人気ブログランキング |
銀座旋風児 by 小林旭
タイトル
銀座旋風児[ギンザマイトガイ]
アーティスト
小林旭
ライター
作詩・吉沢ひかる 作曲・小川寛興
収録アルバム
アキラ3
リリース年
1959年
f0147840_2336530.jpg

嵐の歌特集で小林旭を出すのだったら、そのまえに裕次郎があるだろう、といわれてしまいそうですが、「嵐を呼ぶ男」はストレートすぎるし、「風速40米」では昨日のフランキー堺に10メートルも負けているし、そもそもわが家には裕次郎の盤はないのです。ということで、例によってこじつけの変化球であります。

whirlwindやtornadoが出てくる歌ものの曲はわが家にはほかに一曲しかないので、これが今回の特集で登場する唯一の竜巻の曲です。バンドとしてはジョー・ミークのトーネイドーズ、フラーコ・ヒメネスのテキサス・トーネイドーズなんてえのがありますが、うちにある盤には、バンド名を反映した楽曲はありませんでした。

◆ ダスター・コートという気取り ◆◆
『銀座旋風児』という映画も、ものを食べながら見ると喉をつまらせそうな代物でしたが、主題歌の歌詞もちょっとしたものです。今回も書写をネグって、JPEGにさせていただきます。最初のヴァースとコーラスをひとまとめに。

f0147840_23374282.jpg

スターになる前の小林旭の映画はほとんどみていないのですが、この歌詞には、すでにアキラ映画の特長である「臆面のなさ」があらわれています。これより以前のヒット作『南国土佐を後にして』は「渡り鳥シリーズ」の実質的第一作といわれていますが、この映画でのアキラのキャラクターは、のちの「渡り鳥」とはややニュアンスが異なり、「故郷のある」かなり実直な青年でした(故郷のない人間はいませんが、滝伸次だけは故郷がないのです。主題歌のなかで「潮のにおいのする町が、俺にはどこもふるさとさ」と宣言しています)。

『旋風児』は、渡り鳥シリーズが荒唐無稽への一歩を踏み出す『ギターを持った渡り鳥』の直前の製作で、設定はともかくとして(片や首都のど真ん中の繁華街、片や地方の町が舞台)、キャラクターとしては、『旋風児』が『渡り鳥』に流れ込んだのではないかという気がしてきます。いや、まあ、この曲より前に、かの「ダイナマイトが一五〇屯」があるわけで、臆面のなさ、荒唐無稽さは、こちらが源流なのかもしれません。『旋風児』の歌詞に出てくる「マイトガイ」は、会社がアキラにつけたキャッチフレーズで、「ダイナマイトが一五〇屯」からきているのでしょう。

f0147840_23403343.jpg
『南国土佐を後にして』 カウボーイ・ハットも、ガン・ベルトも、ギターもない。まだ実直な青年だったころの「カバンを持った渡り鳥」

「ダスターコート」という言葉はあまり使わなくなってしまったようなので、念のために辞書の記述をコピーしておきます。「ちりよけ用に着用する。20世紀初めに自動車に乗るためのファッションが誕生、オープンカー用として考えられた」とあります。

なんでも調べてみるものです。トレンチ・コート、ダッフル・コート、ピー・コートの由来は知っていましたが、ダスターはいまはじめて知りました。こういう風に使われる言葉というのは、たいていは時代風俗を反映しているもので、ダスター・コートというのは、当時は新鮮に響いたのだと想像します。

もうひとついえば、ハンフリー・ボガートの、ないしは、アメリカの私立探偵の「制服」であるトレンチ・コートの連想もあるのでしょう。重量ではトレンチにだいぶ負けているあたりに、彼我の差が象徴されています。

◆ 流浪の理由はやっぱり女? ◆◆
セカンド・ヴァースおよびコーラス。これですべてです。

f0147840_23491191.jpg

「生まれた時から マイトガイ」というので、やっぱりそうだったのねー、と納得しちゃいました。小林旭(そして宍戸錠も)はスタントマンは使わず、自分でアクションをやっていたので、たしかに「命がけだよ 本当だぜ」というのは本当です。宍戸錠は、アキラが撮影に本身を使ったことがあると証言しています。いや、この場合、命がけなのは、小林旭ではなく、本身に立ち向かう他の俳優たちですが。

「恋も女もいるものか」といいながら、やっぱり美女が足かせになって、闘う力を殺がれるというのが、日活アクションのひとつのパターンでした。鈴木清順の『東京流れ者』で、渡哲也扮するスジ者も「流れ者には女はいらねえんだ」と見得をきっています。まあ、どこへいっても、まとわりついてくる美女がいるからこそいえるセリフだと思いますがね。わたしがこんなことをいったら、たんなる負け犬の遠吠えです。

昔、渡り鳥シリーズを数本まとめてみたことがあります。つづけてみると、さっき北の地の港に置き去りにしてきたばかりの浅丘ルリ子が、つぎの南の山麓の町ではもう馬車に乗ってあらわれたりして(見ていない人はウソだと思うでしょうね。ほんとうに馬車なんです)、なんという素早さ、と感心しちゃいました。はて、恐ろしき執念じゃなあー、とまるで怪談噺のサゲ。

