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Snowbird by Elvis Presley
タイトル
Snowbird
アーティスト
Elvis Presley
ライター
Gene MacLellan
収録アルバム
Elvis Country
リリース年
1971年
他のヴァージョン
Anne Murray, Anne Murray with Sarah Brightman, Ray Conniff
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は依然継続中なのですが、疑問を解明せずにはおかない徹底癖ゆえに、調べものが泥沼になり(よくあることです)、読書にいそしんでいらっしゃるので(いや、こういうときは落ち着いて読むこともできないものですが)、本日も代打の代打で、レギュラープログラムをお送りします。

よその土地のことは知りませんが、南関東では、今年は例年より寒かった印象があります。ご近所のお年寄りも、今年は寒いと嘆いていらっしゃるので、これはわたしひとりの印象ではないようです。まあ、ちょっとした気温の上下に敏感になったら、年をとった証拠なのかもしれませんが。

その長かった冬もそろそろ終わりそうな気配で、紅梅のみならず、白梅も開花しましたし(先日のシャドウズ"Spring Is Nearly Here"の枕では、白梅と紅梅を逆に書いてしまったのに気づき、訂正しました)、蕗の薹も出てきました。あとは冬眠していたリスが目覚め、早朝から騒々しく駈けまわるようになれば、春本番です。

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今日の昼間撮影した蕗の薹。石垣に生える植物と同じように、蕗は妙なところを好むようで、これはコンクリートのすき間から芽を出した。

◆ ユキヒメドリ ◆◆
前回に引きつづき、本日も冬と春の端境期の歌を選んでみました。まずは歌詞から見ていきます。ファースト・ヴァース。

Beneath this snowy mantle cold and clean
The unborn grass lies waiting
For it's coat to turn to green
The snowbird sings a song he always sings
And speaks to me of flowers
That will bloom again in spring

「この冷たく清い雪の下では、草が緑色に芽吹こうと待ちかまえている、ユキヒメドリはいつもの歌をうたい、春にふたたび咲きほこる花のことを語りかける」

ほかのことはともかく、snowbirdというのが気になります。辞書には「ユキヒメドリ(junco)、ユキホオジロ(snow bunting)、ノハラツグミ(fieldfare) 《俗》コカイン[ヘロイン]常用者 《俗》避寒客、避寒労務者《冬期に南部へ旅[移動]する人[労働者]》とあります。

f0147840_21585577.jpgこの場合、裏の意味は無視していいでしょう。さりながら、ふつうに鳥のことをいっているのだとしても、選択肢が三つもあるのは困ります。日本にはいない種類らしいことも、迷いに拍車を駆けてくれます。で、あちこち見てまわったのですが、やはりあいまいではあるものの、一般的にはsnowbirdといった場合、ホオジロ科のジュンコを指すケースが多いことがわかりました。つまり、ユキヒメドリのことをsnowbirdという俗称で呼ぶケースが多い、ということです。

このヴァースについては、ほかに問題はないでしょう。そもそも、これだけではまだなんの歌なのかわからず、エコロジー・ソングかと思っちゃいます。でも、最後まで行くと、結局、このヴァースがもっとも素直で、ちゃんとできていたことがわかるのですが……。とりあえず、春まだきの情景描写として、とりたてて欠点はないといえるでしょう。

◆ イメージの混乱 ◆◆
では、セカンド・ヴァース。

When I was young my heart was young then too
Anything that it would tell me
That's the thing that I would do
But now I feel such emptiness within
For the thing that I want most in life
Is the thing I can't win

「若いころは心もまた若く、心のおもむくままにふるまったものだ、でもいまでは虚しさを感じる、人生でもっとも望んだことはどうしても手が入れられないのだから」

youngを繰り返すことが効果を上げていますが、ここでもまた、日本語は繰り返しを嫌うということを感じます。コーネル・ウールリッチ(いや、ウィリアム・アイリッシュ名義だったか)の『幻の女』の冒頭、The night was young, so was I」(記憶で書いているので、これでいいのかどうか確信なし)なんてフレーズも連想します。近いうち、稲葉明雄先生の畢生の名訳を読みかしてみましょう。

えーと、なんの話でしたか。めざましいところのないヴァースで、あらぬところに意識が流れてしまいました。この曲にはブリッジも間奏もなく、セカンドからサード・ヴァースに真っ直ぐいきます。

Spread your tiny wings and fly away
And take the snow back with you
Where it came from on that day
The one I love forever is untrue
And if I could you know
that I would fly away with you

「小さな翼を広げ、雪といっしょに飛び去れ、あの日にやってきた場所へ、わたしが永遠に愛する人は貞節ではない、だから、そうできるなら、おまえといっしょに飛び去っているだろう」

f0147840_2215192.jpgヴァース前段では、ユキヒメドリがなにか不吉なものの象徴であるかのように、きた場所へ帰れ、といいながら、後段では、こんなところにはもういたくない、できれば俺だっていっしょに飛び去りたいんだといっているわけで、論理が破綻しています。歌だからいいけれど、本だったら、これじゃあ通らないぜ、です。ポップ・ソングのように短い詩形の場合、ひとつのものに複数の象徴をあたえるのは、賢明とはいえないでしょう。

