人気ブログランキング |
Blowin' Up the Storm by Duane Eddy
タイトル
Blowin' Up the Storm
アーティスト
Duane Eddy
ライター
David Gates
収録アルバム
Twangin' Up a Storm
リリース年
1963年
f0147840_039308.jpg

◆ 芸能界用語としてのStorm ◆◆
本日は居眠りばかりしていて、目覚めれば、すでに日付が変わるまであとわずか。リストのなかからいちばん楽な、こういうときのためにとってあったインストゥルメンタル曲を選び出しました。

ドゥエイン・エディーは、ご存知の方はご存知、聴いたことのない曲でも説明の要がないほど、ほとんどすべての曲を例の「トワンギン・ギター」スタイルでやっています。この曲も、タイトルに嵐とあるからといって、ジョー・メイフィスのような、すさまじい速度で弾きまくるわけではなく、例によって例の調子、低音弦をブリッジのすぐそばで強引にピッキングしているだけです。

f0147840_0553215.jpgRCA時代のエディーは、ハリウッドとナッシュヴィルで録音していたようですが、このアルバムはハリウッド録音で、アレンジャーはデイヴィッド・ゲイツ、この曲自体もゲイツの作です。プレイヤーのクレジットはありませんが、ドラムは明らかにアール・パーマー。そのおかげで、けっこうなグルーヴになっています。

いや、ミドル・テンポなんです。どこが嵐なのかと思うほど、ゆったりしちゃって、看板に偽りありです。アルバム・タイトルにまで嵐がくっついていますが、アルバム全体を聴いても、とくに嵐の雰囲気があったりするわけではありません。辞書でstormを引いてみると、

blow up a storm
《ジャズ俗》 すばらしい演奏をする; _《俗》 怒り狂う; _《俗》 大騒ぎをひき起こす

という成句が出ています。したがって、歌詞のことを気にしないでよいインストゥルメンタル・プレイヤーおよびバンドの場合、気象とは無関係に、この言葉は好ましいことになり、それだけの理由でつけられたタイトルなのだろうと思います。あちらもこじつけ、こちらもこじつけ、武士は相身互いですわ。

◆ 変わらぬスタイル、変わってゆく時代 ◆◆
60年代に入ると、エディーは徐々にシングル・ヒットを出せなくなっていきます。この曲は、最後のトップ40ヒット、Boss Guitarと同じ年にリリースされていて、まだ元気がよかったころのものです。

f0147840_0574057.jpg考えてみると、いつも同じスタイルなのに、50年代にあれほどヒットを大量生産したことのほうが不思議かもしれません。「トワンギン・ギター」で売ったのだから、下降線に入っても、高音弦での華麗なプレイに転身というわけにもいかなかったのでしょう。自分のスタイルに殉じ、生涯、トワングしつづけたのは、まあ、立派なことといえるように思います。いや、時代に合わせてスタイルを変えていった人はダメ、ということではないのですが、スタイルを変えない頑固な人がいるのも、それはそれでけっこうなことだと思います。

エディーという人は、あまり高音弦を弾かないから、うまいんだか、下手なんだか、よくわかりません。たぶん、とくにうまくはないだろうと思います。それなのに、十数曲のトップ40ヒットがあったのだから、最初につくりだしたスタイル、フォーマットがよかったのだとしか考えようがありません。

ギター・インストというのは、うまいに越したことはないのですが、つまるところ、うまさでは売れないということです。リスナーが聴いているのは、テクニックではなく、楽曲であり、サウンドであり、ムードなのだということでしょう。64年以降、エディーが失速していったのは、時代が変わっただけであって、彼はなにも変わらず、年を取ってからもトワングしていたのはご承知のとおり。やはり、表彰ものでしょう。

◆ 中途半端な裏方 ◆◆
デイヴィッド・ゲイツは、キャリアの初期はよくわからないところがあるのですが、62年ぐらいからヴェンチャーズのレコーディング(および、一時的にはツアーにも)に関わっていき、ギター、ベース、ドラムと、あれこれやったようです。小器用なところがあったのでしょうが、とくにギターがうまいということはないようで、スタジオ・プレイヤーとして大活躍した痕跡はありません。