◆ 「旋風児よ」と大向こうの声 ◆◆
渡り鳥シリーズの全盛期には間に合わず、最後のほうをちらっと見ただけだったので、わたしの当時の贔屓はアキラではなく、ジョーでした。母親のおともで、裕次郎映画のおもなものはリアルタイムで見ていますが、母親がアキラのファンではなかったせいで(兄も吉永小百合の映画にしかつれていってくれませんでした)、リアルタイムで渡り鳥が見られなかったのは、ちょっと残念ですが、当時は、アキラにあまり関心がなかったので、見たところで、たいしたことは感じなかったかもしれません。

小林旭という俳優に改めて注目するようになったのは、高校時代に鈴木清順シネマテークで『俺たちの血が許さない』を見てからです(あの時代、鈴木清順はある種の「アンダーグラウンド・ヒーロー」でした)。そこから渡り鳥に戻って、あれこれ見ていくと、これはやっぱりただごとではない、そんじょそこらにいるキャラクターではないと、遅まきながらアキラ・ファンに宗旨替えしました。

これはわたしひとりのことではなく、いくぶんかは普遍性があることだと思うのですが、思春期というのは、性のみならず、リアリズムにも目覚める時期ではないかと思います。思春期にマカロニ・ウェスタン・ブームに遭遇した子どもとしては、怪獣ものばかりではなく、渡り鳥のような、無茶苦茶な設定の映画にも、いったんは我慢がならなくなってしまいました。マカロニ・ウェスタンは、一面ではひどく荒唐無稽ですが、服や皮膚の汚れ方、弾丸が当たれば人体に穴が開く描写などは、あの一連のイタリア映画がもちこんだ新しいリアリズムでした(もちろん、黒澤明の『用心棒』や『椿三十郎』などを参考にしたにちがいないのですが)。

思春期のリアリズム一辺倒を脱して、荒唐無稽なものがふたたび楽しめるようになるには、ある程度の年齢に達しなくてはならず、その年齢になったときに、アキラの出来のよい映画に出合って、やっとねじれたコースが修正されたように思います。

f0147840_23563141.jpg
銀座裏の乱闘 『銀座旋風児』スティル。周囲からは「旋風児よ」「旋風児よ」のささやき声が……。

がしかし、この『銀座旋風児』だけは、新規改宗の荒唐無稽主義者にも、こりゃたまらん、という映画でした。いや、荒唐無稽なのは覚悟のうえですが、小林旭扮する二階堂卓也が、銀座の有名人で、「愚連隊」(もう通じないでしょうかね、この言葉は)が暴れている現場に駆けつけると、周囲の野次馬たちから「旋風児よ」なんて声がしたりするわけで、ここでおおいにめげました。まだいわゆる「日活銀座」、調布撮影所の銀座のオープン・セットができる前で、ロケーションによる銀座街頭風景は楽しめるのですがねえ……。

◆ 技術が裏づける荒唐無稽、脳天気 ◆◆
小林旭という人は、ピッチがすごくよくて、専業の歌手のなかにも、あれほどの人はいないと思うほどです。さすがは美空ひばりの元旦那。あれくらい歌がうまくないと、美空ひばりとしては結婚しようにもできなかったのじゃないでしょうか(先日、テレビでアキラが歌っていたのですが、高いところで音を外したのにショックを受けました。ピッチが悪くなったのではなく、年齢のせいで高い音が出なくなり、結果的に外したのでしょう。これからはキーを下げて歌うようになるかもしれません)。

f0147840_005924.jpg「渡り鳥」シリーズをはじめとする、アキラの荒唐無稽、無国籍映画を娯楽たらしめた裏づけが、アキラ(およびジョー)の体技だったのに対して、やはり荒唐無稽、無国籍になることもあるアキラ音楽の裏づけとなっているのは、歌のうまさです。裕次郎もけっして下手ではなく、独特のうまさがあるとは思いますが、アキラのように「生まれた時から」うまいタイプではなく、得手不得手があると感じます。その点、アキラはほとんど万能で、必要なら、現実に歌ったより、もっとさまざまなタイプの曲が歌えたでしょう。

「ダイナマイトが一五〇屯」「ズンドコ節」「自動車ショー歌」「恋の山手線」といった、ノリがよく、コミカルな系統の歌も、アキラならではだと思います。しかし、わたしはどちらかというと、メランコリーが感じられるバラッド系の曲に惹かれます。裕次郎もそうでしたが、小林旭には陰鬱な部分が隠れていて、映画においても、歌においても、その陰の部分が荒唐無稽なキャラクターに多少とも奥行きをもたらしていたと感じます。

『銀座旋風児』という曲は、歌詞とは裏腹に、メロディーとサウンドはかなりメランコリックなものです。はっきりとそれを表に立てているわけではありませんが、リズムとしては、このまま軍歌をのせることも不可能ではありません。勇ましいような、わびしいような、軍歌特有のにおいがするのです。いや、だからダメだということではなくて、これはアキラのメランコリックなタイプの曲のなかでも、かなり上位にくる出来だと思います。

f0147840_022666.jpg

まだ若かったはずですが、アキラの歌いっぷりは堂に入ったもので、「風が呼んでる マイトガイ」の音程がジャンプする、ちょっと面倒なくだりも、ごく自然に歌っています。アキラがもっていた陰に、この曲の陰はうまく合っていると思います。映画の『銀座旋風児』のほうにも、これくらいの陰影があればよかったんですがねえ。
by songsf4s | 2007-10-12 23:36 | 嵐の歌