百歩ゆずって、ユキヒメドリに不吉なものとしての属性をあたえたわけではなく、たんに自由なすがたを描いているだけだとしても、fly awayという2語で、追い払っているような印象をあたえるという失敗をしています。一流のソングライターなら、こういうスキは見せないでしょう。そもそも、that dayとはなんなのか、さっぱりわかりません。非常に収まりの悪いヴァースで、ないほうがよかったでしょう。

もうあとは略していいような気もするのですが、これで最後なので、フォース・ヴァース。

The breeze along the river seems to say
That she'll only break my heart again
Should I decide to stay
So little snowbird take me with you when you go
To that land of gentle breezes
Where the peaceful waters flow

「川の畔の風は、彼女はまたわたしを悲しませるだけだと告げる、ここにとどまるべきなのだろうか、だからユキヒメドリよ、おまえが飛び立つときには俺もつれていってくれ、安らかな流れのある穏やかな風の吹くあの土地へと」

結局のところ、ユキヒメドリは凶鳥ではなかったことになりますが、こういうイメージの混乱はいいことではなく、あまりうまくない人だと感じます。ひょっとしたら、わたしがなにかを見落としているのかもしれません。ためにならない恋人と別れるべきかどうか決めかねている心の揺曳を反映した、といえなくもないかもしれませんが、だとしても、その表現は拙劣です。

◆ ギター・サウンド ◆◆
歌詞のほうは納得のいかないところがありますが、サウンドのほうは軽快で、70年代のエルヴィスの曲のなかでは、かなり好ましい部類です。

エルヴィス盤はオリジナル(だと思うのだが)のアン・マレイ盤がヒットしている最中に録音されたもので、テンポまで含め、ほとんどストレート・カヴァーですが、エルヴィスがいいか、アン・マレイがいいか、という以前に、サウンド、プレイはエルヴィス盤のほうがよくできていると感じます。セッショノグラフィーのJPEGを以下に貼りつけます。

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ギターはエディー・ヒントンとチップ・ヤングとなっていますが、マスターZPA4 1797-06には後日のオーヴァーダブありと注釈があり、ハロルド・ブラッドリーのギターが重ねられたとなっています。はてさて、むずかしいことですなあ。エディー・ヒントンは一部方面では有名な人で、こちらがリードにまわったと考えられますが、どのギターだよ、なんですよ、これが。

Snowbirdに使われているギターの種類とプレイをいうと、シタール・ギター(エレクトリック・シタール)のオブリガート(右チャンネル)、ふつうのエレクトリック・ギターのオブリガート(オフミックス、左チャンネル)、アコースティック・リズム(左チャンネル)となっています。同じチャンネルにほかの楽器がない、右のシタール・ギターがオーヴァーダブだと考えるのが順当で、だとすれば、これがハル・ブラッドリーのプレイということになります。しかし、これはアン・マレイ盤のシタール・ギターのリックのほとんどストレート・コピーで、とくにどうということのないプレイです。

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ダンエレクトロ・エレクトリック・シタール・ヴィニー・ベル・モデル 13本の共鳴弦が仕込まれ、そこにもピックアップがあり、リゾネーションを拾うようになっている。通常のエレクトリック・ギターと同じように、2つのピックアップ(ダンエレクトロ特有の「リップスティック型」)があるのがおわかりだろうが、同じものが上のほうに飛び離れて取り付けられている。これが共鳴弦用ピックアップ。

気になるのは、左チャンネルのエレクトリックによるオブリガートです。オフミックスなのでよく聞こえないのですが、それでも、なかなかセンスを感じるサウンドとフレージングなのです。シタール・ギターとアコースティック・リズムはアン・マレイ盤にもありますが、エレクトリックによるオブリガートは、エルヴィス盤だけのものです。

わたしはヒントンのプレイに馴染んでいるわけではないので、音からは判断できないのですが、消去法で考えていくと(チップ・ヤングは、ジェイムズ・バートンのいるセッションではつねにリードをバートンに譲っているようなので、基本的にリズム・ギターの人と考えられる)、エレクトリックのオブリガートがエディー・ヒントンのプレイということになるようです。いくつか聴いてみるに足るプレイヤーに思われるので、今後は注意してみようという気になりました。

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自分の名前を冠したシタール・ギターを弾くヴィニー・ベル(右)。ベルはスリー・サンズのメンバーとして活躍し、スタジオ・プレイヤーとして多数のヒットを残した。左はジーン・ピットニー。

ノーバート・パトナムとジェリー・キャリガンというベースとドラムのコンビは、この時期のエルヴィスのナッシュヴィル・セッションではおなじみのメンバーです。キャリガンは、すくなくともケニー・バトリーのように、腹が立つような変なチューニングをしたり、妙にタイムが遅かったりすることはないので、「不快ではない」プレイヤー、ということだけはいえます。概して、さすがはエルヴィスのセッション、やはりアン・マレイのセッションとは格が違うと感じる、スケール感のある、懐の深いサウンドになっています。

