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Spring Is Nearly Here by the Shadows
タイトル
Spring Is Nearly Here
アーティスト
The Shadows
ライター
Brian Bennett, Bruce Welch
収録アルバム
Out of the Shadows
リリース年
1962年
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集はまだ継続中ですが、ここでささやかなインターミッションとして、レギュラー・プログラムをお送りします。Tonieさんは宮仕えの身、しかも、三人の小さなお子さんたちの父親でもあるので(ビーチボーイズに育ててね、とつねづね申し上げています。ひとりは音楽嫌いになっても、まだエヴァリーズは確保できる!)、すこし休んでいただかないといけないのであります。

関東は昨23日、春一番が吹き荒れましたが、春一番のあとのつねで、夜にはすっかり冬に逆戻りしてしまいました。ここから一進一退というか、三寒四温なのでしょうが、紅梅はすでに三分から五分咲き、白梅もつぼみを膨らませはじめ、梅の蜜を好むメジロの声もよく耳にするようになりました。春は確実に近づいています。

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紅梅をついばむメジロ(2007年2月11日撮影)。作り物のような目をしている。よく「梅に鶯」というが、梅が咲くころ、ウグイスはまだ見かけない。中国とは事情が違うのに、その点を斟酌することなく直輸入してしまった取り合わせなのだろうが、メジロがまた、ウグイスよりずっときれいな鶯色をしていることも、誤解に拍車を駆けたのではないだろうか。

さて、お気づきの方も多いでしょうが、当ブログの「看板絵」に利用した三枚のレーベルのうち一枚は、シャドウズのSpring Is Nearly Hereです(残りの二枚はジミー・ロジャーズのThe Long Hot Summerと、ボビー・ジェントリーのアルバムTouch'em with Love)。邦題は「春がいっぱい」となっていましたが、これはちょっとフライングで、原題をそのまま訳せば「春はもうすぐそこ」です。そういうタイトルでもあり、ずっと「看板絵」に利用させてもらっているので、この曲を取り上げないと義理が悪いのです。

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◆ ドラマーの“トーナルな”アプローチ ◆◆
いつもなら、ここで歌詞の検討になるのですが、この曲はインストゥルメンタルなので、かわりに音と背景について少々書きます。例によって、なんでも調べてみるものだなあ、と痛感するトリヴィアがいくつかあるのです。

まずは作曲者について。Spring Is Nearly Hereのライターであるブライアン・ベネットとブルース・ウェルチは、ファンならご存知のようにシャドウズのメンバーです。リズム・ギターのウェルチが曲を書くのはわかるのですが、ドラムのベネットは(Little 'B'やBig 'B'のようなドラム・ソロをフィーチャーした、リック・オリエンティッドな曲は別として)どの程度、曲作りに関与しているのか疑わしく思っていました。

f0147840_15262661.jpgしかし、With Strings Attachedのライナーにあるブライアン・ベネット・インタヴューを読むと、「関与」どころか、Spring Is Nearly Hereは「ごく初期の曲で、シャドウズに加わる以前に書いた」といっています。ブライアン・ベネットがシャドウズに入ったのは1961年秋のようですから。それ以前の作品ということになります。となると、むしろ、ブルース・ウェルチの「関与」のほうを考えなければいけないようですが、推測をいうなら、ベネットはヴァース、ウェルチはブリッジという共作パターンではないでしょうか。

ロック・バンドのドラマーはいざ知らず、スタジオのプロの場合、ドラマーでも音楽理論を学んだ人がたくさんいます。ハル・ブレインもアール・パーマーも正規の音楽教育を受けていますが、ハルはピアノを、アールは編曲を学んだそうです。この二人の直系の後継者だったジム・ゴードンは、正規の教育を受けた形跡はありませんが、ご存知のように、Laylaのコーダ部分は、彼が自分のソロ・アルバムのために書いた曲を流用したものですし、このコーダ部分では、彼はドラムのみならずピアノもプレイしています。ついでにいうなら、ピアノを学んだハル・ブレインは、デニス・ウィルソンについて、ドラムよりピアノのほうがうまかった、と証言しています。

