- タイトル
- Halloween Theme
- アーティスト
- The 101 Strings
- ライター
- John Carpenter
- 収録アルバム
- Halloween Fright Night
- リリース年
- 未詳(2006年?)
- 他のヴァージョン
- John Carpenter (OST)
前回のWaterloo Sunset by the Kinksの記事に自分で書いておいて、そんなにたくさんレイ・デイヴィスの曲をとりあげるのかよ、と驚き、十数年前に買ったときは拾い読みですませた彼の自伝を、あわてて読み直してところです。もう数日は読書をつづけなければいけないようなので、その間のつなぎとして、これまでの記事の補足をいくつかやります。歌詞の解釈をしないだけでも軽く1時間は稼げるので、しばらくそんな記事にお付き合いを願います。
あ、その前に、自伝で仕込んだ前回のWaterloo Sunsetの補足。Terry meets Julie, Waterloo Stationのジュリーについてです。十代のレイ・デイヴィスが陸上の試合に出て、背中の痛みで靴ひもを解けなかったとき、かわりにやってくれた女の子、ついでにそのとき、「『学校でいちばん素敵なおしりをした子』コンテストで、わたし、あなたに投票したわ」といってくれた子の名前が、ジュリーというのだそうです。レイモンドとジュリーがその後、ウォータールー駅で待ち合わせる仲になったかどうかは、まだ読んでいないのでわかりません。
◆ 1対101の勝負 ◆◆
今回は、ついこのあいだ取り上げたばかりのHalloween Themeの補足です。その後、101ストリングスが、その怪奇音楽集のオープナーとしてカヴァーしたものを聴くことができました。最初がこの曲で、最後の4曲はすべてバーナード・ハーマン作の『サイコ』のスコアからのものです。ジョン・カーペンターではじまり、バーナード・ハーマンで終わるという、文句のない構成です。まあ、中間は無視するとしての話ですが。
バーナード・ハーマンの『サイコ』は、オリジナル・スコアもオーケストラでやっているのだから(あの耳に突き刺さるヴァイオリンのスタカート!)、まったく問題ないのですが、ジョン・カーペンターのHalloween Themeはミニマリズムの極致、これ以上は減らせないという、たったひとりのプレイヤーによる多重録音です。したがって、この落差をどう処理するかが、101ストリングス盤Halloween Themeの興味の焦点です。
結果は、うーん、曰く言い難し。まあ、失敗というべきでしょう。あのピアノ・リックは、避けて通れないから、ちゃんとやっています。そこへ、オリジナルにはないヴァイオリンによる短いリック(短いから「リック」というのであって、「長いリック」などこの世にない、と自分で突っ込んでおきます)が入ってきて、つづいて、オリジナルではアナログ・シンセでやっていたコードをストリングスが奏でる、という、まあ、だれが考えても、101ストリングスとしてはそうするしかないだろう、というのが前半のアレンジです。
後半、管もコードに加わったり、ピアノにかわってフルートがあのリックをやったり、オリジナルにはないフレーズがいくつか出てきたり、いろいろやっています。大人数の管であのコードをやるのは、それなりに面白くはあるし、ちょっと盛り上がりもします。でも、オリジナルにない弦のフレーズはつまらないだけでなく、オリジナルがもっていた簡素な美的バランスを崩しています。
アレンジャーは、仕事をした証拠を残さなければいけない立場にあるわけで、あまりにもシンプルで、いじりようがないカーペンターのスパルタ的名作に困惑したであろうことには同情します。でも、よけいなものを加えすぎたと思います。二流の人がよく陥る罠です。一流のプロフェッショナルは、たいていがエゴのかたまりですが、必要なときには、その巨大なエゴを殺せる能力があったからこそ一流になったのです。
いっそ、大胆に、あの曲をそのまま100倍にスケールアップするだけですませたほうがよかったでしょう。その曲がそれを要求するのなら、8分音符と全音符ばかり並べるのも厭わないのが、一流というものです。ヘンリー・マンシーニが、オードリー・ヘップバーンの歌唱力と音域に配慮して、白鍵だけで、しかも1オクターヴのなかだけで、Moon Riverを書いたことを想起しなければなりません。
それはそれとして、Halloween Themeをオーケストラで聴けたことは、満足とはいわないまでも、ちょっとニヤリとする体験でした。最近のものですから、すくなくとも32トラック、たぶん、72トラックで録音したのでしょう。それなら、よけいなフレーズを消すのはわけもないことです。くだらない追加フレーズを消したリミックス・ヴァージョンをカーペンター監督のもとに送れば、ハロウィーン・シリーズの次回作に推薦してくれる(巨匠自身はもうあのシリーズの監督はしないようですから)かも知れません。オープニングにはちょっときびしいとしても、エンド・タイトルのバックに流すなら、悪くないのじゃないでしょうか。
◆ In search of the lost MELODY ◆◆
101ストリングス盤Halloween Themeとは直接関係がないのですが、ふと、思ったことがあります。
Halloween Themeが長く耳の底に残るのは、ヘンリー・マンシーニのPeter Gunnや、ニール・ヘフティーのBatman、そして、モンティー・ノーマンのJames Bond Theme(この曲のアレンジャーとしてクレジットされているジョン・バリーは、著作権をめぐってノーマンを相手に訴訟を起こしたが、敗訴したという)と同じリーグに属す、シンプルで印象的なフレーズがあるからではないでしょうか。Halloween Themeがどこかに通底しているような気がして、ずっと考えつづけ、たどりついたのが、Peter Gunn、Batman、James Bond Themeです。
この3曲は、ギター・インストの世界ではスタンダード化していて、多くのヴァージョンがあります。リック中心だから、ギター・インスト・バンドの編成になじみ、プレイしやすく、シンプルなわりには受けがいいからでしょう。3曲のいずれも、出だしに使われているシンプルなリックをテーマ(モティーフ)としているわけではなく、べつにメロディーまたはそれに類似のものがあって、リックのあとに登場します(お忘れかもしれませんが!)。
では、Halloween Themeはどうかというと……うーん、どうでしょうねえ。ピアノ・リックの上にかぶってくる、アナログ・シンセの上昇する三つひとかたまりのコードと、その転調したヴァリエーションを、「メロディー」「テーマ」「モティーフ」というのは、やはり、ちょっと無理でしょう。そういうものに類似した役割を負っているのはたしかですが、実体は、どこからどう見てもまちがいなくコードであり、それ以外のなにものでもありません。
わたしは、Halloween Themeというのは、「あらかじめメロディーが失われた曲」なのだと思います。
この曲について、ずっともやもやと感じていたことの正体まで、薄皮一枚まで迫っているように思うのですが、このへんでやめておきましょう。マイケルのホッケー・マスクをむりやりに引き剥がしたところで、たぶん、平凡な人間の顔があるだけです。「覆い隠されていること」それ自体が重要なこともしばしばあります。
でも、ちょっとだけ結論めいたことをいっておきましょう。ヘンリー・マンシーニがビーバップ世代のアプローチをとったのに対し、ジョン・カーペンターはロックンロール世代のアプローチをとった、それが結果のちがいにつながった、と思います。将来、カーペンターのHalloween Themeは、いまマンシーニのPeter Gunnが受けている「エポックメイキングなスコア」という評価を、引き継ぐことになるだろうと考えています。