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The Wreck of the Hesperus by Procol Harum
タイトル
The Wreck of the Hesperus
アーティスト
Procol Harum
ライター
words by Keith Reid, music by Mathew Fisher
収録アルバム
A Salty Dog
リリース年
1969年
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最後にサーフ・ミュージックを取り上げたのいつのことだったか、今日は久方ぶりに海に出ることにしましょう。いつもとはちょっとちがう海ですが。

80曲近くもあつかってくると、くそ度胸がつくようで、キース・リードの詩を再登場させることにしました。前回のA Salty Dogのときは、必要な箇所だけ抜き出して、全体を見ることを避けましたが、今回は、わからないところはわからないとし、全体を見ることにします。

歌詞のなかでは、The Wreck of the Hesperusというタイトルは登場しないので、先に説明しておきます。Hesperusは「宵の明星」(つまり金星)という意味ですが、wreckは遭難のことをいいます。このアルバムは海の冒険をテーマにしているので、ここでのThe Hesperusは、おそらくは「宵の明星号」という船を指しているのでしょう。いや、きっと帆船だから、「明星丸」のほうがいいでしょうかね!

◆ 「手を吊し」てどうするっていうんだ! ◆◆
これから歌詞を見ていきますが、オフィシャル・サイトに掲載されている版を利用させていただきます。

では、まずファースト・ヴァース。いきなり暴風海域に投げ込まれるので、そこらに掴まってください。

We'll hoist a hand, becalmed upon a troubled sea
"Make haste to your funeral," cries the Valkyrie
We'll hoist a hand or drown amidst this stormy sea
"Here lies a coffin," cries the cemetery, it calls to me

さすがはキース・リード、冒頭からして、もうわかりません。わからないから、テキトーな解釈を試みてみます。

「帆をたたもう、荒れ狂う海で船を停めて、『自分の葬式に急いでいきなさい』とヴァルキュリヤが叫んだ、帆をたたもう、そうしなければ、この嵐の海の真っ直中でおぼれ死ぬことになる、『ここに棺桶が埋まっている』と墓地が叫んだように思えた」

handが海事用語だとすると、乗員のことなのですが、この場合はどうでしょうか。手を吊す、では意味を成さないようなので、乗員だと考えても、荒れる海の上に人を吊すことになにか意味があるのかどうか。

日本武尊[やまとたけるのみこと]が東征の際、三浦半島の走水から房総に渡るときに嵐に襲われ、海を鎮めるために弟橘媛[おとたちばなひめ]が身を投げたという伝説があって、そんなことを連想してしまいましたが、ファースト・ラインにそんなわけのわからないことをもってくるとは思えません。このセンテンスは、この曲に何度も登場するのですから。

f0147840_019315.jpgそこで、海事熟語なのだという仮定に立って、あれこれ考えたり、いろいろな辞書に当たってみました。hoistという動詞は、海事用語ではふつう、帆の上げ下ろしに使われるようで、ひょっとしたら「帆をたたもう」という意味ではないかという気がしてきました。でも、handに「帆」または「帆綱」に相当する意味があるとしているソースを見つけられませんでした。

ただし、動詞としてのhandには「帆をたたむ」という意味があるとリーダーズ英和辞典はいっています。リーダーズの海事用語のカヴァー範囲は、50パーセント以下と思われるので、一般には知られていなくても、「帆をたたむ」という動詞からの転用で、「帆」という意味がhandにはあるのではないか、という道筋で考え、以上のように解釈してみました。

becalmは海事用語で「停船する」ことをいうようです。ヴァルキュリヤは、北欧神話の女神で、「オーディンの命令で空中に馬を走らせて、戦死した英雄たちの霊をヴァルハラに導き、 そこに侍する少女たちの一人」だそうです。オーディンとはなんだ、ヴァルハラとはなんだ、などとはじめると、この記事はいつまでも終わらないので、あとはご自分でお調べください。ワーグナーの歌劇を取り上げたわけではないのに、いったい、どうしてこうなっちゃうのか、恐るべし、キース・リード。

意味はどうであれ、キース・リードの詩ですから、音韻的にはじつに気持ちよいものです。この曲をご存知ない方でも、最後の"Here lies a coffin," cries the cemetery, it calls to meを、ちょっとリズムをつけて音読なされば、彼がすぐれた詩人であることをうっすらと感じ取ることができるでしょう。

◆ 風前の灯火 ◆◆
つづいてファース・コーラス。

And all for nothing quite in vain was hope forever tossed
No thoughts explained, no moments gained, all hope forever lost
One moment's space, one moment's final fall from grace
Burnt by fire, blind in sight, lost in ire

