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Christmas (Baby Please Come Home) by Darlene Love
タイトル
Christmas (Baby Please Come Home)
アーティスト
Darlene Love
ライター
Phil Spector, Ellie Greenwich, Jeff Barry
収録アルバム
A Christmas Gift for You from Phil Spector
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Darlene Love (retitled as "Johnny (Please Come Home)," a non-Christmas song with altnernative lyrics)
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以前にも書きましたが、世の中にはカヴァーしてはいけない曲、カヴァーしても無駄な曲、アンタッチャブルの傑作というものがあります。このフィル・スペクター/ダーリーン・ラヴのChristmas (Baby Please Come Home)はまさに、だれもカヴァーしてはいけない曲、カヴァーしても無駄な曲、イントロからフェイドアウトまで、どこにも瑕瑾のない完璧な傑作です。

◆ And all the fun we had last year ◆◆
それでは恒例により歌詞を見ていきます。じっさい、わたしはこの曲については、何年も前に書き尽くしてしまったので、あとは歌詞の解釈ぐらいしか書くことがないのです。

The snow's coming down
I'm watching it fall
Lots of people around
Baby please come home

「雪が降っている、わたしはそれを見ている、あたりにはおおぜいの人がいる、ベイビー、お願いだから家に帰ってきて」

雪のつぎにおおぜいの人が出てくるのは、たぶん、雪が降ってきて、近所の人がおもてに出、雪だ、雪だ、といっている、ということなのではないでしょうか。そのつぎに、帰ってきて、となるのは、なんとなくわかるような感じはします。みんないる、足りないのはあなただけ、というあたりでは?

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セカンド・ヴァース。

The church bells in town
All singing in song
Full of happy sounds
Baby please come home

「町じゅうの教会の鐘が和して歌うように鳴っている、幸せな音があたりに満ちている、ベイビー、お願いだから帰ってきて」

つづいてブリッジ。ヴァースとはコード進行をわずかに変え、ストップ・タイムを使った、せつない、せつないブリッジです。

They're singing "Deck The Halls"
But it's not like Christmas at all
'Cause I remember when you were here
And all the fun we had last year

「みんなは『Deck the Halls』を歌っている、でも、クリスマスらしさなんかまったく感じない、あなたがここにいて、いっしょに楽しく過ごした去年のことを覚えているから」

曲を聴きながら書いているのですが、ここは涙なくしては聴けない8小節です。どこへいってもにぎやかにクリスマス・ソングが流れている、行き交う人はみな、恋人や家族といっしょにいる、ひとり歩く人はクリスマス・プレゼントの包みをもって楽しげに家路を急いでいる、どの顔も笑顔、笑顔、笑顔なのだから、ひとりぼっちなのは世界で自分ひとり、という気分でしょう。惻々と胸をうつ、いいブリッジです。

サード・ヴァース。

Pretty lights on the tree
I'm watching them shine
You should be here with me
Baby please come home

「トゥリーにはきれいな灯をつけた、わたしはそれが光るのを見つめている、あなたもここにいて、これをいっしょに見なくてどうするの、ベイビー、お願いだから帰ってきて」

このクリスマス・トゥリーがどこにあるのかは明示されていないので、lights on the treeは、自分でつけたのか、あるいは、公共の場のトゥリーで、たんに「そこにある」というニュートラルな表現かはわかりません。でも、自分の家のクリスマス・トゥリーだと受け取ったほうがいいでしょう。さらにいえば、いま飾りつけをしていて、去年のことを思いだし、たまらなくなった、と見るのが適当と感じます。

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スティーヴ・ダグラスのテナー・サックスによる間奏、そして、もう一度ブリッジを繰り返し、最後のヴァースへ。

If there was a way
I'd hold back this tear
But it's Christmas day
Please
Please
Please
Please
Baby please come home

「なにか方法があるのなら、この涙を止めるわよ、でも、今日はクリスマスなのよ、お願いだから、お願いだから、お願いだから、お願いだからベイビー、家に帰ってきて」

◆ Christmas (Baby Please Come Home) の「位置」 ◆◆
この曲については、とくに書くべきことはあまり残っていないようです。史上最高のクリスマス・アルバムのなかで、もっとも重要な場所に配置された、もっとも重要な曲、この曲を聴かせるために、この傑作アルバムはつくられ、曲順が決められたと考えています。

このクリスマス・アルバムの最後に配置されたSilent Nightは、歌というより、音楽をバックにしたフィル・スペクターの挨拶で、いわばあとがきのようなもの、本編ではありません。その前のHere Comes Santa Clausは、軽い仕上げになっていて、これはカーテン・コールのようなものです。

