人気ブログランキング |
七福神ブギ by 笠置シヅ子
タイトル
七福神ブギ
アーティスト
笠置シヅ子
ライター
野村俊夫, 服部良一
収録アルバム
ブギの女王
リリース年
1952年
f0147840_23521162.jpg

◆ 縁起物「宝船」 ◆◆
「えー、お宝、お宝、お宝、お宝、お宝、お宝」

正月二日、こういう景気のいい声とともに、宝船売り、船屋が町をまわったのだそうです。七福神巡りはいまでも各地で盛んですが、船屋のほうは、お目にかかったことがありません。いつごろまであった習慣なのか、寡聞にして知らないのですが、ひょっとしたら、まだ現存している地方があるのでしょうか。

f0147840_23563448.jpg宝船売り、船屋といっても、船やその模型といった立体物を売るわけではありません。宝船に乗った七福神を描いた木版の刷り物を売るのです。これを枕の下に敷いて寝ると、いい初夢を見られるといわれる縁起物です。

四代目三遊亭円遊の『七福神』(『かつぎや』ともいう)では、一枚が四文ということになっていて、ゲン担ぎ、御幣担ぎの呉服屋の五兵衛さんに呼ばれた船屋が、「一枚いくらだね」ときかれて、「へい、しもんです」と、縁起の悪い「し」の字をいうものだから、もめてしまいます。つぎにきた船屋は、うちの旦那は御幣担ぎだから、できるだけ縁起のいいことをいうようにと、番頭に言いくるめられているので、「しもん」ではなく「よもん」と答え、つぎつぎと当意即妙に縁起のいいことをいって、めでたくすべてを五兵衛さんに売りつけることに成功します。

しかし、これは落語だからそうなっているのであって、四文などという値段の宝船はなかったでしょう。わが老母など、いまでも「し」の字嫌いで、ものをそろえるのに、四つということはしません。三つとか五つにしたり、可能なら八つにします。縁起物の宝船売りが、四文などという値を付けるはずがないのです。

f0147840_045784.jpgちなみに、そば一杯がはじめ十六文(『時そば』はこの値段でやる。「二八そば」というのは、この値段から生まれた言葉だともいわれるが、そば粉とつなぎの比率という説のほうが筋が通っているように思える)、のちに二十四文などとものの本にはあるので、江戸時代の四文がどの程度のものかはおわかりでしょう。いまの値段に大ざっぱに換算すると、150円から200円というところではないでしょうか。

えーと、なんの話でしたっけ。時そば、じゃなくて、七福神、いや、落語ではなく、笠置シヅ子の歌でした。

◆ ルムバにジルバ ◆◆
木版刷りの宝船が縁起物であるように、笠置シヅ子の「七福神ブギ」も、縁起物の景気のいい歌です。ちょいと手を抜いて、歌詞を書き写さず、歌詞カードをスキャンしたJPEGをご覧いただきましょう。お正月なので、ちびちび小出しにせず、一気に丸ごといきます。

f0147840_23572114.jpg

タイトルからも想像がつくように、これは大ヒット曲「東京ブギウギ」のお正月ヴァージョンといったものです。「さあさみんなで」というのは、「東京ブギウギ」にも出てくるフレーズなのは、皆さまご存知のところでしょう。

「みんな揃って」ではなく「みんな揃うて」となっているあたりは、「買い物ブギ」同様に、笠置シヅ子の関西ルーツに配慮した結果かもしれません。この曲の作詞をしたわけではありませんが、作曲の服部良一も関西出身です。

ルムバにジルバが出てくるところで、なるほど、この時期にはこの二つがもっともポピュラーなダンスだったのか、なんて納得してしまいます。これよりあと、1950年代後半になると、マンボにチャチャチャの時代です(と講釈師、見てきたようなことをいい)。

◆ 芸能の神様、弁天さん ◆◆
歌詞カードでは、漢字で書くべきところを仮名にしたり、また、シラブルの都合でしょう、七福神の名前が短縮されたりしているので、よけいなお世話かもしれませんが、フルネームを書いておくと、恵比須(夷)、大黒天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人、弁財天の七神です。

f0147840_23592643.jpg
鈴木春信『七福神遊興図』。左から布袋、福禄寿、大黒天、弁才天、恵比須、毘沙門天、寿老人。「中央で踊る弁才天を、天岩戸の前で踊った天鈿女命(あまのうずめのみこと)に見立てた絵」だそうです。

このうち、当ブログにもっとも縁が深いのは弁財天です。弁財天は、「弁天」さまと略すことがありますが、図像や彫像ではかならず琵琶を抱えています。したがって、当然、音楽(ないしは芸能)の神様とされますが、弁舌も授けてくれるのだそうで、そこから知恵の神様ともされています。