ここもまたおおいに問題ありで、まさしく荒れ狂う海に乗りだした帆船のように翻弄されます。そもそも、マシュー・フィッシャーは、ここに書いたようには歌っていないように聞こえるのですが、でも、とりあえず、強く主張するほどの確信はないので、オフィシャル・サイトにしたがっておきます。

「だが、すべては烏有に帰し、むなしくなった、望みはまったく失われたのだ、どのような思考をもっても説明がつかず、時間稼ぎもできず、あらゆる望みが絶たれた、宙に浮かんだかと思えば、つぎの瞬間には、体裁もなにもあらばこそ、下にたたき落とされた、火にあぶられ、視界を奪われ、怒りにわれを忘れた」

インチキだなあ、と自分でも思います。キース・リードが意味をストレートにわからせようとはしていないのだから、知ったことか、です。でも、音韻的には、ここもじつに気持ちがよいのは認めざるをえません。とくに1行目がすばらしい!

◆ そして船の運命は……? ◆◆
ロビン・トロワーの短いギター・ソロ、そしてオーケストラの間奏をはさんで、セカンド・ヴァースへ。

We'll hoist a hand, becalmed upon a troubled sea
I fear a mighty wave is threatening me
We'll hoist a hand, or drown amidst this stormy sea
"Come follow after," cry the humble, "You will surely see ..."

「帆をたたもう、荒れ狂う海で船を止めて、いまにもとてつもない波がやってきそうだ、帆をたたもう、そうしなければ、この嵐の海で溺れ死ぬことになる、「わたしについてきなされ」と下っ端の乗員が叫んだ、「きっとわかることでしょう」

the humbleは、海事用語で、船での職掌かと思ったのですが、そういう意味は発見できませんでした。「下っ端」というのは、わたしの当てずっぽうにすぎず、ファースト・ヴァースのヴァルキュリヤのように、突然、どこかからあらわれた謎の人物、語り手の幻視かもしれません。もうなかば死を覚悟している語り手ですからね。

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坐っているのがキース・リード、そのうしろにゲーリー・ブルッカー、後列左からデイヴ・ナイツ、バリー・J・ウィルソン、マシュー・フィッシャー、ロビン・トロワー

またコーラスが出てきますが、1行目だけ、

But still for nothing quite in vain was hope forever tossed

と変えています。ここもやっぱり、わたしには「those hope forever lost」にきこえるんですがね。

あとは一巡目と同じように、トロワーのソロ、オーケストラのアウトロとつづきます。フェイドアウトでの嵐のSEは一段と激しさを増し、岩礁にたたきつけられる船が見えるようです。

◆ マシュー・フィッシャーの位置 ◆◆
この曲が収録されたA Salty Dogについては、すでに書いたので略します。リリース以来、つねに聴きつづけてきたので、なにやらわかったような気がしていましたが、詳細に歌詞を検討すると、意味がわからないばかりでなく、記憶違いまであって、やれやれ、でした。

しかし、サウンドはべつです。マシュー・フィッシャーは、このアルバム、いや、正確にはつぎのアルバムHomeの録音途中でハルムを抜けて以降は、自分で歌詞を書いています。それが、このようなサウンドを、彼が自分のソロ・アルバムではやらなかった理由ではないでしょうか。

猛り狂う海をみごとに表現した、スケール感のあるサウンドですし、メロディーのつけ方も、キース・リードの詩がもつ音韻を壊さないものになっています。ドラマーのショウ・タイムとまではいえないでしょうが、バリー・J・ウィルソンも、彼の重さをうまく使った、ドラマティックなプレイをしています。オーケストラは別録りでしょうが、自分がドラマーだったら、こういうタイプの曲をオーケストラといっしょにやるのは、さぞ楽しかろうと思います。

f0147840_024125.jpgこの曲のピアノは、速い三連符のアルペジオをずっと弾きつづけるもので(大昔、バンド仲間が、コピーできたぞ、とうれしそうに弾いてくれたのは忘れられません)、ゲーリー・ブルッカーも意外に弾けるのだな、と思いましたが、クレジットを見れば、ピアノとオーケストレーションはマシュー・フィッシャーでした。そりゃそうでしょうね。ブルッカーのピアノは、R&B指向のヴォーカルが、自分の歌伴として、たぶん耳から覚えたもので、教育を受けたピアニストのプレイではありません。

そういう意味でも、マシュー・フィッシャーを失ったのは、このバンドにとって痛手だったと思います。以後のハルムはほとんど難破船です。わたしは縁を切り、マシュー・フィッシャーのソロを追いかけることになりました。