◆ 「失われたエルヴィス世代」 ◆◆
わたしはエルヴィス・ファンではないので、エルヴィスのヴォーカルがどうのこうのと口幅ったいことをいう気はありませんが、エルヴィスにかぎらず、力みのあるヴォーカルは好まないので、Snowbirdにおける肩の力を抜いたエルヴィスは好ましく感じます。こういうエルヴィスなら疲れないのですが、70年代のライヴなど、エルヴィスのことはあきらめて、ジェイムズ・バートンやロン・タットのプレイを聴いてしまいます。まあ、それをいうなら、60年代中期も、ハル・ブレインのドラミングを聴くためにエルヴィスをかけているようなものですが。

わたしの年代というのは、エルヴィスのことを、旧世代の古めかしいサウンドとアティテュードを代表する「敵」とみなして育ったので、勝手にLost Elvis Generation「失われたエルヴィス世代」というタームをでっち上げています。60年代なかごろには、エルヴィスが、馬鹿馬鹿しいプロットの映画で、古めかしい曲を、古代のスタイルで歌っているのを、「ケッ」と嗤っていた中学生がたくさんいました。

f0147840_22425756.jpg十数年前、帰国した昔のバンド仲間が電話してきて、「最近、なにを聴いている?」というので、「エルヴィスを集めた」といったら、「なんで?」といわれました。それほどに、われわれの世代はエルヴィスとは無縁に育ったのです。当ブログにしばしばコメントを書いていらっしゃる、Add More Musicのキムラさんはわたしのひとつ上ですが、以前、エルヴィスは嫌いと書いていました。キムラさんは非常に守備範囲の広い方で、わたしのように好悪がひどくないのですが、長い付き合いのなかで、キムラさんのエルヴィスに関するコメントは、「嫌い」のひと言しか読んだことがありません。

こういう世代間の好みのちがい、そういってよければ「対立」はつねにあったのですが、1940年代後半に生まれたいわゆる「団塊の世代」に対する、われわれ50年代生まれの反感というのはあまり表面化したことがなく、たぶん、ビートルズ贔屓(いや、それがお好みなら、ストーンズ贔屓でも、ディラン贔屓でもよろしい)、エルヴィス嫌いというのが、もっとも端的にわれわれの団塊世代への反感を象徴していると思います。

これだけ時間がたってしまうと、当時のエルヴィスに対する不快感は薄れているのですが、それでも、「好きなシンガー」にあげることはいまでもありません。やはり、十代のころに嫌っていた記憶は消えるものではなく、たんに、大人として、やはり歌はうまい、歌だけで明快なグルーヴをつくれる稀有のシンガーだ、バンドも(シナトラの場合と同じように)つねにいい仕事をしている、と「頭で」思うだけであり、エルヴィスを聴くのが「楽しい」と感じたことはありません。あくまでも歴史書を読む感覚なのです。

よけいなことかと思いましたが、エルヴィスのどん底の時期を目撃した世代のエルヴィス観というのは、あまり読んだことがないので、贅言を弄しました。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_22493553.jpgアン・マレイ盤は、トップテン・ヒットになっただけあって、なかなか悪くありません。エルヴィスがストレート・カヴァーしたのも頷けるアレンジで、よくできています。

ついでに、近年のセルフ・カヴァー盤、アン・マレイとセイラ・ブライトマンのデュエットも試聴しましたが、おおいにへこたれました。だいたい、お年を召したシンガーがデュエット盤を出すと、ろくでもない結果になるのが相場で、アン・マレイも例外ではないというか、この手の下り坂苦しまぎれデュエット盤のなかでも、群を抜いてひどい出来です。わたしが男だからかもしれませんが、こういうお婆さん声にはまったく耐性がなく、数小節で、もう勘弁してくれ、でした。

f0147840_22533192.jpgなによりもまずいのは、お婆さん声を聴いたあとで、若いころの盤を聴き直すと、なんだ、若いころからもうお婆さんの芽があるじゃないか、と幻滅することです。男だって、下り坂苦しまぎれデュエットはやめたほうがいいと思いますが(ひとつで売れないからといって、売れないものふたつをセットにしても、一粒で二種類のまずさを味わえるだけ)、女性シンガーは、よくよく考えて引き立て役を選ぶべきで(大物お爺さんなどが適当でしょう)、アン・マレイのように相方に若い女性シンガーを選んだら、魔女の声かよ、てなもので、目も当てられない結果になること必定です。

山田風太郎が、美人女優はお婆さん役などやってはいけない、静かに消えるべきだと書いていましたが、たしかに、原節子のように晩節をきれいにしないと、若いころのいい作品にまで「被害」がおよびます。山田風太郎としては、もっとも好きだった轟夕起子が、戦後は太ってお母さん役などやっていたのがたまらなかったのでしょうが、アン・マレイのリメイク盤Snowbirdは、太った晩年の轟夕起子など可愛いく思えるほどの、地獄からやってきた魔女声で、口直しにShadows in the Moonlightを聴いても、この声の呪いからは逃れられないだろうという予感がします。
by songsf4s | 2008-02-26 22:56 | 冬の歌