- タイトル
- California Dreamin'
- アーティスト
- The Mamas & the Papas
- ライター
- John Phillips
- 収録アルバム
- If You Can Believe Your Eyes and Ears
- リリース年
- 1965年
- 他のヴァージョン
- live version of the same artist (Monterey International Pop Festival). Jose Feliciano, Wes Montgomery, 101 Strings, the Beach Boys, the Ventures, the Brass Ring
クリスマス・ソングにもすこし食傷してきたし、なによりも、この世のものとは思えない、エンドレスに長い検索結果リストを見るのにへこたれたので(Jingle BellとWhite Christmasの検索結果をお見せしたいですなあ!)、ちょっと目先を変えて、ここらでやっておかないとまずい、初冬の歌をいくつか取り上げようと思います。
まずは、60年代の冬の歌からスタンダードをあげるとしたら、この曲しかないだろうという、きわめつけ、ご本尊、名代、大統領、その他なんでもいいのですが、とにかく、だれでも知っている曲であります。タイトルに「カリフォルニア」とあるのはフェイントみたいなもので、これは寒いときの歌なのです。ご存知ない? じゃ、歌詞を見てみましょう。
◆ ファースト・ラインの技 ◆◆
当ブログへいらっしゃる方なら、どなたでも聞き覚えがあるはずのファースト・ヴァース。
I've been for a walk on a Winter's day
I'd be safe and warm if I was in L.A.
California dreamin' on such a Winter's day
「葉はすっかり枯れ、空はにび色、冬の日に散歩に出かけてみた、LAにいれば無事で、暖かくしていられたのに、そんな冬の日に見るカリフォルニアの夢」
この曲のいいところは、このファースト・ラインです。カリフォルニア・ドリーミンというタイトルから、だれしも暖かさを思うのに、いきなり枯葉ですからね。なるほど、カリフォルニアは、この語り手にとって、いまは現実ではなく、夢なのだと納得し、すっと曲の中に入っていけます。音羽屋、じゃなくて、パパ・ジョン屋、と大向こうから声がかかるきわめつけの一行。
ところで、ここから有名な曲を連想しませんか? わたしはアーヴィング・バーリンのあの曲を連想します。今年のクリスマス・ソング特集で、当然取り上げる予定の曲なので、クイズにしておきます。おそろしく簡単なクイズで、ナメるな、と大向こうからミカンの皮が飛んできそうですが。
つづけてセカンドにしてラスト・ヴァース。短くて、うれし涙が出ます。
Well, I got down on my knees
And I pretend to pray
You know the preacher liked the cold
He knows I'm gonna stay
California dreamin' on such a Winter's day
「散歩の途中で見かけた教会に入ってみた、とにかく、ひざまずいて、祈るようなふりをした、牧師というのは寒さを歓迎するんだ、参拝者が居坐るからね、そんな冬の日に見るカリフォルニアの夢」
だれだったか、セカンド・ヴァースを気にする人間なんかいやしない(だから、適当なことを書いておけばいい、という意味ですが)といったソングライターがいましたが、これくらいの曲になると、ちゃんと覚えているものです。でも、意味を考えてみたことはありませんでした、散歩の途中で教会に入ったのね、ぐらいの認識です。なんでしょうね、このヴァースは? 要するに、寒くてうんざりだ、といっているだけのように思えるのですが。
詰まるところ、わたしは、この曲はファースト・ラインに尽きる、と思っています。
◆ 深化したハル・ブレインの表現手法 ◆◆
ママズ&パパズのレギュラーは、ドラムズ=ハル・ブレイン、ベース=ジョー・オズボーン、ギター=トミー・テデスコ、キーボード=ラリー・ネクテル、ということがわかっています。また、ジョン・フィリップス自身がリードを弾いたトラックもあるようです。
ママズ&パパズについては、ハル・ブレインがその回想記のなかで一章を割いています。思い出深いのでしょう(ジョン・フィリップスと口論になったことがあるとか)。じっさい、ハルは彼らのほとんどの盤でプレイし、それぞれがソロになったあとも、キャスやジョン・フィリップスの盤で、それから、たしかデニー・ドーハティーのソロでも叩いています。
