が入り混じり、どちらの声もよくわからないような録音で、いいも悪いもなかった、というお粗末。いいとは思わなかったのだから、つまり、はっきりいえば、よくないんだろう、といわれれば、まあ、そのようにいうのが適切かもしれないと、歯切れの悪いことをいっておきます。すくなくとも、ディストーション・ギターの間奏は、ゲラゲラ笑ってしまいました。ディアナ・ダービンが聴いたら、ひっくり返ったことでしょう!