このBlowin' up the Stormの翌年、1964年にリリースされた、知る人ぞ知る、ギター・インストの秀作アルバム、アヴァランシェーズのSki Surfin'にはベースとして参加していますが、このプレイを聴いて、翌年にリリースされた、ヴェンチャーズのクリスマス・アルバムのベースは、デイヴィッド・ゲイツの仕事だったとわかりました(聴く順番が逆になってしまったが、このアルバム自体が、アヴァランシェーズに触発されたものだったことは、いまになれば明白。いや、ほとんど同じメンバーなのだが、クリスマス・アルバムのときのドラムはハル・ブレインではないし、ダブル・リードではないので、そこで差がつき、軍配はアヴァランシェーズ)。

64年には、マーメイズのPopsicles and Iciclesをプロデュースし(曲もゲイツのものだったと思います)、大ヒットさせたり、ガール・グループ・アンソロジーにはしばしばとられている、ガールフレンズの隠れた佳作My One and Only Jimmy Boyをプロデュースしたりもしています(ノンヒットだが、マーメイズなどよりよほど面白く、いま聴いても腐っていないと感じる。ハル・ブレインがめったにやらないほど派手なプレイをしている)。

f0147840_17662.jpgこう見てくると、どうも落ち着きがなく、どの分野でもそこそこの才能という印象を受けます。たぶん、プレイヤーとして大売れはしなかったことから、ソングライティングとブースの仕事に移ることを考えたのでしょうが、多少のヒットは出たものの、これで一生大丈夫とは、とうてい思えません。ブレッドが成功しなければ、かなりきびしい後半生になったのではないでしょうか。

ブレッドの最初のヒット、Make It with Youのリリースは1970年。わたしのように、特定のアーティストに拘泥することなく、ハリウッド音楽の流れをマクロに追っている人間には、60年代後半のゲイツの動きはわからず、活躍といえるようなものはなかったのでしょう。プレイヤーとして名を成すこともできず、ブースのスタッフとしても、ソングライターとしても大成功することなく、かなり危機的状況の数年間だったのではないでしょうか。

ブレッドが成功しなかったら、まずいことになっていたはずで、運がよかったというべきか、やはり能力があったというべきか、まあ、そのへんは人知をもってしてわかることではないのでしょう。

◆ 時はめぐって ◆◆
f0147840_18259.jpgドゥエイン・エディーという人は、いつも同じプレイなので、それほど興味はないのですが、ハリウッド音楽史を研究する人間としては、彼のバンド、レベル・ラウザーズはなかなか気になる存在です。スティーヴ・ダグラスとラリー・ネクテルという、重要なスタジオ・プレイヤーが輩出しているからです。

70年代に入ると、ハリウッドのスタジオ仕事は減りはじめ、プレイヤーたちはさまざまな方面に散っていくことになりますが、ラリー・ネクテルは、デイヴィッド・ゲイツのブレッドに参加することになります。10年ほどまえ、キャロル・ケイに聞いた話では、依然として一年のかなりの期間はブレッドとツアーに出ているということで、メールにもめったに返信をよこさないほどだということでした。

彼に話を聞きたいのなら、わたしが紹介したといいなさいと、キャロル・ケイはラリー・ネクテルのメール・アドレスを送ってくれたのですが、結局、連絡はとりませんでした。現役の人は悠長な昔話はしたがらないだろうと思ったのです。そもそも、キャロル・ケイにすら返信をしないんだから、わたしがなにか書き送っても、どちらにしろゴミ箱行きだったでしょう。

あ、書こうと思っていたのに、ひとつ忘れていたことがありました。エディーに合わせて、よせばいいのにギターをいじっちゃったのですが、通常のチューニングのギターには出せない低音が出てきて、ちょっと焦りました。6弦のEより1音下のDを使っているのです。

これが彼のふつうのチューニングだったのか、この曲のために、とくにチューニングを下げたのか、そこまではわからないのですが、まだレギュラー・ゲージの時代ですから、こういう手をしょっちゅう使っていた可能性もあるのではないでしょうか。
by songsf4s | 2007-10-14 00:38 | 嵐の歌