最近やっとわかってきたのですが、人間というのは年をとってからも、まだ年をとるのですね。もう十分に年をとった、と一時は思ったのですが、それからさらに年をとったという実感があります。ほんの十数年のあいだに、わたしのテイストから若さがさらに失われ、地味なプレイへと傾斜していったのです。ウソつけ、という声が聞こえますなあ。たしかに、いまだって派手好みではあるのです。地味なもののよさに、以前より注意が向くようになった、と言い換えておきましょう。
ハル・ブレインの研究にとりかかったとき、このCalifornia Dreamin'の重要性は、ハルがプレイした40曲におよぶビルボード・チャート・トッパーのひとつ、というだけのものでした。しかし、齢を重ねるうちに、この曲でのハルの控えめなプレイは、わたしのプライオリティー・リストをどんどん駆け上がっていき、いまやトップ10入り間近というところまできています。
スーパー・プレイ、ファイン・プレイは、もちろん大好きです。でも、詰まるところ、われわれが聴いている、いや、躰で感じているのは、トータルなサウンドであり、そしてなによりもグルーヴです。グッド・グルーヴ、グッド・フィーリンが最優先であり、スーパー・プレイはボーナスにすぎないのです。
この曲でのハルのプレイを分析しはじめると、終わらなくなるのですが、重要ポイントだけをあげておきます。まず、キック・ドラムのプレイです。もともと、彼はキックに抑揚をつけるプレイヤーでしたが、この曲では、そのスタイルが完成したと感じます。リズム・パターンの変化と強弱の変化の両方によって、曲のドラマの流れをコントロールしているのです。また、ときおりキックで強いアクセントをつけるのも、ジョー・オズボーンのベースとあいまって、なかなかいい味があります。
タイムの微妙な変化も感じます。63、4年までのハル・ブレインは、ときおり突っ込むことがありました。いや、バーズのMr. Tambourine Manや、このCalifornia Dreamin'といった、65年録音の、タイムがそれまでより微妙に遅くなったトラックを聴いて、ああ、以前はほんのちょっと突っ込んでいたのだな、と思うわけで、同時代の他のドラマーにくらべれば安定していたのですが、63年、64年、65年と、ハルは徐々に、そして微妙に、タイムをlateにしていったと感じます。
音楽用語ではなく、一般的な言い方であると同時にハルがよく使う言葉でいえば、「リラックスした」グルーヴへと変化しているのです。このリラックスしたグルーヴが、California Dreamin'を支配しています。
われわれの耳は、いや、意識の表層はヴォーカル・ハーモニーを聴きながら、躰は、すなわち意識の深層は、ハル・ブレインとジョー・オズボーンのコンビが生みだす、リラックスしたグルーヴを感じとり、ややダウナーな歌詞とは無関係に、いい気分になるのです。いまごろ、カリフォルニアは暖かくて気持ちがいいだろうなあ、という気分です。
ハル・ブレインがジョー・オズボーンとともにつくりだした、このグッド・フィーリンがなければ、この曲がクラシックになることはもちろん、チャート・ヒットすらおぼつかなかったでしょう。
◆ 他のヴァージョン ◆◆
あまりいいヴァージョンがないのですが、とにかく、わが家にあるものをひととおり見ておきます。しいてどれかをあげるなら、ホセ・フェリシアーノ盤がまずまずの出来といえるでしょう。しかし、ほとんど完璧ともいえるママズ&パパズのオリジナルにくらべれば、当然ながら数段落ちます。フェリシアーノのグルーヴと、バックのグルーヴが合っていないように感じるところがあり、そこが引っかかります。どっちが悪いというのではなく、体質的にちがうグルーヴが出合ってしまった、という印象。
ウェス・モンゴメリー盤は、ギター・プレイについては、もちろん申し分ないのですが、ドラムがフィルインのたびに突っ込むので、額に青筋が立ちます。わたしがベースで、このドラマー(たしかグレイディー・テイト。調べる手間をかける気も起きない)とやっていたら、怒髪天をつき、テイクの合間に拳銃を取り出して、今度のテイクでもフィルインで拍を食ったら、おまえの頭をぶち抜いてやるから、そのつもりで叩け、と脅迫します。ひどいプレイです。フィルインになると、1小節ではなく、0.95小節になっています。
ヴェンチャーズ盤は、やはりよろしくない出来です。だいたいこのころのヴェンチャーズはあまりいいグルーヴの曲がなく、メル・テイラーが叩いているのではないかという気がします。下手。ギターはだれだかわかりませんが。
ジョニー・リヴァーズは、ママズ&パパズの「すぐとなり」にいたため(プロデューサーはママズ&パパズと同じルー・アドラー、スタジオ・プレイヤーも同じ、スタジオもたぶん同じユナイティッド・ウェスタン)、それが彼のCalifornia Dreamin'をスポイルしたと感じます。ストレートにカヴァーすると、基本的にママズ&パパズと同じものができてしまうから、無理やりまったくちがうアレンジ(リズム・セクションなし、ストリングスのみのバッキング。「Elenor Rigbyアレンジ」といえばおわかりか?)にしたのでしょうが、成功しているとはいいかねます。