このアルバムのほんとうのエンディング、クライマクスは、さらにそのまえの曲、このChristmas (Baby Please Come Home)であることは明らかです。それは、この曲が、このアルバムのなかで、唯一の新曲、オリジナル曲であることからもわかります。そしてなによりも、完璧に仕上げられたトラックの出来に、それがあらわれています。

四分三連のフィルインをはじめ、この曲でハル・ブレインがどういうプレイをし、それはどのような考えから適用されたかという点については、数年前に長い論考を書いたので、ご興味のある方は、そちらをごらんいただければと思います。

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Christmas (Baby Please Come Home)は、シングル・カットされましたが、ヒットにはいたりませんでした。フィル・スペクターはこの曲に思いを残したようで、のちに同じダーリーン・ラヴのヴォーカルで、Johnny (Baby Please Come Home)と改題、改作して、クリスマス・ソングではない、ふつうの曲として(ただし、オリジナル・トラックを流用し)再録音しています。しかし、クリスマスの浮き立つような華やかさのなかでの孤独というテーマが、いかに切実なものだったかを改めて感じさせるような出来に終わっています。

◆ And all the fun we'll have next year ◆◆
このアルバムは、フィル・スペクターのおおいなる意気込みに反して、ヒットしませんでした。絶頂期にあったスペクターの、この不可解な失敗の原因は、昔からしばしば、その直前のケネディー暗殺事件によって、アメリカ国民がクリスマス気分ではなくなったため、というように説明されています。

「馬鹿が凝り固まっちゃったよ、この人は」と古今亭志ん生が墓の下で笑うでしょう。明治大帝崩御、歌舞音曲停止じゃあるまいし、そんなゴミみたいな説明が、あたりまえのように出版物やライナーに書かれているのを見るたびに、わたしは憤っています。

アホらしいほど初歩的な「初動捜査」手順があります。こういう質問を発してみればいいだけです。じゃあ、ほかのクリスマス・アルバムもみな失敗したのか? ノーです。売れたクリスマス・アルバムはあります(チップマンクス、ナット・コール、ロバート・グーレ、ベルト・ケンプフェルト、マントヴァーニ、ジョニー・マティス、ニュー・クリスティー・ミンストレルズ、アンディー・ウィリアムズのアルバムは、ビルボード・クリスマス・チャートに入っている)。ケネディー暗殺など、まったく無関係であることは、「事件」の端緒のときから明々白々のことでした。

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羊が一匹、気まぐれにふらふらしながら、草を食べていきました。つぎにきた羊は、前の羊が食べていった跡にしたがって、また草を食べながら歩いていきました。つぎの羊もまた前の羊の歩いたとおりにたどりました。やがて踏み固められ、それは道になりました。ただし、ひどく曲がりくねった、遠まわりな道に。

「定説」というのは、おおむね、こういうものだとわたしは考えています。曲がりくねった不自然な「定説」を見るたびに、わたしは疑いをもちます。前に通った羊のことなど、まったく信用しません。ただのぼんやりした気まぐれな羊である可能性のほうが、鋭敏で思慮深い羊である可能性より、はるかに高いのです。

なぜこのアルバムが失敗したかについて、いまのわたしに明快な説明がつけられるわけではありません。今の段階でいえることは、愚にもつかない「定説」はドブに捨てよう、そして、もう一度、あの時代の音楽とフィル・スペクターの音楽の関係を考え直してみよう、ということだけです。

このアルバムの失敗の向こう側には、ちゃんとした音楽的な理由があります。わたしにはそれが「わかって」います。フィル・スペクターがつくろうとした音と、人々が聴きたがっていた音とのあいだに横たわっていた溝を覗きこみ、微細な証拠を採取しましょう。音を聴き、音を考えなければ、音楽のことはわかりません。新聞記事やテレビニュースで、音楽史上の事件を解決しようとする愚は、そろそろやめるべきときがきています。はじめからしてはいけないことをしてしまったのは、明らかではないですか。音楽のことは音楽にきけ、です。

この問題を突き詰めていけば、かならず、60年代の音楽の本質に突きあたるはずです。いまの段階でも、発してみるべき質問がいくつかあります。正しい質問は、解答への扉です。来年のクリスマス特集には、なにか仮説を提出できるでしょう。季節が一巡りするあいだだけやろう、と考えてはじめたこのブログが、一年後にもまだ存在していれば、の話ですが。
by songsf4s | 2007-12-24 00:32 | クリスマス・ソング