しかし、辞書などにはそう書いているものはありませんが、弁財天は、土俗信仰としては、エロスの神でもあるようです。江ノ島の弁天さんが「リアル」につくってあるのは有名ですが、それはエロスの神としての意味合いからきたものでしょう。ちなみに、いまは「べんざいてん」と読むのがふつうですが、江戸なまりでは「べざいてん」でして、わたしにはこちらの読みのほうが粋に思えます。

f0147840_013271.jpg恵比寿さんは「夷」とも書きます。これは「夷狄」の「夷」です。小学館国語大辞典には「中国で王化の及ばない未開人をさげすんで称したことば。特に東方の未開人。えびす」と書いてあります。いい言葉ではないのは明白です。これはなぜだろう、なんて考えても、民俗学の素養がないと、解説を読んでもちょっとやそっとではわからず、読んだことをここにかみ砕いて書くことはできませんでした。近所の七福神巡りでもしながら、いにしえの神々のことに思いを馳せてみることにします。

◆ 落語の七福神 ◆◆
落語の「七福神」(「かつぎや」)はなかなか愉快な噺です。根幹部分は小咄を引き延ばした程度のシンプルな話柄ですが、わが家にある四代目三遊亭円遊版は、長くて楽しい枕をふり、くすぐりもたっぷりふりまいて、お正月にふさわしい仕上がりになっています。

f0147840_063646.jpg円遊版の枕は三段構えになっています。まず、御幣担ぎ(縁起担ぎ)の主人・五兵衛と、下男・清蔵との若水迎えをめぐるやりとり。主人が清蔵を呼び、今日は元旦、初水、若水だ、台所にダイダイがあるからそれをもっていき、「新玉の年立ち返るあしたより、若やぎ水を汲み初めにけり、これはわざっとおとし玉」と唱え言をして、井戸にダイダイを落とし、水を汲んでこいといいます。

清蔵は、権助奉公(下男奉公)だから躰を使うのはしかたがない、でも、頭を使わされてはかなわないなどとボヤいているうちに、唱え言を忘れてしまいます。しかたなく、「目の玉のでんぐりけえるあしたより、末期の水を汲み初めにけり、これはわざっとお人魂」と唱えて、主人の不興を買ってしまいます。首を言い渡されると、清蔵は「まあ、そういわず、もう七日おいときなせえ」といいます。なぜもう七日なのだときくと、「あと七日で、この店に奉公してちょうど三十五日だ」などといいます。

つぎは店先の場。向こうから、幼なじみの早桶屋(棺桶屋)の四郎兵衛がやってくるのを見て、あいつは苦手だからと、その場は番頭に任せて、五兵衛は奥に引っ込みます。四郎兵衛は、番頭を見かけるや、いきなり、

「おう、どうしたい、卵塔さん」とジャブをかまし、「檀家どうしたい、檀家は」と「お寺尽くし」でくるや、旦那は出かけているといわれると、「なんだ、急にお隠れになっちゃったのかい」とイヤなことをいうので、しかたなく五兵衛が出てくると、「おっ、よみがえったな」ときます。

五兵衛がおめでとうございますと挨拶すると、めでたいのは若い者のこと、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と一休さんの歌をもちだし、寿命なんかわかりはしない、といって、「そうれ、つらつらおもんみるに、およそはかなきは人間の身の上なあり」と引導をはじめるという騒ぎ。

f0147840_075037.jpg

五兵衛が、今日はお年始まわりかときくと、「いや、墓参り」とこたえ、お互い、いつあの世にいくかわからない、という話に戻り、「でも、心配するな、おまえの友だちは早桶屋だよ、どんなに忙しくたって、おまえの早桶だけは間に合わせてやる、ちょうどいい、今日、寸法を測っておくか? 生きてるうちのほうが測りやすいんだ」と、これでもか、これでもか、と御幣担ぎの五兵衛さんを徹底的にくさらせ、じゃあまた、初七日ごろにくらあ、といって去っていきます。

さらに小僧とのやりとりもあったりして、ようやく噺に入ります。噺より枕のほうが面白いぐらいで、有名なかつぎやの噺「しの字嫌い」より、ずっと笑えるものにつくっています。

かつぎやをからかう正月の噺としては、ほかに「けんげ者茶屋」というのもあります。四代目円遊版「七福神」ほどではないにしても、こちらもなかなか笑える噺です。とりわけ、掛け軸の縁起の悪い読み替えは大笑いですが、そろそろ制限時間いっぱい、「けんげ者茶屋」のことは、来年のお正月にでも……あれ? 落語ブログじゃありませんでしたっけね!
by songsf4s | 2008-01-02 00:02 | 新年の歌