晩秋というのは十一月だと思っていましたが、もはやそういう時代ではなくなったようで、南関東の平地では、十一月中旬ぐらいでは「秋色深し」とは、とうていいえないようです。
先週までは、近所の欅並木もまだ色づかず、いつになったら秋らしくなるのかという日がつづいていましたが、土曜の雨と寒気のおかげで、さすがに、欅や桜がいくぶん赤みを加えてきましたし、一本だけですが、三分の一ほど色づいた七竈の木も見ました。しかし、楓類はどれも依然として緑色で、当地では、秋景色を楽しめるようになるのは、ひょっとしたら来月のことになるかもしれません。
しかし、辞典を引いてみると、天文学の定義では、秋とは「秋分の日から冬至まで」のことだというのだから、それなら、ちょうど、われわれの感覚と天文学の定義が一致したというあたりかもしれません。この合致が一時的なものにすぎず、さらに温暖化が進んで、感覚が天文学の定義を追い越し、晩秋が一月にズレこんだりしないように願いたいものです。冬のない「三季」では、当ブログのタイトルを変更しなくてはなりません!
◆ 蒼く色づく落葉 ◆◆
ボビー・ゴールズボロには、タイトルにAutumnのついたものが、すくなくとも2曲あります。片方は歌詞が捨てがたく、片方は曲が捨てがたく、ひとつにまとめてくれよ、と思うのですが、とりあえず、音のほうを優先して、Blue Autumnから取り上げます。
あまり楽しい歌詞ではないのですが、まずはファースト・ヴァースを。
Falling leaves of red and gold
Pretty colors I am told
But I see only shades of blue
Because I'm losing you
「憂鬱な秋、赤や黄色の落ち葉、きれいな色だとひとはいう、でも、ぼくには蒼い翳がさしているのしか見えない、きみを失おうとしているのだから」
ノーマルな発想というか、ほとんどクリシェというべきでしょうが、そこが歌詞というもののよくしたところで、サウンドと一体になると、ひどく陳腐に聞こえることはなく、そこそこは納得のできるものになっています。
セカンド・ヴァース。
There's a rainbow in the sky
But no matter how I try
I still see only shades of blue
Because I'm losing you
「憂鬱な秋、空には虹がかかっている、でも、どうやっても、ぼくには蒼い翳しか見えない、きみを失おうとしているのだから」
これまたノーマルな発想、わるくいえばやはりクリシェで、色をモティーフにしたことからの連想で、虹が出てきたにちがいありません。詩だとするならまずいでしょうが、流行歌の歌詞なのだから、まあ、こんなものでしょう。作詞の常道をきちんと踏んでいる、とほめることもできれば、星菫派となんら懸隔がない、と腐すこともできます。
ちなみに、昔、本で読んだのですが、白虹(はくこう)というものがあります。これはモノトーンな虹で、雨滴がごく小さい場合に起こる現象だそうです。いま、百科事典を調べたら、「雨滴が大粒で色の鮮やかな虹と、白い霧虹との中間の粒の大きさのときには、虹の中に赤色が見えず、幅が広くなり、全体として青みを帯び」とありました。
ボビー、きみの見た蒼い翳は、ブルーな気分の反映なんかではなく、雨粒が中途半端な大きさだったために起きた、無慈悲なまでに散文的な気象現象にすぎなかったのだよ!
◆ サード・ヴァースの「転」 ◆◆
ブリッジ。
There for all to see
But falling leaves of red and gold
Have all turned blue to me
「なんてきれいな色だ、すばらしい見ものだ、と人はいうけれど、赤や黄色の葉が落ちても、ぼくの目にはみなブルーになってしまう」
以前にも書きましたが、ブリッジは「起承転結」の「転」、チェンジアップであったほうがいいのですが、そうなっていない曲もかなりあって、このBlue Autumnのブリッジもそのタイプです。そもそも、ストーリーがあるわけではないので、「起」「承」のみでできているというか、ワン・アイディアで最後まで押しまくる歌詞になっています。
サード・ヴァース。
A love like yours I'll never know
Other girls may come and go
But I'll see only shades of you
And all my autumn will be blue
「きみのような愛に二度とであうことはないだろう、いろいろな女の子に出会い、別れるだろうけれど、いつもきみの影を見てしまうにちがいない、そして、ぼくの秋はいつもブルー」
やっと、いくぶんかインスピレーショナルなラインが出てきたと感じます。これまでの二つのヴァースでshades of blueを繰り返してきたので、ここでのshades of youが生きています。shades of youほどではないにしても、最後のラインもまた、伏線がいくぶんかはきいていると感じます。ピシッと決まった、とはいえませんが、決まりすぎると気色が悪いので、この程度でちょうどいいか、と思います。
◆ コード・チェンジの効果 ◆◆
この曲の最大の魅力は、クレヴァーなコード・チェンジです。Blue autumn, falling leaves of red and goldというところは、C-Cmaj7-B♭-A-Dmという進行で、Pretty colors I am toldにいくときに、Fmに移動します。
C-Cmaj7-B♭-A-Dmというのは、あまり見たことのないパターンで、ちょっと考えてみたのですが、他に例を思いつきませんでした。このコード・チェンジの流れそのものがいいのですが、このコンテクストでは、Cmaj7-B♭という尋常な移行の響きが引き立ち、ここが耳についたので、コードをとってみる気になりました。
このブロックの最後のコードであるDmから、つぎのFmへの移行もちょっと変わっています。DmからFならノーマルですが、Fmというのは意外で、コピーしていて、あれ、どこへいったんだ、と戸惑いました。Dの位置から動かずに、なにかテンションを加えただけなのかと思ったのです。この移行もなかなかいい響きです。
歌詞はほとんどクリシェですし、アレンジもオーソドクスなものなので、Cmaj7-B♭とDm-Fmという、二つの「キラー・チェンジ」のおかげでヒットした、といっても言い過ぎではないでしょう。すくなくともわたしの場合、この二つのコード・チェンジがなければ、この曲のことはなんとも思わなかったにちがいありません。
ボビー・ゴールズボロという人は、Honeyの印象が強いのですが、初期にはああいう語りのようなスタイルの曲はなく、Little ThingsやIt's Too Lateはアップテンポで、明瞭なメロディー・ラインがあります。クレヴァーなコード・チェンジがあれば、語りのようなものでも魅力的になると気づいたのは、このBlue Autumnでのことなのではないでしょうか。それがつぎのヒット曲、代表作であるHoneyの後半の転調連発につながったような気がします。Honeyもいずれ取り上げる予定ですが、もうすこし寒くなってからのことになるでしょう。