ブライアン・ベネットは、ロック・バンドのドラマーというより、スタジオのプロに近い人だったので、ハリウッドのプロたちと同じように、打楽器奏者としてではなく、「ミュージシャン」として音楽を捉えていたようです。いいかえれば、リズミカルのみならず、「トーナル」にも音楽を見ていたということです。ベネットがドラム・セットをGチューニングにしていた背景はそれ以外に考えられません。

キャロル・ケイがこんな話をしていました。ハル・ブレインがかの有名なオクトプラス・セットをはじめてスタジオに持ち込んだとき、彼女はその馬鹿馬鹿しい姿に呆れ、「それで音階でも叩く気なの?」とからかったら、ハルが即座に8個のタム(この数には意味がある)を使って、メロディーを「叩いて」みせたので、彼女はひっくり返って驚いたそうです。8個のタムを「トーナル」にチューニングすれば(いや、「調」のない、つまり「アトーナルなチューニング」などありえないが、現実には、調を意識しないドラマーのほうが多い)、ドレミファソラシドのメイジャー・スケールを奏でられるのです。だから、あれはたんなるタムではなく、「コンサート・タム」すなわち音階のあるタムなのです。

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話が脇に逸れましたが、前述のWith Strings Attachedのライナーで、ブライアン・ベネットは、バークリー音楽院の通信講座を受けたといっています。シャドウズ以前にツアーでいっしょになったジョン・“007”・バリーが、ジュリアード音楽院の通信講座をとっていたといっているので、これに刺激を受けたのでしょう。

子どものころからシャドウズが好きだったわりには、ちゃんと彼らのことを調べたことがなかったので、いまになってブライアン・ベネットのバックグラウンドを知り、おやおや、そうとは知らず、失礼しました、と謝っちゃいました。

◆ クレヴァーなコードとウェルチのプレイ ◆◆
f0147840_15325415.jpgベネットが、生まれてはじめて書いた曲だと思う、といっているだけあり、Spring Is Nearly Hereはいたってシンプルなつくりで、基本的にはC-Am-F-Gという循環コードです。これが、日本でのみシングル・カットされ、当時もそれなりに好まれ、いまもどうやらシャドウズの代表曲のひとつとみなされている(国内のカヴァー盤がある)理由でしょう。日本人好みの「花はどこへ行った?」コードなのです。

ただし、シンプルななかにも、一カ所だけ、クレヴァーなチェンジアップがあります。C-Am-F-Gを2回繰り返したあとは、F-Fmというコード・チェンジをつかっているのです。SleepwalkのC-Am-Fm-Gという、循環コードのうちひとつだけ、しかも半音ずらしただけで別世界になってしまった、unusualな進行ほど印象深くはありませんが、それに近い効果を上げています。これがあるおかげで、飽きのこない曲になったのです。

f0147840_1533269.jpgSpring Is Nearly Hereのハンク・マーヴィンのプレイはいつもどおりで、なかなかけっこうですが、今回聴き直して、ちょっとミス・トーンはあるものの、ブルース・ウェルチのプレイに感心しました。おおむねアルペジオを弾いているのですが、かならずしも素直なアルペジオではなく、低音弦のアルペジオを繰り返したり、高音弦だけになったり、短いコード・ストロークをはさんだりと、かなり変化に富んだプレイなのです。つまり、行き当たりばったりではなく、きちんとアレンジされているということです。

考えてみると、中学のときにシャドウズが好きになった理由のひとつも、ブルース・ウェルチのプレイでした(いや、もちろん、ハンク・マーヴィンのプレイとサウンドにも惹かれたのですが)。ハリウッドのエースたちで構成されるスタジオのヴェンチャーズではなく、日本にきていたツアー用ヴェンチャーズにかぎっての話ですが、彼らとシャドウズが決定的にちがっていると感じたのは、シャドウズはリズム・ギターが変化に富んでいて、「大人」だということでした。プレイの面ばかりでなく、ブルース・ウェルチがしばしばアコースティック・ギターを使っていたことも、当時は新鮮に感じたものです。

