人気ブログランキング |
Something Following Me by Procol Harum
タイトル
Something Following Me
アーティスト
Procol Harum
ライター
Gary Brooker, Keith Reid
収録アルバム
Procol Harum
リリース年
1967年
f0147840_23495133.jpg

プロコール・ハルムの「6番目のメンバー」キース・リードは、とくに初期は怪奇幻想の詩人といった印象で、彼自身はひと言もそんなつもりだったとはいっていない、A Whiter Shade of Paleにすら、わたしは英国ゴシック小説の伝統を読み取ってしまったりします(いや、ホレース・ウォルポールは『オトラント城奇譚』をやっとのことで読んだだけ、アン・ラドクリフにいたっては一冊も読み通せず、アイリッシュのブラム・ストーカーには退屈し、「多少とも読んだ」といえるのは、冒険小説的な側面が強いデニス・ウィートリーぐらいですが)。As the mirror told his tale「鏡が自分のストーリーを語った」といったラインに強くそれがあらわれているように感じます。

より直接的には、Salad Days (Are Here Again)、Cerdes (Outside The Gates Of)、そして、今回とりあげる、Something Following Meといったデビュー盤の諸作が、彼のゴシック趣味をあらわしています(歌詞はないのでキース・リードの詩は無関係だが、マシュー・フィッシャー作のインストゥルメンタル曲、Repent Walpurgis「悔い改めよ、ヴァルプルギス」のタイトル付けにも怪奇幻想趣味が感じられる)。

◆ 家と墓石の(音韻的な)隠された関係 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

While standing at the junction on 42nd Street
I idly kick a pebble lying near my feet
I hear a weird noise, take a look up and down
The cause of the commotion is right there on the ground
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's no doubt about it, it's my own tombstone

「42丁目の交叉点にたたずみ、そばにあった小石をなにげなく蹴ると、気味の悪い音が聞こえた、上を見たり、下を見たりしたが、原因はすぐそこの地面にあった、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのだが、それは見まちがいようもなく、わたし自身の墓石だったのだ」

なにも説明なしに出てきている42丁目は、たぶんニューヨークの42丁目でしょう。ご存知のように劇場街です。ここに舞台を設定したのはなにか意味があるのかどうか、それはわたしにはわかりません。

f0147840_23533675.jpg

子どものころ、わけがわからないままにキース・リードが大好きだったのですが、この詩は、彼の作にしてはわかりやすく、お気に入りの一曲でした。「家に置いてきたつもりだった」thought I'd left it at homeというラインがきいています。これがないと平板になっていたのではないでしょうか。わたしは、ここでギョッとしました。

あやふやな記憶で書きますが、三島由紀夫が柳田国男の『遠野物語』について、つぎのようなことをいっています。幽霊が土間を歩き、上がりがまちに置いてあった薪にふれると、それがクルクルとまわる、この瞬間に幽霊がリアリティーをもつ、云々。わたしには、thought I'd left it at homeは、「薪がくるくる廻る一瞬」に思えます。ここにこの語り手の恐怖または狂気が現出しています。

キース・リードはつねに凡庸ならざる韻を踏む人ですが、このヴァースのstreetとfeetもなかなかです。韻とはいえませんが、my tombstoneではなく、my own tombstoneとしてあるおかげで、オウンとストウンの音が響き合っています。

◆ パンと頭、苦痛と狂気、また家と墓石 ◆◆
セカンド・ヴァース。

I went into a shop, and bought a loaf of bread
I sank my teeth into it, thought I'd bust my head
I dashed to the dentist, said, 'I've got an awful pain!'
The man looks in my mouth and screams, 'This boy is insane!'
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's a lump in my mouth of my own tombstone

「とある店に行ってパンを買った、そのパンを噛んだ瞬間、わたしは自分の頭を割ってしまったのかと思った、あわてて歯医者に駆け込み、「ひどい痛みなんだ!」と訴えた、男はわたしの口を見て、「狂ってる!」と叫んだ、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのに、わたし自身の墓石のかけらが口の中にあったのだ」

怪談というより、悪夢のヴァースというべきでしょうか。歯と石が象徴するものについて考えるのは、わたしの手には負えません。キース・リードは、同じくデビュー盤に収録されたSalad Days (Are Here Again)でも、your teeth have lost their gleamというラインを書いています。

意味はどうであれ、このヴァースの押韻はすごいものだと思います。breadとheadも凡庸ではありませんが、painとsaneはうなります。そして、三つのヴァースすべてに登場するhomeとtombstoneはfalse rhyme「偽韻」でしょうが、音としてはちゃんと韻を踏んでいるように聞こえます。この組み合わせのすごいこと、ひょっとしたら天才かもしれません。

◆ 「椅子」の坐り心地 ◆◆
サードにしてラスト・ヴァースへ。

I went to see a movie, got the only empty seat
I tried to stretch out in it, something blocking my feet
Finally the lights came up, and I could clearly see
a slab of engraved marble, just staring up at me
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's no doubt I'm sitting on my own tombstone

「映画を見にいき、たったひとつ空いていた席に坐った、脚を伸ばそうとしたが、なにかが邪魔で、できなかった、映画が終わって明るくなると、はっきりと見えた、彫り物のある大理石の板がわたしを見上げていた、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのに、うたがいもなく、わたしは自分自身の墓石の上に坐っていたのだ」

