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American Pie by Don McLean その4
タイトル
American Pie
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
American Pie
リリース年
1971年
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◆ 3コードの魔力 ◆◆
最初に聴いたバディー・ホリーの曲は、ビートルズによるWords of Loveでした。聴いたどころか、中学のバンドのときにやりました。アマチュアというのは、好きな曲をカヴァーするわけですが、それ以前にもっと重要な考慮点があります。「できる」か「できない」かです。Words of Loveは「できる」曲でした。つまり、すごく簡単だったということです。

ひどく乱暴な言い方になってしまいますが、バディー・ホリーの曲というのは、コードを3つ知っていればできます。Words of Loveのほかにも、Everyday、Not Fade Away、Rave On、Peggy Sue、Oh Boyというぐあいに、すぐにその例を列挙できます。Well Alrightも、やはり3コードの変形といっていいでしょう。3コードというのは、ロックンロールが見くだされる理由のひとつにもなりましたが、やはり、いまふりかえっても、結局、本質はここにあるのではないかと感じるほど、重要な特質だったと思います。

f0147840_2355371.jpgバディー・ホリーが3コードのパターンをつくったわけでは、もちろんありません。しかし、たとえば、Rave Onなどに強く感じますが、「3コードで押しまくる快感」を端的に伝えるという意味で、バディー・ホリーは抜きんでた存在です。

60年代にバディー・ホリーの曲を伝えた人たちは、おそらく、ギターをもったほんの数日後に、いや、ひょっとしたらその日に、バディー・ホリーの曲を歌ったのではないでしょうか。デビューしてから、子どものころを思いだして、ここが原点だということを強く意識しながらカヴァーしたのだろうと想像します。あくまでも、プレイする側の観点にすぎませんが、バディー・ホリーの諸作には、「プレイすることの楽しさ」のエッセンスが凝縮されていると感じます。

デッドといっしょにNot Fade Awayを弾き、ドン・マクリーンに合わせてAmerican Pieを弾いていて、いまさらのようにそんなことを考えました。いや、じつは、ほんとうに考えたのは、つぎはRave Onにしようか、それともWell Alrightにしようか、ということですが! シンプルなコードでグルーヴをつくることには、麻薬的快感が潜んでいます。

◆ 聖なる店への参拝 ◆◆
コーラスをはさんで、冒頭のように、ドラムとベースがなくなり、テンポ・チェンジをして、ドン・マクリーンとピアノだけになる最後のヴァース。

I met a girl who sang the blues
And I asked her for some happy news
But she just smiled and turned away
I went down to the sacred store
Where I'd heard the music years before
But the man there said the music wouldn't play

「ぼくはブルーズをうたう女の子に出会い、なにかいいニュースはないかい、ときいた、でも、彼女はただ微笑んだだけで、背を向けてしまった、何年も昔によく音楽を聴いた聖なる店に行ってみたけれど、店の人間は、もう音楽はかからないといった」

f0147840_065823.jpgブルーズをうたう女の子といえば、当然、ジャニス・ジョプリンのことでしょう。ただ微笑んで背を向けた、というのは、彼女の死のことと解釈できます。ドン・マクリーンにとって、彼女は希望の灯だったのかもしれません。

聖なる店は、具体的にはわかりませんが、レコード・ストアまたはライヴ・ジョイントと解釈できます。そこでももう音楽がかからないということは、バディー・ホリーの死から10年たって、ジャニスの死によってふたたび音楽は死んだ、というあたりでしょうか。

正直にいって、わたしには、このへんの実感はまったくありません。ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリクスの死がつづいたときも、奇妙な偶然があるものだと思いはしたものの、特別な感懐はありませんでした。英雄崇拝的に音楽を聴いた時期がなかったわけではありませんが、それはロウ・ティーンのころのことで、このときにはもう高校生ですから、だれも崇拝しないことによって、大人になろうとしていたのでしょう。大人は対象と距離をとるものですから。

ただ、「聖なる店」という感覚には共感できます。わたしも小学生のころは、毎日かならず、放課後に近所の楽器屋をすべてまわり、金色燦然たるご神体、ギターやシンバルやスネアに手を合わせてから、社務所に向かい、45回転や33回転の「お札」を一枚一枚ていねいに拝見したものです。お百度詣りどころか、大願成就が5、6回あってもおかしくないくらい、熱心に詣でました。

◆ 父と子と聖霊と3コードの名において ◆◆
わたくしごとはさておき、ヴァースの後半へ。

And in the streets the children screamed
The lovers cried, and the poets dreamed
But not a word was spoken
The church bells all were broken
And the three men I admire most
The father, son, and the holy ghost
They caught the last train for the coast
The day the music died

「通りでは、子どもたちは叫び、恋人たちは泣き、詩人は夢見ていたが、言葉はひと言として語られなかった、教会の鐘はすべて壊れ、ぼくがもっとも敬愛する父と子と聖霊の三人は海岸へ行く最後の列車に乗ってしまった、あの音楽が死んだ日に」