◆ シャドウズ・イン・ジャパン ◆◆
国内盤Spring Is Nearly Hereがリリースされたのは、録音からなんと5年後の1967年です。シングルのライナーを読むと、これがひどい古物だということにはひと言もふれず、まるで新品のようなことをのたまっていて、音楽業界のイカサマぶりを如実に示していますが、当時の日本的好みのありかをよく把握した選択でもありました。あちこち調べて、各国のリリース状況を見てみたのですが、世界中でこの曲をシングル盤にしたのは、どうやら日本だけのようです(EPとしてリリースした国はある)。

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「春がいっぱい」シングル盤のライナーより。もはや時効でもあり、武士の情けで署名はボカした。「SFあやつり人形劇」という、「手術台上のミシンとコウモリ傘の出合い」(アンドレ・ブルトン、だと思うのだが)も三舎を避ける、シュール・リアリスティックな言葉の衝突がすごい!

1967年というのは、日本におけるシャドウズ人気のピークだったようです。わたしがシャドウズの盤をはじめて買ったのがこの年だったので、たんにこちらのテイストが幼くて、それまであまり聴いたことがなかっただけかと思っていたのですが(それ以前にシャドウズの曲として知っていたのは、The High and the Mightyすなわち「紅の翼」ぐらいだった。これはシャドウズのコピーバンドだったザ・サベージがカヴァーしたので印象に残った)、シャドウズ本の著者のサイト(なかなかすばらしいサイトなので、シャドウズ・ファンにはご一読を奨めます)を読むと、日本でシャドウズの人気が出たのは1967年からだったといっているので、子どものわたしはその流れのなかで、シャドウズのファンになったことになります。

67年のたぶん晩春か初夏のことだったと思うのですが、シャドウズは初の来日をして、テレビにも出演しました。レコードを流すのではなく、ちゃんとしたスタジオ・ライヴで、しかも、1、2曲の顔見世ではなく、30分ほどのセットでした。ヴェンチャーズよりずっとうまいと思ったことしか記憶になく、どんな曲をやったのか、いまとなっては知りようがないと思っていたのですが、上記サイトにくわしい記述がありました。当時のことを記憶しているシャドウズ・ファンのために、この記述からテレビ出演時にプレイした曲を、以下に拾い出しておきます。

Apache
Dance On
Nivram
Spring Is Nearly Here
Foot Tapper

この5曲ですべてかどうかはわかりませんが、この少ない曲のなかにもSpring Is Nearly Hereが入っています。この時点で、日本における彼らの「最新シングル」だったということもあるのでしょうが、ツアー・プロモーターなり、彼らの日本におけるレーベルだった東芝関係者から、この曲は日本ではぜったいに受ける、と慫慂されもしたのでしょう。テレビ出演のみならず、日本ツアーのセット・リストにもSpring Is Nearly Hereは入っています。

◆ 1967年のシャドウズ ◆◆
ヴェンチャーズの人気が下降線に入ったためではないかと推測しますが、東芝は1967年にいたってシャドウズをプッシュしようとしたようです。子どものわたしはそれに乗せられて、この年、シングルを3、4枚と、アルバムThe Best of the Shadowsを買い、さらには、夏休みにクリフ・リチャードとシャドウズが主演する映画『Finders Keepers』(邦題は失念したが、『太陽を盗め!』というものだったような気がする)まで見ました。

f0147840_1550243.jpgヒットしなかったため、クリフ・リチャードのファンはあまり注目していないようですが、この映画のサントラからカットされた、Finders Keepers b/w This Dayというシングルは、両面ともなかなかけっこうな出来で、テーマ曲のほうは、シャドウズ・ファンにとっても興味深いものだと思います。ライターもシャドウズの4人です。

しかし、1967年といえば「サマー・オヴ・ラヴ」の年、サイケデリックの嵐が吹き荒れることになります。シャドウズをテレビで見たときには、まだそのことに気づいていませんでしたが、この時点でもすでにStrawberry Fields Foreverを聴いていたわけですし、夏休み直前にはSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandがリリースされたので、Finders Keepersを見たころには、来たるべき疾風怒濤の大混乱時代はすでに予感していたはずです。

f0147840_15534375.jpgシャドウズとの付き合いが、ほんのわずかな期間で終わり、80年代になるまで途絶えてしまったのは、そのような時代との関係があり、また、わたし自身も、時代に翻弄され、好みがころころ変わる年齢だったことによります。いまの年齢になれば、あの時代のガレージ・バンドの雑駁きわまりないプレイなどより、品のあるシャドウズのサウンドのほうが比べものにならないほど好ましく感じるのは理の当然で、なんだって、あの当時、もうすこし買っておかなかったのか、と思いますが、音楽を聴くというのは、こういう後悔の連続だから、是非もなし、であります。

