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Autumn in New York by Felix Slatkin
タイトル
Autumn in New York
アーティスト
Felix Slatkin
ライター
Vernon Duke
収録アルバム
Fantastic Percussion
リリース年
1960年
他のヴァージョン
Frank Sinatra, Stan Kenton, Charlie Parker, Sara Vaughan
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レイ・デイヴィーズの伝記はまだ読み終わらず、補足でのごまかしもそろそろ手詰まりになってきて、今夜はやむをえず、非常手段を使います。

今夜は予定していた秋の歌を取り上げますが、インスト・ヴァージョンだけにして、あまり出来がいいとは思えないヴォーカル・ヴァージョンを丸ごと無視することで、歌詞を解釈する時間を削減しようと思います。そもそも、シンデレラの帰宅時間まであとわずかで、よけいなヴァージョンのことなど書いている余裕はなさそうです。

◆ クラシック奏者にあるまじきしゃれっ気 ◆◆
フィーリクス・スラトキンといっても、「ああ、あの人か」というのは、フランク・シナトラの熱烈なファンと、変わり者のクラシック・ファンぐらいでしょう。彼が長年にわたって20世紀フォックスおよびシナトラのコンサート・マスターをつとめたことは、The Theme from A Summer Place by Percy Faith and His OrchestraおよびSummer Wind by Frank Sinatra その2で、二度にわたってふれています。

クラシック界での評価は低いそうですから、結局、スラトキンという人は、息子のようにだいじにしていたという、フランク・シナトラと「心中」したも同然といえるかもしれません。しかし、クラシックの世界でもなければ、本職のヴァイオリンでもなく、スラトキンの評価は、意外なところで上昇しつつあります。ラウンジ・ミュージックの世界です。

わたしがスラトキンの音ではなく(音だけなら、20世紀フォックスの映画を見れば、かならず聴いて「しまう」ことになる)、名前にふれたのは、キャピトルのラウンジ・ミュージックを集大成した、Ultra Loungeというシリーズの3枚目、Space Capadesという盤でのことでした。

f0147840_011958.jpgこの盤に収録された、スラトキンのI Get a Kick Out of Youにはひっくり返りました。I get a kick out of youという、文字を見るだけでもシナトラの顔と声を連想せずにはいられないフレーズを、なんと、ティンパニーでやっちゃったのだから、思わず「ブハー」と吹きましたぜ。いくらハリウッド映画界で活躍した人でも、仮にも正規の教育を受けたクラシック奏者が、こんないたずらっ気、ウィット、芸人気質をもっていちゃいかんだろう、と思いましたね。これでは、本職のエンターテイナーが形無しというものです。

◆ すがすがしいアレンジとプレイ ◆◆
Ultra Loungeというシリーズは、選曲が楽しいので好きなのですが、玉に瑕は、ライナーが素っ気なく、データがわからないケースが多いことです。フィーリクス・スラトキンというのが、どういう人なのかわかったのは、右のリンクからいける「Yxx Txxxを聴く」のオオノ隊長と、Session with Sinatraという本のおかげでした。

わかってくると、いよいよ、I Get a Kick Out of Youを収録したアルバムが聴きたくなってきました。そして、ついこのあいだ、ようやく念願かなって、このFantastic Percussionを聴くことができました。素晴らしいのひと言です。

全体に、アレンジにウィットが感じられるのがなによりも好ましい点ですが、ハリウッド音楽界の重鎮がコンダクトしたのだから、すべてのプレイヤーがハイ・レベルで、それぞれがやるべきことを十全にやっていることが、この盤をいまでも生き生きとした、古びないものにしていると感じます。うまい人たちばかりが、アレンジメントとコンダクトにしたがって、きっちりとプロフェッショナルな仕事をした盤というのは、一点の曇りもなく、正月の神棚のように清々として、すがすがしく、じつに気持ちのよいものです。

ラウンジとエキゾティカは、隣どうし、背中合わせの分野ですが、そこにはおのずから相違があります。Fantastic Percussionは、エキゾティカではなく、ラウンジに属すものですが、Autumn in New YorkとCaravanだけは、エキゾティカのムードをもっています。それは主としてメロディーが醸し出すものですが、それがたまたま、さまざまなパーカッションと出遭った(それがそもそものこの盤の企画趣旨ですから)結果、半歩以上エキゾティカに踏み込んだサウンドになったのでしょう。どうであれ、なかなか魅力的なサウンドです。

◆ スロウ・バラッドの耐えがたい卑猥さ ◆◆
残り時間僅少なので、他のヴァージョンと歌詞については明日に持ち越し、といつもならいうところですが、このまま放擲します。たいして面白い曲ではないですし、残るヴァージョンは、シナトラを含めて、いや、チャーリー・パーカーも含めて、みな気に入りません。どのヴァージョンも、所詮、猥褻なスロウ・バラッドを猥褻にやっているだけのことで、「わたしのストリートには顔を出さない」(レイ・デイヴィーズ・フレーズ)タイプの音楽です。

スロウ・バラッドに「感情をこめる」気色の悪さ、卑猥さは、スラトキンの清々とした、すがすがしいヴァージョンを聴くことで、いっそう明瞭になります。わたしは、アップテンポで全力疾走するチャーリー・パーカーは好きですが、スロウ・バラッドをスロウに、感情をこめてやるサックスには、パーカーも含めて耐えがたい卑猥さを感じます。パーカーは、ジャズ・プレイヤーにしてはめずらしくロックンロール・スピリットの感じられる人だと思っていましたが、このAutumn in New Yorkにはがっかりしました。サラ・ヴォーンと同じレベルの卑猥さです。シナトラも、この曲についてはいいとは思いません。卑猥とはいいませんが、感情過多です。

f0147840_084693.jpgしいていえば、スタン・ケントンは、よけいな感情移入などなしに、「しらふ」で、さらっとやっているところが、それがこの人の身上とはいえ、やはり好ましく感じられます。すくなくとも、チャーリー・パーカー盤のような卑猥さは感じません。だからといって、べつに素晴らしくもないですがね。

やっぱり、フィーリクス・スラトキン盤のさっぱりした味わいの前では、どれも凡庸なスロウ・バラッドを、凡庸または猥褻にやっただけのつまらないものばかりです。じつはどれも、せいぜい30秒ほどしか聴きませんでした(サラ・ヴォーンは5秒ぐらい!)。それ以上は我慢のならない猥褻さです。
by songsf4s | 2007-11-08 23:45 | 秋の歌