マシュー・フィッシャーのヴォーカルをほめる人はいないでしょうが、わたしは、この曲についても、そして、ハルムにおける彼の他の曲にしても、これはこれでいいんだ、と思っています。歌のうまさをひけらかすことしか考えてない、脳みそゼロ・グラムの不快きわまりないジャズ・シンガーたち(だれのことをいっているかは、過去の記事をご覧になればわかります)なんかより、ずっとはるかに上等なヴォーカルです。歌い手というのは、われわれが曲を聴く邪魔をするようでは下の下なのです。そこのところがわかるまでに、ずいぶん時間がかかりましたが。

◆ 裁判で争われた「その曲をその曲たらしめる本質的要素」 ◆◆
先日、マシュー・フィッシャーのいる近年のハルムのライヴを聴きましたが、不思議なことに、マシューが弾くと、A Whiter Shade of Paleが、ちゃんとあの音になってしまうんですね。マシューは、あの「青い影」のドロウバー・セッティングをウェブで公開しているので、その気になれば、だれだって彼と同じ音を出せるはずなのですが、そこが人間のやること、やっぱり、ホンモノにはホンモノだけの味があるようです。

という、呑気な話で締めくくるつもりだったのですが……。妙なものを見つけてしまいました。これは常識で、わたしだけが知らなかったことかもしれませんが、去年、「青い影」の著作権をめぐって、マシューが、ゲーリー・ブルッカーを相手取って訴訟を起こしたのだそうです。みなさん、ご存知でした? ご存知だったら以下は飛ばしてください。

これは決着がついたわけではなく、上級審に進む(進んだ)ようですが、裁判所は、マシュー・フィッシャーの主張を大筋で認め、(過去の分は認められず)今後のロイヤルティーの一部はマシューのものになるようです。

一般論としては、ブルッカーの主張するとおり、マシューはあの曲でオルガンを弾いただけ、自分のパートを自分の考えでアレンジしただけであって、このケースを一般化することはできないでしょうが、あの曲にかぎっていえば、わたしが聴いていたのは、ブルッカーの退屈なヴォーカルでもなければ、意味不明のキース・リードの歌詞でもなく、マシューのオルガンと、名前失念のセッション・ドラマーのプレイでした。

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裁判所から出てきたマシュー・フィッシャー。となりは夫人?

はっきりいって、あの微妙なタイミングで、マシューが募集広告に応募しなければ、「青い影」の世界的な巨大ヒットはなく、プロコール・ハルムというバンドの未来もべつのものになっていたにちがいありません。金銭的な争いは見ていて気持ちのよいものではありませんが、マシューを「たんなる伴奏者にすぎない」とするブルッカーの言い方には、音楽というものに対する敬意が感じられず、マシューの貢献にすこしは感謝しろ、といいたくなります。

◆ さらなる火種? ◆◆
しかし、このまま、上級審でも裁定が覆らないと、訴訟ラッシュが起きるかもしれませんねえ。たとえば、つぎの候補としては、The House of the Rising Sun(「朝日のあたる家」)をめぐる、ヒルトン・ヴァレンタイン対アラン・プライス事件が筆頭じゃないでしょうか。ヴァレンタインは、あの当時、トラッド曲のアレンジに著作権が生じることなど知らず、アランにクレジットを取られたが、あの曲をアレンジしたのは俺だ、とどこかで怒っていました。

ごもっとも、ごもっとも。あれがヒットしたのは、ヴァレンタインのギター・アルペジオのおかげです。プロデューサーのミッキー・モストだって同意しています。あの曲のマスターをEMIに持ち込んだとき、会社の連中は、長すぎるからDJに嫌われる、と難色を示したけれど、「だれがそんなことを気にする! リスナーはイントロを聴いただけでレコード屋に走っている」といって説得したと回想しています。そうでしょうねえ。たしかに、いいのはイントロだけ、あとは退屈です。「青い影」にそっくりの事例じゃないですか。アラン・プライスは冷や冷やしていることでしょう。

いや、こういうことをいいはじめると、たしかに、ブルッカーのいうように、秩序は破壊されますねえ。ほら、すごいイントロ・リックをたくさんつくったドラマーがいるじゃないですか。ドン、ドドン、という、ポップ史上もっとも有名なキック・ドラム・イントロとか、ね? あの人なんか、一度に数百件の訴訟を起こせるかもしれませんよ。こりゃたいへんだ。
by songsf4s | 2007-10-03 23:55 | 嵐の歌