◆ アレンジャーたち ◆◆
最後に、シャドウズのアレンジャーについてすこしだけふれておきます。Spring Is Nearly Hereのストリング・アレンジをしたのは、彼らのプロデューサー、ノリー・パラマーです。60年代はじめぐらいまでは、弦や管が必要になったときは、ほぼすべてパラマーがアレンジとコンダクトをしたようです。

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ブースのシャドウズとスタッフ 後列右からブルース・ウェルチ、ジョン・ロスティル、ハンク・マーヴィン、ブライアン・ベネット。左端に立っている人物は不明。あるいはアレンジャーのスティーヴ・グレイか。前列右はおそらくエンジニアのピーター・ヴィンス、左はプロデューサーのノリー・パラマー。

ノリー・パラマーはEMIのコロンビア・レーベルのエース・プロデューサーで、クリフ・リチャードやシャドウズ以外にも、フランク・アイフィールド、ヘレン・シャピロ、スキャフォールド、アッカー・ビルクなど数多くのアーティストを手がけ、ヒットの数からいっても、同じEMI(レーベルはパーロフォン)のジョージ・マーティンと肩を並べる存在でした。

プロデューサーであると同時に、パラマーはオーケストラ・リーダーとしても、50年代を中心に活躍しています。In London, in LoveおよびAutumnの2枚しか知らないので、そのかぎられた範囲のなかでいえば、ジャッキー・グリースンに近い、流麗なサウンドを特長としています。しかし、フレンチホルンの使い方を聴いていると、あ、シャドウズだ、と思います。Miracle(作曲もパラマー)を思いだすのです。

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ノリー・パラマー『In London, in Love』

パラマーがアレンジをしているのであろうことは、国内盤「春がいっぱい」のライナーからも想像がつくのですが、ほかのアレンジャーについて知ったのは、(怖いシャドウズ・ファンから、「スキあり!」と一喝されそうですが)上記With Strings Attachedのライナーによってでした。途中から、ベネットの友人だったスティーヴ・グレイや、それになんと、ブライアン・ベネット自身も、ときにはアレンジとコンダクトまでやった、というのです。いやはや、知らぬこととはいえ、というしかありません。

これまた知らなかったことですが、シャドウズ解散後、ベネットはプレイをやめ、作曲とアレンジのほうを仕事にしたそうで、わたしとしては、じつにもってけしからんほど、「え、そうなのかよ」連発でした。

アール・パーマーもアレンジャーとしてのヒット曲がありますが、終生、一プレイヤーで貫き通し、アレンジャーに転身することはありませんでした。ポップ/ロックの世界にかぎっていえば、ドラムというのは、スタイルとサウンドの変化がもっともはげしい楽器で、どれほどすぐれたプレイヤーでも、エースとしてすごせる時間は十年がいいところでしょう(ギターのトミー・テデスコやサックスのプラズ・ジョンソンは、数十年にわたってエースだった)。

ブライアン・ベネットのように、後半生でうまく転身を遂げた例は稀で(しいていうと、デイヴ・クラークが近いか)、じつにめでたいことだと思います。ジム・ゴードンをはじめ、悲惨な後半生や晩年を過ごしたドラマーの話はごろごろしていますし、しかも、そこにある種の必然性を感じるだけに、もううんざりなのです。

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The 45 labels of The Shadows' "Spring Is Nearly Here b/w Thunderbird Theme," 1967, Toshiba Musical Industries, Tokyo.「春がいっぱい」とはまったくタイプのちがうストレート・ロッカーであるB面のThunderbirdは、バリー・グレイの曲で、こちらもなかなかけっこうな仕上がり。ブライアン・ベネットのプレイとしては、この曲がもっとも好ましい。

by songsf4s | 2008-02-24 17:16 | 冬の歌