自分の墓石を蹴飛ばしたのも驚いたでしょうが、そうとは知らずにずっとそのうえに坐っていたのには、文字通り死ぬほど驚いたでしょう! 三つのヴァースのなかで、このサードがもっとも出来がよいと思います。じっさいに、キース・リードが見た悪夢にこの詩の種子があるのだとしたら、このヴァースがそうではないのか、という気がします。夢のなかの論理(というか超論理)では、墓石が椅子になり、椅子が墓石になったりするものです。

f0147840_23584133.jpg映画館も、キース・リードの詩ではだいじなモティーフのように思われます。やはり、子どものときに好きだったRamblin' on(セカンド・アルバムShine on Brightly収録)は、映画館から話がはじまります。

42丁目には映画館がたくさんあるようですが、話はファースト・ヴァースの42丁目から、そのままつながっているのかどうか。42丁目の映画館での奇妙な出来事が登場する『真夜中のカウボーイ』がヒットするのは、まだ未来のことです。念のため。

◆ デビュー盤幻想 ◆◆
プロコール・ハルムのデビュー盤(米盤にはA Whiter Shade of Paleが収録されたが、日本では英盤と同じく、この曲は収録されていない。ただし、英盤とは異なり、セカンド・シングルのHomburgが収録された。ジャケット・デザインも日本独自のもの。ポリドールはオリジナル盤のデザインを使わないことで当時悪名を馳せたが、この盤だけは日本ポリドールのデザインのほうがいい)は、録音がひどくて損をしていますが、楽曲は粒がそろっていました。

f0147840_014789.jpg問題は音質だけではありません。AWSPの爆発的なヒットの勢いがしぼまないうちにというので、リリースを急ぎ、アレンジやレコーディングにかける時間的余裕がなかったことも如実に感じます。ほとんどスタジオ・ライヴで、本来は構築的サウンドであるべきものがあっさりしすぎた仕上げになっていたり(しかし、逆にいうと、このバンドの本来のスタイル、前身であるR&Bカヴァー・バンド、パラマウンツという地が透けて見え、それはそれで面白い)、曲によって音の手ざわりを変えるべきなのに、ひと色のサウンドになっていたり、欠点の多いアルバムです。

しかし、それでもなお、このアルバムは、ヒット曲AWSP抜きでも十分に魅力に富んでいます。すぐれたアーティストのデビュー盤に共通する、どこへいくのか、なにになるのか、まだ方向がはっきりとは見えないまま、いまだ名づけえぬ強いエネルギーが、幕を距てた見えないところで噴出の準備をはじめているのが感じられるのです。

こういうことはイメージのなかにあるだけであり、現実に聞こえる音ではありません。ありえたかもしれない大傑作がイメージされるのです。したがって、現実の音はつねにそのイメージに劣るため、その後の佳作、秀作は、ついに幻の傑作デビュー盤をしのぐことはできない運命にあります。はっぴいえんどのデビュー盤も、そういう幻視を起こさせる「ありえたかもしれない傑作」のひとつでした。

◆ 録音とマスタリングの問題 ◆◆
わたしのプロコール・ハルムへの興味は、キース・リードの詩は別として、音楽的な面だけにかぎるなら、まずマシュー・フィッシャーであり、そしてバリー・J・ウィルソンに尽きます。

f0147840_0105318.jpgゲーリー・ブルッカーは凡庸な歌い手であり、どうということもないピアニストであり、初期にいい曲をいくつか書き、その後、まったくダメになった作曲家であり、ロビン・トロワーは、プロコール・ハルムというunusualなバンドに適応した点は評価できるけれど、基本的に頭の空っぽなギタリストにすぎず、ソロになってからは面白くもなんともないアルバムを量産しただけの、聴くべき、そして、語るべき音楽性などもたないプレイヤーとつねに思ってきました。

この曲ではマシュー・フィッシャーのプレゼンスはミニマルで、残りの4人しか活躍しません。BJのプレイは、もうすこし速い曲のほうが楽しめるのですが、これくらいのテンポのときに見せる、強引な16分を何度かやっていて、そのあたりはニヤリとします(ジョー・コッカーのWith a Little Help from My Friendsでも同様のプレイが聴ける)。

f0147840_0195463.jpgthere's a lump in my mouthのところの、スネアのロールからタムタム(口径が大きく、チューニングが低めで、キース・ムーンに近いサウンド)へというフィルインなど、いかにもBJらしいリックで、この人とハル・ブレインぐらいしか使わないだろうというフレーズです。

しかし、ちょっとミスもやっています。独創的かつ冒険的な「危ない」プレイを好む人で(そこが好きなのです)、「ミスもプレイのうち」ぐらいに思って聴かないといけないのですが、それでもデビュー盤はとりわけミスが目立ちます。時間の余裕がなかったことがうかがわれます。やっぱり、盤はていねいにつくったほうが、あとあと後悔しないですむのです。

間奏のゲーリー・ブルッカー(前半)とロビン・トロワー(後半)のプレイは、稚いのひと言。すでにマシューとBJがかなりのレベルのプレイをしているのとは対照的です。

f0147840_0232590.jpg近年のリマスター盤(リマスター、エクステンディッド、マルチ・ディスク・セットというのがブームですなあ。詐欺商法で集団訴訟にあって、軒並みつぶれないのが不思議。せめて、シングル・ディスクものの下取りぐらいすればいいのに)にはかならずしも歓迎できないものが見受けられるのですが、このアルバムの昔の盤はほんとうにひどい音だったので、LPや初期のCD(とくに国内盤は呆れたマスタリング)は燃やしてしまい、リマスター盤をお聴きになるようにおすすめします。ドラムのプレゼンスが改善されたトラックもあります。とりわけ、Pandora's Boxというアウトテイク集に収められたKaleidoscopeのステレオ・ミックスや、30th Anniversary Anthologyというセットのデビュー盤のマスタリングは、BJファンには福音といえるものです。
by songsf4s | 2007-10-23 23:49 | Evil Moonの歌