これで最後なのですが、むずかしいヴァースです。通りで叫ぶ子どもというと、あのころ頻発した学園紛争を思い浮かべますが、そのあとの恋人たちと詩人にうまくイメージがつながりません。ヒエロニムス・ボス的構図が見えるのみです。

f0147840_085822.jpg教会の鐘がすべて壊れたというのは、「無音」すなわち音楽が死んだことであると同時に、無神論の拡大と解釈できるでしょう。神とキリストと聖霊がそろって最後の列車に乗った、ということも、それを補強しているように見えます(馬鹿なことを書きます。父はC、子はF、聖霊はG、三位一体とはC-F-Gの3コード!)。自明のことですが、holly ghostには、バディー・ホリーの名が埋め込まれていることも、意図したものでしょう。

このthe coastがthe Coastすなわち西海岸だとすると、なにか具体的なことを指していることになりますが、それはよくわかりません。ニューヨーク郊外に生まれ育ったマクリーンには、なにかが西へと去った感覚があったのかもしれません。

f0147840_022582.jpg宗教から話をドーンと落としちゃいますが、生き残ったクリケッツの3人が、西のハリウッドに拠点を移した、なんていう含みも、ひょっとしたらあるかもしれません。いや、ないかもしれませんがね!

たんなる言葉の連想にすぎませんが、「最後の列車」から、モンキーズの最初のヒット、Last Train to Clarksvilleも思い浮かべます。モンキーズを「究極の商業主義」と見るのなら、この連想は見当はずれではないのかもしれません。ある立場にとっては、モンキーズは「究極の音楽の死」なのではないでしょうか。いや、個人的には、それをいうなら、アメリカ音楽ははじめから死んでいたのではないか、と思いますが。

◆ 4ピース・コンボのメタファー ◆◆
かくして、長い叙情的叙事詩は最後のコーラスに入り、伝統的なシング・アロング・スタイルでエンディングを迎えます。

f0147840_0544056.jpgあんまり長いので、なんのことか脈絡を失ってしまったような気分ですが、最後に思うことは、意味はどうであれ、また立場のちがい、歴史観のちがい、音楽観のちがいはあれ、この曲は音韻としてすぐれたラインが多く、いやでも記憶し、すぐにシング・アロングしたくなるという意味で、やはり、非常によくできた歌だということです。

そろそろ体力気力の限界なので、詳細な音楽的検討は避けますが、ひとつだけだいじなことがあります。アレンジ、楽器構成がちがうので見落としそうになりますが、G-C-G-Dというコード進行を繰り返す、シンプルなAmerican Pieのコーラスの構造は、バディー・ホリー的、もっと正確にいえば、Peggy Sue=Not Fade Away=Sheila=I Fought the Law的になっています。要するに、多くの人が「バディー・ホリー的」と考えるエッセンスを取り入れているということです。

ジョン・レノンがこの曲をフェイヴァリットにあげたのも、つまるところ、歌詞よりも、そこのところが理由ではないかという気がします。ボビー・ヴィーよりも、トミー・ローよりも、ほかのだれよりも、バディー・ホリーのスタイルを深いところで血肉化した、真のバディー・ホリー継承者だった人ですから。

マクリーンは、あの時代、友だちはみなエルヴィスのファンだった、でも、彼はバディー・ホリーのほうが好きだった、といっています。ホリーと、彼をバックアップするクリケッツの3人が一体となった姿に心を捉えられたのだそうです。この点はわたしも共感を覚えます。

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バディー・ホリーとクリケッツが活躍した時代というのを直接には知りませんが、クリケッツが4ピースのギター・コンボという、60年代の標準的なロック・バンドの祖型だったことは知っています。わたしも、ロウ・ティーンのころは「バンド」、正確にはスモール・コンボ以外には、あまり興味がありませんでした。あれはどういう意味なのでしょうか。4人の人間が、それぞれの道具を手に、ひとつのことを成し遂げようとする姿への強い共感というのは?

なんだか、American Pieという歌から離れはじめているような気もするのですが、音楽が死んだ日とは、すなわち、4人組が解体された日と見ることもできそうです(じっさいには、あの事故以前に、すでにクリケッツはバラバラになっていた)。音楽が死んだ日に明らかになった真実とは、結局、バディー・ホリー=われわれは孤独である、ということかもしれません。

ミス・アメリカン・パイとは、すなわち人間の絆であり、American Pieは、バディー・ホリーの死後10年のあいだに、みごとに解体されていった人間の絆を歌った曲だ、なんていうクソまじめで、尻がむずむずする結論はいかが?

なんたって、あなた、パイを丸のまま食べる人間はいないわけで、あれははじめから切り離される宿命を背負って焼き上がるのでありましてな。これが正解じゃなくて、なにが正解かと、世界のAmerican Pie研究者に訴えたいくらいなもんですよ!

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by songsf4s | 2008-02-04 23:55 | 冬の歌