そもそも、リヴァーズはあまりうまいシンガーではないので、こういうことにははじめから向いていないのですが、当人はついにそのことに気づかなかった節があります。まあ、このアレンジで、たとえばエラ・フィッツジェラルドかなんかが、「どうだ、うまいだろ」みたいに歌ったら、それこそ大惨事で、リヴァーズがうまくないおかげで、そこそこの被害で収まっているともいえるのですが。
ブラス・リング盤は、まじめにスピーカーの前に坐って聴いてもらうことを目的にしているわけではなく、ショッピング・モールの空間を埋めるとか、ラジオのジングルに使うとか、そういった「実用」を目指したものなので、ああだこうだというようなつくりにはなっていません。「便利」な出来です。
101ストリングスは、弦の厚みが売りものですから、その意味においてはCalifornia Dreamin'のカヴァーも悪くはありません。ブラス・リングにくらべれば、人数が圧倒的に多いのだから、ちょっとしたサウンドではあります。リズム・セクションはハリウッドの雰囲気が濃厚で、ベースはキャロル・ケイの可能性があると感じます。ドラムは活躍せず、オフミックスでよく聞こえず、判断の材料があまりないのですが、ハル・ブレインではないという否定的な材料もありません。ブラス・リングより、こちらのほうがショッピング・モール向きかもしれません。
ビーチボーイズ盤は、いわぬが華、聴かぬが華。懐メロ・バンド度が95パーセントぐらいまで進行した末期症状を呈しています。コーラス・グループというものが、どこまで腐ることが可能か、その興味でつないでいます。わたしより向こうが長生きしたら、死ぬ前に、どこまで腐ったか、確認してみたいと思います。
さて、最後に残った、モンタレーでのママズ&パパズのライヴ・ヴァージョン。このライヴ録音のほかの曲にくらべれば、さすがにがんばっているとは思うのですが、じゃあ、いいか、とか、好きか、といわれたら、ぜんぜん、と答えます。
もともと、コーラス・グループとして卓越した能力があるわけではなく、ライヴではきわめてきびしいと感じます。リードのデニー・ドーハティーもはずしているところがありますし、もっとも安定している(はずの)キャスですら、はずしています。頼りにならないジョンとミシェールのフィリップス夫妻は、いるのかいないのかもわからないほどです。ま、むしろそのほうが幸いで、ときたま聞こえてくると、ジョンはかならずはずしています。このときのベースはたしかジョー・オズボーンだったはずですが、ドラムが叩きすぎで、いくらやりっぱなしでかまわないライヴでも、それはないだろうという箇所が散見します。キャスのしゃべりのほうがよっぽど面白い!
◆ ふたたびハル・ブレイン ◆◆
世の中には、カヴァーしてはいけない曲、カヴァーしても無駄な曲、というのがあります。オリジナル録音がほぼ完璧に、その楽曲がもつポテンシャルを引き出してしまったものです。たとえば、ラスカルズのGroovin'、ビーチボーイズのGod Only Knows、ロネッツのBe My Babyなどが代表でしょう。このCalifornia Dreamin'も、そういう曲だと感じます。これほど素晴らしいヴァージョンがあるのに、どうやってこれを乗り越えるつもりなんだ、といいたくなります。みな失敗しているのも当然です。はじめから勝てないとわかっている相手に戦いを挑んでいるのですから。
★ ★ ★ ★ ★ ★
ハル・ブレインは、ディーン・マーティンのEverybody Loves Somebodyあたりから、メインストリームでのプレイを意識するようになったのではないでしょうか。サーフ・ミュージックやフィル・スペクターのトラックで見せたような、軽快で、派手で、華やかで、豪快なプレイで売り出し、そこから徐々に、かつてやっていたような(たとえばパティー・ペイジのバンドの時代とか)、軽いラウンジでのプレイを思いだし、ロック的プレイに、そうしたスタイルを融合させることを思いついた、と感じます。
それがバーズのMr. Tambourine Manと、このCalifornia Dreamin'という2曲のチャート・トッパーでの、極度に地味なのに、うまさがにじみ出るプレイに結実し、さらには、1966年の彼の快進撃、前人未踏の圧倒的なヒット連発、そしてとりわけ、フランク・シナトラのStrangers in the Nightに代表される、「派手なことはいっさいしなくても、そのまんまでグッド・フィーリン」というプレイを生んだと感じます。アメリカの音楽をリードしたプロのなかのプロが、ドラミングの、そしてグルーヴの核心を把握し、「悟り」を開いたのが、このCalifornia Dreamin'だった、といいたくなります。